カラダを科学する本格的整体ブログ

人間のカラダのおもしろさを、生命科学、スポーツコーチング、認知心理学、動物行動学など、越境しながら学ぶ未来派整体術。

寒さ対策は?

2009-11-21 18:08:13 | Weblog
身体均整師養成講座、受講生募集中
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【増刷】南一夫『内臓体壁反射による異常観察と調整テクニック/概論』
(韓国語版出版の話が進行中)
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ずいぶんと寒くなりました。胃が張って頚の自律神経経路(迷走神経)に痛みを訴える人が増えて来ました。それから腰痛の方も増えていますね。

寝返りもうたずにしっかり布団の下にくるまっていると、意外にも腰を過伸展状態にしてしまうことが多いものです。横になったり寝返りをうって、腰の姿勢をかえるように意識しましょう。

胃が張るのは、身体が「冷え」を感じてストレス反応を引き起こしているのです。骨盤の上からホカロンなどをはって脳脊髄液を温めましょう。寒冷ストレスは、脳幹の体温調節中枢に温もりを届けると修まります。

さて、今回はこの秋のいろいろの出来事を報告してみます。
十月の半ばには、春に紹介した田んぼの稲刈りの手伝いきました。場所は、埼玉県の高麗川。川越の少し北当たりの八高線(八王子〜高崎)沿いです。
田植えの時は苗が足りないとかで、か細い苗を1本ずつにわけて植えたのですが、それぞれが数十本に分けつして太い稲穂に成長していました。今年は天候不順でしたが、出来の方は上々で、すでに新米をいただいています。うちは基本は、「玄米食」です。


高麗川の田んぼ。30人くらいで、楽しく作業しています。ご飯時には、少しビール入り。毎年、田植え、稲刈りの手伝い(?)に通うようになって五年がたちます。


さて、10月からは月一回、土日をつかって大阪に身体均整法の講議にいっています。
会場は、環状線で天王寺の一つ手前の駅の寺田町です。駅をおりてほどなく歩くと「本通り商店街」といって間口二間ほどの商店がはてしなく軒を列ねています。道を訪ねると信号をやり過ごして、どこやろかここやろかと、親切に教えて下さって、その下町情緒に感激しました。

寺田町「ほんど-り」の入り口。小さいけど活気のあるお店が果てしなく続いています。

講議に出かける時は、大きな解剖学書(j.w.Rohenら『解剖学カラーアトラス』医学書院1999)を持参するのですが、大阪の教室で腱や靱帯があらわになった解剖写真を見ていると、ある生徒さんがふともらしました。
「いや〜、松嶋奈々子もひと皮向けばこれですわぁ」
こういった雰囲気はなかなか東京の教室では味わえない大阪の味ですね。楽しくなります。

苗立てしたのはうちのベランダです。玉のような実をつけているのは綿花です。

つい三日ほどまえ。11月中に畑に移植する絹さやとスナックエンドウなどの苗を、植えつけ用に1つ1つ小さなポットに移し替えました。住んでいる町で小さな市民農園を借りているのですが、いまはブロッコリーとダイコン、ルッコラ、春菊、レタス、にんにくなどを作っています(主役はうちの奥さんの方で、わたしは時折の助っ人ですが…)。収穫は春から初夏にかけてですが、寒い時期に苗を寒冷な気候に当てることが大切なようです。

寒さにあてないとダメな花とか果物っていろいろありますね。たとえばホウレン草は寒冷は中央アジア原産の野菜ですが、霜があたるような寒い環境に置くと甘味がまします(「寒締(かんじめ)」というそうです)。寒くなればなるほど、ホウレン草は体内で糖分を作り出し、不凍液のような成分で体内を満たそうとするのです。これが甘味のもとになるという訳です。


寒さにめげず、せっせと育っている我が家のブロッコリー。

生き物というのは、とにかくすばらしいですね。稲しかり、エンドウ豆しかり、そんな上手に植え付けなくても、自分でせっせと育って来ます。最初にすくすく伸びたのがかならずじもよいともいえず、もうだめかと思ったものがあとになってぐんぐん元気になってみたり。あまり、くよくよ考えず、せっせと愛情をかけてゆくのがよいみたいです。

(つづく)

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賢明な方法

2009-11-16 08:02:36 | Weblog
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わたしたちは、胃がもたれるときの感覚とか、お通じのないときのお腹の不快感など、お腹から生じてくる感覚をある程度識別することができます。ただ、このような感覚は、「のどが渇く」とか、「トイレに行きたい」とうのに比べるとかなり「あいまい」です。この「あいまいさ」こそ、賢明な議論を進めてゆくために、わたしたちが真っ先に取り組むべき問題なのです。

身体感覚のもとには、かならず神経の興奮があります。ある時は直接に、またある時は筋肉のコリや引きつれを介して、神経から脳に異変が伝えられているのです。じつはそこには一定の枠組みがあります。たとえば、背中や腰の不快感は比較的部位を特定しやすいのに対し、腹部の不快感は茫漠として整理がつきにくいし、どんな症状も程度が強くなってくると次第に単純化し明瞭になってきます。

