Be Natural

気取りも なんのてらいもなく  あるがままの自分を 感性の赴くままに そんな独りよがりの書き捨て日記です。

奈良市災害支援ボランティアバスに参加して

2011-05-02 17:32:11 | 生き甲斐

地元の自治体による災害支援ボランティアバスに参加し、

4泊5日の活動を終え、昨日5月1日に戻ってきました。

 
私たちが担当した活動場所は、気仙沼市鹿折地区の個人宅への支援。
敢えてもっとも重労働になると説明された瓦礫撤去作業に手をあげて
体を限界まで動かしての過酷な作業であったものの、目に見えて成果がわかり
自分なりに満足のゆく活動ができたことに感謝している次第です。
 
今回のボランティアバスは、1クール20名の少人数でしたが、
(内訳: 男女比率 14:6 年齢層 21歳~75歳 平均年齢 43歳)
さすがに第一陣は精鋭ぞろいで、意欲も行動力も優れた人ばかりで
休暇中の国連スタッフから、研修医、薬剤師、理学療法士、県の職員、
市の職員、消防士から大学生・・・等々
あくまでも自らの意志によって個人の立場として参加し
肩書を捨てて、みなドロまみれになって活動する姿を眺めながら
こんなにも素晴らしい人達がいたんだと心の底から嬉しくなりました。
 
ほとんどの仲間が、個人ででも現地に飛び込んでいこうと思っていた人達だったので
参加費を払い、食料・水・作業用品一式を自己完結でとの条件にもかかわらず
むしろ、移動手段と宿泊先が確保され、活動先まで提供されることに感謝する言葉ばかり
 
市から派遣されていた職員達も、そうした参加者の真摯な態度に打たれたのか
さまざまな雑用や、現地での車両の運転手等の世話係や
コーディネーター業務があるにもかかわらず、
活動現場で参加者と同じようにドロまみれの重労働に加わり
更には、我々に対して尊敬の念を抱きながら
接していただいていた姿勢にも感銘を受けました。
 
活動現場は、津波の直後から三日三晩火事で焼き尽くされた現場に
隣接した地域で、未だに手つかずの状態にある焼け跡も多く、異臭が漂い
まざまざと津波の恐ろしさを思い知らされ、惨状を目の当たりにして絶句させられました。
活動先のお宅でも、津波がきたときのこと、どうやって助かったのか
家の歴史など、さまざまなことを聞かせてもらい
 
まさしく、”百聞は一見にしかず”を改めて痛感させられた思いでいます。
 
また、たった3日ほどの作業であったにもかかわらず、
最終日には、被災者がお礼を言うために
移動車両の置いてあった場所まで見送りにきたり
家屋がほとんど全壊状態で、なにもかもを失ったような状況にもかかわらず、
1年後には、きっと元のように戻っているので、また遊びに来てくださいと言われ
つい瞼が熱くなってしまい、正視できなくなって振り返ることもできず
その場から立ち去ってしまったほどでした。
 
宿泊先では、公共施設で、禁酒・禁煙とのことでしたが
快眠を得るため、また仲間がより打ち解けやすくするようにと
意図的に個人で紙パックの焼酎を購入し持参していたため
 
館内禁酒のルールを守るため、初日より寒い屋外に出て
杯を交わしながら親睦を深めることができ
翌日には、全員参加で親睦会を開くこととなってしまいました。
「帰ったら同窓会をやろう」誰からともなく声があがり、
メーリングリストも開設して、これからも親交を深めてゆくこととなりました。
 
たった4泊5日の活動でしたが、皆、口ぐちに参加して良かったと語られ
自分自身も、約30年近く前に海外で味わったとものと同等、
いや、もしかしたらそれ以上の感動と喜びを得ることができました。
 
今回の震災による被害範囲・状況から想像するに、
今後もさまざまな形での支援が必要とされることと想像しています。
今後、実際に現地に行くことができなくても、県内避難者への生活支援など
手近なとこから、できることを続けてゆきたいと願っているしだいです。

