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カラダを科学する本格的整体ブログ

人間のカラダのおもしろさを、生命科学、スポーツコーチング、認知心理学、動物行動学など、越境しながら学ぶ未来派整体術。

金本選手の肩の故障

2010-05-15 09:49:43 | Weblog
アニキ肩痛の回復順調、交流戦4番左翼も(日刊スポーツ) - goo ニュース
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【増刷】南一夫『内臓体壁反射による異常観察と調整テクニック/概論』
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阪神タイガースの金本選手が肩の故障でスタメン落ちしてはや一月が過ぎました。連続全イニング出場の記録がかかっていただけに、無理が高じて状態を悪くしてしまったことは否めません。報道された写真によると、肩の前側を押さえて顔を歪めている姿が見られますが、ここには、肩の故障のみならず、関節の障害というものの基本を考える重要な要素が含まれています。今回は、そのことを少し掘り下げてみることにしましょう。

野球のポジションのなかで、肩を痛めやすいポジションといえば圧倒的に投手です。仮にわたしたちが、投手がするように、ピッチャーマウンドから捕手に向けて全力で100球近くボールを投げれば、翌日は間違いなく肩が痛みであがらなくなるでしょう。私も中学校時代は野球部にいて一度肩を壊したことがあります。

たちが悪いのは、こういった肩の痛みが結構尾を引くということです。後年、大学生になって正月やお盆に帰省して弟とキャッチボールをしようなんてことになると肩が痛くてボールが投げられないということがよくありました。要するにただほっておいても治ってくれないのです。これには対処法があって、少しランニングなどをして身体を温めたあとで、近距離のキャッチボールからはじめて、少しずつ肩と作ってゆくと問題なくキャチボールが楽しみめるようになります。肩が痛まないように注意しながら軽いキャッチボールを繰り返していると、やがて痛みはおこらなくなりました。こういった経験則を、より組織的合理的に高めたものが、スポーツ選手のリハビリです。

程度の差はありますが、一般の方々の足関節の捻挫の後遺症や肩関節の故障にも、同様の問題が潜んでいます。この場合、表面に表れてくるのが、かならずしも故障箇所の痛みではないということも忘れないようにしなければなりません。たとえば、膝の違和感であったり、逆側の腰の痛みであったり、腕の重だるさであったり、胸のつかえの背後に、足首や肩関節の古傷が関与していることがあります。潜在的な関節の故障を見逃さないテクニックが必要になります。



考えたおかなければならないのは、どのようにして関節を痛めるのかという基本原則です。「投手が肩を痛める」といったタイプの故障、一般に使いすぎによる故障は、「なぜ」「どうして」が理解しやすく、見逃しにくいのですが、一般の方々の故障は、冒頭で紹介した金本選手の例のように、バッターなのに肩を故障するといったタイプの故障です。「関節の障害というものの基本を考える重要な要素が含まれています」と述べたのはこのことを指しています。故障の箇所や原因が見逃さないために、運動と関節障害の関係性をしっかり押さえておくことが必要なのです。

わたしたちは、しばしば筋肉こそが運動の主体であるという誤った運動観に捉われています。一般に荷物ならば「降ろす」よりは「持ち上げる」方が運動のイメージとしてぴったりきます。登山ならば「登る」方が「下る」よりも運動のイメージとしてぴったりきます。バッターでいえば「ボールに当てる」までが運動で、「当てたあと」はあくまで余韻であって、運動の主体ではないと感じられると思います。

「運動」といえば、自らの意思で発動された運動、筋肉のコントロールで生み出した運動と考えるほうが自然ですし、疲労感・達成感も生まれやすいのです。しかし、運動のもたらす負担を考えるためには、わたしたちの「意志」とか「充実感」とは別個に、運動のもつ力学的な側面を考えなければなりません。金本選手の例で言えば、もっとも大きな衝撃が肩関節にかかるのは、投手のボールをバットで捉えた瞬間です。金本選手のヘッドスピードは155km/hとの報告もあります。

このような正反対のベクトルをもったバットとボールが正面衝突すればどうなるか、当然バットは後方(バックネットの方)に吹き飛ばされるような強い衝撃物に一変します。このバットをひるむことなく振りぬいたときに、初めてバッティングといえるものになります。うまくすればボールは外野のスタンドまで運ばれるかもしれません。当然ですが、このとき、金本選手の肩関節には、後方に吹き飛ばされるようなものすごい衝撃が伝わります。このとき、意志の及ばないところで、肩関節をしっかりと固定するために大きな運動がおこなわれているのです。

それだけではありません。金本選手の特徴としてよく知られているのが、たえずフルスイングする打撃スタイルです。全力でフル抜かれたバットと両腕は、総計でおそらく十数キロの重みがあります。これらは、フォロースイングのところで、肩を引きちぎろうする強い衝撃となります。関節の故障を考える時、真っ先に考えておかねばならいないのは、どこを使っているかではなく、どこで最も強い衝撃を受けているかなのです。

衝撃は、力の方向が変化するところで生じます。正確にいえば、力の変化がどの程度短時間で起こるかによって、衝撃の度合いは決定します。どの程度の重みを持ったものが、どの程度のスピードで移動しているかが、大きな問題となりますこれは、いいかえれば加速度(重さ×スピードの変化)の問題なのです。ひとりひとりの方の生活のなかで、いったいどのような加速度が生じているかを、聞き出して見ることが必要なのです。




さて、衝撃の姿が分かったら、あとは関節の構造についての理解です。一般に、バットでも、ボールでも、衝撃を受けると「穿断力」が生じます。動物の骨格は、基本的に運動のなかで生ずる「穿断力」に打ち勝つように太くなっています(動物のカラダってすごい!)。ただし、もともとある古い形態を変形しながら動きの仕組みを作っているので、それぞれの関節に、長所と短所が共存しています。ここがウィークポイントといわれるような壊れやすい部位があるのです。

