学会参加後、昨年来、頭を悩ませてきた論文 “Big Mismatch between the New Technology and the Old Mechanistic Viewpoint”(新しいテクノロジーと古い機械論的観点との大いなるミスマッチ) がようやく納得いく形になってきた――英論文はこれで最後にするつもり。
核開発、遺伝子ワクチン、AI等という正に切実な現代的課題との関係で取り上げたことは、問題を深めクリアーにする上では有難かったが、学術論文としてはどこまで表現するか――果たして掲載してもらえるかどうか等――何度も書いたり消したりと結構しんどいものがあった。
それでも高林武彦先生の『量子力学~観測と解釈問題』に導かれて、何とか歩むことができた。
そんな中、たまたま先生が辞世を残しておられることを知った(1999年8月14日ご逝去):
忘れもの
この地上に大事な忘れものをしてしまった
それをとりかえしにゆくことはできない
それは魂
そうして私のすべては無になる
(1999年、田中正「高林武彦氏の逝去を悼む」『物理学会誌』Vol.54, No.12, p.988)
いつもながら、何という優しさと励ましと洞察に満ちた言葉であろうと感じ入った。
さて7月7日は、前代未聞の過去最多56名の立候補で争われた東京都知事選の投開票があった。
投票率は60.62%(前回55.00%;60%越えは12年ぶりとか)で、小池百合子(得票率42.8%)・石丸伸二(24.3%)・蓮舫(18.8%)の順で小池現職の勝利に終わった。
裏金問題でいよいよ自民離れをした無党派層が、ほぼ無名であった石丸氏(元安芸高田市長)に流れたという「石丸ショック」(TBS)には驚いた。
一月万冊の佐藤章氏はTouTubeで数回にわたって丁寧に解説していた。
石丸氏はネットを駆使して戦った。
ユーチューブ登録者数は、小池3500人、蓮舫1万人に対して、石丸30万人である。
小池都政に対する批判を特に語るでなく、カメラに向かって気さくに抽象的に語るユーチューバー。
既存の政党や既存のメディアに不信感を持った6割を超える大量の無党派層や浮動層の心をネット上ですくい取った。
SNSやTouTubeを見て心を動かされて出てきた市民に、1日10回、街頭に出て握手をかわす。
しかも彼らは10代~40代と若い世代が中心で、これからの社会の担い手でもあり、今後このような、いわばネットを利用した勝手連的戦い方はますます重要となるだろう。
デモクラシータイムスの特別対談では、金子勝氏が開口一番「ちょっとファシズムの状況に似てきた」と言った。
その理由として「①メディアが争点を全く伝えない――2015年、放送法の解釈変更でコメンテーターを総入れ替えさせられ、モリトモ・カケイ・桜問題をなくして以来である、②石丸は相当ヤバい――安倍の後、求められてきたトリックスターか、③野党側の諸問題」を挙げ、「いよいよ来たかと思った」と語った。
金子氏は別の対談で、このモリトモ・カケイ・桜問題を無いことにした手法を「切り取り動画」と称し――小泉政治のワン・フレイズ・ポリティックスと似ている――当時はこれをマスメディアを通じてやったが、今はユーチューバーによる「切り取り動画」で大衆動員をしている所が怖い。
なぜなら、視聴数を増やせばお金をかせげるので、倫理観が希薄になるからと言う。
実は、佐藤章氏も、石丸氏が割と自民に近く、経済においては分配より成長に重きをおき、強者の自由を尊重するネオリベラリストであると分析していた。
そしてこの現象は、ヨーロッパにおける右派の台頭やトランプの出現に比較されるとも。
いずれにせよ、同時に実施された都議補選の結果(自民は2勝6敗)からも自民党離れは明白で、問題は、この増加しつつある若い無党派層を確実にひきつけ、新しい展望を示し、共に未来を開くエネルギーを結集することであろう――正直いって、石丸氏からもそれを見ることはできなかった。
考えてみれば、日本に限らず世界もまた、明確な方向性や展望が見えてこないままに――あるいは何かに操られて――危険で混沌とした状況をやみくもに走っているように見える。
ここで最近頻発に出てくるようになった言葉「グローバリズム(グローバリスト)」、或いはそれに対決するものとして「反グローバリズム」と言という言葉について考えてみたい。
