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いろはにほへと

Corro atras do meu sonho.

BOA SORTE!!

2006年02月14日 | 日本語学校センセイ時代

2月11日にわたしの生徒ちゃんが日本へ旅立ったと聞いた。
生徒ちゃんとその家族がわたしを探していたという。
その日わたしは「カラオケキャラバン」のあと
ぶらぶらしていて帰りが遅くなった。
21:00まで何度も電話してくれていたというけれど
わたしが帰ったのは21:20。次の日早くに彼は出発したという。
あの日、さっさと町に帰ればよかった。
ここ1週間くらい彼の働く眼鏡屋さんにも遊びに行っていなかった。
なんだかいろんな偶然が恨めしい。

日本へ働きに行くための書類をそろえるために
ずいぶん苦労していた。
昨年8月くらいに出発するというのが最初に聞いた話で
それからずるずる延びに延びてやっと最近大詰め段階になったねと
でも本当に日本に行けるのかいと笑い合っていたらいきなり行ってしまった。

今頃はもう日本に着いたころかな。
何に驚いたり、何を感じたりしているんだろう。

正直、ちょっとほっとしている。
「センセイ、さようなら」なんて言われたらきっと泣いちゃっていた。
日本に帰ったら、きっと会いに行くよ。

Muitas felicidades e sortes pra você!! Tudo de bom!!!

てゆーかセンセイは驚いた。

2006年02月09日 | 日本語学校センセイ時代

最近ほかの日本語学校の生徒ちゃんにこんなことを
言われてセンセイは思わずのけぞってしまった。

「てゆーかセンセイ○○は日本語で何ですか?」
「てゆーかセンセイ○○は漢字でどう書きますか?」
「てゆーかセンセイこの言葉は日本語的にあっていますか?」

この「てゆーか」連発生徒ちゃんは13,4歳くらいの男の子で
質問の内容や字の書き方から見ておそらく
日本で暮らしたことがあるんじゃないかと思った。
内容もちゃんとスジが通っていたし
几帳面そうな字はとてもきれいだったし
日本語の発音もけっこう上手だったから。

漢字やら表現やらの質問に答えるよりもよっぽど
「てゆーか」についてこっちが聞きたかったけれど
「彼的にはOK」みたいだったので黙っておいた。

うーん。
てゆーかさぁ・・・

ニッポンゴ。

2006年02月02日 | 日本語学校センセイ時代

日本語学校の棚でこんなものを発見した。
古い古い日本語の教科書。
装丁がボロボロなので注意しながらそうっと開いて奥付を見た。
『柳田国男編 あたらしいこくご 一ねん(Ⅱ)』は昭和32年9月1日発行。
『日本語(5)』は1960年12月15日発行。
『日本語(6)』は1961年1月25日発行。
『ニッポンゴ(1)』は背表紙とともに奥付が破損。
たぶんほかのものと同じ時期だとは思う。

『柳田国男編』は東京書籍が発行している正真正銘の「国語教科書」。
その名も「あたらしいこくご」だけど、ほかは日伯文化普及会発行。
所在地は「ブラジル、サンパウロ」とある。
元文部省図書館監修官が総合的な監修者として関わっているから
レッキとした「教科書」だったんだろう。
ただし表題の通り、国語ではなく「日本語」の教科書。

1960年というと戦後移民のピークを迎えていた頃だそう。
もちろん子どもを連れて家族で移住した人も多い。
戦前の移民と違ってブラジルに永住するつもりで移住した人が多いなか
子どもたちには日本語の教育を望んでいたのか。

教科書を読んでみた。これがまたオモシロイ。
古い本特有のカビ臭さをこらえながらパラパラめくる。

『ニッポンゴ(1)』の冒頭。いったい何をいちばん最初に勉強するのか。
ドキドキしながらめくると・・・

     ソラ   アオイ ソラ
     ヒロイ ノハラ
     ウシ ト ウマ

・・・びっくりした。そうか、カタカナですか。
ぎこちない挿絵がレトロさ満点。とてもよろしい。
アルファベットの書き込みもされていて誰かが熱心に勉強した跡が残っている。

