同時に2年続いた非常勤講師の任務が終わりました。
有松に引っ越してすぐのオファーで2年限定の任務でした。
アトリエオープンして月曜日にアトリエにいない事に家族は大反対。大学の仕事は大変なだけで稼ぐ事はできないと言う意見がでました。
娘の習い事の送り迎えもある中、でも自分の中でやってみたかった事だし、そもそも稼ぎは私の中で重視はせず、またオファーをいただいた先生からの熱意に押されてのスタートでした。
もちろん大変なことは承知の上。
これまで講演会やセミナー、大学院を対象とした特別講師、早稲田大学を始め名古屋市立大学などの経験はありましたが、15回の授業を2コマ計30コマの授業を前期に、また後期も15回を1コマの授業をこなすのは初めての経験となります。
助手の経験は大学院生の時から積み、大学で働いた4年間の経験はあったものの、45コマを一人でこなすのは初めての経験となりました。
また母校とは違い、染色室はなく設備0。
いったいこのような状態で思い描く教育ができるのだろうか?と不安になりました。
ですがサポートしてくださったのは助手の先生。
毎回の荷物や道具を運んでくださり、できる範囲で必要なものを用意してくださったおかげで良い授業ができました。
また今回私がやりたかった授業は、「しっかりとした絞りの道具を使って出来るだけ正しい方法で絞る授業」です。
有松で修行した私にしかできない絞りの授業ってなんだろうと何度も何度も考えシラバスを考えました。そのたびに私はワクワクがとまらなかったのです。
実際やってみて1年目。
本当に大変でした。
授業の準備に追われる1週間。
頭痛や不安と緊張でお腹を下す事もありました。その中でも楽しさを見出し、やり切った1年間。振り返ると1年目の学生さんは大変優秀でした。またセンスのある子も多く、またなんだかんだ言って前向きに取り組む子が多かったように思います。
2年目は1年目の反省を活かしカリキュラムの進め方を変え、進めていきました。
2年目は頭痛もへり、大学に遊びに行くような感覚で向かえるようになりました。優秀だと聞いていた2年目の学生さん。でも前向きに楽しんで取り組むが課題となる学年だったように思います。
その中でも接し方や進め方が思うように行かず、悩む事もあった1年間でした。
1番は悩みながら苦しんで無我夢中で学生と接した日々。
自分の成長の為にあったのかもしれないです。
使いやすい道具、
19歳の子達の接し方、
また興味の持って行き方、
また興味がなくなってしまった時の声かけと距離。
今回学科自体が無くなってしまった為に非常勤講師の任務は2年間で終了しましたが、もっと続けることができたら、年々より良い授業ができたかと思います。
また絞り染めの授業は、道具が必要となるため初期投資が必要となります。初めは大きく経費がかかりますが、その後はほとんど染料などの消耗品のみの経費となります。その理解もなかなかされづらかったのもあったかもしれません。
残念ながら、伝統工芸コースはなくなってしまいましたが、伝統工芸コースじゃなくても授業がまたいつかどこかでやれたらと夢みています。
まずは2年間やり切ったことが自信となりました。
次からはどんな大学からもオファーがあっても平気です。
そう思える事がなにより財産です。
さて、2年間続いた非常勤講師が終わり、4年間続いた育成事業が終わりました。
月曜日と金曜日があいた今、次に挑戦するものをなににしようかワクワク考えています!
挑戦し続け、努力する事はこれからも変わりません。