実は私も、グローバリズム(グローバリスト)という言葉は何回か使ったことがある。
特に、(人工)遺伝子ワクチン接種を巡っては、ビル・ゲイツやファウチ、WFO(世界経済フォーラム)やWHO(世界保健機構)などを、具体的な現象例としてあげてきた。
最初は素直に、なぜこのように危険で非科学的な処方を、安易に全人類を対象に実施するのかという驚き、或いはついに人類の知性の劣化が始まったのかという焦りを覚えた。
そのうち、ワクチンに関する批判的な一切の報道が禁止される――YouTubeにおいても削除される――ようになったのを見て、世界支配の企みという邪悪な力をはっきりと意識した。
ワクチンに関しては何度も述べてきたのでここでは繰り返さない。
AIの進化とネット社会の拡大においても、われわれは自由で民主的な生活をしていると思わされているだけだと主張する人もいて、それは当たっている側面もあると私も思う――因みに、YouTubeの親玉はグーグルである。
今回の都知事選においてもメディアは、早々に56名の候補者のうち4名(上記3名+田母神俊雄)しか報道しなかったのは如何にも意図的である。
先日、3週間タイに滞在してきた息子の話では、店番をしている人もレジ係の人も、誰もがスマホに釘付けで、スマホの世界で楽しむ合間に、ついでに客の相手をしているように見えると言う。
彼は「タイの人の幸福度が高いというのは良く分かる」とも――私も最近、猫の動画にはまって首が痛くなった。
まさに映画『マトリックス』の世界――つまり管理された世界の中で人生を楽しんで(楽しまされて)いるだけで、そこに真の自由はないというわけだ。
しかしでは、その管理・支配している中枢の正体はとなると明確には分からない。
それをワシントンDCという人もいれば、ユダヤ人のあるグループという人もいる。
国際的な超富豪が絡んでいることに違いはなかろう。
なぜなら、国際的な金融資本主義の勝者をめざしているのでああるから。
ややこしい事には、トランプやプーチンを反グローバリストとして評価しているグループもある。
なぜなら、反グローバリズム=自国ファースト=ナショナリズムであるから。
しかし、各国の無制限のナショナリズムを許せば、そのストレートな帰結は戦争に向かい、結局、死の商人というグローバリストの思うつぼになるのではないか。
これは矛盾ではないか。
実は、SNSをうまく活かして、2020年に政党を立ち上げた「産政党」(神谷宗幣代表:国会議員数1人)は「反グローバル」を全面に打ち出している。
ネット検索から、その「政策・主張」における「3つの重点政策」のうち「教育・人づくり」および「食と健康・環境保全」についてはほぼ賛同できた。
3つ目の「国のまもり」の前半「グローバル化の流れに対抗し、自由な社会を護るための国民国家を建設することを目指しています。また、外国の資本による水源地や公用地、企業の買収から地域を守り」についても同意できる。
しかしながら後半の「同性婚や選択的夫婦別姓、議席の一定割合を女性に割り当てる“クォーター制”に反対しており、LGBTへの理解増進、地球温暖化への対策などにも反対の姿勢を示しています。また皇統の維持に関しては男系(父系)による継承に限ると主張し、ワクチン・マスクや小麦、昆虫食などを厳しく批判しています」という主張には首をかしげざるを得ない。
脈絡なく羅列されているので全体的な反論はしにくいが、少なくともここには古い(というよりは明治期に強固にされた)家父長制の遺物にしがみついている姿が見える。
そしてそれを、反グローバリズムの運動と結びつけようとしている点も理解できない。
ワクチンやマスクも無限定に取り上げられている点が気になる――私が反対しているのはあくまで遺伝子ワクチンについてだけである。
過激な例として、今年6月2日のメキシコ大統領選の渡辺惣樹(日米近現代史研究家)氏によるネット上「ルネサンス・レポート」(7月11日)での解説を紹介する。
当選したのはクラウディア・シェインバウムという、筋金入りのグローバリストで極左思想の持ち主の女性政治家。
彼女は過激環境保護・中絶容認/LGBT推進の立場、気候変動危機を煽り続けて有名になった学者。
アメリカ・グローバリズムを推進する複数の団体や個人(MCCI, Article19, NED 等々)からの資金援助を受け選挙に勝利したが、その裏で候補者38人が暗殺されている。
