
ミュージシャンがライブで、楽曲をアルバムと全く同じように演奏し、歌うか。
あるいは、アルバムとは違うアレンジで演奏したり、歌ったりするか。
それはそのミュージシャンによって異なる。
たとえば、イーグルスなどは、レコードなどの音源と変わらぬアレンジで演奏し、歌う。
その一方で、その対極にあるのが、たとえばボブ・ディラン。
ディランは、オリジナル音源のバージョンにほとんど捉われていない・・といっても過言ではないぐらいだ。
例えば、本来2番までしかなかった歌に、新たに3番の歌詞を加えて歌ったりする・・などはまだいいほうで、アレンジもメロディも歌い方も全く変えて、まるで別の曲のような装いで披露したりする。しかもそのアプローチは彼にとっては通常のスタイルになっている。
なので、かなりディランのアルバムを聞きこんできたファンにとっても、特にそれが言語が違う国でのパフォーマンスだと、よく知ってるはずのその曲が、見知らぬ曲に聴こえたりもする。新曲か?と思って聴いてたら、よく聴くと聞き覚えのある歌詞が歌われていることに気付き、あらためてその曲が、既成の名曲であったことが分かる・・というのもよくある。私自身も、ディランのコンサートを見てて、そういう経験は何度もある。
というか、ディランのコンサートは毎回そうだ。
楽曲をレコード通りに演奏するのと、アレンジをまったく変えて、新しい解釈で披露するのと、どちらがいいか?
これは正直難しい問題だと思う。
ミュージシャン自身にとっては、後者の方がやりがいがあるかもしれない。
何度も披露してきた古い曲を、今の解釈でやるということは、ある意味その曲を「懐メロ曲」ではなく現役でいさせることにもなるだろう。
昔のままの姿で再現することばかり繰り返していると、飽きてくる場合もあると思うし。
歌詞やアレンジなどが今の時代や今の自身ににそぐわないと思った場合は、その曲をやらないという選択も本来あるはずなのだが、その曲がヒット曲だったり人気曲だったりした場合は、それを聞くのを楽しみにライブに来ているファンがいることも考えれば、やらないわけにもいかないだろう。
とはいえ、多くのミュージシャンは、レコード通りのアレンジでやることが多いとは思う。
また、ファンにとっても、そのほうが分かりやすいし、レコードのイメージでその曲を覚えているはずだから、そのお馴染みのアレンジで再現してくるほうが分かりやすいし、嬉しいだろう。
本来流れるはずのメロディが全然別の流れになっていたり、アレンジが全く変わっていたら、面食らったりもするだろう。
ディランのようなライブスタイルは、数は少ないと思う。ただ、ディランは、デビュー当時は分からないが、少なくても若い頃からそういうスタイルでライブを続けてるので、ディランのライブはそういうスタイルであるということは、熱心なファンならもう分かっている。だから、レコードと全く違ったアレンジで有名曲を披露しても、ファンはついてくる。そういうスタイルに違和感を感じてる人は、自然と行かなくなるだろう。
でも、そういうスタイルのライブスタイルであることが分かってライブを見に行くファンにとっては、今回はどんなアレンジで曲をやるかな・・という楽しみ方もできる。
それは、ディランクラスのビッグネームだからこそ許されるスタイルなのかもしれない。
また、本来エレキバンドでやってた楽曲を、アコースティックアレンジでライブでやる場合は、必然的にアレンジの変更は必要になってきたりする。
例えば、エリック・クラプトン。代表曲「レイラ」は、エレキバージョンの時のあの印象的なイントロが強烈だったが、それをアコースティックでやる場合、エレキバージョンでの有名なイントロは割愛して、まったく違ったアレンジで披露してたりした。
まあ、クラプトンもディラン同様にビッグネームだから、できたのかもしれない。
ディランほど極端でなくても、レコードのバージョンをより時代に即したアレンジに変えて披露する人も多い。
むしろ、そのアレンジの変更の差は、それぞれまちまちであっても。
でも、オリジナルバージョンの原型をとどめたものであれば、それは新たにモダンなアレンジを施されることで、かっこよさはアップしたりもする。
とはいえ、ディランのようにリズムもメロディも歌い方も一新するというのは、冒険であり、一方で作者自身の挑戦でもある。
この場合、お客さんにも、慣れは必要になる。ディランはそういうスタイルの人などだという理解と共に。
一度完成して、しかもそれが一般的に認知されたものを、新たにぶち壊すというのは勇気は必要なのだ。
一度完成したバージョンのままライブで披露するほうが、分かりやすいし、てっとりばやいし、客も受け入れやすい。
ただ、・・これは私の個人的な感想だが、確かに一度完成したバージョンのままやってくれたほうが安心感はあるのだが、あまりにもレコード通りの再現ばかりだと、物足りなさは感じることもある。まるでレコード(というか、アルバムを)聴いてるようで。
その物足りなさを感じる理由は、ライブでは、ちょっとしたサプライズを期待しているからかもしれない。
たとえそのサプライズそのものは、そのライブに行かなかった人でも映像や音源で見たり聴いたりできるとしても、それをリアルタイムで生で見れる楽しさはまた格別だから。
それこそ、ライブの魅力だと思う。
そういうのを生で味わえるということは、ライブに行った人だけが味わえる特権なのだ。
以前、拓郎さんとかぐや姫が行った「つま恋コンサート」で、サプライズで中島みゆきさんが登場してきた時は、会場にいた私はビックリしたし、会場全体が大盛り上がりになった。
その情報はあっという間に世間に広まり、たとえ会場に行かなかった人でも、その映像はテレビなどで見ることができた。だがそれは、あらかじめみゆきさんが出るということを知っていて、見る映像だった。なので、それはもうサプライズ演出ではなく、通常のライブ演出として見る映像だ。
だが、当日コンサート会場に実際に見に行った客としては、そんなことは知らないで見に行ったわけだ。
だからこそ、それがサプライズであったわけで。
ライブというのは、そういうサプライズを期待できる場所・・という魅力はある。しかも、生だからこその臨場感を伴って。
単に楽曲を聴いたり、ライブの映像を見ることはPCなどでもできても、ライブの生の臨場感ばかりは、PCや携帯ではどうしようもない。
だからこそ、CDが売れないと言われる現在でも、ライブの収益だけは伸びているのだろう。PCや携帯では代用できないから。
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