Psychotic Family Limited

ねばならないをやめて、あったら良いなを考えよう。

男の話、女の話。

2005-12-18 20:28:59 | カタコト

本来ならば、24日のクリスマスイブの日に、暇そうな奴らで集まって、鍋パーティーをやろうということになっていたが、集まるメンバーの中でイブの日が都合悪いというふとどき者がいたので、急遽、1週間早まることとなった。

夕方から、F氏と二人で買い出しやら、鍋の準備やらをしていたのにもかかわらず、Sオ君とIJ院は日がどっぷり暮れてきてからやって来たくせして、野菜の切り方がなってないだの、ラム肉のしゃぶしゃぶじゃないのかとほざいていた。
ガッデム。



一晩中、男3人を相手にして話をしていて思ったのだが、男の人って話をするとき、いつも自分の持っている知識をここぞとばかりに披露する傾向にあるように思われる。
そう思いません?

こんなことを僕は知っているけど、君は知っている?
えー、知らないの?
しょうがないなぁ。


と言われているような気分にさせられる。


IJ院は、自分の知識をフル回転させて、論理的に話を進めるのだが、肝心要な最後の文章にたどり着くまでが長い。

Sオ君はいつも口癖のように
「ねえねえ、~って知っている?」
と言う。
知らない、と答えるものならば、楽しそうにいちから説明してくれるのだ。

Sオ君は、まだ良いほうだ。
D氏は、いつも私が知らないと分かると、
それって常識だよ!
と余計なことを付け足して、私のつまらない自尊心を傷つける。


つまり、私が言いたいのは、男同士の会話の中には、自分の基準となる知識(常識)を持って、相手よりいかに優位に立つかということを無意識のうちに競い合っているかのように思われてしょうがないのだ。
よくしゃべる人は、自分のレベルを相手に押しつけており、無口な人は、自分のレベルを相手に悟られまいとしているかであって、基本的には自分の中で優劣をつけているに他ならない。
もちろん、男の人全員がそうであるとは限らないだろうが。

しかし、よくよく考えてみると、女同士の会話の中で、自分が知らないことを恥と思わされる場面に遭遇したことがない。
女同士の間に重要なのは、相手にいかに共感できるかどうかということなのだ。
だから、たとえ自分が知っていて相手が知らない知識があれば、それを分かち合う精神があるように思われる。



まあ、女の私が男と会話をしたときに思ったことであって、あくまで男同士でどう思っているかということは、一生知り得ないことなのだけれどね。