たとえば「のどが渇く」「トイレに行きたい」といった感覚は、腰が痛くても、仕事が忙しくても、すべてを押しのけて意識にのぼってきます。あるいは頭部周辺に生ずるめまい・頭痛・目の疲れ・歯痛・顎痛などは、症状が強くなるとだいたいどれか一つに単純化してきます。基本的に、複数の症状が複数の個所で同時に生ずることはないのです。


ある種の頭痛では、真っ黒な黒丸の外側にきらきら光る太陽のコロナのような光が射した「鮮輝暗点」と呼ばれる球体が脳裏に浮かびます。この「鮮輝暗点」は、インシュリン注射をしている方が低血糖を起こしたときや、めまいを起こしやすい方の症状の予兆として生じてくることもあります。おそらく、ある種の脳神経(おそらく三叉神経)の緊張が高まって、脳の活動が大きな制約を受ける起点(サイン)の意味を持っているのだと思われます。

痛い・重い・つらいなどといった「症状」は、すでに十分明瞭で、疑う余地がありません。いわば人生(生命活動)の表舞台に立った一流の役者といってもよいでしょう。身体がはっきりと自己主張しているのです。問題は、役者はいるのにさっぱりシナリオが分からないないことです。ストーリーが分からないとすれば、見知らぬ人々が勝手に踊り飛び回っているのと変わりありません。しかも、シナリオを書いたのが当の自分自身であるということが、この芝居をさらに難しくしています。

そもそもわたしたちは、「視覚」情報にくらべ「嗅覚」情報の扱いが苦手です。「視覚」情報は、頭のなかで思い起こしたり記号化したり、ある種のシンボルとして扱うことができます。これに対し、「匂い」はそうはいきません。たとえば「りんごの匂い」+「ワカメの匂い」-「酸の匂い」などといった数式を頭のなかで組み立てることは、よほどの料理の達人でなければ不可能です。つまり「匂い」は、いつも突然にそこに「現れてくる」対象なのです。

「内臓の働き」は、この「匂い」に似ています。ただ「匂い」にくらべて不利なのは、「目」をあてにすることが出来ないことです。たとえば異臭を感じた時に、「え、これなに?」と目で原因を確かめない人はいないはずです。ほとんどの「匂い」は、「りんご」とか、「キンモクセイ」とか、目で見て理解できるラベルがはってあるはずです。

これに対し、内臓から発せられる(と思われる)感覚は、目で見て理解できるラベルを貼るのが不可能です。いわば原因不明の異臭が立ち込めている状態といってもよいでしょう。とりあえず逃げ出したいとこですが、シナリオを書いたのは自分自身で、芝居の舞台は自分の身体のなかにあります。逃げることも立ち去ることも出来ません。さあ、どうしましょう?

一つだけいえるのは、身体感覚をたずねようとするならば、まずこの「お手上げ状態」をはっきり意識してかかるべきだということです。わたしたちの周りには、もっともらしい「回答」や「解説」が満ちあふれています。人間は、ときとしてよく分からないからこそ手を振り回して騒ぎたてるという側面を持っています。

これは、わたしたち人類の脳が、「群れ」の生活を背景として、「ことば」や他者の表情の理解など、社会を捉えようとする指向性にそって発達してきたことと関わりがあります。もし、原因不明の異臭が立ち込めているとすれば、それが解決ヘの道なのかに、パニックヘの道なのか、よく見極めてかかるのか、賢明な方法というものです。
(つづく)

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意識と内臓

2009-11-07 07:20:33 | Weblog
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内臓の感覚は漠然としていてとらえどころがありません。ときには世事に紛れてしまうかと思えば、ときには耐えがたい不快感を引き起こしたり、まるで天気の移り変わりのようにとらえどころがありません。概して内臓の働きを意識するのは、体調の悪いときです。そこには、わたしたちの身体をめぐる生命史的な必然が働いているように思えます。

「社会的脳」という言葉があります。霊長類の脳を比較すると、大脳新皮質の大きさと「群れの大きさ」が比例するというのです。たとえば人間の赤ちゃんは、人の顔の識別や人の挙動に対する学習に、驚くべき能力を発揮します。こういった学習は、生後まもない時期にはじまり、その後の一貫してつづけられます。そして、ゆくゆく社会とのかかわり(つまりは「生きる道」)を円滑にする重要な能力を授けてくれているのです。


神経系、消化管、循環器、呼吸器、泌尿器、生殖器、骨や筋肉などの運動器など、基本的な器官はあらゆる動物の身体に共通です。ただし、あるタイプの生き物は特別な呼吸器を介することなく直接体細胞に酸素を送り込むことができたり、心臓の筋肉がわたしたちと違って平滑筋でできていたり、骨格が筋肉の外側を覆っていたりと、その「性能(?)」には大きな差があります。

たとえばへびは、下顎にピット器官という熱(赤外線)を感知する特別な「目」を持っています。草むらや木の葉の間を這って進むへびにとって、可視光線をとらえる「目」はかならずしも役に立ちません。

じつはわたしたちの立体的な視覚世界も、たんに網膜や水晶体など、感覚器官としての「目」によってたらされる訳ではありません。ステレオ写真と同じ原理で、大脳は、近景から遠景にいたるさまざまな対象物の輪郭線を抽出して、立体的な世界を合成しているのです。これは、木々の間を飛び回る霊長類特有の生活能力なのです。生活場面にあわせて、さまざまな生き物の感覚器官が驚くほど多様な進化をとげていることが分かると思います。

