待ち続けるか、それとも?それが問題だ。
私が初めて四国に旅行したのは、もうずいぶん前のこと。
20年くらい前かもしれない。
それまで四国には私は行ったことがなかったので、初めての四国ということで、その旅行はかなり気分が高揚していたのを覚えている。
その時のプランは、松山の道後温泉で1泊し、その後は足摺岬で1泊し、最後に高知市内に泊まるという、計3泊の旅行だった。
道後温泉に着いた時は、よく晴れており、街を歩いていてともかく暑かった。
たまらず、正岡子規記念館で冷房の効いた室内で休憩したりした。
そして翌日。道後温泉から足摺岬に向かうバスに乗ったのだが、だんだん天候が悪くなり、しまいには一気に大雨が降り始めた。
実はその旅行のどこかで四万十川の川下りもしてみようかと思っていたのだが、大雨であえなく中止。
足摺岬に着いた時、一瞬雨が小降りになった「時間の隙間」があったのだが、すぐにまた大降りになった。
その日はとりあえず足摺岬で一泊し、翌日はバスで中村駅まで行き、そこから電車で高知に向かう・・はずだった。
だが、中村駅に着いた頃は豪雨になっており、そのせいで電車が止まっていた。
聞けば、電車が動くメドすらたっていないという。
しばらく中村駅で待ってたのだが、時間が空しく過ぎるだけ。
そこで私は意を決して、駅前に停まってたタクシーで高知に向かうことにした。
正直、けっこう出費になるだろう。
でも、その日の宿は高知でとってあるので、なんとしても高知に着かねばならない。
そのまま中村駅で待ってても仕方ない気がした。
あとからわかったことだが、結局電車は翌日になっても動いていなかったようだ。
そう考えると、高知に行く手段をタクシーにしたのは正解だった。
途中、あまりの豪雨で崖がくずれている箇所もあったし、川は氾濫しはじめていた。
タクシーにはかなり無理をさせてしまった。
タクシー代の出費は痛かったが、でも、無事になんとか高知に辿り着いてくれたことに私は感謝した。
幸い、高知では小降りになっていた。
もし、あのまま中村駅で待ち続けていたらどうなっただろう。
予定にない、中村駅での宿泊ということになり、余分な金がかかったことになったろう。
あの日、中村駅では多数の「待ち客」がいた。
皆、電車が復旧するのを、中村駅で待っていたのだ。
だが、前述の通り、翌日になっても電車は復旧しなかったわけだから、あの日中村駅で待ち続けた人たちは、その日をどうしたのだろう。
ちなみに、中村駅から高知までの移動をタクシーの切り替えた私であったが、あと少しその決断が遅ければ、タクシーでの移動も不可能になってたはずだ。
さきほど、途中でがけ崩れしている箇所があった・・と書いたが、雨はさらに勢いを増していたため、あの崖崩れをした箇所は、通行不可になってしまったはずだ。
土砂で道が完全に埋もれてしまったはずだ。
現に私を乗せたタクシーが、その土砂崩れした崖を通る時、すでに道は埋まりかけていたからだ。
タクシーは無理やり、土砂の上を通ってくれたのだ。
あと少し土砂がたまっていたら、無理だった。
そう考えると、中村駅で電車をあきらめタクシー移動を選択した決断は、ギリギリのタイミングだったことになる。
タクシー代を払うか、予定になかった中村駅周辺での宿泊で宿泊代を払うか・・の選択だった。後者の場合、高知で予約していた宿泊はドタキャンということになる。
その場合、高知での宿泊代など帰ってくるはずもなかったろう。
ということは、どちらを選んでも予定外の出費が出ることになる。それならタクシー代をかなり払うことになろうとも、当初の旅行プランを遂行したほうが得だと思った。
じゃないと、最終日に東京に帰る飛行機への影響も出たかもしれないから。
臨機応変に対処しないと、旅行のプランがグチャグチャになってしまうことがある。
日程的も、金銭的にも。
もっとも・・・個人単位の臨機応変ではどうにもならない場合もあるけどね。
ともかく、私にとっての「初めての四国」は、豪雨のイメージが強かった。
今でも天気予報やニュースなどで、四国に大雨が降っている状況を耳にすると、「またか・・・四国は豪雨が多いのかなあ」などと思ったりする。
タクシーで四万十川ぞいを走っている時、四万十川を見たら、清流で有名な四万十川が濁流と化していた。
その様子を見て、タクシーの中で私は運転手に「本当は四万十川の川下りもしたかったんですよ・・。四万十川がこんなに濁流になってしまうなんて・・」と言ったら、運転手は「普段は本当に清流なんですけどね。四万十川のこんな姿、東京に帰っても他の人に言わないでくださいね。」と私に言ってきたのが忘れられない。
現地の人にとっては四万十川は自慢の川なのであろう。後に私は四万十川には行き直したのだが、その時は無事に川下りもできたし、四万十川は清流の姿をしっかり私に見せてくれたので、その清流ぶりはわかる。
だが、私にとって「初めて見る四万十川」は濁流であったし、そのインパクトは忘れられない。
私のイメージの中では、それまでに見ていた雑誌などの写真から、清流の姿しかなかったから、余計に。
だからこそ、現地人としては、四万十川の汚れた姿など、できれば見てほしくなかったのであろう。
ましてや、その姿を、旅人が家に帰って誰かに伝えてなどほしくなかったのだろう。
あの時の運転手さん、すいません、私にとっての「初めての四万十川」は荒れ狂う濁流でした。堤防決壊しそうなぐらいでした。
それはそれで忘れられないでいます。
でも、その後無事に四万十川には別の旅行で行き直し、普段の四万十川がきれいであることも実感しています。
ご安心を。
結局翌日も電車は動かなかったらしいですし、翌日は道が土砂で埋まってタクシーでも高知には行けなかったはず。
そうなると、飛行機代も無駄になります。
つくづくあの時、思い切ってタクシーに早めに切り替えてよかったです。
四万十川には長年惹かれていたのですが、まさか初めて見る四万十川の姿が濁流になっていようとは、夢にも思ってなかったです。
でもある意味、特殊な四万十川の姿を見れたことになりますね。
清流の四万十川の姿は、改めて四国に行き直した時に見れましたから。
私の平凡な感受性でも、どちらの四万十川の姿も、印象的に思えました。
私も同じ境遇になったら、だんぞうさんと同じ行動を執ります。
予定外の場所で宿泊費は、本当にどうしようもない場合は、やむを得ないですが、タクシーやバスが動いているなら、本来の目的地まで急ぎますよ。
タクシー代と予定外の宿泊費、前者の方が安いでしょうからね(笑)
だんぞうさんが「荒れた四万十川」を見られたことも、千載一遇の幸運です。
非日常的な光景は、実際に見ただけでも大変貴重ですよね。
ガイドブック写真やテレビ放送される「四万十川」は、日常的な光景ばかりで、誰にとっても全く珍しくありません。
日常的な四万十川よりも、非日常的な四万十川を最初に見た感動は、やはり全く別格であるはずですよ。
だんぞうさんの極めて優れた感受性ならば…。