[この記事は Doblog に 2005-09-13 23:44:22 付で載せていたものです]
先ずは(例によって?)言い訳から・・・
先週・今週は飲み会続き.
記事を書き溜めておく習慣がありません.
休日には連発できても,酔眼・酔頭で
帰宅すれば書くのも辛いし,
常連の方々の記事をみることも滞りがち・・・
訪問して下さっている方々にはゴメンナサイ・・・ m(__)m
さて,昨夜はお世話になった方が今月末で定年退職なさるので,
随分前から予定を入れて頂いていた二人っきりの送別飲み会.
人望のある方なので,職場はもちろん,
仲間内などでの送別会がたくさん予定されているはず.
なので,随分前から予約していました.
また,何度もご馳走になっているので,
一度はこちら持ちで一献傾けさせて頂こうという訳です.
私の勤める会社は60歳が定年.
誕生月の末日が退職日となります.
60歳は今ではまだまだ若く,働ける年齢です.
それまでの積み重ね・経験が体力不足を補って余りあるような年齢だと思います.
ただ,定年まであと数年という年齢になると,
本人は安住してしまうというか挑戦的な仕事をしない傾向があるように思います.
会社もまたその人に期待をしなくなるように思います.
このような状態は一種の企業風土のように思いますが,
これが続く限りV字回復とか更なる成長は期待薄です・・・
あっ,話が逸れました.
私は前職場でちょうど10年間勤務し,
’89年の夏に今の会社に中途採用されました.
日記と呼んでいる個人的職務記録を見ると,
’93年の春に初めてその方と会ったようです.
今の会社に勤め始めて4年目に私の上司として,
別拠点から単身赴任された方です.
またまた私事で恐縮ですが,再就職後の3年間は暗い毎日でした.
職場が期待していることを私ができないので,
即戦力として採用した人物(採用された私)は鬱々とした気分が続き,
出社途上の電車の中でボ~ッとしていると,
頭の中でドイツ映画「Uボート」(暗い映画です)の音楽が鳴っているのに
気付くこともしばしばでした.
まぁ,それも時間が解決してくれたようで,
たまたまA型肝炎で26日間入院した後は,
普通の人(悩みはあるけれど一応何とかなる人)になりかけていたようです.
そんな時期に長野県から東京に赴任されてきた人が,昨夜ご一緒した方です.
この時期には組織の刷新もあって,
中途採用時に私の上にいた方々が別の仕事に就き,
その後任として私を含む数名が
(その頃は台数も少なかった)PCを軸にして
メインフレーム(ホストコンピュータ)との連携とか,
PC単体でのシステム開発などをするようになりました.
その方が赴任されたのはそんな時期でした.
自慢じゃないですが(もちろん自慢話です・・・^_^;),
社長賞を頂戴したことがあります.
PCを主体としてメインフレームと連携したシステムを作っていました(昔話).
その方のアドバイスがあって応募したら社長賞が頂けた次第・・・
副賞の現金は祝賀の飲食で消え去っても,
金属プレートの盾(?)は今でもリビングに飾っています.
# もう一つ自慢話です・・・^_^;
2回目の社長賞を頂戴しました.
その時の上司は既に別の人になっていましたが,
前の上司は今度は審査員として(厳しく?)私の業績を追及されました.
賞を頂戴したことは数少ない外部的な私への評価でしょうが,
その方への恩義というか感謝はそんなところにはありません.
・・・今晩はここら辺で中断します.
書いているとたくさんのことが思いだされて,支離滅裂になりそうです.
出直したいと思います.
先ずは(例によって?)言い訳から・・・
先週・今週は飲み会続き.
記事を書き溜めておく習慣がありません.
休日には連発できても,酔眼・酔頭で
帰宅すれば書くのも辛いし,
常連の方々の記事をみることも滞りがち・・・
訪問して下さっている方々にはゴメンナサイ・・・ m(__)m
さて,昨夜はお世話になった方が今月末で定年退職なさるので,
随分前から予定を入れて頂いていた二人っきりの送別飲み会.
人望のある方なので,職場はもちろん,
仲間内などでの送別会がたくさん予定されているはず.
なので,随分前から予約していました.
また,何度もご馳走になっているので,
一度はこちら持ちで一献傾けさせて頂こうという訳です.
私の勤める会社は60歳が定年.
誕生月の末日が退職日となります.
60歳は今ではまだまだ若く,働ける年齢です.
それまでの積み重ね・経験が体力不足を補って余りあるような年齢だと思います.
ただ,定年まであと数年という年齢になると,
本人は安住してしまうというか挑戦的な仕事をしない傾向があるように思います.
会社もまたその人に期待をしなくなるように思います.
このような状態は一種の企業風土のように思いますが,
これが続く限りV字回復とか更なる成長は期待薄です・・・
あっ,話が逸れました.
私は前職場でちょうど10年間勤務し,
’89年の夏に今の会社に中途採用されました.
日記と呼んでいる個人的職務記録を見ると,
’93年の春に初めてその方と会ったようです.
今の会社に勤め始めて4年目に私の上司として,
別拠点から単身赴任された方です.
またまた私事で恐縮ですが,再就職後の3年間は暗い毎日でした.
職場が期待していることを私ができないので,
即戦力として採用した人物(採用された私)は鬱々とした気分が続き,
出社途上の電車の中でボ~ッとしていると,
頭の中でドイツ映画「Uボート」(暗い映画です)の音楽が鳴っているのに
気付くこともしばしばでした.
まぁ,それも時間が解決してくれたようで,
たまたまA型肝炎で26日間入院した後は,
普通の人(悩みはあるけれど一応何とかなる人)になりかけていたようです.
そんな時期に長野県から東京に赴任されてきた人が,昨夜ご一緒した方です.
この時期には組織の刷新もあって,
中途採用時に私の上にいた方々が別の仕事に就き,
その後任として私を含む数名が
(その頃は台数も少なかった)PCを軸にして
メインフレーム(ホストコンピュータ)との連携とか,
PC単体でのシステム開発などをするようになりました.
その方が赴任されたのはそんな時期でした.
自慢じゃないですが(もちろん自慢話です・・・^_^;),
社長賞を頂戴したことがあります.
PCを主体としてメインフレームと連携したシステムを作っていました(昔話).
その方のアドバイスがあって応募したら社長賞が頂けた次第・・・
副賞の現金は祝賀の飲食で消え去っても,
金属プレートの盾(?)は今でもリビングに飾っています.
# もう一つ自慢話です・・・^_^;
2回目の社長賞を頂戴しました.
その時の上司は既に別の人になっていましたが,
前の上司は今度は審査員として(厳しく?)私の業績を追及されました.
賞を頂戴したことは数少ない外部的な私への評価でしょうが,
その方への恩義というか感謝はそんなところにはありません.
・・・今晩はここら辺で中断します.
書いているとたくさんのことが思いだされて,支離滅裂になりそうです.
出直したいと思います.