彼女の政策はグローバリストが喜ぶものばかりで(風力・太陽光発電推進、電気自動車推奨など)北米・ヨーロッパで化けの皮がはがれた政策を推進。
メキシコの腐敗は凄まじく(深刻な麻薬とカルテルの実態)、薬物カルテルの政界への影響力も強大で、バイデン政権の不法移民受け入れ政策の恩恵を受け、荒稼ぎしている。
世界中が保守回帰している中で、彼女は民主党支持勢力・グローバリスト勢力の最後のあがきだ。
それにしても、どこかおかしい。
異なるカテゴリーのものが雑然と入り混じっているのだ。
もともとグローバル(global)とは「地球全体」といった意味をもつ英単語である。
そこでグローバリズムとは、地球全体を一つの共同体と見なして、世界の一体化を進める思想で、歴史的には何度も見られた傾向である。
ウィキペディアによれば、現在の「グローバリズム」は東西冷戦終結の1992年以後に使われるようになり、多国籍企業が国境を超えて地球規模で経済活動を展開する行為や、自由貿易および市場主義経済を全地球上に拡大させる思想などを表す。
そのような「グローバリズム」は、格差の拡大や利権による腐敗を世界中に拡散し、国民を食い物にする傾向が大きい。
兵器を爆買いさせられ、遺伝子ワクチンを世界一長期にわたって打たされ続ける日本なんて、格好の餌食になり下がっている――因みにフィリピン政府は、ワクチン接種による死亡者29万人を記録、警戒を強めると今朝のXに出ていたが、事実とすれば日本政府よりよほどまともだと思った。
ところが、である。
本来のグローバリズムは、地球を唯一のかけがえのない我々の村と見なす考え方であるべきだろう。
しかも現在、世界中の人々がスマホで交信し合える状況が生まれたと同時に、人類を滅亡に陥れることのできるテクノロジーの出現という、相反する二重の重大な意味をもって「グローバリズム」という言葉がわれわれに迫っている。
私自身は、科学こそが本来のグローバリズムに力を与えてくれるものとして登場したと思った。
なぜならそれは、いかなる権威からも無縁で、誰もがその前で謙虚に平等になれる、真理の力で人々を結びつけることができるから。
しかし現代の科学、とりわけ物理学は20世紀に入り、ミクロ世界(電子、原子、分子など)を対象とし始め、とりわけ戦後はミクロ世界をベースにした新しいテクノロジー(例えば、半導体、コンピュータ、遺伝子操作、AIなど)の急速な開発が進んだにも拘らず、ミクロ世界を記述する量子力学の満足のいく解釈に至っておらず、依然として19世紀までのマクロ世界(古典物理学で記述)でしか通用しない古い機械論的発想で処理している。
これが私の主張している、テクノロジーにおけるミスマッチであり、このような状況では本来のグローバルズムの実現は不可能である。
結論としてまずは、右翼か左翼か、保守か革新か、さらにはグローバルか反グローバルとといった現象論的な二者択一ではなく――これらは状況に応じて、その都度、最善と思える方を取ればよいだけのこと――世界共通の言語である科学的思考を用いて、互いに対話するよう努めるべきである。
しかしながら実はこの思考方法において、われわれは19世紀までの古い機械論を克服できていないという問題を引きずっており、(何度も繰り返してきた)ミスマッチという極めて野蛮な状態に放置されているのである。
そこで今すべきは、いたずらに個々のテクノロジーの開発に邁進するのではなく、この野蛮な状況を自覚し、マクロ世界とミクロ世界を統一した新しい世界観を確立するよう努力することが肝要であろう。
そのためにも、とりあえず生命現象や脳の機能(心的現象)に量子力学を適用し、現在のバイオテクノロジーやAI開発に適切な修正を施す必要があると思われる。
最後に、やや唐突で奇異にとられるかもしれないが、新しい世界観を確立するうえでヒントになるのではと、以前から私が関心を抱いているものの一つに日本の縄文時代があることを白状しておく。
それは持続可能な地球村を実現するためのモデルになりうると思っている。
その根拠をとりあえず挙げると:
①1万年以上にわたって平和が続いた(人骨に戦争の傷跡がない、殺人用の武器がない)
②現代人に通じる高度な精神文化が成立していた(多くの土器や土偶に現れている)
③自然との共生が実現していた
④格差や身分制度がない(互いに対等で共感の下、各人の全人的開発が可能)
