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粟屋かよ子・Ψ(プサイ)が拓く世界を求めて

量子力学の理解を深めつつ、新しい世界観を模索して気の向くままに書きたいと思います。
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グローバリズムの正体

2024-07-13 11:22:08 | 日記
学会参加後、昨年来、頭を悩ませてきた論文 “Big Mismatch between the New Technology and the Old Mechanistic Viewpoint”(新しいテクノロジーと古い機械論的観点との大いなるミスマッチ) がようやく納得いく形になってきた――英論文はこれで最後にするつもり。
核開発、遺伝子ワクチン、AI等という正に切実な現代的課題との関係で取り上げたことは、問題を深めクリアーにする上では有難かったが、学術論文としてはどこまで表現するか――果たして掲載してもらえるかどうか等――何度も書いたり消したりと結構しんどいものがあった。
それでも高林武彦先生の『量子力学~観測と解釈問題』に導かれて、何とか歩むことができた。

そんな中、たまたま先生が辞世を残しておられることを知った(1999年8月14日ご逝去):
       忘れもの
   この地上に大事な忘れものをしてしまった
   それをとりかえしにゆくことはできない
   それは魂
   そうして私のすべては無になる  
        (1999年、田中正「高林武彦氏の逝去を悼む」『物理学会誌』Vol.54, No.12, p.988)
いつもながら、何という優しさと励ましと洞察に満ちた言葉であろうと感じ入った。

さて7月7日は、前代未聞の過去最多56名の立候補で争われた東京都知事選の投開票があった。
投票率は60.62%(前回55.00%;60%越えは12年ぶりとか)で、小池百合子(得票率42.8%)・石丸伸二(24.3%)・蓮舫(18.8%)の順で小池現職の勝利に終わった。
裏金問題でいよいよ自民離れをした無党派層が、ほぼ無名であった石丸氏(元安芸高田市長)に流れたという「石丸ショック」(TBS)には驚いた。
一月万冊の佐藤章氏はTouTubeで数回にわたって丁寧に解説していた。

石丸氏はネットを駆使して戦った。
ユーチューブ登録者数は、小池3500人、蓮舫1万人に対して、石丸30万人である。
小池都政に対する批判を特に語るでなく、カメラに向かって気さくに抽象的に語るユーチューバー。
既存の政党や既存のメディアに不信感を持った6割を超える大量の無党派層や浮動層の心をネット上ですくい取った。
SNSやTouTubeを見て心を動かされて出てきた市民に、1日10回、街頭に出て握手をかわす。
しかも彼らは10代~40代と若い世代が中心で、これからの社会の担い手でもあり、今後このような、いわばネットを利用した勝手連的戦い方はますます重要となるだろう。

デモクラシータイムスの特別対談では、金子勝氏が開口一番「ちょっとファシズムの状況に似てきた」と言った。
その理由として「①メディアが争点を全く伝えない――2015年、放送法の解釈変更でコメンテーターを総入れ替えさせられ、モリトモ・カケイ・桜問題をなくして以来である、②石丸は相当ヤバい――安倍の後、求められてきたトリックスターか、③野党側の諸問題」を挙げ、「いよいよ来たかと思った」と語った。
金子氏は別の対談で、このモリトモ・カケイ・桜問題を無いことにした手法を「切り取り動画」と称し――小泉政治のワン・フレイズ・ポリティックスと似ている――当時はこれをマスメディアを通じてやったが、今はユーチューバーによる「切り取り動画」で大衆動員をしている所が怖い。
なぜなら、視聴数を増やせばお金をかせげるので、倫理観が希薄になるからと言う。
実は、佐藤章氏も、石丸氏が割と自民に近く、経済においては分配より成長に重きをおき、強者の自由を尊重するネオリベラリストであると分析していた。
そしてこの現象は、ヨーロッパにおける右派の台頭やトランプの出現に比較されるとも。

いずれにせよ、同時に実施された都議補選の結果(自民は2勝6敗)からも自民党離れは明白で、問題は、この増加しつつある若い無党派層を確実にひきつけ、新しい展望を示し、共に未来を開くエネルギーを結集することであろう――正直いって、石丸氏からもそれを見ることはできなかった。
考えてみれば、日本に限らず世界もまた、明確な方向性や展望が見えてこないままに――あるいは何かに操られて――危険で混沌とした状況をやみくもに走っているように見える。

ここで最近頻発に出てくるようになった言葉「グローバリズム(グローバリスト)」、或いはそれに対決するものとして「反グローバリズム」と言という言葉について考えてみたい。
実は私も、グローバリズム(グローバリスト)という言葉は何回か使ったことがある。
特に、(人工)遺伝子ワクチン接種を巡っては、ビル・ゲイツやファウチ、WFO(世界経済フォーラム)やWHO(世界保健機構)などを、具体的な現象例としてあげてきた。
最初は素直に、なぜこのように危険で非科学的な処方を、安易に全人類を対象に実施するのかという驚き、或いはついに人類の知性の劣化が始まったのかという焦りを覚えた。
そのうち、ワクチンに関する批判的な一切の報道が禁止される――YouTubeにおいても削除される――ようになったのを見て、世界支配の企みという邪悪な力をはっきりと意識した。
ワクチンに関しては何度も述べてきたのでここでは繰り返さない。

AIの進化とネット社会の拡大においても、われわれは自由で民主的な生活をしていると思わされているだけだと主張する人もいて、それは当たっている側面もあると私も思う――因みに、YouTubeの親玉はグーグルである。
今回の都知事選においてもメディアは、早々に56名の候補者のうち4名(上記3名+田母神俊雄)しか報道しなかったのは如何にも意図的である。
先日、3週間タイに滞在してきた息子の話では、店番をしている人もレジ係の人も、誰もがスマホに釘付けで、スマホの世界で楽しむ合間に、ついでに客の相手をしているように見えると言う。
彼は「タイの人の幸福度が高いというのは良く分かる」とも――私も最近、猫の動画にはまって首が痛くなった。
まさに映画『マトリックス』の世界――つまり管理された世界の中で人生を楽しんで(楽しまされて)いるだけで、そこに真の自由はないというわけだ。

しかしでは、その管理・支配している中枢の正体はとなると明確には分からない。
それをワシントンDCという人もいれば、ユダヤ人のあるグループという人もいる。
国際的な超富豪が絡んでいることに違いはなかろう。
なぜなら、国際的な金融資本主義の勝者をめざしているのでああるから。
ややこしい事には、トランプやプーチンを反グローバリストとして評価しているグループもある。
なぜなら、反グローバリズム=自国ファースト=ナショナリズムであるから。
しかし、各国の無制限のナショナリズムを許せば、そのストレートな帰結は戦争に向かい、結局、死の商人というグローバリストの思うつぼになるのではないか。
これは矛盾ではないか。

