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浅知恵ブログ

浅知恵というホームページでの過去ログと、日々のぼやきなんかを適当にアップしていきたいと思う今日この頃です。

これからののど自慢にはポロリ(乳)が必要。

2007-07-09 | その他
日本において、古来より日曜日の昼間の時間というものは、NHKの「のど自慢」である。古き良き日本人は、日曜日ののど自慢を何よりも楽しみにして生きてきたし、それを見るために生きている人も少なくない。

むしろ、のど自慢を見る事が生きがいになっており、のど自慢が見れるからこそ、こんな世知辛い世の中にでもしがみついていられる人もいるのではないだろうか。のど自慢は昔からお茶の間に温かい笑い(幸せ)を運んできた。

ここで、のど自慢の重要性を物語る貴重な意見を二つほど紹介したい。



北海道在住のヨネさん(71)

「アタシャね、のど自慢があるからこそ、憎き息子の嫁のネチネチとした嫌がらせにだってたえ忍ぶことができるんだよ。あの鬼嫁め。大事な大事な一人息子をアタシから奪っていったドロボウ猫め。ヤツ(息子の嫁)は、毎晩のように寿司の出前をとり、愛犬チワワには、超高級ドックフードを買ってくるくせに、アタシのご飯は今日もなかった。鬼嫁はニヤニヤしながらこんなことを言う。」


『あ~らごめんなさい。お義母さんは食べないかと思って…』


「ムきぃぃぃぃ口惜しい。天国のアナタ。ヨネはつろうございます。できることなら早くアナタのもとへ逝きたい…。それでもアタシャね、こんなこと言ったらアレだけども、のど自慢があるから頑張れるんだよ、のど自慢があるからね、息子の嫁の再三の嫌がらせにだって耐えていけるのよ。のど自慢があるから…」
(言いながらヨネは大粒の涙をこぼし、言葉を詰まらせた…)




都内在住の光江さん(52)は赤裸々に語る。

「主人がいまだに毎晩体を求めてくるんです。正直言って、アタシ体的にはもう全然そういうのダメで、ドン・キホーテで安売りしてたイチゴのローションつけて頑張ってはいるんですけどね、もう痛くて痛くて…。それでも主人は毎晩毎晩まるで野に放たれたケモノのようにアタシの体をむさぼり続けるの。

アナタ…お金あげるからお願いだから風俗に行って…。

前に主人にそうお願いしたこともありました。けどまったく聞いてくれなかった。主人も不器用な人なんです。主人とはお見合い結婚で、新婚旅行で行った熱海の旅館で初めて結ばれました。

あの時はお互い初めてで、どうしていいのかわからずに暗闇の中、お互いの肌の感触を確かめあいました。フフ、主人ったら焦って入れる穴を間違えちゃって…。今ではわざと間違えますけどね。

以来、主人は30年間アタシ一筋ですので、他の女性の体を求める勇気がないらしくて…。昨夜もギンギラギンにさりげなく猛り狂った主人のイノシシにアタシの体はメチャクチャにされ…。

けどね、痛いけど、辛いけど、精神的に壊れそうだけど…、アタシ頑張れるんです。だって少し頑張れば、日曜が来て、そしてのど自慢が入るんですもの。だからアタシ、頑張れるんです!」
(そう言う光江の目はキラキラと輝いていた)



こういった貴重な意見を聞いていると、のど自慢というものが、もはや日本人にとってなくてはならない生活の一部である、ということを改めて再認識させられますよね。まったく身も心も引き締まる思いです。

つまり、のど自慢がなければ、日本はそういった高齢の世代から徐々に崩壊の一途をたどると考えられるわけで、逆に言えば、のど自慢が日本の平和や、ひいては治安や秩序、和の心などを陰で24時間サポートしている、とも考えられるのだ。


のど自慢の視聴率は、今も昔も変わらず安定した数字で推移しており、一部専門家の間では、これだけ不祥事が続くNHKの受信料の未納がなんとか今の水準を保っていられるのも、ひとえにのど自慢があるから、とさえ言われている。

のど自慢はすでに我々の生活の一部として、さりげなく日常に溶け込んでいるのだ。


「カンカンカ~ン!カカカカカカン!」

少し間の抜けたオープニングの鐘の音が鳴り響く。おなじみのメロディにのせて、本日の出場者が入場してくる。お楽しみのゲストは五木ひろしと瀬川瑛子だ。全国のお父さんの鼻息も荒くなり、期待と興奮が徐々に高まってくる…。さぁさぁ皆の者!日頃鍛えたのどを自慢しあうがいい!宴、今、開幕。


しかし、ここで一つの問題があることに気付く。のど自慢が抱える深刻な問題…、それは前記した、二人のケースにも当てはまるし、なにより客席を見ていると一目瞭然でわかる。



客席の高齢化。

現段階で、のど自慢のもっとも重大な問題は高齢化であると考えられる。その証拠に、のど自慢を楽しみにしているというか、もはや生活の一部とまで考える生粋の「のど自慢フリーク」は、50歳以上がそのほとんどで、若い世代にのど自慢を愛する人はほぼ存在しない、というのが悲しいかな現状なのだ。

客席を見てもはっきりとわかるように、客席の年齢の割合は、50歳以上が8割、残り2割のうちの半数は出場者の応援で駆けつけた若者や子供、残りの半数は、年寄りについて来た孫といった割合である。


ここで今、のど自慢を楽しみに見ている世代が50歳以上、日本人の平均寿命を80歳と仮定した時、のど自慢に残された時間は多くても30年という計算式が成り立ってしまう。

つまり、現段階でのど自慢を楽しく見ている世代は、少なくとも残り30年でいなくなることになり、30年後ののど自慢の視聴率は、今のまま推移すると、ほぼゼロに近いものになると予想される。

のど自慢を存続させるためには、現代のお年寄りに変わる新しい若手世代が、引き継いでのど自慢を見なければならない、盛り上げなくてはならない、会場に足を運ばなければならない、という図式になる。

今の若い世代でのど自慢を愛している人はほとんどいない、というのは先にも書いた通りゆるぎもない事実である。これではもはや日曜日の国民行事とも言えるのど自慢の存続自体があやしくなってくる。

若い世代にも、のど自慢のよさが伝わればいいのだけど、今のままでは難しいものがある。そこで、少しでも興味を持ってもらうために、冒頭で書いたポロリ(乳)が必要になってくることは間違いない。

過去の歴史を紐解いてみてもわかるように、【ポロリもあるかもよ】的なサブタイトルをつけた番組は、視聴率がうなぎのぼりに急上昇することは間違いない。


のど自慢でありながら、毎週、巨乳な一般人の女の子が多数登場。歌と歌の合い間に、水着で騎馬戦を繰り広げる。

当然ながら、そこにはまことに不確定ではあるけども、ポロリ(乳)の可能性が同居する。巨乳の女の子どうしの真剣な戦いなものだから、可能性はあくまでも未知数だが、かなりの高確率でポロリ(乳)が発生することは否定しない。


次世代ののど自慢を支えるとされている比較的若いお父さん世代(30歳後半~40歳代)は、働き盛りであると同時にポロリ(乳)に弱い半面を併せ持っている。

特に、性欲を余すことなく残しつつも、女性との絡みがほとんどなくなってくる40代の中年世代には、このポロリ(乳)の刺激は麻薬のように体に浸透していく。一度見てしまうともう止められなくなる。水系のモンスターにサンダーが効果テキメンなように、30~40代にはポロリが効く。ガツンと効く。

今まで難しくて見向きもしなかったDVDなどのディスクを利用した録画方法を急に覚えるようになる。テレビ録画できるパソコンやDVDレコーダーが爆発的に売れ、家電業界も便乗して盛り上がり、経済が発展し、世の中が好景気に沸くかもしれない。


ただ、毎回ポロリ(乳)があるわけではなく、たまに驚くほど全くないときもある。しかし、それが逆に世の中の中年達に良い刺激をあたえ、期待という炎を燃え上がらせることになる。

一家の大黒柱である、中年のお父さんがのど自慢を見るようになれば、テレビが一台しかない家庭は必然的に日曜日は、のど自慢を見ることになる。小学生の男の子は、父と一緒に乳を見ることになる。

