

村上春樹の長編本はずっと読んできた。
初期3部作(「風の歌を聴け」「1973 年のピンボール」「羊をめぐる冒険」)から始まり、
「世界の終りとハードボイルドワンダーランド 」「ノルウェイの森」「ダンス・ダンス・ダンス」
「ねじまき鳥クロニクル(第1~3部)」と一気に読んだ。
就職活動時期も重なり、面接に向かう新幹線の中で、
宇多田ヒカルのNever Let Goを聞きながら「世界の終わり~」を
読んで、村上春樹の世界にのめりこんで行ったもんだ。
いつかは、早寝早起きの規則正しい生活をし、時間が空いたらジムに
泳ぎに行き、BMWに乗ってKinokuniyaにランチのサンドウィッチの
具材を買いに行く生活をしたい、と考えたくらいだ。
ところが、今、これらの本の内容を思い返してみると、
ほとんど覚えていない。心の記憶はあっても頭の記憶がないのだ。
いつだったの朝日新聞にも
「村上春樹の本は、読んでいる時は時間も忘れるほど夢中になって
読む、読んだあと、内容について問われると何も残っていない」
のような雰囲気の読者コメントが載っていた。
その後、「スプートニクの恋人」「海辺のカフカ」と読み、今回、「1Q84」
も読み終えた。
感想は、今までと同じだ。
作品の完成度には満足できた。
心の記憶としては残るだろう。
純文学とは、こういうものなのだろう。