後になって考えると、見ておいて本当に良かった、見たのは貴重な体験になった・・と、つくづく思うコンサートがある。
今回取りあげる「ジョージ・ハリスンの日本公演」などは、その中のひとつだ。
見ておいて本当によかったと思っている。
当時はまさかジョージがあの後あんなに早く他界するなんて思っていなかったから、なおさら。
ジョージの日本公演を見ておいたのは、貴重な体験だった。
その公演が行われたのは、1991年のことだ。今から25年以上も前のことになる。
もうそんなにたってしまっていたのか。
ジョージの日本公演というだけでも価値があるのに、その公演はエリッククラプトンのサポートによる公演だったという、とびきりのオプションまでついていた。
考えれば考えるほど、貴重だ。今考えても夢のような企画だったと思う。
ジョージやエリックが日本で暮らしているわけではないことを考えると、日本のファンにとってはまさに夢の共演だった。
このコンサートが実現したのには、いくつかの説がある。
例えば・・ジョージが昔ソロ名義でアメリカ公演をやった時、酷評されてしまい、失意のジョージはそれ以後ジョージはコンサートから遠ざかることになった。そんなジョージに再びライブ活動をさせようと、エリックが自分のバンドメンバーがジョージの曲を演奏できるから、エリックのバンドのサポートでジョージにライブ復帰するという話を持ちかけた・・ということ。
その場合、大の親日家で、しかもアメリカのファンほど手厳しくない日本を、エリックはコンサート会場に選んだということ。日本を選んだということは、日本人として嬉しかったし、その動機はエリックのジョージに対する優しさであったろう。
。
また、当時エリックは息子が死んで失意のどん底にあり、そんな状態のエリックをなんとか立ち直らせようと、エリックのスタッフか、もしくはジョージ側が、エリックにこの企画を提案した・・という説もある。
まあ、なんにせよ、エリックとそのバンドのサポートでジョージの日本公演が実現したのは事実だし、それはエリックとジョージの友情の賜物であったろう。
ともかく、あのエリックのサポートで、あのジョージ・ハリスンの日本公演が行われる・・と聞いて、私は飛びついた覚えがある。
ほんと、ワクワクしながらコンサート会場に向かったし、公演開始を、席で今か今かと待った。
このコンサートは、前述の通り、今から25年以上も前のこと。
なので、私はこのコンサートの細かい部分は忘れてしまっている。
だが、印象深く、意義深いコンサートであったので、覚えている部分もある。
今回は、その「覚えている部分」を書いてみたい。
公演が始まった。
エリックと、そのバンドがステージに揃い、そこにジョージが出てきた。湧きあがる歓声。
なんてったって、あのジョージ・ハリスンなのだ。
あのビートルズのリードギタリストとして一時代を築き、ジョンとポールという2人の天才に当初隠れがちながらも、活動期中盤あたりから、ジョンやポールにも匹敵する名曲を作ってきた人物。
あの「サムシング」をはじめ、「ヒアカムズザサン」「ホワイルマイギタージェントリーウィープス」などの名曲を作った人物。
特に「サムシング」は、あのエルビス・プレスリーがビートルズの曲をカバーするにあたって、ジョンやポールの曲を選ばずに、ジョージの「サムシング」を選んだほど。
また、ポピュラー音楽にインド音楽の要素を持ち込み、ビートルズ解散後は「オールシングスマストパス」という世紀の傑作アルバムを発表し、一際まばゆい光を放った人物。
その幅広い人脈で大きなチャリティーコンサートも大成功させた人物。
そのジョージハリスンが目の前にいる・・・なんだか、ウソのようだった。
1曲目に何を演奏するか。非常に興味があった。
私はてっきり「美しき人生」や「セットオンユー」あたりを「つかみ」で持ってくるのではないかと思ってた。
だが、1曲目にジョージが持ってきたのは、「アイ・ウォント・テル・ユー」だった。
ちょっと意外な選曲に思えたのを覚えている。
「あれ?この曲で来たか」と思った。
この曲はビートルズの「リボルバー」に入っていた曲で、あくまでも個人的な主観で言わせてもらえば、地味な1曲目に思えた。
決してジョージの代表作や名刺代わりの曲・・・というほどではないように思ってた曲だったから、意外に思えたのだった。
ただ、ジョージから君(ファン)への挨拶代わりのメッセージの選曲ではあったのかもしれない。
とりあえず、1曲目が「渋め」の選曲だったから、コンサート自体がさりげなく始まったような印象だった。
でも、名刺代わりの代表曲や名曲は、きっとコンサートの終盤にとっておくのだろう・・そう思うと、そのコンサートの期待感にもつながったのも確かだった。