実は、SNSをうまく活かして、2020年に政党を立ち上げた「産政党」(神谷宗幣代表:国会議員数1人)は「反グローバル」を全面に打ち出している。
ネット検索から、その「政策・主張」における「3つの重点政策」のうち「教育・人づくり」および「食と健康・環境保全」についてはほぼ賛同できた。
3つ目の「国のまもり」の前半「グローバル化の流れに対抗し、自由な社会を護るための国民国家を建設することを目指しています。また、外国の資本による水源地や公用地、企業の買収から地域を守り」についても同意できる。

しかしながら後半の「同性婚や選択的夫婦別姓、議席の一定割合を女性に割り当てる“クォーター制”に反対しており、LGBTへの理解増進、地球温暖化への対策などにも反対の姿勢を示しています。また皇統の維持に関しては男系(父系)による継承に限ると主張し、ワクチン・マスクや小麦、昆虫食などを厳しく批判しています」という主張には首をかしげざるを得ない。
脈絡なく羅列されているので全体的な反論はしにくいが、少なくともここには古い(というよりは明治期に強固にされた)家父長制の遺物にしがみついている姿が見える。
そしてそれを、反グローバリズムの運動と結びつけようとしている点も理解できない。
ワクチンやマスクも無限定に取り上げられている点が気になる――私が反対しているのはあくまで遺伝子ワクチンについてだけである。

過激な例として、今年6月2日のメキシコ大統領選の渡辺惣樹(日米近現代史研究家)氏によるネット上「ルネサンス・レポート」(7月11日)での解説を紹介する。
当選したのはクラウディア・シェインバウムという、筋金入りのグローバリストで極左思想の持ち主の女性政治家。
彼女は過激環境保護・中絶容認/LGBT推進の立場、気候変動危機を煽り続けて有名になった学者。
アメリカ・グローバリズムを推進する複数の団体や個人(MCCI, Article19, NED 等々)からの資金援助を受け選挙に勝利したが、その裏で候補者38人が暗殺されている。
彼女の政策はグローバリストが喜ぶものばかりで(風力・太陽光発電推進、電気自動車推奨など)北米・ヨーロッパで化けの皮がはがれた政策を推進。
メキシコの腐敗は凄まじく(深刻な麻薬とカルテルの実態)、薬物カルテルの政界への影響力も強大で、バイデン政権の不法移民受け入れ政策の恩恵を受け、荒稼ぎしている。
世界中が保守回帰している中で、彼女は民主党支持勢力・グローバリスト勢力の最後のあがきだ。

それにしても、どこかおかしい。
異なるカテゴリーのものが雑然と入り混じっているのだ。
もともとグローバル(global)とは「地球全体」といった意味をもつ英単語である。
そこでグローバリズムとは、地球全体を一つの共同体と見なして、世界の一体化を進める思想で、歴史的には何度も見られた傾向である。
ウィキペディアによれば、現在の「グローバリズム」は東西冷戦終結の1992年以後に使われるようになり、多国籍企業が国境を超えて地球規模で経済活動を展開する行為や、自由貿易および市場主義経済を全地球上に拡大させる思想などを表す。
そのような「グローバリズム」は、格差の拡大や利権による腐敗を世界中に拡散し、国民を食い物にする傾向が大きい。
兵器を爆買いさせられ、遺伝子ワクチンを世界一長期にわたって打たされ続ける日本なんて、格好の餌食になり下がっている――因みにフィリピン政府は、ワクチン接種による死亡者29万人を記録、警戒を強めると今朝のXに出ていたが、事実とすれば日本政府よりよほどまともだと思った。

ところが、である。
本来のグローバリズムは、地球を唯一のかけがえのない我々の村と見なす考え方であるべきだろう。
しかも現在、世界中の人々がスマホで交信し合える状況が生まれたと同時に、人類を滅亡に陥れることのできるテクノロジーの出現という、相反する二重の重大な意味をもって「グローバリズム」という言葉がわれわれに迫っている。
私自身は、科学こそが本来のグローバリズムに力を与えてくれるものとして登場したと思った。
なぜならそれは、いかなる権威からも無縁で、誰もがその前で謙虚に平等になれる、真理の力で人々を結びつけることができるから。
しかし現代の科学、とりわけ物理学は20世紀に入り、ミクロ世界(電子、原子、分子など)を対象とし始め、とりわけ戦後はミクロ世界をベースにした新しいテクノロジー(例えば、半導体、コンピュータ、遺伝子操作、AIなど)の急速な開発が進んだにも拘らず、ミクロ世界を記述する量子力学の満足のいく解釈に至っておらず、依然として19世紀までのマクロ世界(古典物理学で記述)でしか通用しない古い機械論的発想で処理している。
これが私の主張している、テクノロジーにおけるミスマッチであり、このような状況では本来のグローバルズムの実現は不可能である。

結論としてまずは、右翼か左翼か、保守か革新か、さらにはグローバルか反グローバルとといった現象論的な二者択一ではなく――これらは状況に応じて、その都度、最善と思える方を取ればよいだけのこと――世界共通の言語である科学的思考を用いて、互いに対話するよう努めるべきである。
しかしながら実はこの思考方法において、われわれは19世紀までの古い機械論を克服できていないという問題を引きずっており、(何度も繰り返してきた)ミスマッチという極めて野蛮な状態に放置されているのである。
そこで今すべきは、いたずらに個々のテクノロジーの開発に邁進するのではなく、この野蛮な状況を自覚し、マクロ世界とミクロ世界を統一した新しい世界観を確立するよう努力することが肝要であろう。
そのためにも、とりあえず生命現象や脳の機能(心的現象)に量子力学を適用し、現在のバイオテクノロジーやAI開発に適切な修正を施す必要があると思われる。

最後に、やや唐突で奇異にとられるかもしれないが、新しい世界観を確立するうえでヒントになるのではと、以前から私が関心を抱いているものの一つに日本の縄文時代があることを白状しておく。
それは持続可能な地球村を実現するためのモデルになりうると思っている。
その根拠をとりあえず挙げると:
①1万年以上にわたって平和が続いた(人骨に戦争の傷跡がない、殺人用の武器がない)
②現代人に通じる高度な精神文化が成立していた(多くの土器や土偶に現れている)
③自然との共生が実現していた
④格差や身分制度がない(互いに対等で共感の下、各人の全人的開発が可能)

