行ってきます・とただいま・の間。

2013,1に長男から貰った、SONY NEX-F3で撮っています。
その日の事柄と撮りたて写真で残してます。

お天気が、もちました。

2009年10月14日 21時25分37秒 | 日記

夕方、傘マークだったので早めに出ました。

今日は定休日。
市役所へ透析代金の申請。これをすると月1万円の透析治療代が全額戻ってきます。
領収書を持参して保健課に行きました。
その後、施設の支払い・透析代金の支払いをしに行きました。
お昼近くになったので、母の昼食時は避けようと私は時間潰し。
12時半頃に、母のフロアに行くと、スタッフの女性が、
「今、ちょっと気分が悪いといって食事もとらずに横になっています。様子を見ているところです。」と。
むむ・・・・
しばらく母の顔も見ていなかった自分にまたも灰色の気持ちが覆います。

母の個室に行くとなんとなく青白い顔で横になっていました。
私の顔を見ると、施設から電話が行ったのか? と。
今日は支払日だから、今済ませて来たところだよ、と話すと、そのタイミングの良さを母は喜びました。
血圧、熱ともに悪くはなく、気持ちのふさぎようは、なんとも言えません・・・・


自分だったらどう? って思います。
あの施設の中で、静かに息をして、誰にもなんの迷惑もかけず、食べるものを出されればなんの疑いもなく食べ、消灯になれば、静かにベットに入り、朝が来れば起きる。
規則正しいといえばそうかもしれない。
だけど、食べたくないものや、今はいらないと思うおやつの時間も、右に倣え! で一緒に過ごす。
なんのために生きているんだろう・・・
最期の時間が来るのを、待っているためだけに息をしているんじゃないのか・・・?

そんな思いが沸いてきます・・。
それは、義父のこともそうで、これから徘徊が始まるかもしれないと親戚・兄妹が口々に、門より外には出るなと言い聞かされている。
義父はどう思っているだろう・・・
自分はこれから、徘徊するんだろうか? という不安。自分が自分でなくなるかもしれないという恐怖を抱えているんじゃないだろうか・・・。

それも、自分に当てはめてみたらどう?
私は、嫌だ。とても嫌で仕方がない。
世間や社会は、年寄りや老人、介護が必要な人々をどう思っているんだろか?
介護してくださる皆さんには感謝です。
でも、自分の孫くらいの人・相性の合わない人にも、頬をさすられ、手を握られ、○○ちゃんと呼ばれること、決して嬉しいはずはないと思います。
元気であれば、バカにするなっ!と言いかねない。
自分を相手してくれるのはスタッフだけだと思っている孤独感のあるお歳よりは、嬉しくてニコニコしている。
そうなっているのは、本人にとっては幸せです。でも、そういう人ばかりじゃないと思う。
最後の最期まで元気でいられること。目が覚めた時は亡くなっていた。昨日までは元気にしていたのに・・というのが一番の理想。
病気などで、自分の区切られた命の消えるのを待つだけの後生。
悲しい・・寂しすぎる・・・・・・

お天気が崩れる前に、私は私で洗濯物を気にしながら母の顔色を見ている。
母は、以前からこの施設の中で顔見知りになり、声をかけてくださった女性のことをとても気にしている。
今日は、どうしても会いたいんだと。
この施設の中にいるのは、確実なんです。
その女性も透析をしているし、独居老人としてこの施設を利用している94歳
母とは比べものにならないくらいの、気丈な方で、優しく・品があり、母にとってはお姉さんのような人なんだと思います。

母の言葉に、じゃあ探そうと、建物の外に出て施設構内の散歩に出かけました。

いつものように花壇の花を愛で、名前を言いあいして、携帯写真を撮る。
係りの女性が花壇の整理・植え替えを丁度しているところで、少し話しをしてみたり。
誰も行かないような場所には、ブルーベリーが生っていて、母に1つ上げると口に入れちゃいました。。
甘い♡なんて言ってました。


