
このブログ名物(?)、「某・居酒屋マスターの お宝ソノシート・シリーズ」、その8。
今回は、御大・手塚治虫先生の名作「ジャングル大帝」。
「日本初のカラーアニメ」とみなされてる・・という意義が、この作品のアニメにはある。
もっとも、実際には「ドルフィン王子」という作品が、ジャングル大帝の前に3本ほどカラーでアニメ制作されてるらしい。「ドルフィン王子」は後の「海底少年マリン」の原型である。
でもまあ、一般的にはこの「ジャングル大帝」こそが、日本のカラーアニメの元祖である・・とされている。
このアニメが本放送されてた当時、我が家にカラーテレビがあったかどうかは分からない。
だが、私の目には、このアニメのカラフルな色が焼き付いていた。
もしかしたら、カラー版は、再放送で見たのかもしれない。
きっと、最初の本放送の時は、モノクロで見たのだろう。
で、その後の再放送の時に、カラーテレビで見た・・そんな流れだったと思う。
今でこそカラーアニメは当たり前だが、当時モノクロを見慣れていた私の目には、カラーの「ジャングル大帝」の映像は、鮮やかではあるものの、見てて疲れる要素もあったように思う。
アニメ放送されたのは、フジテレビ系で1965年10月6日~1966年9月28日まで。
全52話とのこと。
このアニメは、何と言っても主題歌が良かった。
オープニングも、エンディングも。
歌のバックに流れていた映像は、おぼろげに覚えている。
特に、オープニングの映像と主題歌のマッチングの素晴らしさは圧倒的だった。
オープニングテーマもエンディングテーマも、作曲は、あの冨田勲!
抜群のメロディラインを誇った名曲だった。
アレンジも最高。
オープニングを見ただけで、見てる人はこの作品世界に誘われるだろう。ぐいぐいと。
オープニングが醸し出すスケールの大きさは、圧倒的だった。
広大なジャングル、それを見下ろす山、そしてはるかな地平線の果てまで、壮大なドラマが繰り広げられる・・・そんなワクワク感があった。
エンディングテーマを歌ったのは、弘田三枝子。
「人形の家」などの大ヒット曲を持つ、れっきとした人気歌手だった。
個人的には「私が死んだら」というヒット曲も忘れられない。
オープニング、エンディング、どちらの曲も、非常に広がりを感じさせる出来上がりだった。
私は今も趣味で曲作りなどをしていたりするが、曲を作る時、つい「広がりを感じさせる曲」を作りたい・・と思う事は多い。
とはいえ、実際に自分が作った曲が「広がり」を持った曲になってるかというと、実はそうでもない(笑)。
でも、広がりのある曲を作りたいという願望は、いつも心の中にある。
それは・・・自分が、広がりのある自然風景などが好きで、それを歌にしたいと思うことがあるから・・というせいもあるが、「ジャングル大帝」をはじめとする何曲かのアニメソングからの影響が心に染みついているからではないか・・と自分では思っている。
特に「ジャングル大帝」の主題歌の「広がり」にはしびれた覚えがある。
広がりがある主題歌という意味では、この「ジャングル大帝」は全アニメ主題歌の中でもトップクラスだろう。
今も。
実は私は「ジャングル大帝」の原作はまともに読んだことはない。
アニメの方も、断片的に覚えてるくらいである。
だが、オープニングとエンディングのテーマソングとその映像は、しっかりと頭に残っている。
キャラクターグッズでは、確か・・・当時150円くらいの「ジャングル大帝」のプラモを買って組み立てた覚えがある。
値段的に、何日分かお小遣いをためて買える「プラモの相場」が私にとってはそれくらいの額だった。
なまじ何百円もする高額な(今の相場では数千円くらいだろうか)プラモだと、お金を貯めるのに時間がかかるし、買ったとしても複雑すぎて組み立てる途中で挫折したり、完成しても失敗作だったりしたので、150円くらいのプラモは、私にとっては分相応だったと言えた。
私が買った「ジャングル大帝」の150円プラモは、確か・・・イカダがあって、そこにレオが乗ってる・・・そんなプラモだったような記憶がある。
で、それを水に・・というか風呂で浮かべて遊ぶのであるが、イカダの裏面にマブチ水中モーターあたりをつけて動かしたような気もする。
あと・・「ジャングル大帝」に関する記憶といえば、スポンサーがサンヨー電気だった・・ということ。
サンヨー電気のCMにレオがうまく使われていたと思う。だから、私の記憶の中では、当時のサンヨー電気の製品とジャングル大帝は一体化していた。
まあ、そういう思い出も「ジャングル大帝」にはあるが、やはりあの作品は私にとってはオープニングとエンディングの主題歌につきるなあ。
この作品が生み出されてからだいぶ時間がたって、手塚先生が若き日に憧れたディズニーから、「ジャングル大帝」をパクった・・いや、ヒントにした(笑)としか思えない作品「ライオンキング」が製作された。
一時、ディズニーに対して訴訟を起こしたらどうか・・なんて声が手塚プロサイドにいったようだが、「手塚が憧れたディズニーに、手塚作品「ジャングル大帝」が影響を与えたのだとしたら光栄」・・・そんなニュアンスのコメントが出されたっけ。
この対応に、ディズニーサイドの関係者は、どう感じたのだろうね。心の中で。
「ジャングル大帝」。
この作品が日本人によって生み出されたことを、私は日本人として誇りに思いたい。
今回は、御大・手塚治虫先生の名作「ジャングル大帝」。
「日本初のカラーアニメ」とみなされてる・・という意義が、この作品のアニメにはある。
もっとも、実際には「ドルフィン王子」という作品が、ジャングル大帝の前に3本ほどカラーでアニメ制作されてるらしい。「ドルフィン王子」は後の「海底少年マリン」の原型である。
でもまあ、一般的にはこの「ジャングル大帝」こそが、日本のカラーアニメの元祖である・・とされている。
このアニメが本放送されてた当時、我が家にカラーテレビがあったかどうかは分からない。
だが、私の目には、このアニメのカラフルな色が焼き付いていた。
もしかしたら、カラー版は、再放送で見たのかもしれない。
きっと、最初の本放送の時は、モノクロで見たのだろう。
で、その後の再放送の時に、カラーテレビで見た・・そんな流れだったと思う。
今でこそカラーアニメは当たり前だが、当時モノクロを見慣れていた私の目には、カラーの「ジャングル大帝」の映像は、鮮やかではあるものの、見てて疲れる要素もあったように思う。
アニメ放送されたのは、フジテレビ系で1965年10月6日~1966年9月28日まで。
全52話とのこと。
このアニメは、何と言っても主題歌が良かった。
オープニングも、エンディングも。
歌のバックに流れていた映像は、おぼろげに覚えている。
特に、オープニングの映像と主題歌のマッチングの素晴らしさは圧倒的だった。
オープニングテーマもエンディングテーマも、作曲は、あの冨田勲!