これ以上は妄想の誹りを受けそうなので、ここらで筆をおくことにする。
暑い暑い日が続きますが、わが身は一つ、どうかご自愛ください。
  

いよいよ日本は沈没か

2024-06-11 14:22:45 | 日記
学会参加への出発前で、気分はあまり落ち着いてないのですが、友人から送られてきた動画を観て、事態の余りのスピードに愕然として、簡単にでもブログに添付する必要を感じました:

https://x.com/w2skwn3/status/1798975827515932777

以前から、福島原発事故後の南相馬市にmRNA工場が建設され(昨年7月)、嫌な予感がしていたのですが、何とさらに新しいタイプのワクチン「自己増殖型mRNAワクチン」というものが開発され、既に臨床試験計画も承認され、この10月にも治験が開始されるようです。

この「自己増殖型ワクチン」(レプリコンワクチン)(self-amplified vaccine)というのは、これまでの遺伝子ワクチンとして注入されるmRNAに、それ自身をさらに自己複製できるような部分も追加したものです。
これまでのワクチン(mRNA)は、注入された後、スパイクタンパクを作り――この作られたスパイクが実は毒性を持っていたことがワクチン後遺症で次第に明らかになりつつあるのですが――しばらくしたら当のmRNAは(~数日後)消滅していました。
ところが、今回のレプリコンは自己複製するので、注入は少しですみ、長期間(~数週間後)体内に存在します――その間、せっせとスパイクを作り続けます。

何と、わずか127gで日本の全人口分がまかなえる(日本医療開発機構のHPより)ということです――「少量の接種で十分な抗体が得られる」という歌い文句の安易さ、人の命を何とも思わない機械論的発想の野蛮さにぞっとします!
悪いことを考えつく人(組織)の多くは、どこまでもその道を進もうとするものです。
今やるべきは、まずは世界中で発生しているワクチン後遺症の実態をできるだけ正確につかみ、治療法を確立し、今後のバイオテクノロジーの適正化をはかることでしょう。

この人体実験を予定しているのは日本だけです――正確にはイスラエルもだそうですが。
無論このmRNA工場はアメリカの強力な後押しの下にあります。
いつまで日本人はアメリカの催眠術の傘ので眠っているのでしょうか。
いつになったら、沈没しつつあることに目覚めるのでしょうか。

P.S. 動画の紹介部分に安倍晋三氏の話が出てきますが、私はそれには(そのままの形では)
  賛成しかねることを付記しておきます。






いまは第5次産業革命期なのか

2024-05-27 17:17:54 | 日記
現在、6月中旬に開催される科学基礎論学会における発表準備にとりかかっている中で、いよいよ世界は狂ってきたのかと実感し始めた。

パンデミック・ワクチン騒動が(表面的には)いったん収まったものの――無論、ワクチン後遺症やパンデミック条約等の大問題は残されたままだが――続いてロシア・ウクライナ戦争、さらにはハマス・イスラエル紛争が勃発し、核兵器云々の物騒な話もちらついている。
他方で2022年末、チャットGPTが賛否両論ひっさげて華々しく登場し――この5月21日には世界初のAI規制法がEUで成立(26年適用)――生成AI倒産も現実味をおびてきている。
しかもAI兵器の開発も、同時に、強力に進んでいる。

AI兵器は、第1の火薬、第2の核に続く、第3の軍事革命とか。
電波妨害に弱いドローン(無人機)と違い、AI兵器は遠隔操作やGPSを必要とせず、自律飛行が可能で、今後の戦争に極めて有望視されている。
ウクライナ側の2023年10月の発表によれば、こうしたAIを搭載し、自動で目標の検知と追跡を行う無人機をすでに2000機、配備しているとのこと。
一体、何のための、誰のためのAI開発かとつくづく思う。

このような産・軍・官・学を巻き込んだ危険で急激な世界的動きはどこから来ているのだろうか、又どこへ向かっているのだろうかと調べてゆくうちに「第5次産業革命」という言葉に出くわした。
エッ、「第4次」じゃなかったのと思い、ネットで検索すれば「第5次・・・」が次々と出てきた。

少しおさらいしておくと、「第4次産業革命」という言葉が始めて使用されたのは、グローバリズムを牽引する1つと目されている世界経済フォーラム(EWF)においてである。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    
『第四次産業革命~ダボス会議が予測する未来』(クラウス・シュワブ、2016年)――因みに、ダボス会議とはWEFの年次総会――によれば:
  農業革命に続いて18世紀後半から一連の産業革命が始まった。
  その特徴は人間や家畜による動力から機械動力への移行だったが、それがさらに発展した今日
  の第四次産業革命では、認知力の向上が人間の生産量を増加させている。
  蒸気機関の発明と鉄道建設とによりもたらされた第一次産業革命(1760年代~1840年代)は
  機械による生産の到来を告げるものだった。
  電気と流れ作業の登場によってもたらされた第二次産業革命(19世紀後半~20世紀初頭)は
  大量生産を可能にした。
  1960年代に始まった第3次産業革命は、半導体、メインフレームコンピューター(1960年代)、
  パーソナルコンピューター(1970年代~1980年代)の開発とインターネット(1990年代)
  によって推進されたことから、一般的にコンピューター革命あるいはデジタル革命と呼ばれる。
  ・・・
  今日、私たちは第四次産業革命の入口にいると私は考えている。
  第四次産業革命は、今世紀に入ってから始まり、デジタル革命の上に成り立っている。
  第四次産業革命を特徴づけるのは、これまでとは比較にならないほど遍在化しモバイル化した
  インターネット、小型化し強力になったセンサーの低価格化、AI、機械学習である。(pp.17-18)

その後、世界はコロナ・パンデミックに見舞われたが、WEFは『グレート・リセット~ダボス会議で語られるアフターコロナの世界』(2020)において、このグローバルな危機の時代こそ決定的瞬間だと説く:
  経済が大混乱し、政治的にも、社会的にも、地政学的にも、ありとあらゆる分野でリスクの大
  きい不安定な時期に突入する。
  それが環境への深刻な懸念を引き起こし、有害か無害かは別にして人々の生活のすみずみにテ
  クノロジーの波が押し寄せる。
  ・・・
  世界を分断する断層、とりわけ、社会の分断や不公正、協調の欠如、グローバルガバナンスや
  リーダーシップの破綻などが、地表にむき出しとなり、人々は今こそ根本から作り直すときだ、
  と気づく。新たな世界が姿を現す。(pp.8-9)
つまり、パンデミックという恐怖の下で、第4次産業革命はその範囲もスピードも一気に加速されるのだ――それが「リセット」?――詳しくは同書の「1.6テクノロジーのリセット」を参照。
確かに、第二次世界大戦という恐怖の下で初めて、核爆弾という異次元の兵器が作られた。