たとえば人間の肩は、そもそも身体の側面に下向きにくっついていた四足歩行の形態をそのまま背面に移動したような形態になっています。これは可動性を作り出すには適した変化なのですが、支持力を高めるには弱みになっています。本来、胴体で保護されていたはずの肩の前面は、脱臼しやすく壊れやすいのです。これこそ、金本選手が痛そうに押さえていた肩の故障箇所なのです。

人間は、十分に大型の哺乳類です(アフリカ起源の哺乳類は、総じてサイズが大きいのが特徴です)。おかげで手も足もかなりの重みがあります。何気ない日常のなかに、さりげなく衝撃が生まれ宿命のようなものを持っているのです。

わたしたちがゾウの身体に感じる大きさのようなものを、おそらくネコやイヌは人間に対して直感しているはずです。そういった身体動作の物理的な側面に留意しておけば、使用頻度に関わらず、大きな力がかかっているところが見極めやすいはずです。
(つづく)

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ベッカムのアキレス腱

2010-04-28 10:41:30 | Weblog
ベッカム、9月復帰の予定が11月に(スポーツニッポン) - gooニュース
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ワールドカップ南アフリカ大会がもう間もなくです。残念ながらイングランド代表、デビィット・ベッカム選手がアキレス腱の故障で出場できないと伝えられています。選手の入れ代わりの激しいサッカーですが、レンタル移籍したイタリア・リーグで十分な活躍を見せていたベッカムにとって、欠場は本人にもつらいことでしょう。ファンならずともとても残念です。



さて、アキレス腱というとスポーツ選手の故障の代表的なものですが、今回はわたしたちにも共通するその驚異のパワーにスポットをあててみましょう。

地球上の生き物でカラダの重みの制約から自由なものはいません。でも、もし自分のカラダの重みをエネルギーとして利用する方法があれば、生き物として大きな強味となります。

イルカやクジラ、シャチなど、水棲の哺乳類の尾ビレが魚の尾ビレと異なる動きをすることはご存じでしょうか? 魚の尾ビレが左右に揺らめくのに対し、水棲の哺乳類の尾ビレは縦方向に水面を叩くように動きます。このような尾ビレの動きは、身体の重みを運動エネルギーに変換するうえで、重要な意味を持っているのです。

イルカやクジラ、シャチの泳ぎを見てみると、さかんに身体を水面の上に持ち上げるのがわかります。これはたんなる愛嬌ではなく、身体の重みを推進力として利用するための重要なステップです。身体が落下するときに生ずるエネルギー(浮力)を、縦方向に動く背骨の力で後方に逃し、その反作用で身体を前方へ押し出しているのです。そのため尾ビレは左右に揺らめくのではなく、つねに縦に水面を叩くように動かなければならなのです。

「池のコイだって跳ね上がる」、そうおっしゃる方があるかも知れません。たしかにコイは水上に身体をはね上げます。しかし、この時コイは身体を捻っています。池で水面に跳ね上がるコイの動きを見てみてください。左右に揺らめく尾ビレでは、水面の上に身体を跳ね上げるのは容易ではないのがよくわかります。

イルカやクジラ、シャチに共通する背骨の運動特性は、わたしたち人間をふくむすべての哺乳類に共通です。これはわたしたちの身体が、地球重力に適応してきた大いなる証なのです。

地球上の物質はすべて9.8m/secの重力加速度を受けます。水をつめた150gのペットボトルを落下させるとどのくらいのエネルギーが生ずると思いますか? 素材の違いなどによる衝撃の吸収度で違ってきますが、実際にペットボトルをばね秤のうえに落下させて針の動きを見てみましょう(画像をクリックすると動画になります)。



ご覧になればわかるように、わずか1cm落下させただけで400gくらい、2cmで700gくらい、3cmで900gくらいまで針が跳ね上がります。押したり引っ張ったりするのに比べ、身体の落下によるエルルギーが、いかに大きいかがおわかりなるでしょう。

問題は、落下によって生み出したエネルギーをいかに利用するかです。その鍵を握っているのが身体の構造なのです。

一般的に、運動生理学などの教科書では大腿四頭筋といえば、膝関節を伸ばす筋肉と説明されています。しかし、歩行動作などの筋放電を記録してみると、事実はまったく逆になっています。「膝関節を伸ばす筋肉」とされるこ大腿四頭筋は、膝が曲がる時に強く緊張して、膝が伸びる時にはまったく筋放電が見られないのです。これは、従来の運動生理学が身体運動の本質を見誤っているために生じた出来事なのです。




もし大腿四頭筋が、身体の重みをエネルギーに変換するために働いていると考えるとどうでしょう? 「下肢の筋肉は着地によって生じた衝撃を吸収しながら、衝撃のエネルギーを腱や靱帯の弾性エネルギーとして貯えている」そう考えると、筋電計による実際の計測データと筋肉の作用はすべて矛盾なく一致します。

大腿四頭筋は、膝を伸ばすのではなく、落下の衝撃で曲がろうとする膝を押しとどめ、衝撃をやわらげるように働いているという訳です。このような筋肉の緊張は、これまで運動生理学で記載されていたような求心性収縮(コンセントリック)ではなく、これまで幾度も紹介してきた遠心性収縮(エキセントリック)です。

人体において、落下によるもっとも大きな衝撃をうけとめているのが、ベッカム選手の故障したアキレス腱です。




実際にふくらはぎの筋肉群は、赤みを帯びた筋細胞(繊維)の領域よりも、白みをおびた腱や靱帯の領域(アキレス腱)の方がずっと大きくなっています。従来の運動生理学的な視点では、このようなアキレス腱の解剖学的構造がうまく説明できません。

野口体操をつくりあげた故 野口三千三氏が唱えていたように、わたしたちは「重さに貞(き)く」ことによって身体をコントロールしているのです。ここに、私たちの身体をよりよく導く大きな鍵があることが、次第に分かってきつつあります。身体の重さと身体生理の関係、まだまだ続きます。
(つづく)