     マリオサンガ ホンヲ ヨミマシタ

・・・マリオさん?誰?!
そ、そうマリオさんですか(ブラジルではよくある男性の名前)。
だけど次のページに登場するのは

     ハルエサンガ エヲ カイテイマス

・・・ハルエさん?急に日本名?さすが移民国家。

さらに読み進めてみた。

     オトウサント、オニブス(ônibus:バス)デ 
     サン・パウロヘ イキマシタ。
     パスト(posto:バス停)ノ ソバヲ トオリマシタ。

時々微妙にポルトガル語が交じっているのがまたオモシロイ。
日本語とポルトガル語を結びつける問題もあった。

     エンピツ(ラピス) ユリ(リリオ) ニンギョウ(ボネッカ)
     ブタ(ポルコ) サル(マカコ) 

日本人のカタカナ発音は英語だけではないかも。
巻末にはちゃんとポルトガル語語彙の一覧も載っていてとても親切。
高学年用の『日本語』になると読み物として「アマゾンだより」「サンパウロ見物」
「バンデイラの話」「ブラジルのインジオ」「リオ=デ=ジャネイロ」「ブラジルのちょう」・・・
なんてのがあっていかにもブラジルの教科書になっている。

日本の移民事業は国家事業だったのだから
教科書もさすがにちゃんとしている。
ずっと昔はこの教科書でみんな勉強していたんだと町の人は言った。
それはまだ家庭の中で日本語が使われていた頃の話。
今やおじいさんおばあさんがいる家でも生活言語はポルトガル語。
自然と日本語を使ったり勉強していた時代は過ぎようとしている(または既に過ぎ去ったか)。
けれども、今もいろんな理由で日本語を勉強する人は確実にいる。

先日ある人に「アナタの町は日本語教育に関心なんかないんでしょ」と
言われてなんだか無性に腹が立った。
関心がなかったらはるばる日本からわたしなんか呼ばないと思うんですけど。
しかも当のわたしにそんなことを言うとは、なかなかいい度胸じゃないの。
ここでいうところの「日本語教育」って一体なんだろう。
日本人は日本語学校に行くことは全員必須ですか。

日本人コミュニティの中で日本語を残さなきゃとか
絶やしてはいけないとか、わたしはそうは思わない。
妙な関心がありすぎて小さなゴタゴタでしょっちゅうモメているよりよっぽどいい。
日本語が好きだったり興味があったりする人が勉強したらいい。
そういう人のために日本人会の経営で日本語学校が開校している。
「日本語教育」とカンタンに言っても土地によっての違いがある。
そりゃー生徒ちゃんの数は少ないし弱小ですよウチは。。。
だけど考え方とかやり方を表面的にしか見ないで「無関心」と言われた日には
マリオサンやハルエサンもびっくりですよ、まったく。

古い教科書を発見したという、それだけの話を書いているうちに
流れがおかしな方向へ行ってしまった。しかもエラい長くなってる。
要は・・・えーとえーとなんだっけ。
こ、今年も日本語学校通信をお楽しみにー!(←なんか違うなあ。。。)

旅立ちセーター。

2006年01月24日 | 日本語学校センセイ時代

買い物ついでに生徒ちゃんの家族が経営する眼鏡屋に寄った。
この生徒ちゃんは21歳の男の子で、今月末に日本へ行く。
去年の5月から日本語学校に来て
それはそれは真面目に勉強していた。
同時に日本へ働きに行くために必要な書類を
申請してずっと待っていた。
最初は8月頃と聞いていたのに、なんかよくわからないけれど
書類が遅れに遅れ(ブラジルだから?)やっとそろったのが年末。
ついに今月末、出発するという。

日本はまだ寒いから春まで待ったらいいと冗談で言ったら
彼のお母さんがセーターを編んでいると言って見せてくれた。
そのセーターを編んでいる編み棒は、彼のお父さんが
日本に働きに行っていたときに送ってくれたものだと言う。
彼はお母さんにどんなプレゼントを日本から送るのか。
モスグリーンの厚いセーターは彼によく似合いそうだった。

願わくば、彼が行く町がそこそこ寒くて
きれいな雪が降りますように。
春にはきれいな桜がたくさん咲きますように。

みんなまとめてドンと来い。

2005年11月30日 | 日本語学校センセイ時代

そろそろ日本語学校もラストスパート。
日本とは逆で、今が夏のブラジルでは盛大な夏休みがやって来る。
ほかの職種のヒトには申し訳ないけれど、学校行事や会議や研修なんかを
ちょこちょこ挟みながらもババンと1か月半の夏休み。
いやあ、ほんと申し訳ない。

