
私は「24時間テレビ」は、あまり好きな方ではない。
始まったばかりの頃は、それなりに見た気がするが、近年はほとんど見ていなかった。
だが、今年・・2018年だけは、24時間テレビの番組枠内で放送されたドラマだけは、楽しみにしていた。
そのドラマこそ「石ノ森章太郎物語」であった。
私が子供の頃に漫画家志望だったのは、石ノ森先生の描いた「サイボーグ009」の存在や影響があまりに大きかった。
鉄腕アトムや鉄人28号、エイトマンなども好きで、主人公のキャラクターの顔や姿を、うまく描きたいとは思ったし、実際ノートなどに落書きのように描いていた。
だが、009を読んだ時は、自分の中で違う思いが湧きでてきた。
009の似顔絵を描くだけでは満足できなかったのだ。
009のようなルックスのキャラクターを自分でもオリジナルで生みだし、しかもそれにオリジナルな物語を作って、ともかく動かしてみたかった。
喜怒哀楽の感情も持たせたかった。
それをやるには、落書きだけではダメ。自分でコマ割りをして、物語を展開させ、キャラクターにしゃべらせ、動かさねばならない。
つまり、自分で何ページもの漫画を描くしかなかった。
そうなると、主人公に仲間も必要になるし、主人公の設定もあれこれ決めることになる。
色々やる作業はあるのだが、それが本当に楽しく、わくわくした。
それが私が漫画家になりたいと思うようになったきっかけであった。
009という作品は、私にとってそれほど魅力のある作品であった。
ヘアスタイル、ユニフォーム、仲間たち・・・物語もさることながら、なによりキャラクターが最高にかっこよかった。
そんな009を生みだした石ノ森先生は、少年時代の私にとってはあこがれの漫画家のひとりだった。キャラクターの絵柄が大好きだった。
石ノ森先生がどういう人生を送った人であるかは、様々な文献などで、ある程度は知っていた。
宮城出身、手塚先生とのさまざまないきさつ、トキワ荘、・・・そして、お姉さんの存在など。
当時のトキワ荘の人たちの証言から、石ノ森先生のお姉さんである由恵さんが美人であることは知っていた私だったが、実際に私が写真を見たのは最近であった。
ネット上で検索すると、何点かの由恵さんの写真を見つけることができたのだが、見てみると、確かに素敵な美人。
トキワ荘のマドンナ的な存在になったのは、すごくうなずける。
もしも私が当時のトキワ荘の住人たちと同じような年代で、当時そこに私もいたとしたら、私も彼女に恋をしたかもしれない(?)。
石ノ森先生の姉、本名は小野寺由恵さん(石ノ森章太郎の本名は小野寺章太郎)で、もしも2018年現在に由恵さんがご健在なら、年齢にして80代前半から半ばあたりということになる。
2018年現在、十分に御存命であってもおかしくない。
だが、由恵さんは1958年の4月4日に亡くなられている。
まだ20代前半の若さで・・。
由恵さんは、トキワ荘の伝説では必ず出てくる人物で、今では由恵さん自身も伝説的な存在であろう。
いくつもの逸話も残されている。
弟である章太郎さんへの支援はもちろん、彼女の死因や、由恵さんが密かに恋をしていた男性・・など。
あくまでも「説」ではあるが、その死因は医療ミスであったとか、由恵さんがほのかに恋心を抱いていたのは、当時のトキワ荘の住人であった安孫子素雄さんであったとか。
ただ、ドラマではそのへんまでは触れられてはいなかった。
とはいえ、ドラマ自体はとても面白く見ることができた。
私は題材としての「トキワ荘モノ」は好きなのだ。トキワ荘はこれまでいくつものコミックで描かれもしてきているし、映画やドラマなども作られてきている。
見たり読んだりする機会がある時は、私もなるべく見るようにしてきた。
石ノ森先生は、トキワ荘モノでは欠かせない重要人物であるし、由恵さんもまたトキワ荘伝説ではかならず出てくる人物ではあったが、これまで石ノ森先生とそのお姉さんにフォーカスをあてて描いた作品は・・・なかったと思う。
伝説の美人である由恵さんへの関心は、元々私の中にはくすぶっていた。
石ノ森先生メインのドラマなら、由恵さんもメイン級で出てくるはずなので、その意味でもおおいに楽しみだった。
で、見終わってみると、由恵さんの存在は・・切なかった。
結局彼女は、結婚はおろか、恋人もいないまま、あまりに早すぎる死を迎えてしまった。
その死因が、伝えられている「医療ミス」によるものだったとしたら、あまりに悲しい。
喘息の発作を抑えるためにモルヒネをうたれすぎ、心臓がそれに耐えられなかった・・・ということだが、それが本当なら、あまりにもやりきれないし、悲しいし、かわいそう過ぎるではないか・・・。
石ノ森先生の描いた女の子が、どこか儚さや悲しみを感じさせる美人だったのは、姉がモデルになっているからだ・・・とはよく言われる。