これらがすべてよい循環となって世間に浸透する。やがて世代が変わってものど自慢は時代にあわせてその形態を少しずつ変え生き残っていくだろう。


そしてそれがすべての日本人を幸せにしていくのです。



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むかしむかしの犬の話。

2007-04-16 | その他
我が家に犬がやってきたのは、確か俺が小学校2年くらいの時だったと思う。この犬は、親戚から譲り受けてきた2歳のオスの雑種で、名前をゴロといった。

この時期の子供というものは、たいてい何か動物を飼いたがるものだ。当時の俺も同じで、犬を飼いたい、と両親に駄々をこねた。母親は、汚いからという理由で猛反対した。親父も反対だった。俺に世話できるはずがない…これが主な理由だった。

反対する両親を子供独自のゴネパワーで押し切り、「俺がすべての面倒をみる」という固い約束のもと、しぶしぶ了承を得ることに成功した。

残念ながら、その固い約束が守られることはなかった。献身的に面倒をみたのはせいぜい三ヶ月くらいなもので、その後ゴロの世話は、家族の分担になることとなった。けど、いつの間にかゴロは家族全員から愛されるようになっていた。最初は猛反対だった母親が一番可愛がっていたように思う。


今にして思うとゴロはまったくおとなしい犬だった。犬らしさがまるでないという形容がピッタリで、ほとんど吠えたのをみた事がない。とにかく温和で、どこか臆病で、誰にでもよくなついた。近づくとワンワン吠えて狂ったように走りまわる友達の家の犬を見て、犬にもそれぞれ性格があることを知った。

散歩に行く時だけゴロは犬の片鱗を見せた。リードを見た瞬間からとにかく興奮して大喜びで走り回り、リードに繋ぎかえるのに苦労したものだ。実家は田舎だったもので、面倒な時は時々リードなしで散歩することもあった。

実際ゴロは臆病な性格なので、リードなしでも全く問題なかった。歩いている俺のそばを片時も離れようとしない。普通の犬なら色々なところに興味を示し、どこか遠くのほうまで行ってしまいそうなものだけど、ゴロはせいぜい俺の半径5m以内をウロウロするばかりだった。そして何度も俺の姿を確認して安心する。

一度だけ、ゴロがよそ見をしているうちに、付近にあった車庫の陰に隠れた事がある。少しして車庫の陰からソッと様子をうかがうと、そこには本気で焦るゴロの姿があった。キョロキョロと注意深く辺りを見回し、明らかに挙動不審になってた。犬なんだから飼い主くらい匂いでわかりそうなものなのに、その辺の能力はあまり無いらしかった。

ゴロは泳ぐことも上手ではなかった。当時は、「名犬ラッシー」というテレビドラマが大ブームで、その影響もあってか、犬は普通に泳げるものだと思っていた。テレビの中のラッシーはとても頭がよく、飼い主のピンチの時にはよく川とかを泳いで渡ったりしていたのだ。

ラッシーのようになってほしかった俺は、嫌がるゴロをよく近所の公園のプールに連れて行った。プールといったら聞こえはいいけど、実際にはヒザ上くらい深さで、雨水混じりの水が溜まっているだけの簡易プールだった。

俺は水に入ることに激しく抵抗するゴロを無理矢理水の中に投げ入れた。時には自らヒザまくりして入り、水の中からゴロを引っ張ったりした。ゴロはもてる力を最大限に発揮して抵抗する。俺も子供ながらに最大限の力を発揮して引っ張り続ける。そして強引に水の中に引きずり込む。子供と犬の全力の綱引きは連日繰り返された。

水の中でごぼごぼと溺れそうになりながら暴れるゴロをみて、俺は「泳げ!泳げ!」と叫び続けた。どんな熱血だ。まったくもって迷惑な話である。そんなこと言われて喜びそうなのは、たい焼き君くらいなものだ。当然ゴロは苦しそうに叫びをあげる。

トンボの羽をむしるように、アリの巣を爆竹で破壊するように、子供の頃は時としてこういった残酷な事を平気でするものだ。これは残酷というよりも純粋に興味があるというレベルの思考で、まったく計算のないストレートな感情だ。

当時の俺も決して残酷だと思っていなかった。とにかく名犬ラッシーのように泳げるようになってほしい…純粋にその一念しかない。

かつて名犬ラッシーがそうであったように、火の不始末からボヤがあったとして、それをいち早く見つけて川を渡って知らせに来てほしかった。ちなみに実家のそばには川はないし、ボヤを知らせられても小学2年の体には消火にあたる力も行動力もない。


結局ゴロが泳げることはなかった。多分少しずつ水に慣らして、徐々にゆっくりやれば泳げるようになったのだろうと思う。当時子供だった俺はまったくバカで浅はかで、このような考えなど微塵も持っていなかった。一週間くらいで泳げるようになるハズ、という根拠の無い自信はもろくも崩れ去った。

そうこうしているうちに、俺の中でラッシーブームは去り、ゴロも普通に地上を歩けるようになった。


                   □


ゴロが死んだのは、俺が高校2年になった秋ぐちのころだったと思う。

ある肌寒い日の朝、前日まで何事もなかったように生きていたゴロは突然死んでいた。死ぬ一週間くらい前から、なんとなく元気はなかったけど、特に目立った異常は見られなかった。

死因はわからなかった。いつも臆病で温和だったゴロの死に顔は、決して穏やかなものではなかった。クサリを激しく噛みながら絶命していたその姿は壮絶で、夜の闇の中、ひとり孤独にもがき苦しみながら死んでいったことを雄弁に物語っていた。

どういった経緯でゴロがクサリを噛んでいたのかはわからない。けれど、俺にはこの痛み、苦しみから逃れようとしてクサリを噛み切ろうとしたように見えた。牙をむき出しにしてクサリに喰いついているその顔は、やさしかったゴロが最初で最後に見せた野性の顔だった。



ゴロがいなくなってからもしばらくは小屋は残したままだった。なんとなく片付ける機会を失ってしまい、一ヶ月くらいそのまま置いてあった。今にもその小屋からゴロが出てきそうな気がして何度も通るたびに見たけど二度とゴロが出てくることはなかった。

やがて小屋も撤去され、小屋を中心にクサリの円周上に10年間ゴロが何度も往復してつけた歩き溝だけが残された。その溝だけがゴロが生きていたことをいつまでも証明していた。


以来、実家で犬を飼うことはなかった…。もう一匹犬を飼おうか、と俺は言ったけど、母親は10年前とは違う理由でかぶりを振った。

もうこの悲しみを味わいたくないから…。

***************************************

ゴロが死んでもう十数年。どうして今になってこの話を書こうと思ったのかはわからない。ただなんとなく書きたくなった。今までゴロのことを思い出したことはあまりない。今回ゴロと過ごした日々を思い出しながら書くにあたってじんわりと涙が出た。

あの時は不思議と涙は出なかったのに。


犬ほど飼い主の存在を喜んでくれる動物はいないと思う。猫も好きだけど、やはり俺は犬が好きだ。

「あのぉ…犬を飼いたいんだけど…」

そう提案した俺の意見に、嫁は光の速さで反対してきた。嫁は犬が嫌いなのだ。



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信号機のしくみ

2007-04-05 | その他
道路を歩いていて必ず目にするものといえば皆さんはいったい何を思い浮かべるでしょうか。

電柱、看板、広告、ボロボロの軍手(片方だけ)、犬のフン、または使用済みのコンドームなど、人それぞれで答えは異なるとは思うのだけど、誰でも共通して目に入るものと言えば、第一には信号機があげられると思います。

信号機の歴史は非常に古く、日本で最初の信号機は1930年に立てられました。以来、信号機は日本の高度経済や車の飛躍的な普及を支え、全国における道路の発展とともに少しずつその数を増やしてきたのです。


車両用信号機、歩行者用信号機、補助信号灯など、信号機の種類や形は数多くあるけども、この当たり前のようにある信号があるからこそ、それに付随して交通ルールが徹底され、我々は安心して暮らすことができるのです。


では、もし信号機が全くなければどうなるのか。


もしこの世に信号機というものが存在しなければ、交差点では誰もが車を止めることもなく全開で突っ込んでいくことになるので、事故の絶えないバイオレンスな世界になることは容易に想像がつきます。そうなると、ちょっと車でスーパーへ買い物へ行く、というだけでも命懸けの出発ということになるのです。


