行ってきます・とただいま・の間。

2013,1に長男から貰った、SONY NEX-F3で撮っています。
その日の事柄と撮りたて写真で残してます。

数え切れないほどあるから。

2016年08月19日 09時18分56秒 | 日記

 

昨日、真っ白で綺麗な翅のままのモンシロチョウがいました。
翅は天地が逆でした。
そう・・・ハナグモに抱えられてしまっていました。
やっと蝶になったのに・・

と。

悲しみはいくらでもある。
蝶のことでさえ、悲しいと感じるのだから、人が一人の命を亡くしてしまうことはどれだけの悲しみがあるだろうかと。

一人ではなく、数人が・多くの人が・・一瞬にして亡くなることなど、その悲しみは当事者でなくても感じることができるでしょう。

悲しみが胸いっぱいになって潰れそうになっても前を向いて行かなくてはならない。

 

 

昔。
大切なわが子の命がもう僅かになろうとしている女性がいました。
子を抱いて名医を尋ね歩きました。
元気になる薬をと懇願するも、その子はもう亡くなっていると言われるが信じない。
さらなる良薬を求めて歩いていると、
「誰しも死んだ者が生き返ることを望んでいます。そういう良薬があれば誰もが欲しいです。」と。
泣き崩れる女性にその医師は言います。
そして、
「この子を生き返らせることはできないが、貴方を助ける薬なら・・・」と、釈迦がいる町を教えます。
女性は薬と言う言葉を頼りに、釈迦に会いに行きました。
冷たく動かない幼子を抱いて釈迦の傍に行った時、優しいまなざしを向けて釈迦はこう言いました。
「では、どこかでケシの種を貰ってきなさい。ただし一度も葬式を出したことの無い家でなければいけません。」と。
女性はただひたすらケシの種を求めて歩きました。

ケシの種はすぐにみつかりました。
しかし、その家には去年夫を亡くしていました。さらには、ケシの種はもらいましたが、そこの家では妹が亡くなったばかり。
めげずに女性はわが子を抱きながら探し歩きます。
ケシの種はすぐに見付かります。が、一度も葬式を出さずにいる家は有りませんでした。
やがて、多くの家家に悲しみの数があることを聞き、今まで胸一杯に詰まっていた苦しみが薄らいでいくのが解りました。
釈迦のもとへ戻り、人の悲しみが解る尼僧になったという・・・・・・話。

 

 

忘れること、乗り越えること、立ち上がること、全部誰のためじゃなく自分のため。

 

 


お盆・無事終了。

2016年08月17日 19時04分44秒 | 日記

終わりましたね~ お盆。

 

  こんな感じの盆棚です。

 

毎年恒例。
ここにきて26回、組み立てて三度のお膳を供えてきました。
その間、親戚の方々が来る・来る・泊まる・酔っ払う・怒号が飛ぶ・・・
という、お盆。

義母が寝たきりになって、その頻度が少なくなり、義父が施設に入っても叔父さんたちが来ることが少なくなりました。
が、その反面、その息子さんたちが来るようなる・・

本家と言われる家には先祖がいて、こういうお盆の期間があるもので。

ただ、「親父が・おふくろが・・」と、両親思いを口にする主人は、この盆中に、盆棚を組み立てるのも苦虫を噛んだような顔をして。
そして、そのお迎えに行った時だけお線香を上げ・・

義父は、私が膳を上げると、暫くたってからその膳を下げてお茶を上げるということをしていました。
主人は何もしないのはなんでだろう。

私は、こうせいああせいとは言いません。
言えばするでしょうか・・?

自分の親ですよ。

毎年握っていた牡丹餅も今年はやめました。
何故って?
次男も来ないし、長男は食べないし。
一番ショックだったのは、せっせと握ってきた牡丹餅ですが、買ったあんこだから美味しいだろう、という言葉です。

そりゃあそうでしょうね。
だったら牡丹餅は買ってきますょ。買って来た美味しい牡丹餅をどうぞ召し上がれ。。

新盆が2軒ありました。
主人の妹さんと息子さん娘さんが赤ちゃんを連れてお線香を上げにきてくれました。
きーきーきゃーきゃーとにぎやかでした。
主人はそれでも、自室から下りてこずです。
結局帰ったあとも我関せず。

送り盆の日。三男から連絡あり。
私がこちらの仏様を送って盆棚を片付けたら、父と母の墓前に行くと伝えていたので、一緒に行く~とのこと。
私は、家に来るのかと思っていたのでびっくりです。
お孫ちゃんを乗せて車で行ってくれるって。嬉しいですね。。
そのお孫ちゃんの食事とお昼寝の都合で今すぐが良いと、11時半頃出発。
主人には留守番を頼みました。
誰か来るやもしれない・・
私達(長男)が、三男家と霊園に行っている間に盆棚を片付けておいても良いよ~とは心の中の呟き。