あまりに切なく儚い生涯を送ったようにも見える由恵さんだが、彼女が夢を託して支援した弟は、その後日本を代表する偉大な漫画家になった。
その漫画家は、師匠格のあの手塚治虫先生を嫉妬させ、「サイボーグ009」という漫画史に残る名作を生み、サイボーグという言葉を定着させた。
ウルトラマンと人気を2分するヒーロー「仮面ライダー」を生み、晩年の作品「ホテル」はドラマ化もされた。
プロデュースで携わった戦隊ヒーローものは、その後の「御当地ヒーロー」にも繋がったと言ってもいいだろうし、それは形を変えて町おこしに一役買い続けているとことになる。
幅広い作風を活かして描いたギャグ漫画「ドンキッコ」は、最近ではNHKの朝の連ドラ「半分、青い」でも引用されもした。
そういう意味では昭和から平成にいたるまで、由恵さんの支援した種は、彼女の死後に大きく花開いたと言えるだろう。
また、彼女自身にしても、伝説のトキワ荘モノの作品では、伝説のマドンナとして、ファンに記憶され続けることになった。そこでは彼女は、歳をとることもなく、若い美人で居続けている。
そういう意味では、小野寺由恵さんの存在や人生は、大きな意義を持つ生涯であった・・・と私は思っている。なにより、そう思いたいという気持ちが私の中にある。
彼女は性来の体の弱さゆえ、あまり学校に行くこともできなかったらしい。
そのへん、きっと寂しかったことだろう。
私思うに・・・そんな彼女にとっては、田舎の家で静かに静養しているよりも、晩年(もっとも、早すぎる晩年だが・・)には、弟の支援や自身の治療のために東京に出てきた時は、田舎とは違う都心が新鮮で、刺激も大いに受けたことだろう。
そして、出てきた都心では、トキワ荘で、才能豊かな何人もの若者たちと出会うこともできた。その若者たちには彼女はマドンナとして、好かれた。
トキワ荘は、若いエネルギーで満ち溢れていたことだろう。
きっと、都心での生活は、田舎で静かに静養してるよりも楽しかったのではないだろうか。
で、ひそかに恋をすることもできたわけだから。
それなりに充実した時間を過ごせたのではないだろうか。そして・・それは彼女の短い生涯の中では、きっと・・きっと、幸せな時期であったのではないだろうか。
そうであってほしい。私はそう思いたい。
今回のドラマ「石ノ森章太郎物語」、石ノ森先生とそのお姉さんをメインに描いてくれたという点がよかった。
石ノ森先生を演じた中島鍵人さんは、石ノ森先生を演じるには少しハンサムすぎるかなとは思った(笑)。
でも、悪くなかった。石ノ森先生は、こんなイケメンに演じてもらって、天国で少しテレてるかもしれないね(笑)。
また、由恵さんを演じた木村文乃さんは、もともと由恵さんが美人だったせいもあり、違和感なかった。儚さもあったし。
また、赤塚先生を演じた林遣都さんも当初ハンサム過ぎるかなともおもったが、なにより若いころの赤塚先生本人がは中々の美少年だったようなので、見ててなじむことができた。
できれば、トキワ荘の住人同士のからみがもう少しあったら、もっと嬉しかったかな。
テラさんとか、あるいは由恵さんがほのかに思いを寄せていたらしい安孫子さんとの交流とか。
そのへんをふまえつつ、私はふと思ったことがある。
それは・・、いつかNHKの朝の連ドラで、小野寺由恵さんを主人公にして描いてもらいたくなった・・ということ。
そんな私は、欲張りだろうか。
石森先生のお姉さんのエピソードは「まんが道」で知りました。
でも本当にお綺麗な方ですよね、若きまんが家の皆さんが夢中になった事も納得です。
私にとって一番の石森先生の思い出の作品は…「マンガ家入門」でしょうか。
読んでいると本当に自分がマンガ家になれそうな気がしました。
「ドンキッコ」「となりのたまげ太くん」「ボンボン」「おかしなおかしなおかしなあの子」
私が読んでた石森作品は基本的にギャグまんがが多かったようです。
「サイボーグ009」や「ミュータントサブ」なんかは、当時の私には難しかったようで、
読んだ記憶があまりありません。
「仮面ライダー」をはじめとする変身ものもあまり読んだ記憶がないんですよね〜
でも「変身忍者 嵐」のまんがの方のビジュアルはなんだか好きでしたね。
ドラマの中でトキワ荘の前でサインをねだられてるシーンがありましたが、
今更ながら当時東京に住んでた子供がうらやましい…
当時のまんが本のコマ外には「○○先生にお便りを書こう!」ってメッセージと、
そのまんが家先生の住所が堂々と書かれてましたからね。
行動力のある子供なら、ごひいきのまんが家さんの住んでる所に
色紙やスケッチブック持って行ってたんじゃないかな〜
あ〜本当にうらやましいやらねたましいやら(笑)
P.S.