これ以上は妄想の誹りを受けそうなので、ここらで筆をおくことにする。
暑い暑い日が続きますが、わが身は一つ、どうかご自愛ください。
核開発、遺伝子ワクチン、AI等という正に切実な現代的課題との関係で取り上げたことは、問題を深めクリアーにする上では有難かったが、学術論文としてはどこまで表現するか――果たして掲載してもらえるかどうか等――何度も書いたり消したりと結構しんどいものがあった。
それでも高林武彦先生の『量子力学~観測と解釈問題』に導かれて、何とか歩むことができた。
そんな中、たまたま先生が辞世を残しておられることを知った(1999年8月14日ご逝去):
忘れもの
この地上に大事な忘れものをしてしまった
それをとりかえしにゆくことはできない
それは魂
そうして私のすべては無になる
(1999年、田中正「高林武彦氏の逝去を悼む」『物理学会誌』Vol.54, No.12, p.988)
いつもながら、何という優しさと励ましと洞察に満ちた言葉であろうと感じ入った。
さて7月7日は、前代未聞の過去最多56名の立候補で争われた東京都知事選の投開票があった。
投票率は60.62%(前回55.00%;60%越えは12年ぶりとか)で、小池百合子(得票率42.8%)・石丸伸二(24.3%)・蓮舫(18.8%)の順で小池現職の勝利に終わった。
裏金問題でいよいよ自民離れをした無党派層が、ほぼ無名であった石丸氏(元安芸高田市長)に流れたという「石丸ショック」(TBS)には驚いた。
一月万冊の佐藤章氏はTouTubeで数回にわたって丁寧に解説していた。
石丸氏はネットを駆使して戦った。
ユーチューブ登録者数は、小池3500人、蓮舫1万人に対して、石丸30万人である。
小池都政に対する批判を特に語るでなく、カメラに向かって気さくに抽象的に語るユーチューバー。
既存の政党や既存のメディアに不信感を持った6割を超える大量の無党派層や浮動層の心をネット上ですくい取った。
SNSやTouTubeを見て心を動かされて出てきた市民に、1日10回、街頭に出て握手をかわす。
しかも彼らは10代~40代と若い世代が中心で、これからの社会の担い手でもあり、今後このような、いわばネットを利用した勝手連的戦い方はますます重要となるだろう。
デモクラシータイムスの特別対談では、金子勝氏が開口一番「ちょっとファシズムの状況に似てきた」と言った。
その理由として「①メディアが争点を全く伝えない――2015年、放送法の解釈変更でコメンテーターを総入れ替えさせられ、モリトモ・カケイ・桜問題をなくして以来である、②石丸は相当ヤバい――安倍の後、求められてきたトリックスターか、③野党側の諸問題」を挙げ、「いよいよ来たかと思った」と語った。
金子氏は別の対談で、このモリトモ・カケイ・桜問題を無いことにした手法を「切り取り動画」と称し――小泉政治のワン・フレイズ・ポリティックスと似ている――当時はこれをマスメディアを通じてやったが、今はユーチューバーによる「切り取り動画」で大衆動員をしている所が怖い。
なぜなら、視聴数を増やせばお金をかせげるので、倫理観が希薄になるからと言う。
実は、佐藤章氏も、石丸氏が割と自民に近く、経済においては分配より成長に重きをおき、強者の自由を尊重するネオリベラリストであると分析していた。
そしてこの現象は、ヨーロッパにおける右派の台頭やトランプの出現に比較されるとも。
いずれにせよ、同時に実施された都議補選の結果(自民は2勝6敗)からも自民党離れは明白で、問題は、この増加しつつある若い無党派層を確実にひきつけ、新しい展望を示し、共に未来を開くエネルギーを結集することであろう――正直いって、石丸氏からもそれを見ることはできなかった。
考えてみれば、日本に限らず世界もまた、明確な方向性や展望が見えてこないままに――あるいは何かに操られて――危険で混沌とした状況をやみくもに走っているように見える。
ここで最近頻発に出てくるようになった言葉「グローバリズム(グローバリスト)」、或いはそれに対決するものとして「反グローバリズム」と言という言葉について考えてみたい。
実は私も、グローバリズム(グローバリスト)という言葉は何回か使ったことがある。
特に、(人工)遺伝子ワクチン接種を巡っては、ビル・ゲイツやファウチ、WFO(世界経済フォーラム)やWHO(世界保健機構)などを、具体的な現象例としてあげてきた。