では、「第5次」という表現はどこから出てきたのか。
まずドイツで、2011年に産業政策として「インダストリー4.0」が提唱された。
・2019年には、今後10年間の施策として「2030 Vision for Industry 4.0」を発表。
 その重要な3つのコンセプト「自律性」「相互運用性」「持続可能性」を提唱。
EUでは、2019年に「欧州成長戦略2019年~2024年」を発表し、「人々のための経済」「欧州グリーンディール政策」「デジタル時代のヨーロッパ戦略」を優先テーマとして掲げた。
・2021年には、「インダストリー4.0」に代わる新しいコンセプトとして「インダストリー
 5.0」を提唱し、そのキーコンセプトを「持続可能性(サステナビリティ)」、「人間中心(ヒ
 ューマンセントリック)」、「回復力(レジリエンス)」の3つとした。
日本では、2016年に内閣府が(「第5期科学技術基本計画」で)「Society 5.0」を打ち出した。
・これは、狩猟社会(Society 1.0)、農耕社会(Society 2.0)、工業社会(Society 3.0)、情報
 社会(Society 4.0)に引き続く「未来の姿」として提唱された。
・内閣府によれば、「Society 5.0」とは「サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実
 空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する人間中
 心の社会」とのこと(内閣府|Society 5.0 より引用)。
・2020年度の経産省産業構造審議会(バイオ小委員会)の報告書概要によれば、「第5次産
 業革命」はバイオ×IT/AI技術の発展により拓かれ、日本のバイオ産業の競争力向上が必要。
・日研トータルソーシングKKによれば、「第4次産業革命/インダストリー4.0」(2010年~)
 はAI・IoTの活用による高度な知的活動の自動化を特徴とし、「第5次産業革命/インダス
 トリー5.0」(2021年~)はAI・IoTの活用による人間中心で環境の変化への対応力のあ
 る持続可能な産業への変革――これを牽引するテクノロジーとして、協働ロボットとバイ
 オ・スマートセルインダストリーを紹介――が目指されている。

等々であるが、戦争や分断や格差で混乱を極める世界の現実を前に、何ともむなしく響く。
それにしてもIndustryには産業という意味はあっても、産業革命(Industrial Revolution)という意味はないはずである。
もしかしたら、日本の「Society 5.0」 ➡ EUの「Industry 5.0」 ➡ 日本で「インダストリー5.0~第5次産業革命」という言葉遊び(日本のお家芸?)から始まったのだろうか。

いずれにせよ、この動きをどうとらえればよいのだろうか――むろん言葉遊びでなく現実の動き。
私には、パンデミックや戦争を引き起こしたり利用したりして、危機感をあおりながら、テクノロ
ジー開発競争に血まなこになっている姿にしか見えない。
その向かっていく先には何が見えるのだろうか。
例えば世界的ベストセラーになった『サピエンス全史』の著者ユヴァル・ノア・ハラリは、ひき
続く著書『ホモ・デウス』(原書は、HOMO DEUS: A Brief History of Tomorrow)(2015年)で、テクノロジーの急激な発展により神(デウス)を目指すようになる人類の近未来を描いている――実際『グレート・リセット』も、ハラりを引用している(pp.183-185) 。

とりあえず『ホモ・デウス』のシナリオに従えばどうなるか見てみよう。
ハラりは、人間を神へとアップグレードするときに取りうる道は、生物工学、サイボーグ工学、非
有機的な生き物を生み出す工学のいずれかとなると言うが詳細は割愛する。
そして最後の章(第11章 データ教)で「AIとバイオテクノロジーの台頭が世界を確実に変容さ
せるだろうが、単一の決定論的な結果が待ち受けているわけではない」(下p.244)と注意しつつ
も、生命という壮大な視点で見ると、結局次の3つの動きが見えるという。すなわち:
 ①科学は1つの包括的な教義に収斂しつつある。それは、生き物はアルゴリズムであり、生命は
  データ処理であるという教義だ。
 ②知能は意識から分離しつつある。
 ③意識をもたないものの高度な知能を備えたアルゴリズムが間もなく、私たちが自分自身を知る
  よりもよく私たちのことを知るようになるかもしれない。(同書の下巻pp.245-246)

私はここに、現代における機械論の到達点の1つを見る思いがする。
即ちこれは、近代科学の機械論――動物や人間の肉体を自動機械と見なしたニュートンやデカルトの機械論――が、装いも新たに登場した機械論の現代版ではないか。
しかもここには、私のいうミスマッチ、つまりミクロ世界の技術をマクロ世界の機械論的思考で扱うという恐るべき蛮力が発揮されている。
その最も典型的な例が原子爆弾の製造・投下、そしてその後の核開発であろう。

ハラりの①でいうアルゴリズムにしろデータ処理にしろ、それらはその製作者や利用者という人間(主体)が存在して初めて意味をもつ――従って又、どのようなアルゴリズムを作るのか、どのようなデータを入力するのかが、第一義的に問題になるべきなのである。
ここで主体とは生命体と言いかえてもよいが、人間の場合それは自己意識として実感される。
つまり生き物はアルゴリズムではありえないし、生命もデータ処理ではありえない。
或いは、AI(アルゴリズムやデータ処理などが適切に実装された機械)は生物(主体)にはなりえないのだ――だからこそ、有用な機械(=主体による一方的・機械的な利用が可能)になり得る。
そこで②や③は、AIで扱える知能は意識から分離して扱える部分のみから成り立っており、そのような知能のみを扱うと白状していることになる。
そのようなAI(機械)が私たちを「知る」わけがなかろう。
AIが本当には何も知っていないことは、しばしば起こるハルシネーションにも示される。

実は、AI開発のステップアップも忙しい。
第1次AIブームは1950年代後半~1960年代:AIの誕生/ 第2次AIブームは1980年代:エキスパートシステムの成功/ 第3次AIブームは2000年代~:ディープラーニングの登場
そして現在は、2022年のGPT3.5の公開以来、第4次AIブームだという。
実際、GPT3.5の公開後わずか5日間で、全世界のユーザー数が100万人を越え、2カ月後には月間のアクティブユーザーが1億人を超えている。
パンデミックの影の立役者の1人、ビル・ゲイツの2023年3月21日のブログ記事は「AIの時代が始まった(The Age of AI has begun)」である。
目下、GPT-4.0 GPT-4o とさらに進化している――先日もなめらかに、にこやかに日本語でしゃべるロボット嬢の姿がテレビに映った。

前進、前進、また前進、個々バラバラの方向に向かって、しかも加速度的に。
そのうち、有用性と危険性のバランスが崩れ、トータルに見れば、世界は混乱してくるだろう――既にホワイトカラーを中心に4~5割の職場がAIに取って代わると言われている。
その時、人類はどこかで目標を見失っていたことに気づくのだろうか。

私が一番気にしていることは、AIによる精巧な偽情報――文章、画像、音声などによる――や強力なAI兵器の類ではなく、AIによる人間の知能労働の大量の肩代わりが、人間の知能・知性の大巾な低下をもたらすのではないかという点である。
その時、人類は確実に自滅に向かうのではなかろうか。