抜群のメロディラインを誇った名曲だった。
アレンジも最高。
オープニングを見ただけで、見てる人はこの作品世界に誘われるだろう。ぐいぐいと。
オープニングが醸し出すスケールの大きさは、圧倒的だった。
広大なジャングル、それを見下ろす山、そしてはるかな地平線の果てまで、壮大なドラマが繰り広げられる・・・そんなワクワク感があった。
エンディングテーマを歌ったのは、弘田三枝子。
「人形の家」などの大ヒット曲を持つ、れっきとした人気歌手だった。
個人的には「私が死んだら」というヒット曲も忘れられない。
オープニング、エンディング、どちらの曲も、非常に広がりを感じさせる出来上がりだった。
私は今も趣味で曲作りなどをしていたりするが、曲を作る時、つい「広がりを感じさせる曲」を作りたい・・と思う事は多い。
とはいえ、実際に自分が作った曲が「広がり」を持った曲になってるかというと、実はそうでもない(笑)。
でも、広がりのある曲を作りたいという願望は、いつも心の中にある。
それは・・・自分が、広がりのある自然風景などが好きで、それを歌にしたいと思うことがあるから・・というせいもあるが、「ジャングル大帝」をはじめとする何曲かのアニメソングからの影響が心に染みついているからではないか・・と自分では思っている。
特に「ジャングル大帝」の主題歌の「広がり」にはしびれた覚えがある。
広がりがある主題歌という意味では、この「ジャングル大帝」は全アニメ主題歌の中でもトップクラスだろう。
今も。
実は私は「ジャングル大帝」の原作はまともに読んだことはない。
アニメの方も、断片的に覚えてるくらいである。
だが、オープニングとエンディングのテーマソングとその映像は、しっかりと頭に残っている。
キャラクターグッズでは、確か・・・当時150円くらいの「ジャングル大帝」のプラモを買って組み立てた覚えがある。
値段的に、何日分かお小遣いをためて買える「プラモの相場」が私にとってはそれくらいの額だった。
なまじ何百円もする高額な(今の相場では数千円くらいだろうか)プラモだと、お金を貯めるのに時間がかかるし、買ったとしても複雑すぎて組み立てる途中で挫折したり、完成しても失敗作だったりしたので、150円くらいのプラモは、私にとっては分相応だったと言えた。
私が買った「ジャングル大帝」の150円プラモは、確か・・・イカダがあって、そこにレオが乗ってる・・・そんなプラモだったような記憶がある。
で、それを水に・・というか風呂で浮かべて遊ぶのであるが、イカダの裏面にマブチ水中モーターあたりをつけて動かしたような気もする。
あと・・「ジャングル大帝」に関する記憶といえば、スポンサーがサンヨー電気だった・・ということ。
サンヨー電気のCMにレオがうまく使われていたと思う。だから、私の記憶の中では、当時のサンヨー電気の製品とジャングル大帝は一体化していた。
まあ、そういう思い出も「ジャングル大帝」にはあるが、やはりあの作品は私にとってはオープニングとエンディングの主題歌につきるなあ。
この作品が生み出されてからだいぶ時間がたって、手塚先生が若き日に憧れたディズニーから、「ジャングル大帝」をパクった・・いや、ヒントにした(笑)としか思えない作品「ライオンキング」が製作された。
一時、ディズニーに対して訴訟を起こしたらどうか・・なんて声が手塚プロサイドにいったようだが、「手塚が憧れたディズニーに、手塚作品「ジャングル大帝」が影響を与えたのだとしたら光栄」・・・そんなニュアンスのコメントが出されたっけ。
この対応に、ディズニーサイドの関係者は、どう感じたのだろうね。心の中で。
「ジャングル大帝」。
この作品が日本人によって生み出されたことを、私は日本人として誇りに思いたい。