2月に着任して新しくスタートした日本語学校もついに初年度終了。
生徒ちゃんの入れ替わりも多少あったけど
だいたいは最初から最後までついてきてくれた。
いやあ、ほんとよくがんばりました。
毎日手探りで、何がウケるのか試行錯誤だったけど
(注・お笑い芸人ではありません)現時点で残り2週間を切った。

1年間がんばった生徒ちゃんのために「お楽しみ会」を企画した。
子どもの生徒ちゃんたちと一緒にゲームをしたりおやつを食べたりして
半日たっぷり遊んじゃう計画。
クリスマスが近いからプレゼント交換も楽しいかも。
・・・と思っていろいろ考えていたら、子どもの生徒ちゃんだけじゃなく
大人の生徒ちゃんも参加したいということに。

ブラジル人はほんとにパーティー大好き。集まっておしゃべりするの大好き。
時々生徒ちゃんとその家族が集まる「夕食会」にも
必ず家族全員でやって来るし、休日もちょっと遊びに行くと親戚一同が会している。
ゆえに「お楽しみ会」も子どもだけ楽しむのはズルイということになり急きょ
大人のみなさんもどうぞー。
ゲームしておやつ食べましょー。

・・・なんだかいつもの「夕食会」と変わらなくなった。
だけどわたしはこういうの、好きだなあ。

日本語は難しいってばよ!

2005年11月19日 | 日本語学校センセイ時代

ほとんどの日本語の教科書は丁寧なことばから導入する。
~です、~じゃありません、~ましょうなどなど。動詞なんていちばん顕著だ。
「食べます」「飲みます」・・・
否定形も然り。 「食べません」「飲みません」・・・
過去形も然り。 「食べました」「飲みました」・・・
過去形の否定形も然り。 「食べませんでした」「飲みませんでした」・・・

会話は始終これかいと考えるとハッキリ言って不自然。
子どもに教えるときは特に不自然さが否めない。
日本のアニメ好きな生徒ちゃんに言われてしまった。
「Ninguem fala TABEMASITA no desenho!!」
(誰も「食べました」なんて言わないよー)
・・・はい。ごもっとも。悲しいかな、アニメの中では誰もがタメ口。

だけど丁寧なことばで習い始める理由はいろいろあるのよ。。。
・丁寧体の動詞の方が最初は変換しやすいから。
・留学や就職のために日本語を習う人(つまり大人)を
想定した教科書が大半だから。
・いきなり口語で話しかけられたらだいたいの日本人は引くから。

しかーし、彼の言い分もよくわかる。
せっかく日本語学校で勉強してるのに、アニメやマンガを見て
さっぱりわからなかったらつまらないよね。
まあそこをなんとかナダメて、まずは基礎をシッカリするのだと言いきかせ
やっと今日がやってきた。
いちばんこの日を待ってたのは生徒ちゃんよりもわたしかも。

いざ、普通の言い方スタート。
「食べる」「飲む」・・・、「食べない」「飲まない」・・・
俄然、生徒ちゃんの目が輝きだした。
『ガラスの仮面』の北島マヤのごとく「つかんだ・・・できる!」と
コブシを固め白目にしながら思った瞬間、生徒ちゃんの口から一言。
「Agora entendi!! Por isso ele fala TABERUTTEBAYO!!」
(今わかった!だから「食べるってばよ!」って言ってたんだ!)

・・・はい?いつ誰がそんなこと言った?
どこのどいつだ、そんな妙な語尾を生徒ちゃんに教えたのは!