P.S. とりあえず、学会参加準備のため、ブログは しばらくお休みします。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          

映画『オッペンハイマー』にメッセージ性はあるのか

2024-04-30 23:50:27 | 日記
アカデミー賞最多7部門受賞という鳴り物入りのクリストファー・ノーラン監督による『オッペンハイマー』が、なぜか半年以上遅れてようやく日本にも3月29日上陸した。
私は息子と観に行った。
せわしなく、カラーになったりモノクロになったり、時間も前後したりする画面。
スペクタクルの中心であるキノコ雲や、オッペンハイマーの有名なセリフ「我は死なり、世界の破壊者なり」――インドの聖典の中の言葉――も、私にとっては想定内。
それでも3時間は退屈しなかったが、さりとて何の印象も残らなかった。

息子は「3つの物語が並列に入り組んでいて分かりにくかった」と言う。
3つとは何かと問えば、「オッペンハイマーの私的な生活、裁判――1954年、機密漏洩の疑いによる聴聞会――、原子爆弾の製造・完成」と答え、「タイトルがオッペンハイマーなんだから、彼の生涯を中心に子供時代から描いてほしかったな」とも言った。
私はと言えば、考えが錯綜しまとまらず、そして忘れることにした。

ところがである。
それからしばらくして、高橋源一郎氏が『サンデー毎日』(2024年4月21日号)にコメント(pp.38-39)を載せている事を知った。
しかもそのタイトルや、「科学者という蛮族」である。
彼はそれについて、少しではあるが、説明している。
すなわち「・・・理論が真実であり、それが“現実”のものとなる瞬間を見たい、という科学者という“蛮族”が持つ欲望こそが彼 [オッペンハイマー] を動かしていたのかもしれない」と。
私には高橋氏が「蛮族である科学者よ、この落とし前をどうつけてくれるんだ」と挑発しているように思えた。

そこでようやく私の頭が回転し始めた。
むろん科学者は昔から“蛮族”であったわけではない。
それどころか、およそ近・現代人の生活は、科学とその応用である技術の知識の上に築かれてきた。
“科学的”という言葉が一定の権威を持つゆえんでもある。
それでもなお、あえて科学者を“蛮族”と呼ぶのであれば、「それはいつから、なぜ“蛮族”へと変わったのか」と問われるべきであろう。
これはもしかしたら、私の目下のテーマ「新しいテクノロジーと、古い機械論的思考方法の間の Big Mismatch」と関係しているかもしれないと思った。

つまり、20世紀に我々は、これまで見たことのないミクロ世界(電子、原子核、原子、分子、・・・)に突入した。
しかもそれらの振舞いは、19世紀までに確立したクロ世界に対する古典物理学(機械論)では説明できず、物理学者たちは個別に対処する数式(量子論)だけは手に入れた。
しかし我々は、このミクロとマクロを世界観としては統一できていない。
その矛盾は、とりわけテクノロジーの分野で現れる。
すなわち、ミクロ世界を扱うテクノロジーを、マクロ世界の機械論的発想で処理するという、まさに野蛮なミスマッチが発生していると思われる。
とすれば、科学者が蛮族といわれても、むべなるかなである。
ついでに言えば、最近の新型コロナ“パンデミック”に対する“人工遺伝子ワクチン”の接種も野蛮の極みと言いたい。
AIについても言いたいことがあるが、別の機会にする。

私は今更に、ネットで映画『オッペンハイマー』についていろいろ検索してみた。
実は、3、4回出てくるオッペンハイマーとアインシュタインの短いが重要な対話の場面を完全に見落としていたことに気づいた。
見落としていた理由の1つは、近年アメリカの映画やドラマでは珍しくなくなっているある処方
を、ノーラン監督も取り入れていることにあるようだ。
その処方とは、展開されるエピソードを、複数の時間の流れとしてセパレートした上で、それぞれが断片的に切断され(時系列の逆転もあり)交互に描く見せ方で、時間の流れを操り表現を効果的にすると言われるようであるが、(私に言わせれば)やりすぎで成功してるとは思えない。
さらに彼は、登場人物による視点の違いをカラーとモノクロとで使い分けるという手法も部分的に用いたようであるが、これも(私には)効果的に作用せず、意味不明な背景時間の経過を感じた。
個別のエピソードは興味深くとも、全体的にはは思考停止の状態に陥っていたように思う。

いずれにせよ、その重要な対話の部分に関して、ネット検索で得られた解説を以下に記す。
まず1943年、オッペンハイマーがアインシュタインを訪れ、「原爆における核分裂の連鎖反応が大気にまで引火し、世界が破壊するかもしれない」という趣旨の相談を持ちかける――“When we detonate an atomic device, we might start a chain reaction that destroys the world.”
「その計算――ハンズ・ ベーテが担当している――の結果が壊滅的だったらどうすればよいか」と問うオッペンハイマーに、アインシュタインは答える。
「開発を中止しなさい。そしてナチスと共有するのだ。そうすれば、とちら側も世界を破壊しないだろう――“Then you stop. And share your findings with the Nazis, so neither side destroys the world.”

次に1947年、プリンストン高等研究所の池のほとりで、2人は再び対話する。
原爆はすでに成功裏に投下された後である。
オッペンハイマーが「いつか計算を持ってあなたに会いにきました。そこで私達は全世界を破壊する核の連鎖反応を開始させるかもしれないと思案しました」と言う。
アインシュタインは「覚えているよ。それがどうかしたかね――I remember it well. What of it?」 
と応じる。
オッペンハイマーは「その通りになりました――I believe we did」と答えた。

ここで注意すべきは、これら2人の対話は、監督の(或いは原作の)創作でもあること。
さらには、この2人の対話の場面は最初にもモノクロで無声で出てくる――その理由は略す。

いずれにせよ、アインシュタインは言葉を失ってその場を立ち去り、オッペンハイマーは降り始めた雨で波紋が広がる池を見つめている。
このラストシーンを、“まいるず”というネット上の解説者は、「オッペンハイマーのビジョンには何十本、何百本という核ミサイルが見えています。
それらが一斉に発射されて、次々と着弾し地球を無数の炎が包み込んでいきます。
たった1つの核爆弾を作ってしまえば、それが連鎖反応を起こして世界を焼き尽くしてしまうというのは宇宙レベルの規模で見れば正しかったのです」と表現している。

確かに、核兵器開発国は公式に報告されているだけでも既に9か国、実質的な核軍拡は進んでいる。
現在進行中のロシア-ウクライナ戦争、イスラエル-パレスチナ紛争では予断を許さない緊迫した状況が続いており、第三次世界大戦の勃発について言及する識者もいるほどだ。
映画『オッペンハイマー』のメッセージはその警告になっているのだろうか。