私もあの「愛は○○を○○」番組、基本的にダメです。
石森先生の「マンガ家入門」、もちろん私も持ってました。というか、今も家のどこかにあるはずです。
ちなみに、続編の「続・マンガ家入門」も今も家の中にあるはずです。
まさにバイブルでした。
その中に収められてた読み切り作品「竜神沼」は、極めて印象的でした。
私は石森先生のギャグ漫画にはあまり熱中した覚えがなく、私にとっての石森作品はやはりSFストーリー漫画でした。
あれこれ読みました。
サイボーグだけでなく、アンドロイドやミュータントなどの言葉を覚えたのは、石森作品からでした。
仮面ライダーには私はあまりハマらなかったんですが、それはやはり漫画よりも特撮ドラマのイメージが強かったからだと思います。
そうそう、昔のマンガ雑誌には、マンガ家の住所も載ってましたね。
で、励ましのお便りを出そう!とメッセージがかかれてました。
今では考えられないですね、安全やプライバシー面で。
う〜ん、「竜神沼」はあんまり憶えてないです…ぼんやり憶えているのは
「テレビ小僧」の短編(テレビ小僧がマイクスタンドを曲げるシーンが記憶に残ってます)とか
作中に「夜は千の目を持っている…」というフレーズが出てくる作品。
「夜は千の目を持つ(The night has a thousand eyes)」という
JAZZのスタンダード曲がありますが、あの曲となんか関係あったのかな?
石森先生は音楽に造詣が深い方でしたから、
この曲になんらかのインスピレーションを得た作品だったのかしらん…。
手塚先生、赤塚先生、藤子F先生、そして石森先生…
子供の頃夢中で読んでいたまんが家の先生たち、ものの見方や考え方に
少なからず影響を与えてくれた昭和という時代に改めて感謝です。
そんな昭和の時代にスポット当てていた作品
「ちびまる子ちゃん」の作者 さくらももこ先生がお亡くなりになりましたね。
53歳だったそうで…まだそんなお歳だったんですね…黙祷
そのうちまた読み返すかもです。
夜は千の目をもっている、、、はい、記憶にあります。
今思い出しました。
さくらももこさんもまた、昭和世代でしたよね。
あまりに早い他界でしたね、、、。
合掌、、、。
以前「知ってるつもり」という番組で、ドラマで描かれた内容に近い、いきさつが紹介されていたような記憶があります。
9月8日のEテレの100de石ノ森章太郎は見れました。
様々な視点からの出演者の発言が興味深く、
人物像や作品世界をより深く理解する事が出来ました。
そうだったのか、なるほどなあ、そうだよなあ、などと思いながら見ていました。
私は石ノ森作品は主に60年代頃までしか読んでいません。
009も秋田書店版までしか読んでいません。
なので私が読んだ中でベスト5を選ぶとすると、
009、幻魔大戦、ミュータントサブ、ジュン、竜神沼、
辺りでしょうか。
番組の中で島本和彦が熱く語るところは思わず笑ってしまいました。なんかオタクっぽい感じで、思い込みの激しそうな人ですねぇ。
個人的願望を言うと、100分de 桑田次郎、吾妻ひでお、萩尾望都、大島弓子、等もやって欲しいです。
ご存命の方は無理ですかねえ………。
なので、石森さんを取り上げた回も見てるはずなんですが、内容はよく覚えていません。
いっそ、あの番組は再放送してもらいたいです。
石森さんの絵柄は初期の絵柄が好きでした。
かわいくて、華があって。
後記の絵柄は、キャラクターが少し疲れてるような雰囲気があったのが、少し残念でした。
私は、つげ義春さん、楳図かずおさん、白土三平さん、あたりも取り上げてほしいです。
時代はいつの間にか、昭和から平成 そして令和に
移り変わってしまいましたが、思えば昭和36年の
その時代に生まれてきてよかったと思う
と言うのは、その少し前には戦争がありその影響で
国全体が貧しい 読書禁制の時代だったからだ
そして時代は手塚治虫と言う漫画家を生み出したが
僕の心を途絶えたのは39年に少年キングに連載されたサイボーグ009でした、 その漫画を読んだ瞬間から石ノ森章太郎こと小野寺章太郎の漫画と半生を追う
僕の旅が始まったのです、それは残念ながら1998年で終わりを遂げたのだと思った でもそれからそれから
20年以上経過しましたが、僕は未だに石ノ森章太郎を追い続けている、そう僕の旅は多分永遠に終わらない
。
時間の外に、ようこそ。
令和の時代になり、昭和の時代はますます遠くなっていってますね。
昭和は長く続いたこともあり、本当に激動の時代だったと思います。
戦争があったり、高度経済成長があったり、オリンピック、月面着陸、万博、ほか。
そうそう、009は少年キングから連載が始まったんですよね。
最初に読んだ時、私はともかく009のルックスと設定にノックアウトされました。
その後の漫画史に与えた影響は絶大だったと思います。
サイボーグという概念、あのヘアースタイルなど。
009の影響をうけて出てきた作品は多数あると思います。
そんなキャラを生み出した石ノ森先生を追う旅!素敵な旅だと思います。
今後もその素敵な旅を続けてください。