その奥の建物がその女性が居る場所なんだと母は言います。でも、そこには外からは行けません。
諦めて、3時のお茶の時間になり、自分の部屋のあるユニットに戻ることにしました。

おやつのゼリーに口もつけず、お茶だけは飲みましたが、食欲は無いままでした。
4時になったら、スタッフの方が母の会いたい女性の部屋まで連れて行ってくれるというので、その時間まで待つことにしました。

その女性に会えて、1時間も話をしてもらって、元気を貰った母でした。
私も、自分ひとりでは、母の不安や恐怖・苦しさを受け止めきれない・・・
私に1人でもいい・・力強い兄弟・姉妹が欲しい。
私の気持ちをも軽減してくれる身内が欲しい。
そうすれば、母のところに行くのも、もう少し軽やかになれる気がするのに・・・・
なんてことを真剣に思いました。

 ガマズミ

今日は、その女性に会えたことに感謝です。
すんなり、私が帰ることを受け入れられた母でした。
お天気も、今は雷まじりの雨が降っています。
夜まで我慢していてくれたお天気。ありがとう・・・m(_ _"m)


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6 コメント

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わたしも・・・ (おばさん)
2009-10-15 09:24:06
まるっと同じように思っています。
お年寄りにたいするケアする方々の態度。
レクリエーションと称するいろいろなこと。
そうなっちゃうのも分らないではないんだけど、
もうちょっとどうにかならないもんだろうか、と思います。

最後を待っているためだけに息をしている。
これは本当にそうで。
私は、父がかわいそうな形で逝ってしまう前に
「結局、私は父の死を待っているのでは・・・」
という思いにとらわれていました。

本当に、「おやすみ」といつも通りに床に入り、
そのまま目覚めずに逝きたいと切に願います。
あと、
極論かも知れないけど、ある一定の年齢に達したら、
「死を選べる自由」があってもいいんじゃないかとも思います。
『最後の時を迎えるためだけに息をしている』
では、あまりにも悲しすぎるので。
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Unknown (みっちゃん)
2009-10-15 10:54:24
こんにちは!

 baaaabaさんも、お忙しい日々が続いていますので、お母様の処へは久しぶりでしたのに、お母様のお身体の調子が、ちょっと思わしくなくて心配でしたね。。
 透析もされていますので、お母様も辛いと思いますが、今は医療も良くなっていますので、今後を楽しみにしましょうね。。
 今更、ご自宅は無理なご様子ですから、baaaabaさんにとって何が出来るかは?時間が許す時に少しでもお母様と過ごす時間を多く作る事でしょうね。。
 でも、くれぐれもbaaaabaさんはご無理をしないでね。。
 人生って、何だろうかな??と思いますが、皆さん、歳を重ねて行きますと、必ずお母様、義父様の様になって行き、老後は寂しいです。。
 でもお母様、義父様も頑張って、一生懸命に生きていますので、少しでも気持ちが分かって上げられる様にしたいですが、これも難しいですね。。(泣)

 今日を、楽しみましょうね。。今をね。。
 
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Unknown (sumire)
2009-10-15 15:01:08
こんにちは!
baaaabaさん、考え過ぎて自分を責めたりしないで下さいね。
歳を重ねて身体が不自由になったらどうしょう人様に迷惑をかけるの嫌だなと私も思ったりしますが、迷惑を掛けながら「ありがとう」を云いつつ、自分の生き方で旅立つのも良いのではないかしらと思っていますが・・・
お母様、義父様も夫々にご自分の生き方をお持ちですよ。私はそのように思います。
みっちゃんさん素敵なコメントですね。
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おばさん。 (baaaaba)
2009-10-16 07:26:32
おはようございます。
こんなぼやきの日記にコメントをありがとうございます。
同じような経験をされて同じ気持ちを味わって思いが同じというコメント、ありがたく受け取りました。
私も、父が癌を患い手の施しようがなく余命半年と先刻されたとき、私は、死を待つというよりは、良くはならない・・と私が一番先に諦めてしまっていたんだ・・と思っています。
このように母も妹も自分を律するのに精一杯でしたから、父の病名や余命を知らせることなく過ごさせてしまいました。
いまだに伝えてはいません。