この時のジョージの日本公演はの模様は、幸いなことにライブアルバムとして、後に発表されているので、セットリストは、そのライブアルバムの収録曲を見てもらえれば分かってもらえると思う。
ちなみに、そのライブアルバムの収録曲は、以下の通りである。
1、アイ・ウォント・テル・ユー
2、オールド・ブラウン・シュー
3、タックスマン
4、ギブ・ミー・ラブ
5、恋をするなら
6、サムシング
7、美しき人生
8、ダーク・ホース
9、ピッギーズ
10、 セット・オン・ユー
11、 クラウドナイン
12 ヒア・カムズ・ザ・サン
13、 マイ・スィート・ロード
14、 過ぎ去りし日々
15、 チアー・ダウン
16、 デヴィルズ・レイディオ
17、 イズント・イット・ア・ピティー
18、 ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス
19、 ロール・オーバー・ベートーベン
以上が、ジョージ・ハリスン日本公演のライブアルバム収録曲だ。
アルバムに収録されなかったジョージの曲もあるかもしれないし、ツアーでは公演ごとに多少の曲の入れ替えもあったかもしれない(なかったかもしれない)が、そのへんはもう、今となっては私の記憶もさだかではない。
だが、その時のジョージの日本公演のセットリストは、おおむねは上記の内容であったことだろう。
なにぶん、この時のバンドはエリックのバンドであり、ジョージのバンドではないことからも、レパートリーのストックにも限りはあったとも思えるし。
ちなみに、公演では、エリックの曲も数曲披露されていた。確か「バッジ」や「ワンダフル・トゥナイト」他があったはず。だが、このライブアルバムはあくまでもジョージのライブアルバムだからなのか、エリックの曲はアルバムには収録されていない。
なので、実際のコンサートは計20曲以上披露されていたはずだ。
「アイ・ウォント・テル・ユー」がオープニング曲だったことは印象的だったし、「サムシング」をはじめとする有名曲の披露も印象的だったが、「ピッギーズ」の演奏中に、着ぐるみがステージに登場し、おどけた動きをしていたことも印象的だった。
ジョージのコンサートでは、こういう演出もあるのか・・と思ったのが忘れられない。
あと、個人的にジョージの曲で一番好きな曲である「イズント・イット・ア・ピティ」をやってくれた時は嬉しかったし、エリックとジョージが並んで弾く「ホワイル・マイ・ギター」は必殺曲だった。
ただ、ラストが「ロール・オーバー・ベートーベン」だったのは、公演を生で見ていた立場としては、他の曲でもよかったんじゃないか・・と正直思ったことを、よく覚えている。
狙いとしては、最後にロックンロールを持ってきて、盛り上げたい・・ということだったのだろう。
この曲は、ビートルズ時代にジョージが歌っていたことは確かだったし、有名な曲でもあった。
だが、あのジョージのコンサートのラストにこれとは・・。
何もこれじゃなくてもと思ったのは、正直なところだった。
それならむしろ「ホワイル・マイ・ギター」で終わってもよかったはずだし、じゃなければジョージには自作の名曲がまだまだあるじゃないか・・とも私は思った。
「バングラデシュ」だってあるし、「アイ・ミー・マイン」だってあるし、「ワーワー」もある。「オンリー・ア・ノーザン・ソング」もある。「アイ・ニード・ユー」も私は好きだった。「2人はアイラブユー」なども大好きだったし。
ラストには向かないかもしれないが、個人的には「ロング・ロング・ロング」もやってほしかったし。
そんな欲張りな思い入れがあっただけに、ラストが「ロール・オーバー・ベートーベン」だったのは、ちょっと肩透かしを食らったような思いはあった。
「ロール・オーバー・ベートーベン」の演奏が始まった時、私と同じように感じた客は、私以外にも案外いたような気がする。
有名な曲だし、確かにジョージのレパートリーでもあった曲だし、ノリノリのロックンロール曲・・のはずだから、もっとワーッと客席は盛り上がってもおかしくないはずだったのだが、案外それほどオーッ!と爆発する感じではなかった印象がある。
正直、とまどいみたいな空気も客席にはあった。
それはなぜだったのだろう・・・と、後になって私は考えてみた。
一般的に、コンサートの最後あたりでは、ミュージシャンは自身の看板曲をもってくるものだ。
それがノリノリの曲なら盛り上がり、客は一緒に手拍子などでリズムを合わせながら演奏者と一緒に大合唱になったりするし、それがじっくり聴かせるバラードなら、客はじっくり聴き入り、曲が終わった瞬間大拍手となる・・・というのが定番といえば定番。
知名度、曲調・・など、「ロール・オーバー・ベートーベン」は、コンサートの最後で披露される要素は揃っている。なのに、なぜ・・??