私の妹が娘さんの取立て免許でお迎えと送りと両日来ていてくれて、お花は持っていかなくても大丈夫だからと言っていました。
その言葉に甘えて、香の良いお線香だけ持っていきました。

お孫ちゃん、相変わらずきゃわいい。。
にこにこしていて、長距離のドライブも大丈夫だったらしい。
2台の車だとしても、一緒に両親のところへ来られました。
三男のお嫁ちゃんとお子を紹介しました。
会いたかったょね・・・

みんな繋がっていくよ。

 

帰りは、途中から別々の道に分かれて帰りました。
私達は妹宅へ"お花代"として、お土産を届けました。

家に帰ったのは、14時半。
2階の自室でテレビを見ている主人。
ささっと盆棚を片付けて主人を呼ぶ。
そしてお寺に送りに。

今年も終了~

来年はもっと手を抜くっ。
だって、天皇○下でさえ、残された者が大変だから・・と言ってるじゃない。。

(*≧m≦*)

そして、今日からは内職り始まり始まり。。

 

 

今日も暑かったなぁ・・・


お盆。

2016年08月13日 07時43分08秒 | 日記

 

さあ今年もお盆を迎えました。

気持は、前向きに楽しい盆中になれるよう気持ちを切り替えます。

 

楽しい盆か? って?。
世間ではやれ旅行だの夏休みだのと楽しさ満載です。
そういう楽しいお盆や・す・みというのを味わったことがありません。
子供の頃も、核家族だった我が家では、お線香を上げに行く側でした。
かといって家族旅行も無かったです。

子供の頃からいろーーんな経験をさせてあげることは本当に貴重なことだと今さらながら思います。
それをしてこなかった、してあげられなかったという後悔があります。

 

 

それでも、今はみんな健康でいられる。
健康でありさえすれば、どんなことも乗り越えられると思います。
(少々不安案件浮上するか・・・・という)

 

気分を変えるために、仏様以外の花を。
庭の紫陽花をたっぷり水無しの花器へ。


時間の流れ。

2016年08月12日 18時32分24秒 | 日記

あのときの選手だった彼が監督となっている。
4年という時間はその人にとって長いか短いかは様々。

30年も冤罪によってかき消されていた自分の時間。
30年前というと、私は長男を産んで幸せの真っ只中にいた。
その日から今の長男を見ると早かった・・

早く感じる月日。

その中で苦悩に歪んだ時間を過ごすのか、屈強に生きるのか。

 

様々なスポーツ選手は、日々の訓練を怠らない。
1日休むと自分がその衰えを感じ、2日休むと周りの人たちに気づかれてしまうそうだ。

この私とて。
10分スマホに返信したりして内職の手を休めると、もう視点あわず・・・
30分休むとその指の感覚に出る。

このお盆休み。
果たしてどれだけ勘が鈍るか・・・

とはいえ。
毎日遊んで暮らしたいっ。

そんな怠けものなのだ。

 

 

30年をあっという間だったと思うと・・・

14年なんてもっとあっという間だったろうと想像する。

私が生まれるたったのわずか14年前に終戦したのだ。
今14年前なんてついこの前と思う。

両親が出会い、私が生まれた。
たったの戦後14年。

最近そんな時間の質に思う。

大切に。価値的に。多くを望まずかといってガサツではなく丁寧に。
人を大切にして、家族を思い、健康に気をつけて。

今生きているのだから。


花火を。

2016年08月06日 23時03分38秒 | 日記

今夜実家まあった街で花火大会がありました。。
仙台にいる友人が一緒に見たいと、急に沸いたような提案があって。
その日のうちに、逆に友人が仙台へ来てくれるということで、こちらは却下。

最近とーーっても出不精の私。
その街まで一人で行くのも億劫。だって、何万人って来るらしい。電車も臨時があるらしいし。
フォトチャンネルにもある同じ花火ですが。
今年は良い場所を見つけましのよ~
長男を誘ってみました。
穴場だし、人がいないような所で、ちょっと怖いからガードマンの役でさ・・・と言ってみても、NOoでした。

飲み物・カメラ・スマホ・LEDライト・タオルでいざ出発。

 

でも・・・・ざーーーーんねん。
やっぱり三脚は必須でした。ぶれぶれだもの。
もとより腕もないのだから、しっかり固定されなくちゃ、ね。
さらに老眼鏡も忘れ。

 

そういうことですので。
大目に見てください。m(_ _"m)

載せられなかった写真は450枚以上もありました。。。(*≧m≦*)

 

3尺玉。。

 

 

 

 

 

土手の上からの撮影で、草にピントがあってしまい・・・・な感じ。

 

   もっと綺麗に撮りたかった・・・

 

 

 

来年は、この同じ場所で、三脚持ってめがね持って行こう~^^