神経系は、消化器や循環器とならぶ一種の内臓です。「こころ」や「意識」は、その神経系が作り出すイメージです。「社会」に対するに感性の鋭さに比べ、内臓に対する感性が未発達なのは、わかりやすくいうと、赤ちゃんの夜泣きと大人の腹痛にさして「成長のあと」が認められないというのと同じことです。

のどが渇くと水を飲み、用を足したいときにはトイレに駆け込み、空腹を感ずればものを食べる。ある種の体内感覚に対して、わたしたちの対処方にはあきらかな成長のあとが見られます。人間の感覚や識別能力は、ある特定の目的に向かって発達するよう促されているのです。問題なのは、高度な医療が発達した現代にあっても、時として解決不能はとらえどころのない体内感覚が生じてきてしまうことです。「とらえどころのない」ということは、なかなか人に理解してもらえないということでもあります。これは、身体感覚のもたらす二重の苦しみでもあるのです。

(つづく)

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内臓はどのように身体をつくるか

2009-11-02 14:38:47 | Weblog
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今回から、わたしたちの健康と内臓のかかわりについて考えみたいと思います。
さる10月19・20日と、一般社団 身体均整師会の全国講習会がありました。私自身が役員をやっていることもあって、前後の準備や後の処理で多くの時間をとらえて、なかなかこのブログを更新することができませんでした。申し訳ありませんでした。

さて、内臓のことといいましても、たんに医学情報の紹介では面白みがありませんし、整体技術との関わりもいまひとつ不明瞭です。そこで、従来あまり語られることのなかった点にしぼって、私たちの日常生活と内臓の働きのふか~い関わりを見つめてみることにしたいのです。

内臓の働きについては、現代の医学で多くのことが明らかにされています。しかし、いわゆる分析的な方法だけですべてがあきらかにできるかというと、必ずしもそうではありません。たとえば人間の頚椎(クビの脊椎骨)は7つですが、いったいなぜでしょう? あるいは、身体の中心線に対して肝臓は右側に、胃袋は左側に分布していますが、この理由もたんに人間の身体をひっくり返していては明らかにできません。

じつは、胃袋が身体の中心軸上にある魚類の身体から人体にいたる進化の流れというものを見つてみると、私たちの身体に左右の役割分担が生まれてきた根拠が明らかになります。そんなわけで、おなじ内臓の話といっても、とくにこのブログでは、生物の身体における「働き」と「形」の密接な関係について考えてみたいのです。


ガスのたまった腸のレントゲン像。内臓の運動を作り出す平滑筋は、身体運動のための横紋筋と違い、筋肉の引き伸ばしに大して寛容にできている.

たとえば、おなじ消化管といっても、精神的なストレスの影響を受けやすい胃袋と、受けにくい腸の間にも機能的な大きな役割の違いがあります。胃袋を反転して口の外に吐き出してしまうカエルとか、胃袋のなかに毒針をもつ節足動物などの存在を知ると、胃袋がおなじ消化管でありながら、かなり異なる役割を負っていることがよく理解できます。

こういったことを考えるためには、人間の身体を、生命の歴史(生命史)のなかにしっかりと置きなおしてみることが必要です。あらゆる生き物のなかで、人間ほど深く調べつくされている生物はいないのも事実ですが、その一方で、身体が小さかったり、世代交代が早かったり、また人体に施すことができないような実験によって、より深く身体の構造が解明されている生き物もいます。

この数年、せっせとさまざまな動物学の研究を渉猟しながら、私たち人間が、どのように周囲の環境と交流しながら生活を作り出しているかを、少しずつ調べてきましたが、この領域は無尽蔵といえるくらい私たちに多くのことを教えてくれます。健康を考える上でも多くの有益な知恵を授けてくれることは間違いありません。次回から、そのあたりのことを少しずつ紹介してゆきたいと思います。


最も基本的な「体節」の構造.わたしたちの身体は、おなじ「体節」の繰り返しを基調にしてつくられています。「進化」とは、部位ごとの役割分化の発達と理解することができます。  

内臓と姿勢の黙示録的な関係

2009-09-07 07:33:54 | Weblog
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姿勢を考えるうえで、内臓との関連はとても重要です。
たとえば胃が痛い時に、どうしても身をかがめて、胃を守るような姿勢になります。胃の不快感が運動や動作に影響を及ぼしてくるのです。一般に、胃や腸のように平滑筋組織が活発に運動する領域は、同じ内臓でも痛みや不快感を生じやすい部位といえるでしょう。

あるいは「おしっこ」を我慢する時の膀胱の感覚も意識にのぼりやすい感覚のひとつです。ペットとして飼われている爬虫類も、泌尿器の病気では起こりっぽくなるといわれますが、トイレを我慢する時には、誰もがせわしなくイライラしてきます。

あるいはスポーツをして一定以上の負荷のかかったとき、心臓が苦しいとか、肝臓のある脇腹が苦しいと感ずることもあるかもしれません。しかし、通常、内臓の発する感覚(生理学的には「内臓感覚」と呼ばれます)を実感するのは簡単ではありません。まして、姿勢と内臓との関わりとなると、日常的にはほとんど見過ごされているのが現状です。

もし姿勢と内臓のあいだに明瞭な関係があるならば、なんらかの経験的な裏付けがないのは変だと思われるのも当然です。しかし、そういった当たり前のことに、気付かなくてもよいようにわたしたちの身体が出来ているということに気付いていただきたいのです。

たとえば、これまで遠心性収縮と姿勢保持の仕組について説明してきました。姿勢はいったいどのように制御されているいるのでしょう?

