山根敦・死の真実を求めて。

敦は1996/2中旬、人の命を軽んじてきたパロマと産業寄りの行政と、無知な修理工によってCO中毒になり殺されました。

2024年2月14日

2024-02-18 20:28:35 | 
この日は春のような陽気でした。

1996年2月14日バレンタインデー
敦は幼馴染みのタケシくんに電話をして「飲みに行かない?」と誘ったそうです。
タケシくんはその日アルバイトで忙しくて、敦の誘いに乗れなかったと。
しかし、その時はすでに敦は亡くなっていました。
タケシくんの勘違いではありません。

そして、3月4日にもお世話になっていたNさんも銀行に行く途中で敦を見かけて話しをされたそうです。
もちろん3月4日には敦は亡くなっていました。
彼も勘違いではありません。

不思議なことがありますね。

ですが、敦が亡くなって28年の間に、私自身も不思議ことを幾度も経験しています。
敦の魂の存在を確信しています。
そう思いたいのではなく、根拠のある確信なのです。
敦の父親である山根さんの場合は、もっと早く同じことを感じました。

玄霧院慈音日厚信士






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