******************************

ある日、いつものように台所で煮物を作っていた主婦、久美子はみりんが無い事に気がつく。ちなみに久美子は夕食の準備で手が離せない。

「あらやだ。アタシとしたことが…みりんが足りないわ。アナタぁ~ちょっとそこのスーパーでみりん買ってきてくださいな!」

どこにでもある日常の風景。「ん、ああ…」 居間の長椅子で寝そべって新聞を読んでいたマコトは、気のない返事とともに重い腰をうかせるのだった。近所とはいえ、直線距離にして5Kmはある。

歩いて行くには少し遠いので、マコトは車でみりんを買いに出かけることにした。そしてそのまま帰らぬ人になる…。交差点で出会い頭の衝突。2台の車はどちらもブレーキ痕がなく、全開で全壊したことが確認できた。

泣き崩れる久美子。アタシがみりんを頼まなければ…いや、アタシがみりんの管理をしてさえいれば…。悔やんでも悔やみきれない現実。久美子は後の人生を後悔を背負い生きていくことになる。


そして10年後……


マコトの10回目の命日。マコトの墓参りに来た久美子の隣にはタケシがいた。

タケシはマコトの大学時代からの親友で、マコトの死後、悲しむ久美子をずっとそばで支えてきた。どんなに悲しい時でも、すぐ隣で見守り、やさしく励ましてくれるタケシに、久美子は次第に心を開いていく。

マコトが死んでから、久美子とタケシはこの日は何があっても二人で連絡を取り合い、毎年欠かさずに墓参り来ていた。

いつものように線香をあげて、墓にみりんをかけた。マコトの大好きだったカントリーマァムをそっと置き、手を合わせて目を瞑る久美子にタケシが言う。

「僕じゃダメかな?」

「……?」

「いや…マコトの代わりは僕じゃダメかな?」

「でも…アタシ…。みりんが…」

「みりんなら家にくさるほどある。だから…」

タケシの実家は代々続く有名な蔵元で、みりんの醸造も手がけていた。

「久美子のことが好きなんだ。いや、マコトと結婚する前からずっと好きだった…。あれからもう10年。マコトも許してくれるよな?」

久美子の頬が赤く染まったのは、夕日のせいだけではなさそうだった。

沈みゆく太陽がやわらかに墓の前の二人を包みこんだ。徐々に長くなるふたつのシルエットがひとつに重なり、やがてゆっくりと倒れていった。

******************************


これは信号機がこの世に存在しなかったために起こったひとつの悲しい物語である。あまり大々的に報道されないだけで、実はこういった話は全国で無数に存在するのです。

信号機がないというだけで、これほどまでに日常が死と隣り合わせになるものなのだ。まったくもって恐ろしいことです。改めて信号機の重要性と、人の命の重さ・尊さ、みりんの重要さがわかると思います。


命を守る上で最も重要なこの信号機ですけど、俺が察するに、皆さんは交通ルールをあまり守らない無法者だと思うので、普段から信号機をあまり意識はしていないでしょう。加えて、信号機の仕組みがどうなっているのかも知らないと思います。

これは、ド・シロウトの皆さんであれば当然のことで、信号は青が進め、黄色が警告(止まれ)、赤が停止であることは知っていても、それがどこでコントロールされているものなのかまでは知らないと思います。


こう言ったらまあアレなんだけども、俺は信号機に関しては比較的詳しい一面を持つものだから、今日はド・シロウトの皆さんだけに特別に信号機について、裏でどのようなコントロールがされているのかをお教えしたいと思います。

ここから先は、信号業界ではタブーとされている話になるので、ここで読んだと言わないで下さいね。お願いします。


青、黄、赤、と車両用の信号には三色の色があり、交互に点灯していくということは、いくら交通ルールを守らない半端者の皆さんでも知ってることと思います。

一方が青ならその横の道は赤、といった具合に事故が起こらないように交互に信号が変わるので、一般的にはすべてコンピュータで信号が自動制御されていると考えられがちですが、実は違います。



信号は人間の手作業で変えられてます。


大雑把に時間を数えながら、青、黄、赤と手元にあるコントローラーのボタンを押していきます。決して時計を使わず、カンだけで信号を変えていきます。この辺りは、熟練した職人ならではの技です。

この話をする前に、信号士という資格の話をしなければなりません。信号士とは、別名「信号職人」と呼ばれ、文字通り信号を手作業で変える職人のことで、国家資格です。

信号機のある交差点には必ずこの信号士が1人配置されており、信号を自由自在にコントロールしているのです。


信号士を目指す人は、中学を卒業する同時に、信号士養成学校(通称、信学)へと進学することになります。ごく一般の学生が、楽しい高校生活を送る3年間もの間、信学では厳しい指導の日々が続きます。

信学では、青と黄色を混ぜたら黄緑になること、青と赤を混ぜたら紫になることなど、黄色と赤を混ぜたら橙になること、など色の三原色についてみっちりと頭に叩き込まれます。

その後、青、黄、赤の配列の猛勉強。色の見分け方、停電時の対処、または赤い果物の暗記など、徹底的に叩き込まれます。人の命を左右する職業なだけに、授業内容は過酷を極め、少しの妥協も許されません。成績の悪い生徒は、次々と切り捨てられていきます。

卒業する頃には、入学当初500人はいた生徒が、50人くらいにまで激減しています。入学当初はどこか甘えたような面構えだった生徒達も、次第に信号という自らの使命の重要さに気がつき、立派な信号マンの顔になっていくのです。

そして晴れて卒業の時を迎えます。しかし、卒業したからといってすぐに信号が始められるわけではありません。

卒業した生徒は、それぞれ思い入れのある近所の信号機に弟子入りします。そこで3年間、先人達より信号の操作を学びながら歩行者信号を点滅させるなどの手伝いをします。

最終的には、3年間の実務経験を証明する書類一式と、師匠でもある信号機の書いた紹介状を全国信号協会に提出することで信号士という資格が与えられ、信号機の空きのある地方へと配属されるのです。

皆さんが普段、何気に目にしている信号機。その中には血の滲むような訓練に絶え、それでもなお諦めずに技術を磨いてきた職人達が今日も不幸な事故から皆さんを守っているのです。




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昔ながらのバレンタインのあり方。

2007-02-14 | その他
今日はバレンタインデーですね。

これは先日、当サイト上で行ったアンケートの結果からわかった事なんですけど、浅知恵を見ている方というのは圧倒的に巨乳の女子高生が多いんですよね。さらにその中でメガネをかけている女の子は全体の9割もいました。まったく、こんなに女子高生@巨乳から支持されているサイトを他に見たことないですし、アンケートも行っていない。

まあそれは比較的どうでもいいんですけど、イマドキの若い世代の中には、バレンタインデーなんて適当にチョコあげときゃやり過ごせるY、なんてまるで「村の安全は山の神にイケニエを差し出しとけば何とかなる」みたいなスタンスで軽く考えている人が非常に多いのです。

まったくなんたることでしょうか。実に嘆かわしいことです。これだから最近の若者はなってないとオヤジ世代から言われるのです。このままバレンタインデーというすばらしい日が、ないがしろにされていっても良いのでしょうか。


今でこそ【タレント・作家】という肩書きになっている飯島愛が、もとはAV女優だということが今の若者の中で次第に薄まってきているように、バレンタインデーというものの存在価値が徐々に薄まっている。

そんな今だからこそ、携帯の時代だからこそ、我々は後世に伝えていかなければならんのです。その昔、飯島愛にさんざんお世話になったという事実を。飯島愛に費やした箱ティッシュ(シコッティ)たちを。ついでにバレンタインデーというものを。

それがある意味で、俺の人生での使命だと自負しています。いつも指名ばかりだけど、使命だって氏名だってあるのだということを伝えたい。たまには店長を信じてみるということの大事さ、わかってほしい。

そんなワケで、今日は迷える子羊達(巨乳)にバレンタインというものが何なのかをお教えしたいと思います。


簡単に言いますと、バレンタインデーというものは、女性が日頃から熱く想い恋焦がれる男性に対し、濡れ濡れの火照った体でチョコレートを渡し、その燃え盛る気持ちを伝える日なんですよ。

じんじん火照った体から発する熱でチョコが溶けるのが先か、はたまた、彼の熱い腕の中でアナタのハートがメロメロにとろけてしまうのが先か。もう愛のこくまろなのですよ。そこから先はおのおのが勝手にやればいいと思います。


これを読んでいる女性の皆さんは、巨乳とはいえ、おそらくは意地汚いジャップでしょうから、チョコレートなんてものは金出して買ってしまえば問題ないと思っていることでしょう。