一般の解剖学書や運動学の本では、ほぼ100%といっていいくらい、これまで説明してきたような遠心性収縮と姿勢保持の関係は触れられていません。筋肉の作用を説明するときには、「求心性収縮」を基本に、体幹部(胴体)を中心に記述するのが、古くからの解剖学の伝統なのです。

たとえば大腿四頭筋といえば、太ももを胴体に近付ける筋肉ということになります。筋トレをするためな、このような説明の方がぴったりくるはずです。しかし、隅々までしっかり資料に目を通してみれば、筋電計をつかった歩行動作の計測データが、このような解剖学的な記載とまったく逆転していることに気付かれることでしょう。

当然といえば当然なのですが、わたしたちの身体動作の作用点は、ほとんどの身体動作では足裏になります。筋肉の作用は、体幹(胴体)に「近付けるか・遠ざけるか」ではなく、足裏を「けるか」、「引き寄せるか」、で考える方が自然なのです。

たとえば、魚の運動を評価する時には、体幹部(胴体)を中心に記述する方がわかりやすいはずです。体幹部(胴体)こそが、周囲の水を押しのけて前進する作用点だからです。しかし、陸上での生活は、足先、手先こそが、運動動作を発揮するための作用点なのです。

とくに重要なのは、運動の基本はパワーを発揮することでなく、身体の重みを利用することだという点です。野生の生き物を見ればわかりますが、シマウマでもライオンでもテナガザルやバッファローでも、筋肉隆々のムキムキマンみたいな生き物はいません。これは、身体構造が筋力による運動ではなく、腱の弾性エネルギーの利用のために発達してきたことを教えているのです。

たとえば野口体操で有名な野口三千三氏の1978年の本に『重さに貞く』というのがあります。野口氏は、「重さ」の感覚を重視していますが、気付く人は古くから気付いていたことなのです。



遠心性収縮という言葉もけっして新しい言葉ではありません。ただ、陸上の生き物の運動動作を一貫性をもって理解するために、この言葉をもっと活用するべきだという点が、これまであまり意識されてこなかったのです。

ナンバ歩きも、武道などの身のこなしも、遠心性収縮という言葉を活用すれば、すべて1本の糸でつながります。ランニング動作や跳躍動作における身体の使いかたも、この点を理解するかどうかが大きな鍵になっています。

つまり、運動の本質を知りたければ、野生の生き物たちの動きを観察しながら、わたしたちの運動能力がどのように進化してきたのかを考えるのが、もっとも確かな方法だと言えるのです。日常生活に直結する大切な問題なのですから、こういったことを当たり前に理解できるようなよい教科書があって欲しいものだと思います。

姿勢と内臓との関連についても、じつはこのことがとても重要なのです。数多くの生き物が克服しようとしてきたのは、まさしくこの地球重力の逃れることの出来ない制約(試練)なのです。もちろん、そこには、地球重力の制約を超える大きな可能性と豊かな未来があったのですが、はたして生物の身体は、「細胞」という基本単位を積み上げてどのようにこの問題を克服しようとしてきたのか、数多くの生物学的な事実としっかりり照らし合わせながら、問題の本質を理解できるようにしたいと思っています。
(つづく)

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カラダの歪みの深層へ

2009-08-27 18:46:11 | Weblog
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ヒトは、意のままに自分の身体をあやつることができると考える傾向があります。しかし、数ある体内器官のなかで、実際にわたしたちが意識によってコントロールできるのは、筋肉(骨格筋)だけです。その筋肉の運動ですら、無意識におこなわれる神経のコントロールや筋肉や骨格などが生まれつきの持っている身体構造に支えられてはじめて成り立つのです。

そう考えるととても不自由に思われるかも知れませんが、わたしたちが、ときには「自分の身体を意のままにあやつることができる」と感ずることもまた、一面では事実です。これまで、「遠心性(エキセントリック)収縮」ということをテーマに、わたしたち陸上の生き物の身体運動がどのように組み立てられているかを見てきました。その特徴として、

1. 重力(自分の体重)を弾性エネルギーとして「腱」に貯えることによって、より効率的な運動を実現している。
2. わたしたちの身体は、意識によって「重心」をコントロールすることによって、全身がうまく連動するように作られている。

という二点をとくに強調してきました。スポーツ・コーチングなどではすでに常識となっていますが、わたしたちが自分の身体を「意のままにコントロールできた」と実感的できるのは、じつは重心をうまく扱えた時なのです。つまり、重力と自分の身体との折り合いを見つけだすことこそが、わたしたちの身体コントロールの重要なデーマなのです。