答えは、日本でもブラジルでも大人気アニメ「NARUTO」の主人公。
あいつの口癖「~ってばよ!」のおかげでわたしの生徒ちゃんは
いい感じにやる気がヒートアップしたけど、
おかしな方向にもいきそうな予感もするってばよ。。。

NARUTO公式サイト「NARUTOどっとこむ」
http://www.naruto.com/j/

日本語学校運動会。

2005年11月15日 | 日本語学校センセイ時代

地区の日本語学校生徒だけが集まる運動会があった。
またしても生徒ちゃんたちを連れて隣の町へ。
実はわたし運動会参加は今年3回目。
約3か月に1回は参加してることになる。これってスゴイ割合じゃない?
ビバ運動会!・・・もう、カンベンしてください。お腹いっぱいです。
でも今回は炎天下の運動場ではなく体育館で行われた。ふう、助かった。

日本語学校生徒の運動会、ということで
種目も日本語力を試すものが多い。
もはや体を使った日本語クイズ大会。
正しく書かれたカタカナの紙を探したり
文中に正しい助詞をあてはめたり
借り物競走ももちろん日本語で。

さて我が校の生徒ちゃんも大奮闘してたけど
ひらがなはなんとかなってもカタカナは全員危うい。
助詞も毎回おさらいしてるけど全員危うい。
借り物のネタも「ベルト」「ズボン」「はちまき」なんて教えたことない。
(全部「ふく(服)」でひっくるめていた。
もちろん「はちまき」は想定外。だって日常生活に出てこないもんね)

その代わり走ったり飛んだりするのはお得意らしく
ゴールめがけてダッシュする姿はなかなかよかった。

*写真は「パン食い競争」のお菓子版。これは日本語とは関係なし。
 わたしはこういうシンプルな競技の方が好きだな。。。

こちらこそ、です。

2005年11月12日 | 日本語学校センセイ時代

大人の生徒ちゃんからメールが来た。

É muito importante para nós estudantes ,
termos uma professora japonesa!
Obrigado por ter vindo ao Brasil.
(僕たち生徒にとって日本人ネイティブの先生がいてくれることは
とても大事なことです。ブラジルに来てくれてありがとう)

こんなこと言われちゃうから、がんばっちゃうんですわたし。
タイトルの下にわざわざ「がんばらない。なまけない。あきらめない。」って
入れてるんだけど。

でも、あきらめなくてよかった。

「Sensei Leo e Hilbert」。

2005年11月11日 | 日本語学校センセイ時代

またまた生徒ちゃんご来訪。
もはや「来訪」というより「来襲」といったほうがいいかもしれない。
本日はいきなりクッキングタイム。
ブラジルのチョコレート菓子「BRIGADEIRO」を作ろうの巻。

材料
LEITE CONDENSADO(コンデンスミルク)・・・1パック
LEITE(牛乳)・・・適量
MARGARINA ou MANTEIGA(マーガリンかバター)・・・適量 
ARIMENTO CHOCORATADO EM PÓ・・・いい感じに溶けるくらいに。つまり適量。
(粉末のホッとチョコレートとか粉末ココアとかミロみたいなの)

コンデンスミルクが1パック395グラムとこれまた中途半端だったのは
まあおいといて、材料を鍋にぶち込んで火にかけて混ぜながら煮詰めるだけ。
わたしが知っていた「BRIGADEIRO」は、ピンポン玉くらいに
まるめられたチョコレートだったけど(誕生日会には欠かせないらしい一品)
それを作りたかったらしい彼らは、適していない量の牛乳をだばだば入れてしまい
かなりゆるーくなってしまったのでスプーンでほとんど液体のチョコレートを
すくってなめる「BRIGADEIRO」に変更。もはやチョコレートのスープ状態。

・・・ちょっと待て。
粉末チョコもけっこう甘いけど、これを溶かして煮詰めていたのは
何を隠そう、天下のコンデンスミルク。甘いっっ!
鼻血が出そう+血圧上がりそう+笑いが止まらなくなりそうなくらいに甘い。
いやあ、ブラジルの子はこんなんおやつに食べてるんすか。敵わないわあ。。。

そのあと例によってパソコンやデジカメやそのほかマットレスとか
ボールとかギターとかで遊んでいたんだけど、いつの間にか
わたしのパソコンのスクリーンセーバーが設定されていた。
「Sensei Leo e Hilbert」(センセイとレオとイルベルチ)の文字が
3Dでよろよろ動きながら画面を徘徊する。
聞くとわたしと生徒ちゃんの3人が肩を組んで
よろめきながら歩く様子をイメージとか。
11歳にして千鳥足?ち、ちがうよね。。。
よくわからないけど、なんだか嬉しい気持ちになった。