最初は素直に、なぜこのように危険で非科学的な処方を、安易に全人類を対象に実施するのかという驚き、或いはついに人類の知性の劣化が始まったのかという焦りを覚えた。
そのうち、ワクチンに関する批判的な一切の報道が禁止される――YouTubeにおいても削除される――ようになったのを見て、世界支配の企みという邪悪な力をはっきりと意識した。
ワクチンに関しては何度も述べてきたのでここでは繰り返さない。
AIの進化とネット社会の拡大においても、われわれは自由で民主的な生活をしていると思わされているだけだと主張する人もいて、それは当たっている側面もあると私も思う――因みに、YouTubeの親玉はグーグルである。
今回の都知事選においてもメディアは、早々に56名の候補者のうち4名(上記3名+田母神俊雄)しか報道しなかったのは如何にも意図的である。
先日、3週間タイに滞在してきた息子の話では、店番をしている人もレジ係の人も、誰もがスマホに釘付けで、スマホの世界で楽しむ合間に、ついでに客の相手をしているように見えると言う。
彼は「タイの人の幸福度が高いというのは良く分かる」とも――私も最近、猫の動画にはまって首が痛くなった。
まさに映画『マトリックス』の世界――つまり管理された世界の中で人生を楽しんで(楽しまされて)いるだけで、そこに真の自由はないというわけだ。
しかしでは、その管理・支配している中枢の正体はとなると明確には分からない。
それをワシントンDCという人もいれば、ユダヤ人のあるグループという人もいる。
国際的な超富豪が絡んでいることに違いはなかろう。
なぜなら、国際的な金融資本主義の勝者をめざしているのでああるから。
ややこしい事には、トランプやプーチンを反グローバリストとして評価しているグループもある。
なぜなら、反グローバリズム=自国ファースト=ナショナリズムであるから。
しかし、各国の無制限のナショナリズムを許せば、そのストレートな帰結は戦争に向かい、結局、死の商人というグローバリストの思うつぼになるのではないか。
これは矛盾ではないか。
実は、SNSをうまく活かして、2020年に政党を立ち上げた「産政党」(神谷宗幣代表:国会議員数1人)は「反グローバル」を全面に打ち出している。
ネット検索から、その「政策・主張」における「3つの重点政策」のうち「教育・人づくり」および「食と健康・環境保全」についてはほぼ賛同できた。
3つ目の「国のまもり」の前半「グローバル化の流れに対抗し、自由な社会を護るための国民国家を建設することを目指しています。また、外国の資本による水源地や公用地、企業の買収から地域を守り」についても同意できる。
しかしながら後半の「同性婚や選択的夫婦別姓、議席の一定割合を女性に割り当てる“クォーター制”に反対しており、LGBTへの理解増進、地球温暖化への対策などにも反対の姿勢を示しています。また皇統の維持に関しては男系(父系)による継承に限ると主張し、ワクチン・マスクや小麦、昆虫食などを厳しく批判しています」という主張には首をかしげざるを得ない。
脈絡なく羅列されているので全体的な反論はしにくいが、少なくともここには古い(というよりは明治期に強固にされた)家父長制の遺物にしがみついている姿が見える。
そしてそれを、反グローバリズムの運動と結びつけようとしている点も理解できない。
ワクチンやマスクも無限定に取り上げられている点が気になる――私が反対しているのはあくまで遺伝子ワクチンについてだけである。
過激な例として、今年6月2日のメキシコ大統領選の渡辺惣樹(日米近現代史研究家)氏によるネット上「ルネサンス・レポート」(7月11日)での解説を紹介する。
当選したのはクラウディア・シェインバウムという、筋金入りのグローバリストで極左思想の持ち主の女性政治家。
彼女は過激環境保護・中絶容認/LGBT推進の立場、気候変動危機を煽り続けて有名になった学者。
アメリカ・グローバリズムを推進する複数の団体や個人(MCCI, Article19, NED 等々)からの資金援助を受け選挙に勝利したが、その裏で候補者38人が暗殺されている。
彼女の政策はグローバリストが喜ぶものばかりで(風力・太陽光発電推進、電気自動車推奨など)北米・ヨーロッパで化けの皮がはがれた政策を推進。
