カラダを科学する本格的整体ブログ

人間のカラダのおもしろさを、生命科学、スポーツコーチング、認知心理学、動物行動学など、越境しながら学ぶ未来派整体術。

生命の不思議から考える

2009-07-04 13:51:41 | Weblog
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暑くむしむしした日が続きますね。
下の写真は、昨年のおなじ時期、高尾山で撮影したキノコの数々です。
こういった気候の時は、平地でもそうですが、高尾山のような低山帯(標高600m)で菌類のコロニーがよく成長しているはずです。十分な湿り気があって、寒暖の急激な変化が起こるようなときには、コロニーの境界域に子実体(いわゆるキノコ)が出てくるのですが、山歩きをしていると場所場所で異なる菌類のコロニー(ことによると半径数十mにわたる?)のせめぎ会いに出くわすことがあります。よい写真が取れたらまた紹介してみます。



前回に引き続き筋肉の遠心性(エキセントリック)収縮について紹介してみます。といっても、遠心性(エキセントリック)収縮の細々した話にぴんと来ない方も多いと思いますので、まず「なぜこのことをとりあげるのか」、お話の本筋を簡単に整理してみましょう。

一般に筋肉は縮んで仕事をする器官です。どの生理学の本、解剖学の本を読んでもそう書いてあります。太ももの前面にある大腿四頭筋といえば膝関節を伸ばすための筋肉で、力こぶを作る上腕二等筋は腕(肘)を曲げるための筋肉です。これらの筋肉を鍛えるには、負荷をかけて膝を伸ばしたり、肘を曲げたりします。そのことは多くの人が常識的に知っているはずです。

しかし、実際に筋電計を用いて計測してみると、通常の歩く動作では、膝が伸びるときではなく、曲がってゆく瞬間に大腿四頭筋の活動が活発になり、肘を伸ばす瞬間に上腕二等筋の活動が活発になったりします。たとえばカリエの『痛みシリーズ』のような整形外科学の本やスポーツコーチングの本を読めば、走る動作、歩く動作の電気生理学的な解析が、あちこちに紹介されています。

筋の収縮メカニズムは、いまや万人のみとめる普遍的な事実(ミオシン・アクチンの滑走による収縮)ですが、「歩く」と言うごくありきたりな日常経験がまったく矛盾した現実を突きつけているのです。

遠心性(エキセントリック)収縮という特別な用語をあてることで、この矛盾は一応解消されるのですが、そこでまた大きな疑問がわいてきます。わたしたち人間の身体は、本来縮むように出来ている器官(筋肉)を、なぜわざわざ伸ばすような場面で使っているのか、と言う疑問です。

じつは、このような矛盾は、人間にかぎらず陸上で活動するあらゆる生き物に共通する現象です。そこにはとても大きな問題、しかもとても本質的な問題があらわになっているのです。つまり、わたしたちの日常動作や姿勢は、何を目的として調整されているのかという問題です。

あらゆる生命活動は基本的に、より多くの子孫を残す、自己の生命をまっとうするという、生命の基本的な指向性(ドーキンス流にいえば「利己的遺伝子」)によって支えられているのですが、では具体的に、生き物たちがどうやってそのための運動能力を発達させてきたのかというとまだまだ未解決の問題が横たわっているのです。



このような視点に立っていただくと、このコラムが必ずしも筋肉運動という重箱の角をつつきまわしているのではないことがご理解いただけると思います。問題は、「歩く」とか「坐る」といったわたしたちのごく当たり前の日常動作を、生命活動の大きな流れと関わらせながら、しっかり考え直してみようということなのです。

操体法の創始者橋本敬三氏は、姿勢のバランスが重要なことは間違いないけれども「なにを持って正体とするか、その基準はわからない」と述べています。カイロプラクティックでは抗重力線からの傾きを足元から積み上げていって、「補正しようとする歪み(カンパンセーション)」を生理的、「助長しようとする歪み(サブラクセーション)」を病的と区別していますが、何をもって正しいバランスというのかという問いは、これまでも多くの人を悩ませてきました。

基本的に、長い進化の過程で物理的な合理性が追求されてきたことは事実です。歪みのない姿勢や効率のよい動作が、生き物の身体の設計(ボディプランといいます)を支配していることは間違いがありません。でも、たんにそれだけであれば、なぜ生き物の骨格や筋肉がかくも複雑な姿や分布を生み出したかは理解できません。

何億年という生命史のなかで、生き物は生き物らしい歪み方、バランスの取り方を生み出してきたはずです。このことを人間の体のなかで、しっかり見つめてみようというわけです。

じつは、このような視点で運動や姿勢を解析してみるだけでも、まったく新しい身体の処し方や運動の仕方が見えてくるのですから、あながち捨てたものではありません。

このコラムの主眼が、「重箱性」にないことをご理解いただけた(?)と仮定して、遠心性(エキセントリック)収縮が、どのような生命史の不思議をかいまみせてくれるのか、あらためて考えてゆくことにしましょう。

(つづく)

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