またまた生徒ちゃんご来訪。

2005年11月04日 | 日本語学校センセイ時代

またまた生徒ちゃんご来訪。
今回は「OVO FRITO(目玉焼き)」は作らず。
デジカメでおバカな動画を撮ることに目覚めた彼らは
充電池が切れるまで撮影大会。
自己紹介したり踊ったり飛び跳ねたり倒れたり。
11歳の男の子って元気だあ。

最初はおとなしい印象の子たちだったんだけど
最近は授業中でも思わずプチッとくるほどウルサイときがある。
でもそれは、仲良くなったっていうことなんだろう。
時々、覚えた日本語で話そうとしてくるし
「来年も日本語学校の授業ある?」なんて聞いてくるし
生徒ちゃんに甘いセンセイはそれだけで嬉しい。

「だけど、来年までなんだ」。
こんなことばを言えずに飲み込むわたしは、ヒドイかもしれない。


彼らのなかで最近はやっていることば
「うるさい」:わたしが授業中に言うから。
「おすわり」:大人気アニメ「犬夜叉」によく出てくることば。
「何かです」:答えがわからないときに使用。わかりませんと言え!
「バカタレ」:どこで覚えたのか、かなり気になる。。。

書道の時間でございます。

2005年10月27日 | 日本語学校センセイ時代

同期の書道師範あにーにゃがやって来た。
我が日本語学校生徒ちゃんに書道を教えてもらうため
バスで9時間かかる町からはるばる来てもらった。
ふだんは日本語学校の生徒じゃない人にも開放して
大サービスの特別授業。
筆の持ち方、墨のすり方、書き方の基本を
遊びを交えて楽しく教えてもらった。

子どもの生徒ちゃんたちはそろそろ漢字を始めさせたいと
思っていたところへ、「雨」という字を教えてもらった。
絵からできた漢字ということでみなさん興味しんしん。
漢字はハネたり止めたりはらったりしなきゃいけない約束が
多いけれど、書道からだったら自然に導入できるかも。

楽しかったのはもちろんだけど、一緒にブラジルに来た同期が
ちゃんと「センセイ」になっている現場を間近に見られて嬉しかった。
でもなんだか、ちょっとだけくすぐったいような気分だった。

MUITO OBRIGADA PELA AULA ÓTIMA! VEM DE NOVO, ANINHA!!

おはなし発表会。

2005年10月21日 | 日本語学校センセイ時代

日本語学校の集まりがあった夜、子どもの生徒ちゃんたちに
「おはなし発表会」なるものをさせてみた。
なんのことはない、短い物語を読む練習をさせて
親たちの前で物語の絵を見せながら発表する。
暗記するイキオイで練習させたけど、当日は見てもいいから
しっかりハッキリ読むように言った。
親御さんのために、ポルトガル語訳も用意。
日本語で読む部分でつっかかるのはわかるとしても
ポルトガル語の方でもトチッたりしていたのは
やっぱり緊張していたのかな。

本当は先月、地区の日本語学校生徒が集まる「おはなし大会」に
出場する予定だったけど、FESTA DA PRIMAVERA(花祭り)があったり
おばあちゃんの法事やらがあったりして結局1人も出られなかったので
せっかく練習していたのにどこにも発表する場がなかった。

地区の大会は学習歴ではなく年齢で出場クラスが分けられて
順位がつくので、日本語を勉強してから半年ちょいの
我が生徒ちゃんたちにはとても太刀打ちできない。
かえって出場しなくてヨカッタ感も、正直ある。

見ている限り、ブラジルではほとんどのイベントが競争制。
いちいちトロフィーや賞品がつく。
カラオケ大会、運動会、おはなし大会、スピーチコンテストなどなど。
がんばったご褒美としてわかりやすいのはいいけれど
たまにはそんなモノなくてもいいなと思う夜だった。
発表が終わってステージから下りる生徒ちゃんたちは
なんだかとてもいい顔をしていた。