本命には手作りチョコを・・なんて鼻息荒く意気込む少女であろうとも、所詮は買ってきたチョコを湯煎し、これまた買ってきたカタに流し込んで冷やすといった安易な工程でもってその想いをなし遂げているに過ぎないのです。

実に嘆かわしいものです。

現代に産まれてまだ10~20年くらいしか経っていない若い皆さんは知らないだろうと思うので、少しばかり説明致しますけど、昔の女性はチョコレートは産んでました。

今みたいにスーパーの安売りで買ってきてハイ終わり!というわけではなく、それはそれはもう大変な想いをして産んでいたのです。


昔は、チョコ専門の助産師さん、通称「チョコ産師」という方々がいたものです。チョコは女性の体から、というのが当時の世間的な常識でしたから、バレンタインデー前夜には、チョコ産師たちが各家庭を回って、恋に恋する女性達のチョコ分娩(ぶんべん)のお手伝いをしていたものです。

さらに、産まれたてのチョコレートというものは、これまた非常にデリケートな生き物ですからね、チョコ産師たちは産まれたばかりのチョコレートとの正しい接し方から、チョコレートの世話の仕方、ミルクの作り方まで、何から何まで指導する貴重な存在だったのです。

皆さんは知らないと思いますけど、チョコは女性の脇の下から産まれるんです。昔の女性は強かった。2月13日の夜ともなれば、みな脇を必死に上げて踏ん張っていたのです。

信じられますか。女性は男性に思いを告げるその為だけに、脇の下の臭いがちとキツイところからチョコを産んでいたのです。エイトフォー時にしか脇の下を上げないであろう現代のナマクラ女性たちと違い、昔の女性達は目に涙を溜めて踏ん張っていたのです。


それだけの重い想いと、甘酸っぱい臭いが詰まっているだけに、昔のバレンタイン時の告白成功率は100%でした。女性も一途だったけど、男性はもっと純粋だった。女性がどんな想いでチョコを精製しているのかを理解してるからこそ、男性はその想いを断れなかったのです。

ロッテなどの活躍により、今ではチョコレートを脇の下から産む人はいなくなりましたが、そのせいで男女間の結びつきが弱くなっているのです。

ブスはとことん男性からはじかれ、顔やスタイルなどにめぐまれたほんの一握りの女性だけが得をしているのが現代の実情です。昨今、出生率の低下が叫ばれていますが、この男女間の結びつきの弱さがそこに何らかの影響を与えているような気がしてならないのです。





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甚吉の覚悟に漢を見た。

2007-02-11 | その他
(節分の日に書かれた記事です)


鈍感な皆さんのことだから多分気がついていないだろうと思うので、この際だからはっきり言ってしまいますけど、節分ですよね。

節分と言えば、「鬼は~外!福は~内!」なんて普段なら恥ずかしくて赤面モノの罵声をあびせながら、家中にこれでもかと豆をまき狂い、太巻きを恵方に向かって一気に食べた挙句、まいた豆をかき集めて、自分の歳の数だけ豆を食べ散らかすというのが一般的かと思います。

俺が毎年、節分の行事について警鐘を鳴らしているにも関わらず、いつまでたっても国会で審議される気配がないので、ここで言わせてもらうけども、この自分の歳だけ豆を食べるという行為は非常に危険だと言うことです。

いやね、5歳やそこらの子供なら全然構いませんよ。5つくらいサクッと豆を食べるがよろしいですよ。けれど誕生日にロウソクがケーキにささりきらないレベルの老人となればそうもいかないのが現状なのです。

これは理屈じゃないんだ。理想と現実は違うし、アンビリーバボーにビートたけしは必要ない。全く困ったことだけども、お偉いさんにはこのことがわからないんですわ。

俺がもっとも危険だと思うのは、毎年言っているように、自分の歳の数だけ豆を喰らうという行為だ。これがいかに危険かということはこれから書く物語を読んでいただければわかるかと思います。

以下に書くのは坂田甚吉さんの場合だ。もちろん甚吉さんは俺の想像上の人物なのだけど、広い世の中ですので、実際にこういった方もいるに違いないのです。

坂田甚吉さんはポリデントの似合う85歳。太平洋戦争の戦火の中をさまよい、特攻隊の隊員でありながら奇跡的に生き残った現代に生きる生き証人。若い頃はそこそこ英雄だったが、現在となっては家族から疎まれる存在に成り果て、話相手もなく、死ぬのをただ毎日待っているだけの空虚な生活を送っている。


**************************

甚吉は豆の前で途方に暮れていた。

食べはじめてから三時間が経過していた。これまでに82個の豆はすでに甚吉の胃に消えていた。残りは3個。

思えば1時間ほど前、76個目の豆ほ口に入れた時までは順調だった。そのままの流れで77個目の豆をかみ砕いた時、ガリという音とともにこれまでに経験したことのないような激痛が甚吉を襲った。

見れば、入れ歯と歯茎の隙間に入れたはずのタフグリップが、通常の数倍もの咀嚼数に追いつかずに剥がれ、隙間に豆のカスが入り歯茎を著しく傷つけていた。タフグリップは今回に限りタフじゃなかった。

それから現在までに豆5個。必死の思いでかんできたがすでに限界も近いと思われた。甚吉によって砕かれた豆は、時として鋭利な一面を容赦なくその歯茎へと突き立てるのだった。そのたびに甚吉の歯茎には途方もない痛みが走る。思わぬところから湧いて出た刺客に、甚吉はただ耐えるしか方法がなかった。

タフグリップのストックはすでに切れており、薬局まで行くには甚吉の足では遠すぎた。他の者はすべて出払っており、家にいるのは甚吉と、人を見たら絶えず吼え続けるしか能のない駄犬のみであった。

もっとも、家に家族が居たとしても、今の甚吉に協力してはくれないだろう。何かと口うるさい甚吉は、家庭内で完全に孤立していた。


ガリ!「うっぐっ・・ぐぶぶぶ・・ぐはっ!」

82個目の豆をかんだ時、歯茎から血が出てきた。若い頃(20年くらい前)は、入れ歯は使用せず、歯茎のみで食事をしていたほどの奇跡の歯茎を持つ甚吉もついに根をあげた。これまでは戦後の混沌とした世界を生き延びてきた強大な精神のタフグリップでその痛みに耐えてきた甚吉であったが、ついに限界がきた。

物置にあるハンマーで粉々に砕いて散剤状に加工して水で流し込めば・・。

これまでに何度も考えた手法だった。だが、それだけは出来ない。砕いた途端、一つの豆は粉々の無数の豆に生まれ変わり、確実に85個食べたことにはならないのだ。やはり豆は豆。一口につき、一つの豆としてカウントしなければ、正式な85個という数字は出せない。

やはりそれだけは出来ない。どうせこのまま朽ち果てるのならいっそのこと・・甚吉は決意する。薬局に行こう。

だが薬局までは距離にして2キロほどある。足腰が極限まで弱りきっている甚吉には、この距離を歩くことはある意味死を意味する。甚吉が行くくらいなら「初めてのおつかい」で5歳児が行ったほうがまだ生存確率は高いと思われた。それでも行くしかない。豆を食べるために・・。

「歯茎がダメになるのが先か、それともこの足が動かなくなるのが先か。どちらにせよ勝ち目の戦いだな」

全てを悟りきった笑顔で甚吉はつぶやいた。死ぬかもしれない・・。不思議と恐怖はなかった。これで死んだら仕様がない、という想いがそこにはあった。そこには先ほどまで置き物のように動かなかった老人の姿はどこにもなく、一人の漢の姿があった。

漢はゆっくりと歩を進めながら暮れゆく街並みへと消えていった。

**************************



ブラボー。甚吉の覚悟に漢を見た。ほんと節分ってすばらしいですね。特に年の数だけ豆を喰らうってやつ。あれ考えた人って天才ですよね。

今まで置き物のように動けず、ただ寿命を待つだけだった、生かされているだけだった老人が、節分のおかげで見事に生きる誇りを取り戻した。数十年ぶりに生きてる証を手に入れたのです。

ほんと節分ってすばらしいですね。




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効果には個人差があります。

2006-11-21 | その他

夜中の通販の番組なんかを見ていると、筋トレグッズ、サプリメント、ダイエットするための薬などを紹介した時に必ずといっていいほど

「※効果には個人差があります。」

といった感じの注意書きが出てくるのだけど、あれを見ているといろいろ考えさせられる。まあ普通に考えた場合、あれは

効果には個人差があります
    ↓
効果がある人とない人がいます
    ↓
一度買ってみて一定期間使ってみないことには効果があるかわかりません
    ↓
全く効果がないからといって苦情の電話をかけてこられても当方は関知いたしません