上に紹介したのは、ボーリングの投球時のボールの軌跡を、競技者のアベレージ別に記録したものです。図に記されたのはボールの軌跡です。アベレージ200水準の実力者を見ると、ボールを高くあげることによって、ボールのもつ位置エネルギーをうまく使っているのがわかります。また、投球操作においてボールが安定した無理のないラインを描いているのがわかります。陸上競技においても、たとえばポンピュンラン走で有名な福島大学陸上部の川本和久氏は、「走る」ということは、物体として「身体」をいかにうまく推進してゆくかということだと強調しています。

羽状筋と紡錘筋の違いのように、系統だてて筋肉の形態や骨格の形状などを観察すれば、重力と身体構造の密接な関係がよくわかります。リチャード・ドーキンスが強調するように、すべての生き物は自らの遺伝子を残そうとする指向性をもっていますが、そのためには、地球重力のなかでたくみに外敵を逃れたり、より多くのエネルギー(餌)を獲得しなければなりません。つまり、動物の身体の構造は、地球重力との格闘の歴史なのです。

このように、ひとりひとりのカラダが「どのように歪んでいるのか」、また「どのよう整えるべきなのか」、そのことを判断する上で、もっとも確かな根拠となるのが生命史なのです。わたしたち生き物の身体構造は、すべて細胞という共通の単位によって制御されています。一見複雑に見える身体は、すべて細胞間の相互作用(情報のやりとり)によって生み出されてくることをしっかりと理解した上で、進化のあとをたどりながら、人類の身体構造を理解してゆくことが大切なのです。

さて、前回、内視鏡の検査を機に、わたしのお腹が痛くなった話を紹介しました。あたかも腸捻転のようなお腹の痛みを作り出したのは腸壁の筋肉です。ここで押さえておきたいことは、身体運動の主役となる骨格筋と腸壁の筋肉のつくりの違いです。骨格に付着する筋肉は、顕微鏡で拡大して見ると横縞のはいった「横紋」をもっているという特徴があります。これに対し、腸壁の筋肉は横縞が見られず、「平滑筋」と呼ばれます。ここに、どのような意味があるのでしょう?

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骨格筋に見られる横縞の正体は、ミオシンとアクチンというタンパク質の秩序だった配置にあります。あらゆる筋肉運動は、このミオシンとアクチンというタンパク質繊維の相互運動(すべりこみ)によって生み出されるのですが、骨格筋に見られる「横紋」は、このミオシンとアクチンの繊維が、スキなくびっしりと整列することによって作り出されます(上図参照)。骨格筋に見られる「横紋」は、筋肉としてより大きな力を発揮できることの証なのです。

ではなぜ腸壁の筋肉には、このような横縞が見られないのでしょう? なぜ平滑筋は、効率の悪いミオシンとアクチン繊維の並びに甘んじているのでしょうか? そして、わたしのお腹の痛みに見られるように、なぜ意に反して強い痛みをもたらしたりするのですしょう? このように手に負えないやっかいな性質はいったいどのような意味があるのでしょう?

6億年にわたる生命進化のなかで、わたしたちの腸壁の筋肉が、きわめてすぐれた仕組として選択されてきのはまぎれもない事実です。しかし、医学や生理学の研究では、残念ながらこの点についての踏み込んだ見解が示されていません。じつは従来、平滑筋についてはあまり踏み込んだ研究がおこなわれてきませんでした。

しかし、健康という観点から身体の全体像を見つめようとするなら、このような消化管の筋肉の性質についての理解も、骨格や筋肉の基本性質を理解するのと同じように、とても大切なのです。

大切なことは、わたしたちの身体の細胞が、そもそも1つの卵細胞から分化して形づくられてくるという点です。それぞれ細胞は、配置される場所によって横紋の見られる「筋繊維」になったり、平滑筋になったりします。じつは筋細胞にかぎらず、すべての細胞はミオシンとアクチンをもっています。そして、そのミオシンとアクチンの繊維はATP(アデノ酸3リン酸)を加えると滑走を起こし収縮を起こします。

たとえば、前々回紹介したアメーバのは、ある時はみずからのミオシンとアクチンの繊維を骨格筋のように「運動」のために使い、あるときは平滑筋のように「消化・吸収」のために使います。近年の発生生物学や分子生物学の進歩を追い掛けてゆくと、わたしたちは、医学・生理学とは異なる次元で、より包括的な生物学的な身体観を形づくることができるのです。
(つづく)

内臓と運動の意図せざる関係

2009-08-20 05:45:28 | Weblog
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きょうからお盆明けです。この間、自宅のパソコンのモニターがダウンしてしまったこともあり、少しブログの方を休ませていただきました。あらためて気分一新して始めてみたと思います。

すでに7~8年も前になりますが、腸の内視鏡の検査を受けたことがあります。とくに異常が診られたと言うわけでなく、成人検診の延長で半ば興味本位で受診したのですが、このことが大きな禍のもとになるとは、そのときには夢にも思いませんでした。

検査当日から食事をひかえ、下剤の服用などによって時間をかけて腸内をきれいにしたうえで、病院のベットに仰向けになり、肛門からゴムホース大のチューブを挿入してゆきました。

しかし、実際に内視鏡を挿入し始めると10cmも進まないうちに腸が強く収縮してそれ以上挿入ができなくなってしまったのです。当初は不快と言うほどでもなく、なにか便意を催したときのような感覚があるだけでしたが、なんとか内視鏡を挿入しよう試みているうちに、次第に腸壁の運動が高鳴ってきているのが、自分でもわかるほどになりました。