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タイガーウッズの驚くべきスイング

2010-04-14 12:25:10 | Weblog
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ティム・ロザフォード『新帝王伝説−タイガーウッズ新たなる挑戦』(小林浩子訳 文芸春秋 2001)によると、タイガーウッズ選手はバーベルで130kgをあげると記されています。スキャンダルによる雲隠れをへて先日出場した全米オープンの映像を見ると、その圧倒的なスイングスピードに度胆を抜かれます。



ゴルフは捻る動作を主体としたスポーツの代表的なものです。どのような身体動作も、三次元空間においては前後方向、左右方向、回旋方向の3つに成分に分解できますが、ゴルフは回旋方向の動作に依存した数少ないスポーツといえるでしょう。ただし、物理的な三次元の区分けはあくまで机上のものであることを忘れてはなりません。人体には、純粋に「回旋(捻る)」方向に走っている筋肉繊維はほとんどないのです(唯一の例外として腹横筋の一部の繊維があります)。

「捻る」動作は、他の方向性をもった筋肉の複合的な運動として生まれます。ゴルフにおける腰の捻れは、下向きの振り下ろしをともなった動きです。左捻れ、右捻れを引き起こす筋肉は、左右同時に使えば前後方向の身体動作を引き起こすように配置されています。これは人体においては、前後方向の動作が突出してパワフルだということを表わしているのです。

たとえばテニスのサーブでは、どんな選手もラケット上から下に振り下ろします。バレーでも早いスピードのサーブを打つためには、手を上からふり下ろします。サッカー選手は相手の囲まれると、時に身体の真横にボールを蹴ったりしますが、そのスピードは、正面に蹴り出すのに比べはるかに弱いものです。

野球の投手には、上手投げ(オーバースロー)・横手なげ(サイドスロー)・下手投げ(アンダースロー)のタイプがありますが、ほとんどの投手は上手投げです。横手なげ・下手投げの投手は、急速では上手投げにはかないません。これらの事例は、前回紹介した身体の重みを利用した身体運動ということに関わりがあります。

ただしPNF=固有受容性神経筋促通法(Proprioceptive Neuromuscular Facilitation)では、捻る動作には小さな力でさまざまな筋活動を活性化する意味があることを指摘しています。捻る動作には、全身の運動機能を高める作用があるのです。これはいったいどういうことでしょう?

一般に哺乳類の身体は屈伸の動作(前後動作)で大きな力を発揮するように作られているのですが、わたしたち霊長類の身体は例外的に捻ることと関わりの深くできています。たとえば手は表返し、裏返しができます。肩は、前後ろにぐるぐる回すことが出来ます。これはイヌやネコの身体にはない側面です。これには大きな理由があるのです。

霊長類は、手足の先端には平爪がついていて、指先でものをつかむのに適したつくりになっています。この「ものをつかむ」機能を利用して、手で木々にぶら下がって移動するブラキエーションと呼ばれる移動手段があります。ジャングルの木々の間を移動する身体動作です。この際、肩や腕、肋骨部にはさまざまな捻れが生じます。霊長類の身体には、ブラキエーションに適したように捻れる機能がたくさん備わっているのです。

忘れてはならないのは、この際も運動のエネルギーは身体の重みによって生み出されているという点です。木の枝にぶら下がると、身体は重みにしたがって下降してゆきます。そして腕を中心に捻れてゆきます。解剖学では、手や肩の付け根のことを上肢帯と呼びますが、この上肢帯を中心に腕から腹部・腰にいたる筋肉群は、捻れながら落下する体重に引き伸ばされながら遠心性に収縮して腱や靱帯部分に弾性エネルギーを蓄えるようにできているのです。 樹上を移動する霊長類の身体は、枝につかまった手の把握部分に引き戻されなら、前方に投げ出されるように移動します。小学校時代に「うんてい」で遊んだ記憶をお持ちの方が多いと思いますが、多くの人が、だれに教えられるともなく身体の重み(反動)を利用して、伝い渡りをしたはずです。

ここに、筋力のパワーによって捻るのではない、体の重みを利用した「捻り」の基本があります。 他の哺乳類の比べ霊長類はどれも手が異様に長いですよね。一般的に、短いセンテンスでパワーを生み出すためには短いばねを用いる方が効率がよく、長いセンテンスでより大きなパワーを生み出すためには長いばねを用いる方が効果的です。霊長類の長い手は、ゆっくりと手を送りながら、体の重みしっかりと腱や靭帯の弾性エネルギーにとして蓄えるのに適した構造だといえるでしょう。

この弾性エネルギーをうまく解放すると、身体は前上方に投げだすように移動させることが出来ます。放りあげられた身体の重みは、さらに前方で木の枝をつかんだ反対側の腕を中心に、ふたたび身体に大きな弾性エネルギーをもたらすことになります。

次の動画は、横浜の動物園ズーラシアでおさめた「ドール」というイヌ科の動物のものです。イヌの身体について、前回すこし紹介しました。ネコに比べるとイヌの身体は硬く感じられるますが、この「硬さ」が身体の重みを受け止めるばねの役割をはたしています。イヌ科の生き物が、長く走るよう運命付けられているおり、そのことが身体を保つ上で不可欠の要素になっていることがなんとなく伝わってくると思います。


<object width="480" height="385"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/3JOCULmV6IA&hl=ja_JP&fs=1&rel=0"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param></object>


身体の「曲げ伸ばし」と「捻ること」の違いなど、日常生活では些細な違い乃ように思えますが、意外なことにここには生物学的な大きな深淵が横たわっているのです。

三次元の空間座標をもとに整理してみると、わたしたち霊長類の身体は、前後方向の運動に適した哺乳類の身体をベースに、回旋方向の運動を吸収できるような独特の進化を遂げて来た動物ということができます。 『純粋に「回旋(捻る)」方向に走っている筋肉繊維はほとんどない』という人体の構造上の特性は、このような生命史的な背景によってもたらされているのです。

一見複雑にみえる身体のつくりは、長い進化の過程を織り込んで形づくられています。時間的な構造(進化の過程)が、身体の空間的な構造(解剖的な配置)を特徴づけているのです。