私は、この最後のシーンを確認するためだけに、再度、映画館へと足を運んだ。
そして驚いた。
確かに、今度はストーリーを十分追ってゆくことができた。
そして2度目でも退屈はしなかった――高橋氏も「3時間があっと言う間だった。あえてここは“おもしろかった”ということばを使いたい」と評していたことを思い出した。
しかし、やはり観終わった後、心に何も残らなかった。
そもそも、ラストシーンでオッペンハイマーに見えているという何百本もの線が、(私には)とりたてて核ミサイルに見えないのである――もともと戦闘機には何の興味もない私である。
たとえ核ミサイルに見えたとして、その下に逃げまどう人間の姿が見えるだろうか。

こうしてシナリオはほぼ理解したのであるが、何かやり切れない気分に陥った。
お金や時間を無駄にしたという気はないが、何かを観たという印象がまったく残らないのである。
膨大な資金をつかって巨大なエンターテイメントに仕上げ、多くの賞を勝ち取り、世界的興行として成功し、観客を楽しませ、そして意味のある何も残らない時間が経過する――現代はそういう方向に向かっているのだろうか。
因みに、高橋氏はコメントを「“マンハッタン計画”のオッペンハイマーは、映画監督であるクリストファー・ノーラン自身にも似ているように思える。”

私はふと、小学生時代に観た映画『ひろしま』を思い出した
当時の私は、この映画を観た後しばらくは、毎晩、寝る前にしくしく泣いていた。
昼間は忘れていた映画の画面が目に浮かび眠れなくなるのだ。
「もう第三次世界大戦はないよね」と母に確認し、ようやく寝つくことができた。
母の話では、姉は「手がもげたー」と寝言をいってうなされていたようである。

調べてみると映画『ひろしま』は、多くの被爆者が自ら出演し、日教組プロ制作、関川秀雄監督によるもので、1953年公開された。
しかし配給を予定していた大手映画会社が、内容の一部が反米的だと上映を拒否したため、結局、自主上映会などで細々と公開されるにとどまったとある。
私は当時、山口県山口市立大歳小学校であったが、学校から観に行った記憶がある――他に、『原爆の子』や『ひめゆりの塔』も観た。
近年、世界各地で上映され再び脚光を浴びているようであるが、その経緯について割愛する。

ネットで検索するとカラーになって再現された『ひろしま』を観ることができた。
そこに描かれたものは、徹頭徹尾、生きた人間の物語であった。
さまざまに息づいていた庶民の生活が、何の前触れもなく不条理にも、地獄の炎の中に突き落とされる阿鼻叫喚の世界の出現。
最初から最後まで、この物語を導いているのは子どもらの視点である――被爆した子どもたちの手記集『原爆の子~広島の少年少女のうったえ』を原作としている。
そこには、観るものの心を揺さぶらずにはおれない、命と魂の叫びがあった。
ラストシーンは静かなデモ行進――実際に全国から集まった数万人の反戦デモと思われる。
そしてその最後に、累々たる瓦礫にむざんに埋もれ死んでいった無数の被爆者らが、次々とその場から起き上がり、彼らも歩きはじめる――これでようやく彼らも天国へ行けるのだと、私は思った。
その姿は、いつまでもまぶたに残った。

ようやく、私にとっての『オッペンハイマー』騒動は終わりに近づいたようだ。
結果的には『ひろしま』まで観ることになるほどの衝撃を、私に与えたことにはなった。
しかし今の私には、『ひろしま』に出てきた被爆者たちは、未だ成仏してないのではないかと思えてき始めている。
つまり、こうである。
『ひろしま』の上映は、なせ自主規制されたか――プレスコードは既に失効していたにも拘らず。
『オッペンハイマー』は原爆投下の真の実態を表す広島・長崎を映像化しなかったのはなぜか。
『オッペンハイマー』の日本上陸が半年以上遅れたのはなぜか――反米運動などの厄介なことは起らないか様子を見るためだったのか。
こうしてみると、ここには戦後一貫して、自立できていない日本の姿も見えてくる。
そして映画『オッペンハイマー』は、日本人に対して「お前らは脇役ですらない、単なる通過点にすぎない」というメッセージを投げかけているようにも見える。
因みに今回、岸田首相の国賓としての訪米におけるスピーチは、全てバイデンお抱えのスピーチライターが作成した原稿を元に練習したものとか――佐藤章(一月万冊)YouTubeより。

最後に、私が到達したある結論を記したい:
被爆者たちの死を無駄にしてはならない。
そのことによって、私たちの生が意味あるものとなる。
つまり、死者によって生者は生きている。
死者のいない世界は、意味のなくなった世界である。


『コロナワクチンその不都合な真実』(アレクサンドラ・アンリオン=コード)より

2024-04-13 18:04:59 | 日記
最近、『コロナワクチンその不都合な真実』(2023年12月第一刷発行、詩想社)を読みました。
著者アレクサンドラ・アンリオン=コードは英仏両国籍をもつ遺伝学者で、25年間にわたって人類の遺伝子、とくにRNAについて研究してきたという、RNA研究の第一人者です――5児の母親でもあります。
彼女は2015年に、より低コストで倫理的かつ持続可能な研究をしなければならないと考え、アフリカのモーリシャスに移住して自分の研究所「SimplissmA(シンプリッシマ)」を立ち上げたという異色の女性研究者です。
これには多くのメディアが、その設立を祝い、好意的に報道しました。
ところがコロナ禍が訪れたとき、彼女は研究者として責任を感じ義務感から多くの発言を行い、必要に応じて憤りを表明するようになると、何とメディアは一転して彼女を「極右」呼ばわりし、原理主義者、セクト、「陰謀論者」と非難するようになったというのですから、「いずこも同じ、グローバリズムの圧力」という状況が世界中で生じたということがよく分かります。

それでも彼女はさわやかに、「さあ、真実を知る覚悟はできていますか?」と著書の「はじめに」で読者に呼びかけています。
因みに福島雅典氏率いる「ワクチン問題研究会」も、これを推薦図書として挙げています。
この著書はとりわけ、RNAに関して(私にとって)多くの新しい知見を与えてくれました。
いつか、彼女の理念を体現しているように思えるSimplissmAのあるモーリシャス島に行ってみたいなと思いました。
いずれにせよ、彼女のような研究者がいるということは救いです。
以下、RNAを中心に、私自身の関心にもとづいて、概略を紹介してみます。

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第1章ウイルスよりもワクチンの方が危険という現実(pp.12-40)
〇かつてないほどの短期間で開発・製品化されたワクチン
〇結局、ワクチンはコロナへの感染、重症化を防げない
〇ワクチン接種の危険性を示す世界各国のデータ
〇ワクチン接種によって免疫機能が低下する――被害者の割合は、女性3分の2に対して、男性は
 3分の1、被害者の2人に1人はヨーロッパ人 
〇ワクチンがもたらす危険な副作用リスト
〇ワクチン接種の推奨をやめはじめた世界各国の動き――2022年9月ころより

