田舎な地方に旅した時に、古い家屋で漂う「匂い」が私は好き。
その匂いは、けっこう共通しており、その匂いを言葉で表現するのは難しいのだが、あえて書けば・・・
古い木造の建物独特の「木の匂い」と、線香の匂いが入り混ざったような匂いである。
そしてどこか、漬物っぽい匂いがほのかに混ざっていることもある。
まあ、漬物はともかくとして、古い木造の木の匂いと、線香の匂いが混ざったような匂いを嗅ぐと、どうにも懐かしくなって、和やかな気持ちになるし、時には安堵感すら覚える。
なぜその匂いが好きなんだろう・・・と考えてみると、すぐに思い当たるものがある。
それは、私が子供の頃に預けられた祖母の家の匂いであり、また、祖母の家の近くの建物の匂いであり、祖母の家があった田舎の町の匂いだ。
東京の近代的な建物では、望むべくもない匂いだ。
たまに、田舎の家屋や、古い時代の町並を再現した展示館やイベントなどがあるが、そういう「再現」したものには決定的に欠けているのが、ここで書く「田舎の匂い」だ。
これがあるのとないのでは、大分印象が違う。
だから、田舎や古い時代を再現した展示館に行って、「造形的・視覚的に懐かしい」印象は受けても、何かが足りないと思ってしまう。
で、その「足りない何か」の一つこそ、「田舎の匂い」なんだと思う。
人間は、何かを見たり、感じたりすると、それを色んな感覚の複合で、記憶の中にしまいこむ。
その複合される要素というのは、視覚的なもの、聴覚的なもの、味覚、痛感、そして匂い、などなど。
なので、例えば聴覚的な要素も大事ではある。
もしも、古いものを展示する場合、聴覚的なものや嗅覚的なものも同時に再現できれば、その展示物はより立体的で、心に訴えかけてくるものになると思う。
都心で以前、近代的な建物が立ち並ぶ中に、古い商店があるのを見つけ、何気に店に入った時、店内に前述のような「田舎の匂い」みたいな匂いがしたことがある。
そのお店は、古い和菓子屋だった。
古ぼけた家屋、薄暗い店内、昭和のようなレトロなガラス張りの陳列ケース、奥のほうには棚に賞味期限が気になるような即席麺・カップ麺、駄菓子なども置いてあった。
さすがに、棚にある商品を買おうとは思わなかったが、店内の匂いに惹かれて、ガラスケースの中の和菓子は買ってみたくなった。
だが、あいにく店員がいなくて、奥の方の居住スペースのほうにもいないようだった。
なので、何も買えないで出たのだが、普通の人はそういう店を「汚い」とか言って敬遠してしまう場合も多いだろう。
だが私は、逆だった・・。
都心にあるそういう店でさえそうなのだから、田舎の方にいって、例えばさびれた道沿いにそういう店を見つけた時は、買いたいという気持ちは更に強くなる。たいがいそういう店では、「田舎の匂い」が残ってたりするから。
視覚的なものを再現するよりも、微妙な違いの嗅覚的なものを再現するのって、至難の業だろうなあ。
急きょ作りだした造形的なものでは再現できない、長年の生活の歴史というものが、無形という形で染み込んだり漂っていたりするものだから。