実際の身体動作とか身体のゆがみの意味をしっかりと理解しようとするなら、それらが生み出されてきた背景をおさえておこくは不可欠です。 そこには、姿勢や姿勢の延長線状に生み出されるさまざまな痛みや自律神経症状を理解する上での大きなヒントがはらまれているのです。
(つづく)

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ロナウジーニョ(ガウーショ)と膝

2010-04-14 08:50:05 | Weblog
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2004、2005年とFIFA(国際サッカー連盟)の世界最優秀選手、さらに2005年には「パロンドール(欧州最優秀選手)」に選出されたロナウジーニョ選手。2008年に膝の故障で半年間戦列を離れ、当時所属していたスペインのバルセロナからイタリアリーグに移籍しますが、その後、出場機会が激減しました。前回紹介した高橋大輔選手が、一昨年、膝の十字靭帯の断裂でシーズンを棒に振ったことはよく知られていますが、そのほかにも、大リーグの松井選手など、膝関節の故障で選手生活の大きな岐路に立たされるトップアスリートが少なくありません。なぜ、膝関節は壊れやすいのでしょう。


前回紹介したように、さまざまな身体動作は、身体が重力に引かれる下向きの力を利用して生み出されます。身体を落下させ、そのエネルギーを腱や靱帯に「伸び」のエネルギー(弾性エネルギー)として蓄えた上で、一気に解放することによって生み出されるのです。

当然ですが、このような力の伝達は基本的に鉛直方向で生まれます。これに対し、サッカーで必要とされる「ボールをトラップする」、「相手の選手をかわす」、「振り向いてボールを蹴る」などの動作は、身体を捻ることが不可欠です。

サッカーにかぎらず、野球における「投げる」、「打つ」、「クッションボールを捕球して返球する」などの動作など、スポーツで必要とされる身体動作の多くには「捻れ」が入ります。フィギュアスケートのジャンプはその際たるものでしょう。

じつは捻る動作には、特有な意味があります。そもそもわたしたちの身体は、屈したり伸ばしたりといった、前後方向の動作で力が発揮できるように出来ています。これは、効率的な重力の活用のために、哺乳類が作り上げてきたボディデザインと深く関わりがあります。

イヌやネコの動きを思い起こして下さい。普通に歩いている時は、手足をちょこちょこ交互に動かしますが、スピードアップする時は、両方の後足でけりだして両方の前足で着地し、そのまま身体を引き寄せて両方の後足でけりだす、といった身体の屈伸動作によってパワー生み出しているのがわかります。



たとえば現存する陸生の爬虫類、ワニやコモドオオトカゲ、ゾウガメなどは手足が身体の側方につき、身体を左右に揺するように使います。これに対し、哺乳類の身体は、ゾウやキリン、リスやシマウマなどを想像していただくと分かるように、手足が身体の下側、つまり体重を素直に受け止めやすい位置についています。

哺乳類は、陸上の脊椎動物としてもっとも繁栄している仲間の一つですが、その大きな特徴は、体重によって生じた下向きの力を、効率良く身体の推進力に変換する能力にあるのです。

このため、身体のあらゆる関節は、屈伸の動作(つまり前曲げ後曲げ)に適した構造になっています。捻ることが、そもそも身体にインプットされていないのです。ここに膝が壊れやすい一つの大きな原因があります。問題は、この先です。

おそらく、身体を屈伸して獲物を追い掛けている生活を続けていたとしたら、わたしたち人類は、身体を捻るような習慣、サッカーや野球、フギュアスケートを嗜む文化を生み出すには至らなかったでしょう。そのことがよかったのか悪かったのか、価値判断は分かれるところですが、すくなくとも身体の動作の特性と身体の構造の特徴、大脳機能の変化が密接に結びついていることは、間違いありません。

次回は、この点を一歩掘り下げてみることにします。

(つづく)

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高橋大輔選手の演技に思う

2010-04-03 17:18:52 | Weblog
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バンクーバー五輪での高橋大輔選手の演技は、テーマ曲フェリーニの映画『道』を彷佛とさせるスケールの大きなものでした。高橋選手の演技が他の選手とくらべ表現として完成されていると感じたのは、身体のもつ躍動感、一体感の高さです。

フィギュアスケートでは、しばしば手を高くかざしたり、足を振り上げる動作があります。しかし、わたしは、トップ選手の動きのなかにさえ、しばしばたんに手足をばたつかせているような、必然性のなさを感じます。あたかも操り人形を見ているような奇妙な気持ちにおそわれます。なぜでしょう?

運動という面から見るとそこに一つの理由があるように思われます。そもそも陸上の生き物、とくに哺乳類の運動は、身体の重みをうまくエネルギーとして活用することに特徴があります。たとえば野球では、「投げる」・「打つ」など、手を中心として動作のなかでも、「踏み込み」とか軸足など、下肢の使い方が重要視されます。これは、身体の重みの利用こそが、高い身体パフォーマンスに不可欠だからなのです。



人間の身体は、骨盤からちょうど肩甲骨の下当たりの領域は背骨がそっています(代償性彎曲といいます)。この弓状の彎曲は背筋の強い引っぱりによって上体を引き起こすテコになっています。これこそが人類の直立二足歩行を支える力学的な基礎なのですが、大切なことは、この脊柱の引っぱりは、下肢の踏み込みによってしっかり大地に固定されてはじめて意味を持つということです。

以前、このブログのなかで、重いものを持ち上げる時、「腕で引っ張ろう」と意識するのと、「足で地面を踏もう」とするのでは、身体の使い方が違ったものになるとお伝えしました。足で地面を踏み込むことによって、実際にどのようなことが身体に起こるのかを詳しく見てみることにしましょう。

足を踏み込むと身体の重みによって、足首や膝、股関節が曲がってきます。この時、足首を伸ばす筋肉や膝を伸ばす筋肉には、身体の重み(勢い)によって引き伸ばされます。そして、引き伸ばしに抵抗するような収縮(遠心性収縮)が起こります。引き伸ばされると抵抗しようとする筋肉の働きを「伸長反射」といいます。