それは・・
「ロール・オーバー・ベートーベン」は、あのジョージの看板曲、代表曲としては、さほど見られていなかったからじゃなかっただろうか。
その意味では・・・
アップテンポ路線なら「美しき人生」「2人はアイ・ラブ・ユー」「セット・オン・ユー」など。
壮大路線なら「マイ・スイート・ロード」「イズント・イット・ア・ピティ」など。
バラード路線なら「サムシング」「ヒア・カムズ・サ・サン」あたり。
渋くてカッコイイ路線なら「ホワイル・マイ・ギター」など。
メッセージ路線なら「バングラデシュ」など。
このへんを、ラストに持ってきていたら、もっと違った印象になっていたような気もする。
まあ、あれこれ書いてきたが、この公演が貴重なものであったのは間違いなく、それを会場で生で見れた私は、幸せ者だと思っている。
このライブアルバムは、アメリカやイギリスでは、チャート成績という意味ではイマイチだったらしい。
特にイギリスでは、チャートインすらしなかった・・とも聞く。
そのへん、なんだか悲しいし、残念でならない。
だが、日本のチャートでは、一定の成功はおさめたようだ。そのへんは、救いかなあ。
なんてったって、日本で行われた公演なのだ。日本ですらチャートインしなかったら、悲しすぎる。
ともかく、この記事で書いたことが、エリック・クラプトンのサポートによるジョージ・ハリスンの日本公演を生で観た私が覚えていることであり、観てて感じた感想ではある。
ただ、エリックとジョージが、目の前で一緒のステージに立っている!という事実が、たまらなく嬉しかった。
なにより、それが一番の感想だった。
リアルタイムで見ていた時も、そして、後でこうして思い出しても感じることだ。
やはり・・見ておいてよかった。
なんにせよ、私にとっては忘れられないコンサートのひとつであるのは、間違いない。
できれば、このコンサートを収録したライブDVDなどを発売してほしかった(それとも、あるのだろうか?)。
ジョージにとって、この日本公演はどうだったのだろう。やってみて、どんなことを思ったのだろう。当時のインタビューによれば、日本で公演をやったことは、いい気分ではあったようだ。
だが、その後のジョージにとっては、日本公演は何かのきっかけや意義になったのだろうか。そうであってくれれば嬉しいのだが。
それを知りたいが、もうそれを知るすべは・・・ない。
その日、『オールシング・マスト・パス』『ジョージ・ハリスン・ベスト』(亡き後のベストアルバム)も同時に買いました。
『ライヴ・イン・ジャパン』アルバムは、まさしく「ベストアルバム」に匹敵するほどのセットリストですね♪ (#^ー°)v
しかし、このコンサートをリアル体験されただんぞうさんには、私は何一つ敵いません!
ビートルズ・メンバーでは、ジョン・レノンを最も愛する私ですが、このコンサート観覧が出来たのは、本当にうらやましいです(≧∇≦)
座席は、ジョージ・ハリスンが間近で観られる所でしたか?
チャック・ベリー原曲「ロールオーバー・ヴェートーヴェン」は、なぜフィナーレで歌ったか?
私にも謎です(^^;)♪♪
同じビートルズ時代におけるカヴァーソングでも、カール・パーキンス原曲「みんないい娘」の方が、ジョージ・ハリスンらしい乗りの良さを出せたのでは!?
