熊本から気ままに山と自転車のブログ

繁根木八幡宮

繁根木八幡宮鳥居
2020/6/16(火) 晴
天候は晴れ、最高気温31°と今日も真夏日になった。久しぶりの晴天に、10時過ぎからポタリングに出る。

自宅から3~4km来た所でカメラを忘れたことに気づき、これもポタリングのうちと取りに帰る。後は順調に玉名市街地まで来て、繁根木八幡宮(写真1参照)の前を通る。この鳥居は、玉名市指定有形重要文化財になっていることを思い出し写真に撮る。


鳥居石段左側の石垣(写真2参照)は、大きな石で築かれている。なかには、二つに割る予定で穿った楔穴が、石が割られずにそのまま残っている物もある。


説明板(写真3参照)によると、菊池の滅亡により神社も荒廃したが、加藤清正が来たの要所と位置づけ再興に力を入れた。石垣はその時築かれた物とある。



玉名繁根木八幡宮とその周辺
2018/11/3(土) 晴

先週の古墳見学に続いて、再度玉名市を訪ねる。
目的は、玉名市歴史博物館こころピア。
が、博物館は地震被災の復旧が終わらず休館中。
同敷地内の資料庫のような建物で「金栗四三展」があっている。
四三氏は、生涯で地球6周1/4≒250,000kmを走ったという。
私が趣味で自転車を乗った距離の10倍、自転車通勤を加算しても5倍を走ったことになる。
まさに「体力、気力、努力」の人と敬服する。

博物館を後にして、繁根木八幡宮近辺を散策する。
繁根木八幡宮楼門(写真1参照)を見る。
楼門変額は細川重賢公の親筆によるという。


由来書(写真2参照)では、平安中期の応和元年(961)紀国隆が山城国岩清水八幡宮を勧請したと伝えるとある。
天正16年(1588)加藤清正公は社殿の復興に力をいたされ・・・細川氏も敬神の美風を継承され・・・とある。肥後国衆一揆の後の人身掌握の腐心かと推測した。


楼門内の阿吽の石像にも西南戦争時の弾痕(写真3・4参照)が残る。


自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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