伸長反射によって筋肉に遠心性収縮が起こるとどうなるでしょう? じつは筋細胞は、弾性繊維の網の目のなかに埋め込まれるように分布しています。筋肉が収縮するについて、この弾性繊維にかかる張力はどんどん増大します。ゴムが目一杯引き伸ばされた状態と思っていただくとよいでしょう。

筋肉をおおう弾性繊維は、末端で連結して上位の筋肉へ次々と伝播してゆきます。足首や膝関節で受けとめた身体の重みが、股関節や腹部、胸郭や肩甲骨にまで伝播して、全身を弾性エネルギーの塊のような状態にします。野球のフォームで踏み込みや軸足が重要視されるのは、このようなわけなのです。

野球の打者や投手のフォーム、サッカー選手のボールを蹴るポーズは、全身に貯えられた弾性エネルギーを、いかに間違いなくボールに伝えるかを研究し実践によって鍛え上げた動作なのです。このような弾性エネルギーの流れを見た時に、わたしたちは、選手の動作のなかに、躍動感や力強さを感ずることができるのです。


金本智憲選手(広島→阪神)。あと一本で長島茂雄とならぶ通産444本塁打に迫る。球界屈指のパワートーレーニングで有名な金本選手の筋力は下肢の踏み込みよって貯えられる弾性エネルギーを一気に解放するときに爆発する。

『道』のテーマ曲にのせた高橋選手の演技がすばらしいのは、この大地への踏み込みのエネルギーが、手足の一挙手一投足へ見事に昇華されているからです。フェリーニは、神の愛が信ぜざるものにも及ぶという言葉を胸に、この映画を作ったとされます。

高橋選手の動きを見ていると、貧しさのなかで愛をうしなって精神を病んでゆくジェルソミーナ、その死を知って慟哭するザンパノの深い悲しみ、そこに注がれたフェリーニの深い人間愛があたかも蘇ってくるように思われます。それは、生き生きしたした身体動作こそ、人間の「精神」の輝きに他ならないからなのです。

ここで紹介した「身体の重さ」を活用した巧みな身体運動は、なにもアスリートだけの特別なテクニックではありません。陸上の哺乳動物すべてに備わった基本的な生活の知恵であり、長い進化をへて生命が獲得した地球重力に対する適応の一つの姿です。

前回、統合医療(混合診療)という新しい動きに対する取り組みについてお伝えしましたが、現代の医療は、体内の物質代謝の化学的な性質に対する分析にすぐれている反面、「重さ」とか「形」といった比較的素朴な物理量が身体に及ぼす作用についての取り組みははなはだ貧弱です。

統合医療に向けた取り組みのなかで、整体の技術が、このような未解明な分野に対するアプローチとしてどのような意味を持っているかを、次回から少し詳しく論じてみたいと思います。
(つづく)

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統合医療という考え方

2010-03-03 10:58:07 | Weblog
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お久しぶりです。年明け以来、すっかりご無沙汰してしまいました。

20年近く前になりますが、『人はなぜ治るのか-現代医学と代替医学にみる治癒と健康のメカニズム』(上野圭一訳 日本教文社 1993)という本がでました。現代医療と一線を画する、オメオパシーやアーユルベーダーなどの代替医療について、アメリカのお医者さんが紹介した本です。

世の中にはさまざまな代替医療がありますが、著者のアンドルーワイル氏は、現代医学に不得意な分野があることを認めた上で、代替医療を礼賛するとかこけ下ろすとかではなく、冷静な目で現代医療の不足を補うものがないかどうか考えてみようという提案の書です。当時、ちょっとしたブームになりました。

この本が、幅広く読まれた背景には、多くの人の医療や健康に対する眼差しが変化してきたことと関わりがあります。著者は、医学博士であり、アメリカでホメオパシーなどを組み合わせた統合医療について幅広く指導をおこなっています。日本にも統合医療を学んだ医師が少なからずいるはずです。



一方、元アナウンサーの絵門ゆう子さんは、『がんと一緒にゆっくりと』(2005新潮社)のなかで自身のがん体験を紹介しています。同じくがんでお母さんを失った時の経験から、深く現代医学への不信感を抱くようになった絵門さんは、民間療法を渡り歩き、結果的に癌が悪化させてしまった経緯を詳しく語っています。

 あやふやな世界に向かわないではいられないくらい、がんとうのは百人百葉の一言では語れない病気である…だから私は、「民間療法は怪しい、絶対ダメ」といわれることを本意とはしない。…アメリカでは、半数以上のがん患者がなんらかの通常療法以外のものをとりいれているという調査結果もある。民間療法は、もっと存在していいし、知られていい。(文庫版p.174)

そのうえで、絵門さんは、効果の有る無しという点以上に、自分の関わった複数の民間療法家たちの言い逃れ、最後まで面倒をみずに患者を放り出そうとする態度についての問題点を指摘しています。

 そこに関わる方たちには、人が生きるか死ぬかを左右するところで仕事をしているという責任感と使命感を、最後まで持ってもらいたい。そして、わたしたち患者も、『先生』を絶対視して信者のようになることだけは避けなくてはならない。(同p.174)

昨年度、政権の交代がありまして、2010.1.29の所信表明演説で鳩山首相は『いのちを守る医療と年金の再生』というテーマで、「健康寿命を伸ばすとの観点から、統合医療の積極的な推進について検討を進めます」と表明しました。統合医療というのは、現代医療と在野の民間療法を組み合わせた医療です。

これは、アンドルーワイル氏や絵門ゆう子さんの指摘されてきたこと、そしてわたしたち身体均整師にとってもとおおいに関わりのある出来事です。

従来は、統合医療はすべて自由診療(つまり自費)でまかなわれていました。 民間療法を取り込んだ医療というのはあり得なかったのです。これを、医療機関提供分を、保健適応にしようというのが鳩山政権の提案です。実際に制度改正がおこなわれたら、さまざまな治験例やデータの収集が進むことになるでしょう。

