「冬蜂紀行日誌」(2009)・《絶筆》

「冬蜂の死にどころなく歩きけり」(村上鬼城)という句に心酔した老人の日記

小説・「センチメンタル・バラード」・《三》

2010-12-28 00:00:00 | Weblog

2009年12月28日

あまり上手でない恋人同士が、ころげ回っている公園の、生垣のあたりを一人の兵士がかけぬけて行った。おかしいじゃないか。おかしいのです。戦争はまだ始まっていないか、あるいはもう終わったかのどちらかなのに。そうだ、彼はやはり兵士ではなかった。彼は、頭にヘルメットをつけ、腰に木刀をさし、身を乱闘服でおおた、何とりもまず交通巡査だったのだ。おかしいじゃないか。おかしくありません。ボクは恋人との生活について再び考えるためにこの公園に来ていたのかもしれない。暗がりで抱きあっている恋人達と討論すべきだただろうか。流産しましたか。しますか。すべきですか。日の丸が国会議事堂にひるがえったとき、ボクと恋人は拝みながら、お賽銭箱がないのに気がついた。そして「黒地ニ赤ク血ノ丸染メテ」という歌が好きになるだろうか。
 彼、すなわち交通巡査は公園をかけ抜けて、仲間のもとに加わった。ボクは彼の公園をかけ抜ける行為に感動しなければならない。彼は逃げていたのかもしれない。何から。わからない。公園の恋人達は、ほとんど彼に気づかない。公園には彼等を除いて、誰もいない。ボクはおまわりが嫌いだ。彼には生活があるだろうか。彼の仕事は交通の整理と国会議事堂の警備だろうか。ボクの恋人の仕事は、ボクに生活費を与えることだろうか。僕の仕事は、ない。恋人がヘルメットと木刀と乱闘服を身につけていないのは何故か。

【補説】日比谷公園のベンチで、「独り」私は缶コーヒーを飲んでいる。過ぎ去った昔の「夢」を追っている。「ボク」も「恋人」も「おまわり」も「木刀」も「ヘルメット」も「乱闘服」も、今は「存在」しない。すべてが「無」、すべてが「空」、まもなく私は死ぬだろう。私は生きた。そして死んだ。「生活」とは、それがすべてだと、私は思う。

 

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