まもなく、もうれつな便意とともに腸管の一部が締め上げら得るような苦しみがはじまりました。その苦しみはいつ終わるともなく続き、やがて全身みな腸管といわんばかりの激しい拒絶反応がおこって意識が朦朧とするほどでした。「もう少しがんばって」という検査担当の先生の言葉に思わず悲鳴を上げたほどでした。

じつはそのとき以来、腸のおかしな状態が頻発するようになりました。家庭医学の本などで「腸捻転の症状」として紹介されるように、便意があるのにまったくお通じがなく、5分10分と経過するうちに腸のよじれるような痛みで冷や汗が出て意識が朦朧としてくるのです。

その症状は、まさしく検査当日の苦しみの再現でした。たまらず救急車を呼ぶと、サイレンの音が聞こえ、家のなかに救急隊員の人の足音が響き渡った瞬間、仰向けの状態で身体が緩んでお通じが来るなどということもありました。腸内を傷つけ、1~2日鮮血が流れ出るということもありました。

激しい発作的な苦しみが去ると2~3週間は落ち着いているのですが、いったん症状が出始めると一日おきぐらいに苦しみに襲われ、いずれまた意識を失うほどの痛みで七転八倒するということの繰り返しでした。

それから7~8年が経過して、いまでは軽い予兆のようなものが3ヶ月に一度くらい、苦しみの程度も落ち着いて、何とかやりすごせるものになりました。よくもわるくも症状と馴れ合うなかで、左下腹のきわめて緊張しやすい大腸の領域と、腰椎の運動や骨盤周辺の神経の緊張とも関係が、聖体師としてのよい研究の材料の一つとなってきたのです。
(つづく)

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身体運動の起源について

2009-08-01 15:47:16 | Weblog
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今回は、わたしたちの姿勢や身体運動を考えるもっとも基本的な問題について考えてみたいと思います。

チャールズ・ダーウィンの晩年の著書に『ミミズと土』という本があります。わたしたちの生活環境には至る所にミミズの糞塊が見られますが、ダーウィンはこのミミズの糞塊に注目し、植物の生育に適した土が何万年にもの及ぶミミズたちの労働の結果もたらされたものであると述べています。

ミミズは、一年間に10アール当たり38~55トンもの土を耕すとされていますが、このミミズの食餌を支えているのが、さまざまな植物遺骸とともに土壌の微生物です。1グラム当たり数百万匹の土壌細菌がいるといわれますが、植物遺骸が与えられると分解しやすい糖分を求めて爆発的に繁殖し、分解しつくすと急速に飢餓状態に陥って休眠状態になるとされています。



「微生物に不可能なし」という言葉がありますが、糖分を分解するだけでなく、土壌にはさまざまな物質を分解する細菌がいます。土中の酸素が不足するといわゆる嫌気性細菌である硫酸還元菌などの活動が活発になり、根ぐされなどの原因なります。

沼床などでは、豊富な栄養分をもとめて好気性細菌が爆発的に繁殖した後に、周囲の酸素が使い果たされてしばしば無酸素状態が生まれます。そうすると、異臭の発生するようなおどろおどろしい環境が生まれますが、このような異臭のもととなっているのが硫酸還元菌や硝酸還元筋など嫌気性細菌です。

前回、生物の運動には、基本的に次の二つのタイプしかないといいました。そして、ゾウリムシなど、水中の単細胞生物に見られる「鞭毛運動」をのぞくと、生物の運動は、一般にミオシンとアクチンというタンパク質の繊維の「滑走」によってもたらされるということを紹介しました。

よく知られているように生物の身体をつくる細胞は、分裂によって増殖したり器官の形成をおこないます。その時、細胞の中央にくびれが出来たり、分裂した遺伝子を細胞の中心(核)にひっぱったりするという「運動」がおこります。じつは、このような細胞分裂によって生ずる運動をささえているのは、わたしたちの筋肉運動と同じミオシンとアクチンというタンパク質の繊維です。

このミオシンとアクチンによって生み出される運動は、じつは電気的に大きなエネルギーを必要する運動です。生物のおこなうもっとも原始的な運動はアメーバ運動ですが(わたしたちの体内の白血球の運動に見られます)、このような運動を生み出すためには、そもそも大きなエネルギーを生み出す能力が必要です。とくに、運動のために特化した筋肉の活動を維持するためには、たえず莫大なエネルギーが必要なのです。

そのエネルギー供給の主役となるのが酸素です。生物の授業で習った記憶のある方も多いと思いますが、細胞内のミトコンドリアという器官は、酸素から電子を受け取って、糖分を分解してATPと言う形でエネルギーを生み出します。

ここで、先の好気性細菌と嫌気性細菌の話が大きく関わってきます。酸素は、金属のさびに代表されるように、強力な酸化反応をもつ物質です。一般に、「酸素」というと生命活動になくてはならない大切な物質というイメージが強いのですが、細胞レベルの大きさで見るとじつはとてもおそろしい物質なのです。