金沢大大学院の鈴木信孝特任教授(補完・代替医療学)のコメントとして、J-CASTニュースは以下のように伝えています。

「伝統医学や民間療法について、これまで十分な規制などがなかったので、何が本当なのか分からなかった患者が多いと思います。統合医療では、科学的根拠があるものといかがわしいものを差別化することで、その心配をなくすことができます。医療機関が安全性などを確かめれば、健康被害を与えるものや宣伝だけのものが白日の下に晒され、淘汰されていくことが期待できます」

現在、わたしは一般社団法人身体均整師会の学術部長をしています。その関係で近々に厚生労働省の関係窓口に提出するために、会としてのエビデンス(科学的証明)に関わる資料をまとめる役回りになっています。言い訳になりますが、そんな訳でなかなかブログに書き込む余裕がもてませんでした。

いずれにしても、民間療法を活用していただくのは世間一般の皆さんです。わたしたちは、より安心・的確に活用していただけるよう理論やデータを詳らかにしてゆくことが必要だと思っています。これから、そういった作業が加速してゆくと思います。

これまでご紹介してきたことは、いずれも同じ線上にあることなのですが、今後も刻々と情報を提供してゆきたいと思っています。

(つづく)

やすらぎ創健堂に戻る。

あけましておめでとうございます。

2010-01-02 08:29:02 | Weblog
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【増刷】南一夫『内臓体壁反射による異常観察と調整テクニック/概論』
(韓国語版出版の話が進行中)
http://www.kinsei.ne.jp/tosho_info.html

あけましておめでとうございます。
昨年度は、多くの方にやすらぎ創健堂をご利用いただきましてまことにありがとうございました。2010年がみなさまにとってよい年でありますよう心よりお祈り申し上げます。今年も、新年1月5日(火)からの営業となります。今年も、みなさまのお役に立てますようしっかりと精進してまいりたいと思っています。

さて、わたくしが姿勢保健均整専門学校を出た1990年から数えて、今年はちょうど20年目になります。思い返すと、長いようでもあり、あっという間のようでもありました。そんななか、近年、とくにこの職業の奥深さを感ずることが多くなりました。

現代は物質的にとても豊かな時代です。その反面、「生きる」ということの基本が見失われつつある時代でもあります。手技療法はけっして万能の妙薬ではありませんが、すくなくとも実際に手で身体にふれ、日々の変化を感じ、どこかで「生きる」ということに深く関わる職業です。幸いなことに、わたくし自身は手技療法にいま新たな可能性を感じています。

とくに、こころと身体、身体と運動能力、運動能力と内臓の働きなど、心身の一体性に目を向けながら、よりよい生き方、あるべき生活の方向など、微力ながら有意義な提案ができればよいと思っています。


細胞から形作られたわたしたちの身体は、基本的に単細胞のゾウリムシと同じ機能の積み重ね(高度化)のうえに成り立っています。「見る」「聞く」「感じる」「動く」「排泄する」などの機能は、連綿として生命の連なりのなかで、次第に分化し独立ました。この一年、このような生命の連続性のなかで、身体機能をあらためて問い直してゆきたいと考えています。

昨年度は、いわゆるスポーツ科学のなかで近年進みつつある変化について、筋肉のエキセントリック収縮の話題をつうじてご紹介しました。振り返ってみますと、スポーツの分野では、これまで鍛錬の効率、その対象となる「筋肉」が研究の主体でした。しかし、野生動物は体力維持のために筋トレをしたりしません。なぜ人間だけ筋トレをしなければ健康を保てないのか、ここには大きな飛躍があったのです。

このようなことから、トレーニングによって簡単に上昇したり低下してしまう能力と、立つ・歩くなどのようにトレーニングに関わらす維持できる能力の間には根本的な違いがあるのでないか、そう考える方ようになりました。

じつは、このことを考えるためのヒントが、今日、おびただしく提出されています。たとえばDrexelらは、スキー場のゲレンデを利用した実験で、登り運動をしたときと、下り運動をしたときでは、下り坂運動の方が血糖上昇を抑える作用が強かったとアメリカ心臓病学会で報告しています(2005)。

一般に医学的な見地にたつ人は、たんに負荷が大きいとか、消費する熱量が大きいといった説明で納得してしまう傾向があるようですが、これはまさしく「筋トレ=身体運動」という古典的な図式にとらわれた誤りです。たとえば、カンガルーなどの研究では、一定以上のスピードで腱の弾性エネルギーを活用すると、エネルギー消費が下がるという研究データも出されています。大切なことは、筋肉のエキセントリック(遠心性)収縮が通常の筋トレ的なコンセントリック(求心性)収縮にくらべ、全身的な連動を引き出す理にかなった身体運動だという点なのです。

別の言い方をすれば、腱や靱帯の弾性エネルギーを活性するような運動は、長い進化の過程で築き上げられたプログラムされた動きなのです。このように身体を使えば、全身的な自律神経機能などにも大きな活力をもたらすことができるということがさまざまな分野で明らかにされつつあります。



人間の身体は、とても複雑です。さらに、そこに注がれている人の感受性は非常に鋭敏です。その一方、時代の趨勢で、近視眼的な物質科学の原理を機械的に当てはめた健康情報が氾濫するやむえない社会的な状況があります。できるだけ生命活動の基本に立ち返って、地に着いた生き方を提案してゆきたいと思っています。次回、目と身体のサイズの問題の続きをお話します。
(つづく)

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内臓の感覚02

2009-12-18 08:39:04 | Weblog
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【増刷】南一夫『内臓体壁反射による異常観察と調整テクニック/概論』
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目は何のためにあるのか問われれば、誰もが「光を捉えるため」と答えるでしょう。トンボの目も、カタツムリの目も、クモやヒヨドリやアオダイショウの目も、すべて光を捉える役割をもっています。光を捉えことが、「目」のもっとも基本的な属性であることに間違いはありません。しかし、人間の「目」について考えようとするなら、この定義ははなはだ不十分です。そこには、人間という「種」固有の特性についての説明が欠けているからです。