となってしまい、やれやれ売る前から逃げのコメントですか、と半ば呆れ顔になってしまう。確かにほとんどの人は、頑張ったけど思うように効果が出なかったり、効果が出る前に飽きてやめてしまったり、または別の使い方を考案してみたり、などいろいろしているのだろうと思う。

けれどその中において、バカ正直に、狂ったように使い続け、期待以上の効果を出してしまった人もいるではないだろうか。これぞまさに個人差の極みというもの。

以下に書き記すのは、深夜の通販番組を見ていて、ある器具をついつい衝動買いしてしまった久美子の場合だ。断っておくけどもちろん実話ではない。あくまでも想像の話なのだけど、実際にこんな人もいるのではないかと思う。なんせ世界は広いですからね。


******************************

目が覚めた時、ここが自分の部屋だとわかった。

時間は午前2時。久美子は気だるい体を起こし、しばらくの間、呆然としていた。ひどく喉が渇いていたので台所に行きガブガブ水を飲んだ。次第に頭がはっきりしてくる。

居間に戻ってみるとベッドの上には無造作に脱ぎ捨てられた服が散乱していた。どうやら泣きながら帰ってきて服を脱いでそのまま寝てしまったようだ。ハッと気がついて指をさわってみた。指からはなかば予想した通り指輪が消えていた。

あれは夢じゃなかったんだ・・久美子は一人つぶやいた。夢であってほしかった。マコトとの突然の別れ。数時間前の出来事。

「好きな人ができた・・・」

マコトがそう言った時、たちの悪い冗談だと思った。けど、マコトの目は笑ってはいなかった。

「ごめん・・もう会えない」

そう言って去ってゆくマコトの後ろ姿に思いきり指輪を投げつけた。20歳の誕生日にマコトがプレゼントしてくれた指輪。以来それはアタシの宝物だった。3年間連れ添った宝物は、悲しい響きとともに排水溝へと姿を消した。

それからどこをどう歩いたのかわからないけど一軒の居酒屋に行った。一人で居酒屋に入るなんて初めてのことだ。けれど、すぐ家に帰る気にはどうしてもなれなかったのだ。一人になるのが恐かった。なるべく人の多い所をもとめてにぎやかな居酒屋へとやってきたのだ。

隣の席には合コンらしき若者グループ達が楽しそうに騒いでいた。見たところすでに二人ずつの空気ができ始めている。今夜は全員お持ち帰りか。男達の鼻息がこっちまで聞こえてきそうな勢いだ。

さらに別の席では、すでにすっかり出来上がったサラリーマン風の中年男が部下らしき若者に真っ赤な顔でなにやら説教をしていた。

「今の若いやつときたら・・俺の若い頃はなぁ・・」

昔の苦労話ばかりしたがる上司に限って大した活躍はしていないものだ。過去の栄光にすがるのは、現代についていけていないからだ。説教をうける若者もそれをわかっているのか、ただその場しのぎの相槌をうっている。早く終わってくれないかなと言いたげな顔だ。

そんな居酒屋の喧騒に包まれていると、世界は平和だなと実感する。すくなくともこの店の中は平和そのものだった。ただ一人久美子を除いては。

平和な空気を突き破るかのように久美子は焼酎を飲みまくった。5杯目をたのんだことまでは覚えている・・けれどそこから先の記憶はない。

どこをどう帰ってきたのかわからないけど、なぜだか今こうして自分の部屋にいる。無意識でもなんとかなるものだと久美子は妙に関心した。

つけっぱなしのテレビからは、深夜の通販番組特有の音が聞こえていた。陽気な司会者ボブがスポーツ系インストラクター風のアンジェラとともにある器具の説明をしていた。これで同じ説明を3回目。あまりにしつこいので久美子は内容を記憶してしまった。商品の詳細は以下のような感じ。


・ロデオンボーイ2

痴女のための騎乗位練習用器具。不規則に動く男の腰のリズムに合わせて挿入感を損なうことなく自分も動き、大声で乱れ続ける練習をすることにより、いつの間にか痴女的な感覚といやらしいくびれボディを造ることが出来る。

今まで見向きもしてくれなかった片思いの彼もそのくびれボディにくびったけ。ムラムラしてもう辛抱たまらなくなることウケアイの一品。結果的にはダイエットに効くこともある。今年一番の人気商品で淫気商品。

※効果には個人差があります



ふっ。個人差ってなによ。効かない人もいるってこと?とんだお笑い種だわ。こんなくだらないもの買う人なんているのかしら。なによ痴女って。女性をバカにしないでよもう。ピッポッパッパッ・・

プルルルル・・・プルルルル・・・プルルルル・・・呼び出し音が三回。まだ出ない。注文が殺到しているのかしら。プルルルル・・プルルルル・・・。さらに二回。おかしいわね。番号間違ったのかしら。プルルルル・・・プルルルル・・どうしてアタシここに電話しているの?ねぇどおちて。

マコトがいなくなったさみしさを紛わすため?いいや違う。そんなにアタシ弱くない。マコトがなによ。いいわ、明日から気楽なものよ。せいせいした。マコトに気兼ねなく自由に生きてやるのよ。友達とだって自由に遊べるし、どこへでも行ける。朝夜のメールもしなくていいし楽なものだわ。

好きな服買って、好きな髪型して、好きなもの食べて。そうだもう少し明るめの髪にしよう。マコトのために頑張ってきたダイエットだってもうやめた。いいのアタシ一生一人で生きていく。

マコトだって好きにすればいいじゃない。なによマコトなんて・・・。マコト・・。いや・・いやだよ。マコトに会いたいよ。こんなの切ないよ。アタシこれからどうすればいいのよ。何を目標に生きていけばいいのよ。マコトのいない人生なんて信子夫人のいない落合博満みたいなものじゃない。まるでウスノロじゃない。いやだ、こんな人生やだ。もうどうにでもなれ。

「大変お待たせいたしました。○○通販です。」

「一台プリーズ」



三ヵ月後・・・



「久美子?久美子だよね。」

「あらマコト、何やってるのこんなところで。」

「いや買い物きたらたまたま久美子の姿見つけて。元気?」

「ん、まあ・・ね」

「それはそうと久美子・・お前しばらく見ないうちになんかいやらしい体してんのな。」

「ちょ・・やめてよ」

「いいじゃないか。減るもんじゃなしに」

「だめだって・・人がみてる」

「もう辛抱たまらないッス。ムッヒョー!」

「いや、だめよ。もう・・あ・アン」

「ここけ?ここがええのんか?ん、体は正直だなげへへ」

「いやぁぁぁぁぁぁ・・でもやめないで。」


※効果には個人差があります。


久美子効きすぎ。





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リナからのメール

2006-11-07 | その他
長くサイトやっていると必然的にファンって増えるものなんですよね。この件に関しては残念ながらもう自分ではどうしようもない。俺を慕う人が勝手に増えてしまうのだからフフまったく困ったものですよね。

まあそういった浅知恵ファンの方々は俺が察するにまず間違いなく巨乳で、さらには自前の2つの重量が引き起こす激しい肩こりに日々悩んでいて、もっと言うとメガネをかけていて、普段必死に隠しているけど実はエッチなことに興味がある女子高生なのだけど、今日はその中の一人から以前に受け取った濡れ濡れのメールがあるので僭越ながら紹介したいと思います。



************************************
リナです。

直接メールで言えば良いとか色々思う事もあるかもしれないですが、私のページ何も言わず見てもらえませんか?
http://*********.net/***blog/みてもらえればきっとなんで私がこんな事、嫌われるかもしれないのに頼んでるか、きっと分かってもらえると思いますから。

この前の所だとお金かかるみたいでしたし、スタビみたいなとこがあって、そこに書き直しました。
フリーで使えるブログで掲示板代わりに使ってます。
http://*********.net/***blog/
ここのブログに見つかるように「利奈」っていうニックネームで今更新してきました。
私宛に直接メールができるようになってますし、電話ブログとも呼ばれています、直接電話できるので便利なんです。私からも電話できますよ。
ごめんなさい、面倒かもしれないけど、これだけはお願いします。
私からも連絡しますので、連絡待ってます。
************************************