最期を迎えるのは、生まれてくると同じで自分では選べないのかもしれないですね・・・
せめて、自分が描く「さよなら」ができるように今、この時から自分をしっかり見据えていかなくては・・なんてことも思います・・
ありがとう。。<(*_ _*)>
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みっちゃんさん。 (baaaaba)
2009-10-16 07:38:41
おはようございます。
はい・・ありがとうございます。
仰るように母のことは、私が時間を母に向ける・これしかないと思っています。
その私がどんよりしてしまいました。。
94歳の女性のところには、入れ替わり立ち代り娘さんがたがやってきています。
それも、どの方もきちんとした身なりで私に比べたら経済面・時間面はるかに余裕があると思ってしまいます。
それらが無くとも、力を合わせて、交代に何かができるだけでも羨ましいと思いました。
そういう子育てをされたその女性ですから、ご自分もきちんとしていらっしゃって、娘さんへの気遣いも素晴らしいものです。
母のように、痛い・帰らないで・・・・と、力を振り絞って来ている娘に追い討ちをかけるような態度や言葉はかけていません・・・
会いに行くにもこちらの生気を奪われてしまうその場所へ、足が遠のいてしまう・・この力の無い私に落ち込みました。

それが、それぞれの人生だと、そう思います。
私は娘だというだけで、決して母の人生まで代われることは出来ないのですものね。

こんなことを思ったり考えたりするのも、私がそういう年になったということだと思います。
身の振り方もこうして身につけていく渦中なのだと思います。
私は私のこれからを、息子たちにどれだけ迷惑をかけずにどれだけ自分に納得できるようなこれからを生きていかなくてはいけないか・・と。
あとどれくらい自分の人生があるか分かりませんが、私が納得いくように生ききらないと。。

ネット上でのお姉さんには、本心での叱咤激励をいただきたいと心から思っています。
ありがとうございます。。
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sumireさん。 (baaaaba)
2009-10-16 08:01:42
おはようございます。
そうですょね。人は決して1人では生きてはいけない者ですものね。
誰かに寄りかかっちゃって、迷惑もかけながら、それでもありがとうと言いながら、ですね。
その中でも、相手に何か微笑みを残すことができたら・・と思います。
義母も脳梗塞をわずらった後、人口呼吸器を取り付け、ものを言うでもなし、食べるでもなし、泣くでもなし・・・・
ただ機械に生かされてベットに横たわっていた半年がありました。
誰もが、こういう姿にはなりたくないと言いました。
でも、義父はじめ家族達は、人口呼吸器を付けないでくれとは、その瞬間には言えませんでした。それを付けたらきっと元気になる、いつかは外せて退院できる日が来ると信じていたのですから。
それでも、義母の最期の人生は人の意見に決められてしまった・・・と今思えばそうなるのか・・と家族はなんとも言えない思いになりました。
それぞれの人生。
ほんと・・一生なんてあっという間ですね・・・
幼い頃を思い出しては、母親の暖かい懐を思い出します。
私は長女として、子供の頃から張り切っていました。
父が泊まりで仕事に行っている時は、電気のブレーカーさえ取り替えました。
母の懐が暖かいなんて実際感じたことは無かったです、が。思い描くことはできます。母には私がなんでもしていい、反対されたことが無かったように思うんです。
長女という役目からは逃れはしませんが、自由にしてこられたことはとても嬉しいことです。
そして自分がこの世に存在できて喜怒哀楽を感じられるのは、母と父のおかげ。
ならば、やはり精一杯母のために、と思います。

こうして、文字だけではあれ、心あるコメントを頂ける。
ぼやきの日記に、そっと手を差し出してくださっていると感じます。
みっちゃんさんのコメントもsumireさんのコメントも、私がこれから向う道の先を歩いていらっしゃるから経験や体験をされた言葉として、喜んでうけとめます。
これからも。。
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