人間の「種」固有の特性とはなんでしょう? 近年、生命科学分野の進歩には著しいものがあり、人間という「種」の特性についてもずいぶん詳しくわかるようになってきました。しかし、問題にされているのは、もっぱら分子レベルの小さな世界です。「物理科学で生命現象のなぞを解く」みたいな研究がもっぱらなのです。

しかし、遺伝子などの解析結果は、生命現象のもっとダイナミックな側面についても多くのことを教えてくれています。そんな目で人間を見つめ直してみると、既成の科学では扱い切れない重要なテーマがたくさん見つかります。世間の目はほとんど注がれていないのですが、このブログではこのことを積極的に紹介していきたいと思っています。


人間の目では、光の刺激を伝える「視神経」とともに、眼球運動をコントロールする「動眼神経」が広く分布しているのがわかります。ここに、人間特有の目の個性が発揮されているのです。

そもそも「種」とはなんでしょう? 生物は、すべて遺伝的に強く結びついたまとまりを作って生きています。おなじグループの生き物は同じ生活パターンを持ち、遺伝子を交換しながら子孫を残します。「種」とはこのようなものです。「目(め)」は、種によって機能も構成する成分も異なっているのです。

注目していただきたいのは「種」の生活スタイルです。すべての器官は「種」の生活スタイルと密接に結びついています。たとえば、春先になると軒先きでつばめが子育てをします。夕方になると盛んに飛び回って昆虫を口一杯にほお張っていますが、もしわたしたち人間の「目」であれをやれといわれれば、おそらくものの一分のしなううちに、ほかのつばめに激突しおお怪我をするでしょう。ぶつからなくとも目を回すことは間違いありません。もちろん、飛んでいる昆虫を口でキャッチするなんてことは不可能です。

「つばめだから」などと思わないで下さい。ハエの目も情報の処理速度は人間よりはるかに早いのです。あの小さな身体でくるくる飛び回る姿を、わがこととして想像してみて下さい。人間がやればどんなに運動神経のいい人でも間違いなく目を回してひっくり返ります。ハエの場合、動態視力は人間の10倍もあるといわれています。そのかわり、解像度は1000画素程度です。単純には比較できませんが、1000画素のデジカメでとった写真では、わたしたちに人間にとっては、人の顔も旅の思い出もあったものではありません。


赤道周辺の低緯度地帯のジャングル棲むマレーグマ、亜寒帯の針葉樹林に棲むヒグマ、北極圏に棲むホッキョクグマの上顎の骨格の違い。食生活の違いは、骨格構造や筋肉の発達にいたるまで、明瞭な変化を引き起こすことがわかります。


人間の「目」について知るためには、人間の生活スタイルを知らなければなりません。ここで問題としているのは、朝シャンをしたり、電車にゆられたり、お酒を嗜むといった生活スタイルではありません。わたしたちの身体の構造が、どのような「生活スタイル」のなかで作り上げられてきたかということです。わかりやすいうと、「何でこんな身体なの?」ということです。

そのことに気付くことができれば、わたしたちは、目の症状やさまざまな不調にアプローチする幅広い糸口を見つけることが出来ます。とくに大切なのは、生き物の身体のサイズと、運動能力と、エネルギー消費は、相互にふかく結びついているということです。その基礎にあるのが、いうまでもなく生活スタイルなのです。このことをキーワードに次回は、目と人間の全体像の関係についてより詳しく入り込んでみたいと思います。
(つづく)

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知られざる瀬戸内海の貴重な自然

2009-12-13 12:55:46 | Weblog
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さる5・6日、身体均整師養成講座の講議で大阪に出かけ、その足で山口の実家にトンボ返りしてきました。山口県というとあまり縁のない方も多いと思いますが、この澄んだ海はかの有名な民俗学者故 宮本常一氏の生まれ故郷、大島に程近く、西の下関(下関といえば松田勇作の出身地)とならんで古来、「上関(かみのせき)」と呼ばれてきた熊毛郡上関町田野浦の海岸です。

対岸に祝島(いわいしま)という「神舞」で有名な漁業の島が見えます。じつは最近、ここにはナメクジウオという脊索動物(脊椎動物の遠い祖先)が棲息していることが発見されました。ほかにもカクメイ科に属する貝の固有種が多数発見されているのです。山陽沿線から隔絶され、周囲の山に囲まれた環境がこのような豊かな自然を生んだのだと思います。周囲を岩肌にかこまれ、海底から新鮮な伏流水脈が沸き出しているそうです。豊かな海草群が広がっているらしい。

小津安次郎監督の『東京物語』(尾道)や木下恵介監督の『二十四の瞳』(小豆島)、近年では宮崎駿監督の『ふしぎのぽにょ』(鞆の浦)など、瀬戸内にはおだやかな美しい海のイメージがありますが、わたしが子供だった昭和40年代はまったく逆でした。



夏の暑い日など頻繁に「赤潮」が発生し、多くの魚が打ち上げられていました。生活廃水や工業廃水による富有なミネラルや有機物に夏の太陽光線のエネルギーがくわわってプランクトンが大量発生し、大規模な無酸素海域が発生してしまうのです。同じ頃、この府中周辺でも光化学スモッグで朝礼の小学生がばたばたと倒れる様子が報道されました。まさしく公害の時代だったのです。

小学校二年生の時、岩国という町から柱島という沖合いの島にキャンプにいったことがあります。出航して一時間、いけどもいけども真っ黒な海の色のことをいまも忘れません。白い航跡が真っ黒な海面に浮ぶどこまでも消えることなく続いているさまは、まるで死の海といった感じでした。「コカ○—ラだ」と思ったものです。

岩国・大竹とつづく山口・広島県境の街は、化学工場が軒をつらね、たえずメタンガスのような臭いが充満していました。汽車で通り過ぎる時などだれもが窓を閉ざし鼻を覆ったものです。