メキシコの腐敗は凄まじく(深刻な麻薬とカルテルの実態)、薬物カルテルの政界への影響力も強大で、バイデン政権の不法移民受け入れ政策の恩恵を受け、荒稼ぎしている。
世界中が保守回帰している中で、彼女は民主党支持勢力・グローバリスト勢力の最後のあがきだ。
それにしても、どこかおかしい。
異なるカテゴリーのものが雑然と入り混じっているのだ。
もともとグローバル(global)とは「地球全体」といった意味をもつ英単語である。
そこでグローバリズムとは、地球全体を一つの共同体と見なして、世界の一体化を進める思想で、歴史的には何度も見られた傾向である。
ウィキペディアによれば、現在の「グローバリズム」は東西冷戦終結の1992年以後に使われるようになり、多国籍企業が国境を超えて地球規模で経済活動を展開する行為や、自由貿易および市場主義経済を全地球上に拡大させる思想などを表す。
そのような「グローバリズム」は、格差の拡大や利権による腐敗を世界中に拡散し、国民を食い物にする傾向が大きい。
兵器を爆買いさせられ、遺伝子ワクチンを世界一長期にわたって打たされ続ける日本なんて、格好の餌食になり下がっている――因みにフィリピン政府は、ワクチン接種による死亡者29万人を記録、警戒を強めると今朝のXに出ていたが、事実とすれば日本政府よりよほどまともだと思った。
ところが、である。
本来のグローバリズムは、地球を唯一のかけがえのない我々の村と見なす考え方であるべきだろう。
しかも現在、世界中の人々がスマホで交信し合える状況が生まれたと同時に、人類を滅亡に陥れることのできるテクノロジーの出現という、相反する二重の重大な意味をもって「グローバリズム」という言葉がわれわれに迫っている。
私自身は、科学こそが本来のグローバリズムに力を与えてくれるものとして登場したと思った。
なぜならそれは、いかなる権威からも無縁で、誰もがその前で謙虚に平等になれる、真理の力で人々を結びつけることができるから。
しかし現代の科学、とりわけ物理学は20世紀に入り、ミクロ世界(電子、原子、分子など)を対象とし始め、とりわけ戦後はミクロ世界をベースにした新しいテクノロジー(例えば、半導体、コンピュータ、遺伝子操作、AIなど)の急速な開発が進んだにも拘らず、ミクロ世界を記述する量子力学の満足のいく解釈に至っておらず、依然として19世紀までのマクロ世界(古典物理学で記述)でしか通用しない古い機械論的発想で処理している。
これが私の主張している、テクノロジーにおけるミスマッチであり、このような状況では本来のグローバルズムの実現は不可能である。
結論としてまずは、右翼か左翼か、保守か革新か、さらにはグローバルか反グローバルとといった現象論的な二者択一ではなく――これらは状況に応じて、その都度、最善と思える方を取ればよいだけのこと――世界共通の言語である科学的思考を用いて、互いに対話するよう努めるべきである。
しかしながら実はこの思考方法において、われわれは19世紀までの古い機械論を克服できていないという問題を引きずっており、(何度も繰り返してきた)ミスマッチという極めて野蛮な状態に放置されているのである。
そこで今すべきは、いたずらに個々のテクノロジーの開発に邁進するのではなく、この野蛮な状況を自覚し、マクロ世界とミクロ世界を統一した新しい世界観を確立するよう努力することが肝要であろう。
そのためにも、とりあえず生命現象や脳の機能(心的現象)に量子力学を適用し、現在のバイオテクノロジーやAI開発に適切な修正を施す必要があると思われる。
最後に、やや唐突で奇異にとられるかもしれないが、新しい世界観を確立するうえでヒントになるのではと、以前から私が関心を抱いているものの一つに日本の縄文時代があることを白状しておく。
それは持続可能な地球村を実現するためのモデルになりうると思っている。
その根拠をとりあえず挙げると:
①1万年以上にわたって平和が続いた(人骨に戦争の傷跡がない、殺人用の武器がない)
②現代人に通じる高度な精神文化が成立していた(多くの土器や土偶に現れている)
③自然との共生が実現していた
④格差や身分制度がない(互いに対等で共感の下、各人の全人的開発が可能)
これ以上は妄想の誹りを受けそうなので、ここらで筆をおくことにする。
暑い暑い日が続きますが、わが身は一つ、どうかご自愛ください。