時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

冬枯れの景色

2010年01月13日 | 
未公開だった風景写真から。



冬枯れの山姿は、どこか寂しく、寂れている。

特に、人があまり来ない場所で、しかも適度に人の手が入っている自然だと、なおさらである。

人の手が入ることにより、本来の自然の姿を失っているうえに、それを囲む自然が寂れていると、いっそう寂しさが増幅されて見える。

自分以外に来訪者がまったくいない場所であれば、その寂しさは、さらになおさら。

まるで、忘れ去られて放置されてるようでもある。

そういう場所にいると、まるで自分までが忘れ去られたような気分になる。

となると、一緒にいてお似合いなのかもしれない。

だが、忘れ去られたような気分でも人間はその気になれば移動して人里に行けば、群衆の中に復帰できる。
だが、その場を動けない自然は、そのままだ。

そこに置き去りにされるのみ。

もっとも、自然は、そうされるのを望んでいるのかもしれない。

だったら、人間の手など入らないでほしかった・・と思ってるかもしれない。

だが、手を加えないでいると、それは人間にとって、時にやっかいな事態を引き起こすことがある。


だから、人間にとって都合のいいように手が加えられたりする。

で、放置されたり。


人間と自然の共生、それは本来は難しい。

人間が自らの知恵と工夫で自然に手を加えても、自然に勢いがついた場合は、自然は軽々と人間の知恵や工夫を凌駕してしまえる。


それは、自然の逆襲なのだろう。

やられっぱなしでいる・・ということはない。

それは肝に銘じておかなければいけないのかもしれない。

そういうことは折に触れ、よく言われてきている。

過去の前例からそういうことは人間は分かっているはずなのだが、ついつい目先のことばかり優先してしまう。

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