嫌気性細菌はこの酸素の破壊的な作用に太刀打ち出来ない生き物です。無酸素状態になると活発に活動しますが、硫酸や硝酸などを還元して創りだせるエネルギーがとても少ないために、結果的に豊かな生物相を生み出すことが出来なかった生物群といってもよいでしょう。たとえば砂浜などを掘り下げるとわずか40~60cmで黒々とした酸素のない層に突き当たります。実際にそのような無酸素環境をみてみるとほとんど生物が見られないことがわかります。無酸素下でおこなわれる還元反応では、大きなエネルギーを作り出すことができないからなのです。

このおそろしい酸素の能力を、エネルギーを生み出す原動力に変えることができるのがミトコンドリアです。わたしたちの細胞の1つ1つに複数のミトコンドリアが存在します。多くのエネルギーを必要とする細胞では、1つの細胞にたくさんのミトコンドリアを持つものもあります。もしミトコンドリアを持たなければ、生物は現在のように酸素の豊富な大気中で生活することができませんでした。



こうしてみると細胞内にミトコンドリアを取り込んで、酸素を利用することにたけた生き物は、生物学的に1つの大きなグループを構成しているのがわかります。わたしたちは、ミトコンドリアのお陰で、ミオシンとアクチンというタンパク質の繊維を活用して、さまざまな運動能力を生み出しつつ進化してきた生き物なのです。


(ミトコンドリアは、しばしば「細胞内共生者」と呼ばれてきました。同じ細胞内にありながら、核におさめられたDANとは別個の論理で制御されているからです。わたしたちの細胞のDANは母型と父型の半々の遺伝情報を受け継いでいますが、ミトコンドリアだけは、卵細胞由来のものが生涯にわたって活動します。つまり、わたしたちの体内には母親由来のミトコンドリアしか存在しないのです。いやぁ~、じつにふしぎな存在です。)


さてここからが本論です。姿勢や歩行についての議論を、たんに机上の空論から生きた運動学へと押し進めるためには、人体における関節の形状や筋肉の走行、長さを制御している仕組みについての理解することが必要です。

冒頭で紹介したミミズも、前回紹介したミズクラゲや甲イカもすべて筋肉の内部でおこるミオシンとアクチンというタンパク質の繊維の「滑り」を利用して筋肉運動を作り出しているのですが、このことは、身体運動の理解にあたって、「筋肉」を制御する「身体構造」が大きな鍵を握っていることを示しています。

人間は、ミミズやミズクラゲ、甲イカと違い、「新口動物(あるいは後口動物)」とよばれるグループに属する生き物です。これは「食物を濾しとる能力を持つ」あるいは「身体内部に骨格を持つ」生き物といってもよいでしょう。

同じ人間といえども実際には誰一人として同じ身体の持ち主はいません。その一方で、多くの人が、特別の訓練もなく「立ち」、「歩き」、走る時には「踵を上げ」、年をとれば次第に腰が曲がります。そこには、個性を超えてはたらいている共通の秩序が存在します。

たとえば、「筋肉の長さ」と「関節の位置」はそれそれ相関します。特定の関節位置になると、ある筋肉の張力が低下して身体の柔軟性が一気に増加したり、その逆に筋肉に張力が生じ強い緊張状態が生ずるといった現象が見られます。そのような着眼点をもって姿勢を見ると、いっけん柔らかそうな身体が、じつはある関節の固着の裏返してあるといった場合が存在するのです。

ひとりひとりの個性の陰に、大きな質的な違いが含まれていることに、姿勢観察のむずかしさとともに大切さがあります。そこには、これからさらに発展してゆくさまざまな可能性がありますが、残念ながらそのことの意味が、いまだ十分に理解されているとはいえません。

姿勢はすべての人の日常生活に密接に関わりがあり、誰もが自分の身体で体験できるとてもおもしろいテーマです。ひとりひとりの身体が持っている歪みの性質を理解してゆくことが、これからの運動学のために必要な視点だと思っています。
(つづく)


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「動き」と「姿勢」の深淵

2009-07-24 07:14:06 | Weblog
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姿勢と動き、この2つは、いずれも筋肉の使い方によって生まれます。関節を「固定する」ために使うのか、「動かす」ために使うのか、姿勢と動きの関係は、この2つの差でしかないのです。

「固定する」「動かす」という2つの活動は、「水」という環境から、生命がどのように自立するかという長い格闘の歴史そのものです。生命は、自らを生み出した「水」環境を次第に体内に封入し、いわば自分を取り囲んでくれている原始の海洋を、永遠に保存しようとする欲求に突き動かされているかのようにすら見えます。

遺伝子は、それぞれの種が打ち立ててきた独特の様式を子々孫々、身体の隅々まで行き渡らせる指示書といってもよいでしょう。生命が「水」から自立しようとする根源には、より多くの太陽エネルギーを得たい、より多くの酸素を得たいという欲求があると、現在の生命科学では考えられています。

おもしろいことに、筋肉の運動、内臓の働き、脳の働きが、そもそも別のものではないということが、次第に科学的な研究の俎上に「くっきり」と浮び上がりつつあるということです。

最近、生物学の本などついぞ開いたことのないという方には、ぜひどこかで手にとってその中味に触れてみることをお薦めします。美しいビジュアル図版のなかで、さまざまな生物の運動が次々と解明されつつあるさまに、きっと多くの方が驚かれることでしょう。