もう毎日のようにこういった愛のメールが俺のもとにバンバン届くわけですよ。一週間くらい出張で家とか空けたらもう大変で、俺の精子とメール、どっちがより多く溜まっているか真剣勝負したいくらい溜まりに溜まり狂っているわけなのですよ。

これはアレだ、愛だね。なんて言うかもう愛としか例えようがない。メールの文面見れば一目瞭然でリナさんが本気なんだなって伝わってきますよね。俺に対する切腹も辞さないくらいの必死な気持ちがヒシヒシと伝わってくる。

「私のページ何も言わず見てもらえませんか?」

なんてったってメールの冒頭でいきなり直球から始まりますからね。何も言わせてもらえない。これはもう濡れるどころか、パンツも下ろしていないのに挿入するようなものですよ。いきなり本題から始まってます。リナさん必死ですね。

「ごめんなさい、面倒かもしれないけど、これだけはお願いします。」

ほうっておいたら俺を想像してオナニーでも始めてしまいそうな勢いですよねまったく。「これだけはお願いします」って何をお願いしたいのかが微妙に伝わりませんが、彼女のやる気、元気、それと井脇は伝わってきます。

「私からも連絡しますので、連絡待ってます。」

ここまでくるともう意味がわかりません。こういった場合、俺は思うのだけど、おそらくリナさんは俺を好きすぎてもう頭が辛抱たまらなくなっているために文面が支離滅裂になってしまっているのでしょう。いやはや仕方ないですよこれは。どんまいどんまい。

ファンを大切にする浅知恵としては、このメールに対してもう光の速さで返信しようと思ったのですが、ちょうど仕事やプライベートで忙しい時期だったのでこの時は泣く泣く返信できませんでした。そしたらその二日後にまた愛のメールが届きました。



***************************************
リナです。

どうでも良いですよね。。わかっているんですが寂しくて。私ね嫌われるためにいつもお願いしてたわけじゃないですよ。。まだ会った事ないけどこんなに気になるのははじめてだし、もし会ってもらえるなら連絡ください。

ブログで番号書いてたら、すぐ消されちゃうみたいなので、すぐ見てください、消されてしまう前に。今書いたばかりなので。直接電話、ください。
http://e********.net/***blog/
もし会ってもらえるなら今すぐ連絡ください。できたばっかりであんまり人いないからすぐ見つかると思いますし、私からも連絡します。もちろん番号みてもらったら電話かけてくれれば私出ますから。嫌な思いさせたくないですし、見てくれたら直接携帯にメールください。無料でもサイト通してメールしなくて良いですから。
***************************************



「どうでも良いですよね。。」

いけない。彼女いじけてる。俺が自分が忙しいからって彼女に返信を返さなかったばっかりにリナさんを傷つけてしまったようです。忙しいから返信しないなんてもうこれは自分の怠慢でしかないですよね。寝る間を惜しんででも返信するべきだったのかもしれない。

心理学的な観点から見ても彼女は今、自暴自棄になりかけてるのがわかる。ここで何かダメ押し的な事件でも起きてしまったら最後、彼女は睡眠薬を過剰摂取してしまう。いや、彼女はすでに睡眠薬を飲んでいるのかもしれない。彼女が精神的に不安定なのは次の文面を見てもわかる。

「すぐ消されちゃうみたいなので、すぐ見てください、消されてしまう前に。今書いたばかりなので。直接電話、ください。」

もう怒涛の如くたたみかけてきていますが、悲しいことに日本語がめちゃくちゃになってます。思いつくままに書きなぐっているとしか思えないような感じの文章だし、句読点の入れ方も明らかにおかしい。飲んでますよこれは。ええ、ざっくりと睡眠薬飲んでますとも。

「もちろん番号みてもらったら電話かけてくれれば私出ますから。嫌な思いさせたくないですし、見てくれたら直接携帯にメールください。無料でもサイト通してメールしなくて良いですから。」

電話がほしいのか、メールがほしいのか、それともチンコがほしいのか、もう収集つかなくなってます。悲しいことですが、おそらくもう彼女には正常な思考など残っていない。最後は特に締めもなく、完全に宙ぶらりんな状態でメール終わってますからね。

察するに多分この後、「好きです。抱いてください。」と書こうとしたのだと思います。けれど彼女にはもはやそこまでの体力が残されていなかった・・。好きですの「S」をキーボードで入れようとした時、彼女の最後の一葉がハラリと落ちてしまったのかもしれません。

俺はいたたまれなくなって無理とは知りつつも彼女に返信しました。


*****************************
リナさんへ。

うほほ~い!メールありが㌧。
俺は毎日、元気出して精子出して頑張ってます。
だからリナさんも頑張れ。精子出して頑張れ。
むしろ精子出さすように頑張れ!

やる気!元気!井脇!

             さと
*****************************


彼女から返事は来ませんでした。





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ジャック・バウアーを見習うべし。

2006-09-29 | その他
この世に生まれて物心ついたときから俺は実に週一回くらいのペースで思い続けているのだけど、俺以外の日本人は日常に溢れている危険に対する危機意識が少し低いんじゃないのかってこと。あーやだやだ。ほんと腹立たしい。

あっ!俺としたことが・・。あいや、すいません、めくるめく怒りのあまり言葉が悪くなってしまいました。少し訂正致しますが、日本人は平和ボケしてるんじゃないのかってことを言いたかったのです。

とにかく一度ぬるま湯に浸かりきってしまった日本人の平和ボケ度はひどすぎる。須藤元気の試合前の入場時のあのMP吸い取られそうな踊りくらいひどすぎる。いや、あっちのほうがひどいかな。

まあそれはいいとして、日本人はもう少しジャック・バウアーとか見習ったらいいのにと思う。だってそうでしょ?彼を御覧なさい。もうすんごいから。テロの可能性が少しでもあるなら、例え仲間だろうとなんだろうとまるでお食事でもするかのように銃突きつけたり、拷問したりしますからね。

たとえ勘違いで拷問してしまってもごめんはなし。そこはほら、彼自身あまり経過にはこだわらないタイプだし、あの時は仕方なかったんだ的なスタンスだから。なんせテロですから。

まあこう言ったらもうなんだか自分自身をさらけ出してしまうようで非常に照れくさいのだけども、俺もテロとは別に、エロには割と理解のあるほうですからね。双方が合意していれば、プレイの一環として多少の拷問も仕方ないかなと理解してます。テレビゲームに理解を示すおじいちゃんくらいの柔軟さは持ち合わせているつもりです。


ちょっと話が脱線しそうなので元に戻すけども、とにかくジャックだけはテロを阻止するためだったら何でも許されてしまう。拷問だろうが、人を撃とうが何しても許される。極端な話、それでテロが防止できるとわかっているなら、道行く婦女達に手当たりしだい顔射して回っても許される。

テロを防ぐための拷問方法も多岐に渡り、ためらいも無く銃で腕撃ったり、撃った腕踏みつけたりしますから。口を割らないととりあえず指とか折って様子みたりしますからね。気分次第で電気とかでビリビリやったり、注射とかもズブズブ刺しますからね。ジャッキーチェン並みにそこらにある道具駆使してゲロゲロ吐かせますからね。

特に急いでいる時(あと数分で爆弾が爆発するような時など)はもうジャックったら地獄の使いのようになりますからね。トチ狂いながら100回くらいナウナウ(now!)言いますからね。あんな近距離でしかも殺意のこもった眼差しでナウナウ言われるのってちょっと怖すぎる。俺だったら普通にオシッコ漏らす自身ありますから。

とにかくもうジャック・バウアーはすごい。彼がある意味テロリストなんじゃないかってくらいにすごい。すごすぎる。一度くらいならノリで抱かれてもいいかなとも思う。

とまあ、いきなりこんなこと書き出して、この狂人はいったい何に影響されたのかしら?なんて勘ぐる貴婦人のために少しばかり弁解しておきますけど、最近になってようやく「24」Ⅰ~Ⅳシーズンまですべて見終わって、モロ影響されてしまったからこんなこと言い出したワケじゃないですよ。なにも「24」ごときに影響されてこの日記書いてるわけではありませんよってこと。

そんなフィクションに影響受けるほどヤワじゃないですよ。こんな作り話にいちいち影響受けるようなヤツはワリと迷惑なんで今すぐ自分の命絶てばいいと思う。生きていても仕方ないのでサッサといなくなりやがれ、ナウ!