TVなどでも報道された、大きな漁船まで打ち上げられた港近くの被災地

漁港にあった燃料タンクが倒れ、流出した油に火がついて大火災が発生するも

消火活動ができず、

三日三晩燃え続けるのを、ただ茫然と見ているることしかできなかったそうでした。

燃え残ったのは、金属類ばかり、1月以上たって錆ばかりが目立っています。

そんな中で、火災にもあわず、津波にも流されなかった家屋が

ポツンと建っているのも まさに奇妙な景色でした。

いまだ手づかずの瓦礫の山が広がり、未だに捜索が行われています。

荒涼とした一面の瓦礫の中にでみつけた家族の安否を知らせる立て看板

津波がくるまでは、ここで普通に生活が営まれていたとは信じられない思いでみつめてました

この地域では、すべての電柱がこうして倒れています。

誰が置いたのか、手先の折れた恵比寿様の置物が置いてありました。

地獄のような被災地のすぐ隣には、普通の生活風景が・・・

いまだに捜索されていない被災地。 人間の手だけでは到底無理

この地域は、いまだに自衛隊と警察による捜索が続けられているため

一般の立ち入りが禁止されています。

地盤沈下によって、満潮時には冠水することもあるとのことで

気仙沼市によって買いとられ、今後一切の建物は建てられなくなるとの話でした。

こちらも捜索前の被災地 いつまでこの状態が続くのか

港から離れた空き地にも、手つかずの瓦礫が

到着時には、いまだいたるところで見られていた光景でした。

自治体が撤去してくれる瓦礫は、道路沿いまで出されたものだけ

高齢者だけ、男手のない世帯ではどうしようもない状態

そうした個人宅で活動を開始

実は、これでも半日の作業を終えた頃

到着した時は、あまりの悲惨さに声も出せない状態で、

ましてや写真など撮れる心境ではありませんでした。

たくさんの写真も散乱していましたが、このお宅のものではないものばかり

どこから流されてきたのかわからない持ち主のない写真は

結婚式や入学式、遊園地に遊びに行ったものなどの記念行事のものなど

幸せに笑っているものがほとんで、とても正視することなどできませんでした。

大物の電化製品や、家具を道路際に移動してからが本番でした。

このお宅は、築100年以上の地域でももっとも古い家

箪笥の裏に、明治17年に購入したことが記されていましたが・・・

この家は、水位がほぼ背丈まできたらしく

被災後のひと月半で、おもだった家財道具を屋外に出したものの

床板は抜け落ち、家の中には泥が堆積し

畳が無造作に積み重なりながら散らばっているばかり

水を含んだ畳がどれほど手におえないモノなのかも思い知らされました。

約2日半の作業を終えた状態

母屋に、便所とお風呂場の別棟の小屋

昔は、牛を飼っていた農機具小屋、裏にある倉庫に薪小屋など

最初の2日は、我々だけのグループ6人で、

最終日の午前中は、更に10名を投入しての16名での大作業となりましたが

到着時からは想像もつかないほどの成果をあげることができ

そこそこの自己満足が得られたものの

 

母屋の中は、いまだに多量の土砂が残された状態のまま

継続するグループが作業を引き継ぐことができるのか

(被災家屋は無尽蔵にあるため、とりあえずの復旧を終えたら次の場所に移されるため)

 

はたして、壁は崩れ、床板も抜け落ちが家を修理して住み続けることができるのかと思うと

 

 

実際に、自分のしたことがどれだけ役に立てたのかとの疑問を

払拭することができなかったのも事実でした。

 

 

 

 

 

 

 


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5 Comments

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お疲れ様でした (westroll)
2011-05-04 23:23:28
はじめまして?
今回奈良ボラバスの第2クールの参加者です。
しかもブログ主さんの後を引き継ぎ、Mさんのお宅に入りました。
我々のグループも最終日までMさんのお宅で活動を継続し、第3クールに引き継ぎを行いました。
我々の段階では、裏の小屋の完全撤去、及び裏の薪小屋もMさんのリクエストにより撤去を致しました。
Mさんからは1つのニーズが終了すると
次のニーズを出され、我々も出来る限りMさんの為に今回の活動を費やそうと考え、むしろこちらからニーズを要求?した感もあります。
それでもMさんにとってはほんの束の間の支援では有るのですが・・・
第2クールのメンバーとは再会を約束しており、
もし入手出来れば、我々が最後に見たMさん宅の写真を送らせて頂きますね!
返信する
ありがとうございました。 (ブログ主(笑))
2011-05-06 15:40:58
ブログへのコメント

さらに、Mさん方の作業についてもお知らせいただきありがとうございました。

そしてお疲れさまでした。

次のグループにも引継ぎいただいたとお聞きして、とりあえず安心いたしました。

たとえ後片付けが済んだとしても、壊れた家屋のこと、塩害を受けた農地のこと、買ったばかりの車、そしてほとんど何も残されていない家財、農機具など、その後のことを考えると心が痛みますが・・・


さて、我々のグループは、メーリングリストを開設し、急遽、明日、第1回目の会合を開くことになりました。

バス単位で集まるよりも、いずれは今回のボランティアバス参加者の集まりができればいいですね

ちなみに、メーリングリストは、Googleでグループ登録しました。

名称は

”奈良市災害支援ボランテイァバス 第一クール”

よかったら参考にしてください。
返信する
Unknown (第三クール員)
2011-05-07 02:11:25
ご苦労様でした。
私達は5/1からの第3クールで同じくMさん宅へ入らせていただきました。
前任クールさん達の作業のおかげで私達は散乱した瓦礫等の運び出し~畑などのゴミ拾いを主に行いました。
期間途中にMさんの息子さんとそのお友達も入りほぼ運び出しを完了する事が出来ました!
残すは、裏の材木小屋の材木や廃材のみ!
最終日に置き場や仕分け方法の確認をし、半日次のクルーと作業と引継ぎを無事終え帰還いたしました。
私自身、帰ってきてすぐに仕事があった為、ドタバタでじっくり考える時間もありませんが、この先もなんらかの関わりを持ち続けようと考えています。
情報発信よろしくお願いいたします!
返信する
お疲れさまでした (ブログ主)
2011-05-07 08:34:43
第2クール第3クールとMさん宅の作業を継続していただいたとのこと、ありがとうございました。

さて、この場で開示してよいのかわかりませんが、ML(メーリングリスト)を開設しています。
情報交換、第1クールがどのようなことをしているのかご覧いただければと思い公表いたします。

freeml "奈良市ボラバス第一クール”
googleグループ ”奈良市災害支援ボランティアバス 第一クール”

メンバー限定にしていますので、メールでお問い合わせいただけばご招待させていただきますのでお気軽にご連絡ください。
返信する
第三クール員さんへ (Unknown)
2011-05-23 17:10:14
もしまだこのブログを見てられたら、
是非、メッセージ送っていただくか、先にご案内したGoogleグループからでもご一報ください。
Westrollさんもいらっしゃいますし、できれば今後も支援を継続できるよう、情報交換をしたいと思っています。
返信する

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