行ってきます・とただいま・の間。

2013,1に長男から貰った、SONY NEX-F3で撮っています。
その日の事柄と撮りたて写真で残してます。

諸々・・もろもろ。

2015年03月08日 16時00分22秒 | 日記

いつもの内職を終えて、ゆっくりと。。

雨ふりの日曜日の朝でした。
午後からやんで、ちょっと庭にカメラを持って。

 

梅も、紅白と静かに開きだしています。
でも、私梅の花を上手に撮れない。

 

 

梅の木肌に、苔。
この苔は、近くの地面にあるのと同じ。飛んだのかな~

 

 

(*≧m≦*) なんか目玉が一杯に見える苔ですね。。

 

牡丹の新芽も、踊り出でてるよう。。
その足元に、かたくり。。

あぁ・・そうか、かたくりの季節になったんだぁと。。

 

 

 

テレビでは、災害について放送しています。
被害想定数、津波の到達時間、逃げ方。

私は心配性です。
ずぼらな正確と反比例してそうなのですから半端じゃないです。
息子たちの中学は自宅から6kmもの自転車通学でした。
自分は高校へ2km。それでも遠く感じてたので、大変なところだなぁと思っていました。
途中パンクしたら、怪我したら事故にあったら・・・と、そんなことばかりを帰ってくるまで思うのです。^^

そんな思いを三男に話したことがあって。
パンクしたら?
「転がして帰ってくる。」
怪我したら?
「足をひきずってでも帰ってくる。」
何をどう心配しているかと言っても、大丈夫だという答えしか返ってきませんでした。
少しずつ気持ちがほぐれていきました。

親は、子供が心配です。
まして、災害に遭ってしまったら・・・・

今どこにいるんだろう、避難場所は知っているだろうか、そこまで行くだろうか・・
子供の居る学校や友人のところを回るだろう。

群馬大学の片田先生の講演を見たことがあります。

ある小学校で実際防災教育をした時のことです。
「家の外で大地震に遭った時、津波が来る前に逃げますか?」の質問に、子供たちは、「逃げるっ」と答えます。
さらに先生は、こう質問します。
「君たちが逃げたあと、お父さん・お母さんはどうするだろう?」
その質問に子供たちは、「僕たちのことを向かえにきちゃう・・」

「来ちゃう・・」のです。

『お父さん・お母さんは自分の命よりも君たちの命の方が大事なんだ。だから、君たちが逃げる子になることが大切なんだよ。それを両親が信じていてくれれば迎えには来ない。両親もちゃんと逃げることができるんだよ。』

子供たちは、家に帰り、その日の宿題の、両親へちゃんと逃げる、ことを伝えます。
そこで、それぞれの家族の語らいの中で、お父さん・お母さんがどれだけ自分を思っているかを知ります。

そして、子供たちは気付きます。
自分の命を自分で守ることが、お父さん・お母さんの命を守ることに繋がる。ということを。

また、昨日テレビで見たものは、家に介護状態の親と一緒にいた大人の息子さん。
その親を動かしたくなかった、動かして骨折してしまうかもしれない・・という、心配。
もっと大きな津波という被害に遭ってしまった・・・

抱えるものが大きいから逃げられなかったと。

 

ここは、平野が続く町です。
大きな被害も無いだろうと安穏としていますが、東京直下型地震がきて、津波が起こった場合、その津波は一目散にここに来る、といっている人がいます。
東京に被害が小規模になるようそうしている・・というものです。
本当? いぇ、それは分りません。

これから先、どんな災害が起きるか分りません。
若い夫婦が子供を持っても安心して生きていける社会にしなくてはいけないですね。

最近、母子手帳を見ました。
三男を産んだ時の母子手帳。渡さなくちゃ、ね。むふ。。
生まれるまでの母体の様子、出産の様子、血液型。予防注射やら何やらの記入がしてあります。
母親学級などにも参加していました。
今、情報が溢れている時代。自分にどれが合うのか、合わせるのか・・・
親子があればその親子の数だけの子育てがあるのだから、そんなテレビで言ってたとか、ネットで調べたとか・・・
あれが良いだのこれは違うだのと、自分の道を見失って本末転倒してしまったら・・・・

自分の胎内の中にいる我が子。
だんだん大きくなっていく。動き出す。つらいつわりも、この子が成長している証拠。
腹帯のしめつけも心地よい。
そして出産。
母と子が力を合わせてこの世に生まれた。
その愛おしいこと、良く良く生まれてきてくれた。ありがとう。。
その産声で、つらかったことも、痛かったこともすっかり忘れて子育てが始まります。
泣いた・笑った・眠った・・・ うんちした、出ない、吐いた、腹ばいになったはいはいした・・・・

びちびちうんちのオムツを取り替えている時に、電話がなり、電話を無視しつつも、取り替えていると、宅配便が来る。
重なるときはそういうもので、笑い話にもなります。
子育ては、雑多で、自分のことはさておいてもしなくてはいけないことだらけ。
母親の忍耐と、もしかしたら何かを犠牲にしていたかもしれない。

でも、その一番大変な時の記憶は、子供には残っていないんですょね。
私もそう。
昔の写真を開いてみて、分ります。
母が私を抱いている写真。髪も身なりも、子育て真っ只中な感じです。
でも、笑顔で写っています。
抱かれている私は、心地よさそうに眠っています。
でも記憶はありません。(*≧m≦*)

やがて、自分のことが分り、自分のことができるようになると、愛しているだけじゃない私の言葉や行動が子供たちの中に記憶されていきます。
不満も・・。

 

子ができて、親になったとき、ほんと・・哀れなほど子供を思う存在なことに気が付くんですね。
その年齢になったとき、初めて親の気持ちが分るんですょね。
まだまだ、私も、両親の年齢になったとき、痛感することがあるのでしょう。

三男よ。
つわりで苦しんでいる彼女のそばに付いていてね。
一緒に出産するつもりでね。
そうしたら、何倍も何倍も、愛おしく感じる。
良い父親になれるよ。。うん。

 

 

 



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