というのはまあ冗談ですけど、とにかくもう日本人の危機意識の無さには呆れるばかりなんですよ。


例えばそう、道を歩いていて、前方から爽やかな野球少年がバット担いでやってきたとします。そこで平和ボケしたアナタ達ならこう言ったりするわけです。

「野球少年ってなんて爽やかなのだろう。ふふ、日本って平和だなあ」と。

けれどそれじゃ情けな過ぎて目も当てられない。そういったド・シロウトにはまったく困ったものです。やはりこういった場面では玄人ならこう思わなければならない。「コイツ俺を殺る気だ」と。もう常識ですよね。

前方からきた少年は実は俺を狙っている殺し屋で、バットの裏側には毒を塗った釘が刺さっている。そしてすれ違いざまのその瞬間、少年はバットを振り下ろす。平和ボケした俺はバットの毒牙に侵され、苦しみの果てに無念にも倒れてしまうという筋書きだ。こんなことわかりきってるし、火を見るより明らかじゃないですか。

だからこの場面では俺は少年が通り過ぎるまでジッと立ち止まって少年の一挙手一投足つぶさに見守りますから。ジトジトと今にも張り付きそうな視線でガン見しますからね。場合によってはこっちから先に威嚇したりしますから。こんなの常識中の常識ですよねまったく。たまに通報されたりしますけどそれは仕方ないんじゃないのかな。


例えばそう、仕事上の接待か何かで高級な寿司屋に行ったとして、普段は見ることさえ出来ないような高級な寿司を目の前にして、平和ボケしたアナタ達ならこう言ったりするのです。

「経費じゃないとなかなかこれないからな。ふふ、日本って平和だなあ」と。

開いた口が塞がらないとはこのこと。塞がらなすぎて噛み合わせ悪くなりますよまったく。そういったド・シロウトにはまったく困ったものです。やはりこういった場面では玄人ならこう思わなければならない。「ネタに何仕込んだんだ?カリか。青酸カリか。」と。もう常識ですよね。

とりあえずはネタとシャリの間に毒物的なものが入っていないかを確認。職人が数十年の修行の後にようやく身につけた握りの妙技を完全にスルーしてネタめくりますからねペロンと。

イクラとかも鮮度無視して一粒一粒時間かけてチェックしますから。イクラと間違ってイラクのせてないかとかまず調べますね。イラクは危険ですから要チェックポイントですよね。あと醤油と間違ってポン酢になってないかとかも入念にチェックしますね。

「おうおう、ウチの寿司にケチつける気かぃ!」とかなんとか言いながら怒り狂って突進してくるハゲ店主をヒラリとかわして、そのつるつる頭のどこかに核の情報隠していないか探りますからね。こんなの常識中の常識ですよねまったく。いつも通報されたりしますけどそれは仕方ないんじゃないのかな。


例えばそう、服屋の店員。ヤツラなんてもう「それ今年の流行ですよ」なんてゴリゴリ押してきますよね。そんな時、平和ボケしたアナタ達ならこう言ったりするのです。

「あら買っちゃおうかしら。ふふ、日本って平和だなあ」と。

もう呆れて言葉も出ない。そういったド・シロウトにはまったく困ったものです。やはりこういった場面では玄人ならこう思わなければならない。「コイツ俺を餓死させる気だ」と。もう常識ですよね。

店員の手口はこうだ。「ソレ似合いますよウフフ」なんて言葉巧みに試着室に誘い込み、もうレイプするくらいの勢いでジーンズを試着させ、寸法合わせますからなんて言って取り出した待ち針を、間違ったふりしてくるぶしあたりにズブズブ刺してくる。間違いない。

挙句の果てには脱いだジーンズ隠して何食わぬ顔で消える。こんなことわかりきってますよね。試着室に残る俺は、試着したジーンズ片手に途方に暮れる。そのままそれ履いて店を出て行けば立派な万引きだし、かといって手に持ってグンゼのパンツ姿で出れば立派な公然わいせつ罪だ。

自分が履いてきたジーンズは依然として店員が隠したまま。どうにも動けないままいじらしく時間だけが流れてゆく。そして餓死する。この飽食の時代に悠然と餓死する。左手でカーテンの端を握り締め、右手では壁に「無念」の文字。あわれ試着室の中で死着する。

こうなるのって実際わかりきっているので、俺はもう試着とかエヌジーですから。どうしても試着しなければならない時は、ジーンズの上から重ねて履きますからね。こんなのもう常識ですよね。

「ちょっと困ります」なんて言ってくる店員には、もう待ち針取り上げて店員のつむじのあたりにプスプス刺してやりますからね。「これで明日は下痢だゾ」なんて小悪魔的な微笑浮かべて刺し狂いますからね。たまに通報されますけど仕方ないんじゃないのかな。


とまあこのようにちょっと考えただけでなんでもないような日常にも危険が溢れているのがわかると思います。皆さんもこれに懲りたらもう少しテロを意識して生きてみて下さいね。きっと世界が変わるはず。通報されて生き方も変わるはず。がんばって下さい。


ちなみに臭いの部門では割とテロしてます。




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制限付き自由研究のススメ

2006-08-21 | その他
仕事をしているとどうにも気がつかないのだけど、どうやら世間の子供たちは夏休みらしい。夏休み・・ああなんて甘美な響きなのだろう。

今にして思えば、小学生の頃の夏休みというものは、おそらく人生で一番楽しい時だったのではないかと思う。今のように悶々とした悩みなんかなく、ただただ毎日遊びだけを追求して過ごせた日々。

午前中は毎日プールに通い、クタクタになるまで遊び、昼からは少し昼寝をして、その後友達の家に遊びに行く。夕方までゲームをしたり、自転車でウロウロしたり、海にキャンプに連れて行ってもらったり、それはそれはもう夢のような日々。


そんな夏休みの中で、唯一悩みらしきものがあるとすれば、それはもう通常では考えられないような嫌がらせ的な量の宿題だ。こればかりはどうしようもなく、頑張ってやるしかない。

皆さんご存知のように、もう直定規のように曲がったことが大嫌いで、計画性の塊のようなこの俺は、当然の如く毎年夏休みの最初の一週間で全ての宿題を終わらせるべくタイムスケジュールを組んで、それをグラフにして紙に書き出し、一日の目標なんかを決めたりしてた。

もう計画性の塊ってよりも計画の鬼といったほうがいいくらいに計画に魅せられてた。計画フェチ。

そしてそのスケジュール表にわかりやすく色塗りをし、なんと色分けの凡例まで作り、選挙直前の政治家を支える第一秘書みたいなスタンスで、分刻みの完璧過ぎるスケジュール表を作るのだけど、そのスケジュールを作る作業そのものが楽しくて、肝心の宿題はどんどん先送りにされてしまい、結果的には夏休みの終了一週間になって慌てて泣きながら宿題を片付けるといった一連のサイクルを小学校の6年間続けた。学習能力のなさは鳥並みだったと言える。


そんな辛い記憶しかない夏休みの宿題だけど、その中でひときわ異彩を放ち、なんらかの期待を抱かずにはいられない宿題がある。それが自由研究と呼ばれるものだ。自由という響きから察すれば、研究テーマは個人の判断に委ねられていると考えられる。

しかしそう考え始めた時、必然的に一つの疑問が沸き起こることになる。それは「自由研究はどこまで自由なのか」ということだ。


小学校時代の担任はこう言った。

「答えなどない。どんな些細なことでもいい、自分が思ったことを研究しなさい」と。


ここで俺はどうしても考えずにはいられないのだけども、もし、どんな些細なことでも自由に研究してよいと言うのであれば、自分のチン毛の成長日記でもいいのではないだろうか。

夏休みにひょっこりと生え始めたチンケなチン毛の成長を斬新な語り口と、ポジティブな視点から見つめ、時として人生に例えつつも感受性豊かに表現する。そんな日記。

ウブ毛から普通の毛へと進化する過程と、その毛穴の様子をライブで詳細にかつ克明に、またさし絵なんぞおり込みつつも記録する。天気や気温を記録するだけの安易な自由研究ではどうしても記録するのを忘れてしまいがちだけど、チン毛の成長記録であれば自分の毛だからうっかり忘れることもない。

毎日風呂に入るときにじっくりと見れば良いのだ。母親の手鏡なんかを借りて、あられもないようなポージングでじっくりと観察するのもなかなかどうしておつなものだ。手鏡を駆使してアクロバティックな姿勢で陰部を覗き込む、そんな姿を風呂場の大鏡で見たとき、新たな自分という発見があるかもしれない。