第2章新型コロナワクチンに使われたRNAとは何か(pp.42-51)
・ワクチンでコロナウイルス2つの遺伝物質、DNA(2本鎖;2重らせん)とRNA(1本鎖)が
 私たちの身体を作っている。
・DNAはつねに核やミトコンドリアの中にとどまり安定している。
・RNAは不安定な存在で、身体のあちこちにいて、その役割や環境によってつねに変化する。
 RNAの役割は調整で、細胞の中にも外にもいたるところへと動き回り、あらゆるシステム(DNA
、タンパク質、同族のRNAなど)とコミュニケーションを行う。
RNAの中には、私たちの一瞬の要求に応じて、衰退・分解してしまうものもある。
・RNAには多様な形、さまざまな種類があり、例えば tRNA、rRNA、microRNA、siRNA 等々

第3章RNAがもたらす医療の劇的な進歩(pp.56-85)
〇RNAは医療診断における強力なツール
 RNAは環境に敏感に反応し、あらゆる調整の調整の中心になっているので、多くの病気の診断  
 の元になっている――感染症(新型コロナウイルスのPCR検査は、ウイルスのもつRNAを調
 合したもの)、遺伝疾患、神経症、ガン等・・・。
 一般に、診断は採血をして、それに含まれるタンパク質を元に行われるが、病気の根本に取り組
 むには、タンパク質よりRNAをベースにした診断を確立するほうが望ましい――なぜなら、
 DNAの遺伝情報をRNAがコピーして伝えることによりタンパク質が作られるからである。
〇いまや、唾液に含まれるDNAで多くの病気が診断できる――私たちの唾液のなかには、RNA
 やさまざまな微生物が含まれており、それらによって非常に多くの診断が下せる(中国医学!)。

〇RNAがもたらす何世代にもわたる遺伝
 ・遺伝はDNAだけが関係しているのではなくRNAも関係し、RNAは遺伝においてさまざまな
 「変化」をもたらしている――例えば、一卵性双生児の違い。
理由は環境によって遺伝子が介入するからで、この介入は「エピジェネティクス(後成遺伝学:
DNAの塩基配列を変えずに遺伝子の働きを変化させる仕組み・学問のこと)」と呼ばれる。
 ・RNAは、いわばエピジェネティクスの「グランド・マスター(偉大なる達人)」、ヨガや瞑想
  が健康に直接的な影響を与えるのは、血液や脳細胞の中の特別なRNAの一部を変えるから。
 ・RNAには、精神的・感情的側面もあり、例えば、長く続くトラウマ的記憶には、精神だけ
 でなく、生理学や身体もかかわり、そこで重要な役割を果たしているのがRNA。
・エピジェネティクスによる遺伝は母親由来だけでなく、父親由来もあることが2004年以降明
 らかになった。

〇RNA干渉
 RNAのおかげで、私たちの身体は必要な量のタンパク質を適切に合成することができる。
 例えばタンパク質が多すぎるとRNAがその分を破壊し、十分でないなら新たにつくるといっ
 た具合で、このような適応のノウハウを知っているのはRNAだけである。
 このような、小さいRNAによって遺伝子の発言を抑制する現象は「RNA干渉」と呼ばれ、1990
 年代に発見された――ピンクと白の色が混ざったペチュニアの花のおかげ。
 ↓
 人工的には、私たちが狙いをつけたいRNAと補完関係にあるRNAの小片が1つあるだけで十
 分で、狙われたRNAは細胞または組織からすべて消滅されることになる。

〇RNAを使った革新的な治療薬
 病気とはたいてい、あるタンパク質が異常に堆積して、不均衡を生じることが原因。
 長い間、私たちはRNAを治療薬に活用する方法が分からなかった→現在、革新的な分野の解放。 
 RNAを活用した薬(核酸医薬)が他の薬に比べてとりわけユニークなのは、真のスパイナー―
 ―狙い撃ちできる――であるという点→将来的にもっとも有望で、あらゆる病気、とくに遺伝疾
 患を治療するのにこれ以上完璧なツールボックスはない。

 コロナワクチン以前に開発されたRNA医薬品;
 ホミビルセン(網膜炎の進行を抑える;目薬のRNAは、ウイルスのRNAと結合し消滅させる)
 ペガプタニブ(加齢黄斑変性症の治療薬)、ミポメルセンとインクリシラン(コレステロール量
 の調整)、ヌシネルセン(脊髄性筋萎縮症の治療薬)等々

第4章これだけある新型コロナワクチンの危険性(pp.88-166)
〇mRNAの研究がなかなか進まなかった理由→中心的な分子でありながら、未知の部分が多い為
 ・細胞の一生はいくつかの大きな段階で区切られ、しかもそれぞれが小さな「ビッグバン」のよ
 うでそれぞれの変わり目で、細胞は膨大なプログラムを展開する――そのため一部のRNAを 
 消しては、他のRNAを保持する。
 ・転写によって、DNAの塩基配列の半分以上(60%)を書き写してRNAの形にするが、mRNA
 を作るのに使われるのは、DNAのわずか1.2%で、このゲノムは3万ものmRNAに相当する。
 ・作られたばかりのmRNAは、いわゆる「熟成」の段階に入る――この段階は、デザイナーに
 一片の布を渡すのに例えられ、デザイナーの役割を果たすのが細胞で、衣類に置き換わるのがさ
 まざまなmRNA。
 ・熟成の段階を通して「イニシエーション」、「スプライシング(新しく作成された前駆体mRNA
 転写表面が成熟mRNAに変換されること)」、「ポリアデニル化(mRNAにポリA鎖を付加する 
 こと)」と呼ばれる段階を交互に繰り返し、3万個のmRNA(布の切れ端)は増殖し、18万個の
 それぞれ異なるmRNA(衣類)になる。
 ・18万個のmRNAからなる膨大なカタログはさらに、構成される遺伝子文字のレベルで修正
 を受けていくことになる――これらは私たちの健康に影響を与えるエピジェネティクスの修正。
 ・こうして成熟したmRNAはついに細胞核から外に出ることができ、最後の付加でmRNAは
 安定し、最終的な行き先――ストック、衰退、タンパク質への翻訳という3つの可能性のいずれ
 か――決まる。
 ・この過程も信じられないほど複雑で、膨大な分子が協調し、永続的に要求に応じて分配される。