以下の画像は、実際に葛西臨海水族館で撮影したものです。


たとえば昆虫の羽の振動のすばやさとか、一見動きがないかにみえるヒトデやウニなどの運動の仕組み、マグロやサケ、クジラ、渡り鳥などの驚くべき移動能力もそのひとつです。またタコやイカなど、海に棲む軟体動物の動きの不思議さを見ると、思わず「宇宙から舞い降りてきたの?」と言いたくります。




葛西臨海水族館には、数種類のクラゲの水槽があります。そのまえに立ち止まると、なんともいえない感慨に浸ることができます。とくにミズクラゲの遊泳するさまを見ていると、あたかも大輪のマグノリアの花が、水のなかで第二の生命の花を咲かせているかのような錯覚に襲われます。

認知心理学の本を開くと、赤ちゃんがさまざまな非常識的な出来事にふれて、目を見開いてその出来事を見る(注視する)という事例が、たくさん紹介されていますが、葛西臨海水族館でミズクラゲの水槽に見入っている自分が、まさしくこの「赤ちゃん凝視」状態といってもよいでしょう。



面白いのは、老若男女じつにさまざまな人が、まさしくこの「赤ちゃんの凝視」に陥っていることです。戦後の街頭テレビの時代ではありませんが、我をわすれてミズクラゲの一挙手一投足に釘付けになっているお互いの姿に、同じ人間なんだなぁ~、という妙な連帯感すら沸き上がってくるではありませんか!

植物のように自分で栄養を合成できる生き物はともかく、他所からエネルギー源をゲットしなければならない生き物にとっては、「運動」は生存のための必須の条件です。



そして、地球上に存在する生き物が作り出す運動というものは、厳密にいうと2つのタイプしかありません。ひとつは、ミオシンとアクチンというタンパク質の繊維でものを引っぱるという運動で、そしてもうひとつは、鞭毛を回転させて水流を起こさせるという運動です。

面白いことは、このような「運動」の生命史が、わたしたち人類の身体のなかで同居している(折り込まれている)ということです。
(つづく)

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姿勢の整える意味を知ろう!

2009-07-18 07:42:59 | Weblog
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姿勢の歪みは、じつは多くの人が悩まされている重要なテーマです。やすらぎ創健堂に来院される方のなかのも、どこがおかしいとはっきり言葉に出来ないけれど、姿勢が歪んでいてバランスが悪いとか、ある時から姿勢が歪んで身体の調子がおかしくなったなどと訴える方が多くいます。

大切なことは、姿勢や歩行をどのように評価するのか、その基準をしっかり持つことだと思っています。じつは従来の体育学や運動学にとって、「姿勢の歪み」が大きな弱点になっていたのです。そこには大きな理由があります。

わたしたちが意識的にコントロールできるのは、あくまで筋肉や神経であって、腱や靱帯、骨などの体腔内の付属器官ではありません。たしかに短期間で運動のパフォーマンスや記録を伸ばそうとすれば筋肉の作用に注意が集中するのは当然です。このようなわけで体育学や運動学では、腱や靱帯、骨の付属器官のもつ意味についてほとんど目が注がれてこなかったのです。

下の図は、この度、スペインリーグのエスパニョールへの移籍が決まった中村俊輔選手のスケッチです。サッカーはダッシュ&ジョグをくり返す激しいスポーツですが、多くの時間帯はこのようにすこし腰を落とした位置でプレーがおこなわれます。



このようなポーズは下肢の関節を伸ばす筋肉にたえず負荷のかかるポーズです。従来、そのことが筋肉の縮もうとする反射(伸張反射)を引き出し、スピーディーな運動を可能にしているといった説明がなされてきました。もちろん、このことに間違いはないのですが、大切なことはこのようなポーズのもたらすスピードの向上が、人類の身体構造を密接に結びついているということです。

これまで、下肢の筋肉が引き伸ばされながら収縮する遠心性収縮を起こすことを紹介してきました。これは、別の面から見ると、わたしたちの筋肉が、骨格的に決められたニュートラルな位置に戻ろうとする習性をもっているといいかえてもよいでしょう。

少しでも荷重位置が移動すると、下肢の筋肉が遠心性収縮を引き起こし姿勢を戻そうとします。ですからとくに意識しなくても姿勢を保つことができますし、姿勢が歪むとさまざまな遠心性収縮が誘発されて落ち着かなくなるのです。

その一方、このような筋肉の作用は、荷重の移動によって速やかに身体運動を引き出せるというすぐれた側面を持っています。一般に、陸生の哺乳動物の運動は、このような荷重の移動によって生み出されるとても合理的かつ効率的なすぐれたしシステムなのです。



このような運動は、体育学的なトレーニングとは関わりなく、だれもがたえず必要な筋力しているきわめて特殊な能力です。じつはわたしたちの下肢の筋群には、このような能力をささえる特殊な構造が備わっています。



わたしたちの下肢の筋肉には、上の図の右側にしめした「羽状の筋肉」がとても多いのです。この「羽状の筋肉」の運動は、比較的短い多数の筋繊維によって作り出されるのが特徴です。多数の筋繊維が強調するので疲れにくくたえず強い力を保持できるのです。

いや~、人間のカラダって、ホント~にすごいですね。
(つづく)

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