田野浦近海も例外ではありません。大規模な化学工場がある徳山湾は第三水俣病の発生が取りざたされましたし、その隣の新南陽市は四エチル鉛(いわゆる有鉛ガソリンの原料)の製造で、対岸の島が丸裸になったくらいです。

そういった一時の瀬戸内海の記憶がなまなましく残っていると、この田野浦でのナメクジウオの棲息には、たんに「めずらしい」という以上に、よくぞ生き続けてくれたという感嘆のようなものがあります。移動能力の低い底棲性の生き物(ベントスと呼ばれます)の場合、一度環境が破壊されると、逃げ出すことができないために、ほとんど死滅してしまうからです。

じつは、ここに埋め立ての計画があるのです。この環境保護の時代に、ちょっと信じられないという感じです。まさしくこの地が上関原子力発電所の炉心予定地になっているというのです。原発の賛否はひとそれぞれの考えがあると思いますが、「よりによってこんなところを!」という疑念を禁じえません。ナメクジウオの棲息は、おそらくこの田野浦が何百万年にわたって、きれいに保たれてきたことの証なのですから。このことが、全国的にはまったくとりあげられないのが不思議でなりません。

今回は、すこし脱線しました。次回から、目の能力をつかって、内臓の感覚について、踏み込んだ内容を紹介してみます。乞うご期待です。
(つづく)

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内臓の感覚01

2009-12-03 08:53:25 | Weblog
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内臓から発せられる感覚は多様です。それらは概して漠然としており、「AならばB」といったように明解にとらえにくいものです。その一方、漢方のツボのように、「ここに反応であればこの臓器」というように、とても単純化された捉え方もあります。ある意味では「わかりやすすすぎる」見解といってもよいでしょう。大切なことは、この「わかりにくさ」と「わかりやすさ」の中間地帯をもうすこし明瞭にすることです。知恵をつかって、すこしその隙間を押し広げてみたいと思います。

たとえば目は本来、光を受け止める多くのセンサーを持った器官です。水晶体というレンズがあり、その奥に房水という体液に満たされた硝子体という球体があります。その奥に視神経のセンサーがしきつめられた網膜にあります。この網膜に光が達すると、神経細胞が興奮して脳に光の刺激が届けられるのです。しかし、わたしたちの「見る」という実感は、たんにこの光学的な仕組みによってなりたっているのではないのです。

身体の各所には特定の目的のために特殊化し細胞がたくさんありますが、水晶体はその代表的なものです。水晶体は、そもそも熱変性タンパク質で満たされた強大な細胞です。内部にクリスタリンと呼ばれる酵素をつくり、細胞内いっぱいに満たしたうえで「アポトーシス」というプログラムを発動して消滅してしまいます。外部の光は、水晶体をとおして網膜に届くことが出来ますが、これだけではぼんやりとした光の束が散乱しているに過ぎません。水晶体は、外部にある筋肉で引っ張られ形を変えることによって、はじめて網膜状に「像」として外部の世界を写し出すことができるのです。



水晶体は生きた素材をもとに作られるわけですから、カメラのレンズのように性質が安定していいません。紫外線などの影響でタンパク質が過度に濁ってくると視界がさまたげられます。これが白内障です。白内障になると当然視界がはっきりしなくなるのですが、そうなると目が疲れたり、頭痛や肩こりが発生してきます。

周囲を流れる房水という液体の流れも重要です。房水はたえず新陳代謝され役割を終えるとシュレム管という孔を通じて外部へ排出されます。この排出がうまくいかなくなると、房水の圧力(眼圧)が高くなります。そうなると水晶体は毛様体筋に引っぱれてもうまく変型できなくなってきます。焦点が合いにくくなるのです。

じつは、視覚の能力は、長い進化の過程をへて、わたしたちの身体のサイズや運動の特性とうまく一致するよう現在の姿を獲得してきました。つまり直径3cmほどの眼球を巧みにコントロールして、一瞬のうちに立体的な視野を構成する能力が、わたしたちの運動能力の基礎であり、わたしたちの動作や感覚を無意識に支えてくれているのです。このようなことから、わたしたちの目は、なんらかの事情でうまく輪郭線が抽出できなくなると、一生懸命努力して疲れはてるまで輪郭線の抽出に突き進んでしまう宿命を負っているのです。

このような特性は、意図的に少し困難な状況で「ものを見る」と強く実感することができます。下にかかげる実験は、あくまでわたくし自身が試験的におこなったものです。軽い頭痛や吐き気のような感じを引き起こすので、実際にはおこなわないでください。

【実験01】目の前にコップをおいて、黒い紙のうえに赤もボールペンで丹念にスケッチをします。少し薄暗い部屋のなかでおこなうと、黒い地のうえに赤い線ですからきわめて輪郭線が捉えにくくなります。10分もしないうちに目が疲れ、前頭部に痛みを憶えます。

【実験02】安全な歩道の上で、視野のギリギリ一杯のところ(たとえば顔を正面にむけ、目だけ思いっきり右側を見たような状態)で、通り過ぎる車のナンバーを読みとろうとします。わたしの場合、即座にめまいを起こします。

このように実験を通じて、目の無意識の運動がめまいや頭痛のえもいわれぬ「感覚」の引き金となることを実感することが出来ます。調べてゆくと、このような症状は、目の疲労度や上部の頚椎の運動制限などによって、いっそう強く引き起こされることがわかります。

たとえば【実験02】の場合、右向きでおこなうか左向きでおこなうかで、めまいの「起こりやすさ」に大きな差があります。ちなみに、わたしは視力2.0でどちらかというと遠視の傾向です。目そのものは疲れやすいわけではありません。

この場合、引き金を引いているのは、厳しい状況下で引き起こされる眼球運動筋の緊張なのです。こういったアプローチは、手技による身体調整の技術を合理的に高めてゆく上で、とても有効な方法です。

(つづく)

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