写真はペアの生徒ちゃんが遅れたのでわたしが一緒に読んでいる図。
わたしもちょっと緊張してドキドキした。。。

生徒ちゃん旅立ち間近。

2005年10月18日 | 日本語学校センセイ時代

こんな小さな町からも、たくさんの人が日本に働きに行っている。
わたしの生徒ちゃんも12月に行くことが決定した。
5歳と8歳の子どもを連れて行くそうだから
それはとてもタイヘンなことだろうと思うけど
本人は今すぐにでも行きたいらしい。
そして既に日本に住んでいるダンナさんと一緒に家族で暮らしたいという。
21歳になったばかりの男の子は、書類がやっとそろったので
1月に行くんだと目を輝かせていた。

「デカセギ」についての賛否両論はもちろんあって当然。
連れて行った子どもの教育の問題は最近になってようやく
取り上げられているけれど、まだまだボランティアレベルであることが多い。
問題もたくさんあるけれど、希望もたくさんあるんだと思う。

考え方や見え方は時に違ってくるし、持っていたイメージも変わっていく。
わたしもブラジルに来てから、ブラジルに対する考え方がずいぶん違ってきた。
考えていたよりもテキトーじゃないこともあるし
ものすごく冷たい人、暗ーい人にも会った。
「ラテンなんでしょ。ノリノリなんでしょ」という先入観が打ち砕かれた。
だけど、だからこそもっと知りたいという気持ちを持ち続けたい。
結局どこに暮らすにもその人自身なんだろう。
つまらないと思っていたら、どんなに素敵な場所もかすんで見えるもんね。

わたしの生徒ちゃんは目標が定まり、希望でメラメラ燃えているので
火に油を注ぐがごとく、がんばらせたいとアレコレ特訓している。
そしてわたしが帰国したときに日本で再会することが密かな目標。
その時には、いろんな話がしたい(できれば上達するであろう日本語で)。
思っていたことと違っていたこと、ガッカリしたこと、ムカついたこと、
嬉しかったこと、好きになったこと、新しく発見したことなどなど。

だけどお別れのことを考えると今からちょっとブルーになるのは
センセイのエゴなんでしょうかね。。。

生徒ちゃんご来訪。

2005年10月14日 | 日本語学校センセイ時代

生徒ちゃんがウチにやって来た。
無駄に広い我が家を見て感心し、日本語版のパソコンを見ては
いろいろ感想を述べ、デジカメで記念撮影大会をした。

ミネラルウォーターを切らしていたので麦茶を出したら
砂糖をドカドカ入れて飲んだのには、センセイは心底驚きました。
甘くないとお茶もコーヒーもダメなのね。

その後に「OVO FRITO」を食べたことがあるかと聞かれて
ないと言ったら作ってくれることに。
「OVO」は卵、「FRITO」は揚げたという意味。
「揚げた卵」ですか?焼くでも炒めるでもなく、揚げるんですか?
作り方はいたってカンタン。11歳の男の子が作れるくらいだから。
フライパンにどばどば油を入れ、卵を割り入れて適当にちょっと揚げる。
塩で味を付けてできあがり。
見た目がヨロシイとも、味がオイシイとも言えなかったけれど
なんだかオモシロイ様子だったのでそれもヨシ。

・・・と、ここまで書いてナンだけど、町の日本人主婦に
聞いたら「OVO FRITO?それは目玉焼きのことよ」と言われた。
な、なんだとー?!
目玉焼きとは似てもにつかぬ、あの「揚げた卵」のカタマリ。
いったい彼らは何を作りたかったのか。
謎が深まる初夏の夜。。。

子どもの日うんどうかい。

2005年10月13日 | 日本語学校センセイ時代

10月12日はブラジルでは「子どもの日」。
同期pipi姐の住む町で日本語学校生徒の運動会があった。
生徒ちゃん4人とそのお母さんたちと一緒に参加してみた。
前日はオソロシイほどの豪雨と雷だったのに
ウソだったんですあれはと言わんばかりにカラリと晴れた。
赤土のグラウンドは30度を超えていたと思う。
しかしなぜか全員裸足。熱そうだけど気持ちよさそうでもある。

前にわたしの町であった運動会は大人も子どもも
総動員で参加だったけど、今回はほとんど子どものみ。
だけど、いちいち参加賞が出るのは変わらず。
炎天下の中、ハイテンションな生徒ちゃんたちは
お菓子やら石鹸やら鉛筆やらの賞品をガッツリもらっていた。

センセイは帰ったら腕時計の日焼けあとがついていました。。。