〇さまざまなタンパク質を作る天才的な存在――mRNAの複雑さは、想像をはるかに越えている
 ・文章(mRNA)は、読者(細胞)がいないと何の意味もなさないと同じように、細胞は常に
 それぞれのmRNAからの要求に応じて、どんな化合物を使うか決めていく。
 ・mRNAのメッセージは大文字(始まりの印)、タンパク質の作り方を知らせる単語(エクソ
 ン=成熟mRNAのゲノムでコードが残る部分)、無言で変質した部分(イントロン=成熟mRNA
 のゲノムで除去される部分)、句読点(最後の印)で作られている→この最小の文章から、多様
 な役割のさまざまな反応物を数多く作ることができる。
 ・私たちは長いあいだ、1つのmRNAは1つのタンパク質だけを作ると考えてきたが、1つの
 mRNAは、大きさや役割もさまざまな多くのタンパク質を作ることができるのだ。
 ・つい最近発見されたばかりの「マイクロペプチド」と呼ばれる、ごく小さなタンパク質も作る
 ことができるが、これは何とDNAを修正することができる――それは素晴らしいことだが、ウ
 イルスを活性化することもできるのだ。
 ・要するに、mRNAはどんなこともできる可能性があり、制御できない花火のように、常に予
 測不能な存在なのである。

〇ワクチンの試験では次々に失敗していった
 1960年代にmRNA発見→30年後に人体への活用→10年後にmRNAの臨床試験→さらに20
 年ものあいだ、製品化の許可を得ることなく試験が続く:
 前立腺ガン、皮膚ガン、肺ガン、エイズ、脳腫瘍、狂犬病、・・・
 ↓
 研究課程でみえてきた副作用の驚くべき重症度と多様性
 2015年の、mRNAワクチンで鳥インフルエンザに対する免疫獲得を目指した研究では、被験者
 たちの免疫応答はよかったものの「軽度から中程度の」好ましくない副作用が相当数見受けられ
 ――腰痛、中咽頭痛、扁桃炎、咽頭感染症、上気道感染症、すい炎、顔面蜂窩織炎、急性高血圧、
 卵巣嚢腫、精巣ガンなど→「mRNAワクチンが有効なワクチンになると確定するためには、こ
 れらの臨床試験とほかの試験を最後まで見届けることが必要である」と指摘された。

〇20年以上かけても、臨床試験で成功していなかった研究
 2021年、新型コロナワクチンの接種キャンペーンが始まった時点で、その背後では20年以上に
 わたるmRNAの研究と、mRNAワクチンに関する臨床試験が70件、アメリカ国立衛生研究所
 (NIH)の公式サイトに登録されていた。
 70件のうち、17件はさまざまな病気の治療に取り組みながら、試験の第2段階を越えることが
 できていないが、そこへ出現したのが新型コロナウイルスで、一挙に53件もの臨床試験がウイ
 ルス根絶を試みている。
 その際、どういうわけかファイザー社とモデルナ社はいとも容易に試験の第1段階と第2段階
 を越え、意気揚々と第3段階へ移っている――各国政府が規制を緩和し、各製薬会社が異例の速
 さで臨床試験をできるようにしたからだ。
 各国政府は繰り返し、mRNAを用いたワクチンはずっと前から知られ、使われているといって
 いたが、それは真っ赤な嘘だ。
 2022年3月10日、ファイザー社の会長兼最高経営責任者ア
 ルバート・ブーラは『ワシントン・ポスト』紙のインタビューに応じて「mRNAのテクノロジ
 ーは現在まで、製品を何一つ市場に出してこなかった。ワクチンも医薬品も、何一つ製品化され
 ていない・・・私は直観に従うことにした」と断言した――アンリオン=コード氏は「これはカ
 ネになる、というビジネスマンとしての直観か」という(p.116)。

〇これまでのワクチンと、新型コロナワクチンとの決定的な違い 
①ワクチンの定義の変更
 もはや免疫については触れず、もっぱら予防――それも範囲が定められていない――へとワクチ
 ンの定義を変えた:2021年9月、アメリカ疾病対策センター(CDC)。
②ワクチン接種後、すぐには効かない(2週間後?)←mRNAを包む脂質の膜がある為。
③mRNAが入った細胞は一瞬にしてスパイクタンパクを作る工場に変わる(ようにプログラミン
 グされている)。
④このスパイクタンパクは不活性化されておらず、無害ではない→影響は全く未知
⑤私たちの免疫防御システムが、この異物のスパイクタンパクを生成する細胞を攻撃する可能性が
 ある→自己免疫疾患(自身の身体を部分的に破壊する)
⑥常に変異するウイルス(2020年7月時点で、新型コロナウイルスの変異種は1万5000種以上)
 →スパイクタンパクを選択したのは良い考えではなかった。
⑦スパイクタンパク自体に心配な特徴がある
 ・新型コロナウイルスと同じ反応を引き起こす可能性あり、私たちに害をなす能力をもつ。
 ・スパイクタンパクは消滅する前に体内を循環し、脳など一部の組織と結びつく時間がある。
 ・凝固物をつくるエキスパートでもあり、とくに炎症などにより体力が衰えたとき。

〇研究者たちの意見を無視して進められた新型コロナワクチンの接種
〇新型コロナワクチンの消費期限、品質への疑問
〇人工のmRNAは体内に体内に入ってどのような動きをするのか
 実際には、研究された全ての体内組織でmRNAはみつかっていた:
 筋肉、血漿、骨髄、心臓、肝臓、胃、腎臓、肺、結腸、脾臓、リンパ腺、脳、睾丸、等々
〇妊婦や授乳中の母親に推奨されない理由
〇個人がこれまで受け継いできた遺伝子を変えてしまうワクチン
〇ファイザー社が公表する副作用リストに、なぜ遺伝性疾患があるのか

第5章ワクチンの認可、製品化の過程に潜む重大なリスク(pp.168-196)――項目のみで略す
〇巨大製薬会社が抱える薬害スキャンダルの実態
〇ファイザー社の数々の不祥事から垣間見える倫理観
〇臨床試験が終わっていない段階で製品化されたワクチン
〇疑問だらけのコロナワクチン認可の経緯
〇コロナワクチンを異様な高値で売りまくる巨大製薬企業
〇コロナワクチン開発に際し、80億ドル以上の公的資金を得ている

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とりあえずの紹介は以上です。
新書版の200ページ足らずにさらりと書かれている外見的印象と、多方面にわたる濃い内容とのギャップに少々疲れましたが、RNAに関しては凄いことを学んだと思いました。
とりわけ、前回のブログの最後に、福島氏の「ワクチン接種の前後では、国民の体質が変わったと考えないといけません」という発言に対して、若干の疑義を述べた点は修正します。
つまり、RNAが実に多種多様な種類を持ち、遺伝にダイナミックに関わり、自身も絶えず変化する、いまだに奥深い未知の部分をもっているという事実が明確になりつつある以上、「国民の体質が変わる」という表現は決して大げさではないと実感しました。