小林光一九段は強かったと、平成4年の棋聖戦第7局を紹介したが、その小林棋聖・名人の大三冠への挑戦を3年連続で跳ね返した趙治勲九段も凄い。
高木祥一九段監修の「囲碁百名局」には、その伝説の(?)本因坊戦から1局しか取り上げられていないが、「趙治勲傑作選」をみると、素晴らしい戦いが繰り広げられていたことが分かる。その中の名手、妙手を少し振り返ってみたいと思う。
その前に、平成3年の棋聖戦最高棋士決定戦第2局の趙治勲本因坊の残念譜を紹介したい。
平成4年の棋聖戦で「もし山城九段が棋聖の座についていれば」という話があったが、実は運命を分けた半目は、その小林棋聖への挑戦者を決める平成3年の棋聖戦最高棋士決定戦第2局にもあったのだ。
この碁は、「趙治勲傑作選」に趙本因坊にとって「わが生涯を代表する慙愧の局」と紹介されている。
棋聖戦最高棋士決定戦の第1局は趙本因坊が白番5目半勝ちし、この第2局も大優勢となり小林棋聖への挑戦まで目前に迫ったものの、黒番半目負けを喫した。そして最終局の第3局にも敗れて山城九段が挑戦者となったのだった。
もしこの第2局に趙本因坊が勝っていたら、小林棋聖と山城九段との七番勝負のドラマはなかった。
【第16期棋聖戦最高棋士決定戦第2局】(1手から81手まで)
先番趙本因坊、白番山城九段、コミは5目半。
「黒81となっては、専門家が見れば碁は終わりです」という石田章九段の談話が紹介されている。

ところで、平成4年の小林九段は、山城九段との棋聖戦、大竹九段との名人戦のフルセットの七番勝負を戦っただけでなく、趙九段との本因坊戦で3連勝4連敗の死闘を行っている。
当時の小林棋聖・名人は、まさに八面六臂の大活躍であった。
高木祥一九段監修の「囲碁百名局」には、その伝説の(?)本因坊戦から1局しか取り上げられていないが、「趙治勲傑作選」をみると、素晴らしい戦いが繰り広げられていたことが分かる。その中の名手、妙手を少し振り返ってみたいと思う。
その前に、平成3年の棋聖戦最高棋士決定戦第2局の趙治勲本因坊の残念譜を紹介したい。
平成4年の棋聖戦で「もし山城九段が棋聖の座についていれば」という話があったが、実は運命を分けた半目は、その小林棋聖への挑戦者を決める平成3年の棋聖戦最高棋士決定戦第2局にもあったのだ。
この碁は、「趙治勲傑作選」に趙本因坊にとって「わが生涯を代表する慙愧の局」と紹介されている。
棋聖戦最高棋士決定戦の第1局は趙本因坊が白番5目半勝ちし、この第2局も大優勢となり小林棋聖への挑戦まで目前に迫ったものの、黒番半目負けを喫した。そして最終局の第3局にも敗れて山城九段が挑戦者となったのだった。
もしこの第2局に趙本因坊が勝っていたら、小林棋聖と山城九段との七番勝負のドラマはなかった。
【第16期棋聖戦最高棋士決定戦第2局】(1手から81手まで)
先番趙本因坊、白番山城九段、コミは5目半。
「黒81となっては、専門家が見れば碁は終わりです」という石田章九段の談話が紹介されている。

ところで、平成4年の小林九段は、山城九段との棋聖戦、大竹九段との名人戦のフルセットの七番勝負を戦っただけでなく、趙九段との本因坊戦で3連勝4連敗の死闘を行っている。
当時の小林棋聖・名人は、まさに八面六臂の大活躍であった。
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