オリジナル楽曲なら、私も「アイ・ニード・ユー」「ロング・ロング・ロング」大好きです。
さらにジョージ・ハリスン初めてのオリジナル楽曲「ドント・バザー・ミー」でも、フィナーレには合わないかもしれませんが、セットリストに入れなかった理由は、何だったのでしょう?( ̄▽ ̄;)
尚、1991年当時のジョージ・ハリスン、一番素敵な顔立ちしていますよね(笑)
91年、私はまだまだ小学校5年生でした。
なんでも、CDの方にはクラプトンの曲がまったく収録されなかったので、多少の問題にはなってみたいです。
まあ、クラプトンの気持ちもわかります。
座席は一応アリーナ席でした。でも、割と後ろのほうでした。
まあ、行けただけでも良しとします。
ステージからはそこそこ距離はありましたが、肉眼でもちゃんと見れましたよ。
だから、ステージに「着ぐるみ」が出てきて、踊っている光景もよく覚えているのです。
「ロールオーバーベートーベン」が最後に始まった時、「え?この曲で終わるの?」という思いはありました。
なんていうか、この曲は唐突に思え、セットリストの中でも少し「浮いて」聴こえました。
「ドントバザーミー」は、ジョージ自身が「僕の作った曲だが、最悪の出来」と評しているので、選ばないだろうな・・とは私は思っていました。
>1曲目にジョージが持ってきたのは、「アイ・ウォント・テル・ユー」だった。
この曲もインド風でしょうか?
以前書いた通り、僕は名古屋公演に行きました。そして1曲目がこの曲。意外な、でもジョージらしい選曲かなとも思いました
>2、オールド・ブラウン・シュー
中3の時に青盤から初めて聴いたこの曲。昔も今も大好きです だから嬉しかったですね~
>3、タックスマン
低い声で「1・2・3・4」。これを何度も繰り返すのが聞こえる。僕の周りにいる人たちも会場全体も大喜びでした
あれから30年。今でも色褪せない思い出です
個人的には、マイク-ラブやドノバンの姿も見れたのも貴重でした。
アイウオントテルユーは、元々私はあまりインドっぽさは感じてない曲でした。
私はジョージの曲で1番好きなのは、イズントイットアピティなので、その曲をやってくれた時は、めちゃめちゃ嬉しかったです。
できれば、「二人はアイラブユー」もやってほしかったなあと思います。
あと、ビートルズ時代の「アイニードユー」もやってほしかった…。
これも全米1位の大ヒット
>5、恋をするなら
マッシュルームカット時代のジョージの最高傑作です 楽しそうにギターを弾いていました
6、サムシング
クラプトンのギターが良かったです
>かなりお宝的な番組だったと思えました。
いろいろなエピソードが聞けて良かったです
>ビートルズ時代の「アイニードユー」もやってほしかった…。
アルバム(アナログ盤)B面「You like me too much」を歌ったらファンが驚いたかも?
たいしたものです。
恋をするなら…は、確かポールも褒めてた曲ですよね。
ユーライクミートゥーマッチは、アルバム「ヘルプ」に入ってた曲でしたっけ。
渋い選曲になりますね。
1966年武道館公演でもジョージが歌っていました。
知人女性(1950年生まれ)が当時ビートルズの武道館公演に行きました。
「どうでしたか?」「とにかく興奮してキャーキャー叫んでいた事しか覚えていない。」「なるほど。」
>渋い選曲になりますね。
そして「ドント・バザー・ミー」も選んで欲しかったです。僕はあの曲が好きです。1982年に化粧品のCMで流れた時(もちろん他の歌手によるカバーバージョンですが)嬉しかったです
私はリアルタイムビートルズは体験できなかった世代ですから、うらやましいです。
ドントバザーミーは私もけっこう好きな曲ですが、肝心のジョージ自身が気に入ってない曲なんですよねえ。
悪くない曲なのに。
車を運転して会場に着く するとリハーサルの音合わせが聞こえる。「美しき人生」のイントロ この曲が本番で演奏されると確信しました
>8、ダーク・ホース
この曲が演奏されるとは予想しなかった人にとってはまさにダークホース
>9、ピッギーズ
イントロが流れたら周りの人たちが「おい この曲までやってくれるのか」と喜んでいました ステージに豚のイラストがたくさん映されていました
>ドントバザーミーは私もけっこう好きな曲ですが、肝心のジョージ自身が気に入ってない曲なんですよねえ。
ジョージの曲としては珍しくメロディに起伏があると評論家が書いていました。
イントロからしてキャッチーです。
なので、その曲は絶対やると思ってました。
ピッギースでは、動物のかぶりものをした人がステージ上に出てきたのが印象的でした。
ジョージのライブで、こんなステージ演出があるとは思ってなかったので。
ドントバザーミーは、ジョージの作った曲で初めてビートルズのアルバムに採用された曲でしたね。