お久しぶりです。
5月28日より、母が急変して以来ですからね・・・・・
母は6月3日の朝の7時37分、この世とお別れいたしました。
私は看護師ではありますが、あれぼどの最期になるとは
予測出来ませんでした。
一人部屋に移ったのが5月28日です。
私が昼休みに行った時にはもう一人部屋でした。
母は私に 「 居て欲しい。。。。。」 と言いました。
その意味は
一人部屋=死期が近い
母が分かってしまった瞬間だからでしょう~
その言葉を聞いてからは片時も目を離せない
状態になりました。
最後の3日間は側に居るのがツライくらいでした。。。。
いくら痛み止めをしても効かない。
「 あと、いい~ おうちに帰る・・・・・・・ 」
そう何度も言われると私まで涙が
止まりませんでした。
この多発性骨髄腫と言う病気の最期は
想像を絶する痛みだと言われる
ように母はとても痛がった。どんなにかつらかったか。
最後の最後まで意識がはっきりしてたのでなお更、
脇で看てるのもつらい。
最後は父と私で呼吸が止まるかもしてないと
いう注射を承諾しました。
最愛の父そして孫、娘、パパ、ご兄弟達みんなに
見守られて逝きました。
6月6日、 セレモニ-酒田にて葬儀が行われました。
私は火葬や納骨全て初めてで、
とても衝撃的でした。
すべて、終わりました。
でも、母が亡くなった実感がまだありません。