個人的にはこれほどの貴重な研究は無いなと思う。なぜならチン毛が生え始め、ウブ毛から立派なゼロゼロクログロまでに育つまでというのは、どんな人でも人生で一度しか訪れないからだ。生え始めた時、それが研究の始まりなのだ。

しかし、残念ながらいくら自由な研究といっても限度があるし、常識的に考えるとやはりこの研究は頭がどうかしてると言わざるを得ない。小学生という視点でこの研究を考えた時、研究材料としてはあまりふさわしいものだとは思えない。

なぜなら、夏休み終了までにチン毛が生え揃うとは限らないからだ。小学生のうちのしかも夏休み限定と考えると、夏休み終了までにそんなに都合よくチン毛だけ大人になるとは考えにくい。

そうなると総じて小学生というものは、この局面をどうにか打開しようと考え、足りない頭で必死に考えた挙句、ワラにもすがる思いで父親の育毛剤に手をつけてしまうものなのだ。こんなことわかりきってる。

その後に待っている結末は、頼りの育毛剤を全て使われてしまい、もはやなす術のない薄毛の父親が、まるでハパイヤ鈴木の頭のようになってしまった奇跡のチン毛を持つ息子を恨めしそうにジェラシーしながらも鬼の形相で叱る地獄絵図だ。

母親はそのあまりにも情けない父子の争いを見た時、フッと離婚も視野に入れて今後の人生を考え直すようになる。うつろな目で、たまたまタイミングよく豆腐を売りに来た豆腐屋のオヤジと、連れ出してくれるなら誰でもよかったのよ的なスタンスで、ざっくりと不倫の逃避行へと走ってしまうかもしれない。

こうなってしまう危険を含んでいるので、この自由研究はふさわしくないと言える。


では自由ということを最大限に考慮した小学生らしい研究というものはどのようなものなのか。これについてはテーマがあまりにも自由過ぎるのでわからないというのが正直なところだ。

そこで俺はこの解決策として、自由研究ではなく、制限付き自由研究といった名前に変更することを強くオススメする。これは文字通り制限を付ける研究で、どのような制限を付けるのかは後述することにする。

これにより、この宿題がどう変わるのかと言うと、制限がつくことで研究にある程度の統一性を持たすことが出来るようになる。

F1などに代表される車のレースが面白いのは、レースカテゴリによって制限がつくからなのだ。制限がつくことによってある程度の統一した公平な車の仕様の中でレースが行なわれる。これが制限無しで、改造が自由だったなら、どこまでも速さだけを追求した車ばかりになってしまい、どうしても興にかけてしまう。

そういった意味で、この自由研究も制限を付けるのが良い方法だ。おそらく制限を付けないと、「オナニー前オナニー後における心理的な変化の研究」とか、「オナニー時の小道具の研究」とか、「オナニーする女性、しない女性の見分け方」などと、とんでもなく、それでいて意外に有益な研究をしだす小学生がいるかもしれないからだ。

あくまでも小学生なので、オナニーについての研究はあまり気分の良いものではないと思う。それではどういった制限を付けるのが小学生として望ましいのか、という疑問が出てくる。

俺は常日頃から、未来ある小学生のために何をすれば良いのかを考えることで人生を謳歌しているフシがあるので、ここでも純粋な小学生のために、最もふさわしい制限を考えに考え抜き、ついにその答えに至った。

以下は自由研究のテーマとしては最もふさわしくないものであり、これ即ち制限とする。あまりピンと来ていない人のためにもう少し詳しく説明すると、これらの制限をすべて守って自由研究を作りさえすれば、それがそのまま小学生らしい研究になるということ。非常にわかりやすい話だ。



◎制限付き自由研究。

   制限1 オナニー以外。
   制限2 チン毛以外。
   制限3 エロ以外。


いやぁ・・難しい話ですいませんね。なかなか制限を守るのは難しいだろうけども、どうかめげずに頑張って自由研究して下さいね。




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たまごクラブとひよこクラブ

2006-08-05 | その他
「たまごクラブ」、「ひよこクラブ」という雑誌があることは皆さんご存知だろうと思う。通の間では略して「たまひよ」と言われるものだ。

おそらく大半の方は、これらの雑誌がどのような内容を綴った情報誌なのかを漠然としか知らないと思われる。

それもそのはずで、このテの雑誌は実際にその当事者にならなければまず読まないような内容のものなので、関係ない人から見れは全くといっていいほど必要の無いものなのだ。似たようなニュアンスの専門誌で、じゃらん、カッチャオ、またはススキノ満足情報などがあげられる。

こういった専門誌は、一部のマニアを除いて、自分がその立場になってみないと書店で見かけても1ページとしてめくられる事がない。多くの人は見ることがないが、その情報を必要としている人から見れは、無くてはならない貴重な雑誌だといえる。


そう考えていくと、必然的にある疑問が生まれてくる。


それは、たまごクラブ、ひよこクラブを知らない人は、その内容について何か誤解しているのではないだろうか・・ということだ。知らないがゆえに、勝手な想像で誤解していること、または思い込んでいることなんかがサクッとあるのではないだろうか。

そこでまさかとは思いつつ調べてみたところ、恐れていたようにどうやらこの雑誌について多数の方が間違った見解をしていることがわかった。

実に嘆かわしいことなのだけど、大半の人々は、「たまご」「ひよこ」といったその響きから、たまごクラブを妊婦が読むための雑誌、ひよこクラブは子供が産まれて母親になった人が読むための雑誌、などと勘違いしてたのだ。まったくなんたることだろうか!これでは死んでも死にきれない。

こうなってしまうともはや事態は深刻で何よりも一刻を争うので、もう俺の個人的な日記など書いている場合ではなくなってしまった。口惜しいけれど、ここはもう台風で甚大な被害を被った人並みに、仕方ないと諦め、予定変更せざるを得ない。

いや、なんでこんなこと言うのかと申しますとね、実は、書きながらあまりの面白さで不覚にも腹かかえて笑いころげてしまったほどの過去最高傑作的な日記が完成間近で、後はサーバーにアップするだけだったのですよ。

けれど俺としては、誤解をとくほうが先決なので、この日記は泣く泣くお蔵入りすることにしました。非常に残念ですが、もう日の目を見ることはありません。口惜しいけれどこれはもう決まったことだから・・。

日曜日に遊園地行くって約束してたのに、急にパパにお仕事が入ってしまった時くらいの口惜しさですよこれは。仕方ないってわかっていてもやり切れない重い想いがある。今そんな気持ち。

これで俺がどれほどこの誤解をとくことに心血を注ぐつもりなのかわかってもらえると思います。気持ちが入りすぎていて、もう五回くらい誤解といたくらいじゃおさまりそうにないですよ、この高ぶる胸の鼓動は。まあウダウダ言ってても仕方ないので早速本題に入らせていただきます。


まずは大多数の人が勘違いしていると思われる「たまごクラブ」からです。

これは一言で説明すると、たまごマニアのための雑誌だ。定価は雑誌としては破格の2980円。あまりにも消費者を無視したその鬼のようなプライスに、一般の方々は高すぎる!と激怒してしまうかもしれない。けれど、たまごマニアにとってみればこのくらいは安いものだ。

読者層は三度のメシよりも、またオナニーよりも、たまごが好きで好きでもう辛抱たまらない人が中心で、雑誌の中には、たまごの写真があらゆる角度でこれでもかというほど載せられている。

一概にたまご好きといっても細かく分けると色々と個人差があって、たまご料理が死ぬほど好きな人から、たまごの形そのものに魅せられた人、たまごのカラフェチだったり、またはたまごという字を書いただけで勃起してしまう人などが存在する。たまごクラブに求められる情報も人それぞれ違う。

そのため、雑誌の内容も多種多様なマニア向けのため多岐にわたり、たまごの表面の拡大写真から、重さや体積の比較、また産まれる瞬間をとらえた写真など実に様々な情報が掲載されている。

他にもたまごを使ったマニアックな料理レシピから、シンプルな昔風ダシ入りたまご焼きの焼き方、温泉たまごの作り方、帝国ホテルの料理長直伝の究極の目玉焼きの作り方、などの有意義な情報が紙面を彩る。

さらには、たまごの曲線部分の数学的な計算方法、たまごに魅せられ、たまご一筋に生きてきた人の半生を描いた物語、動物別たまごのカラの厚さランキングなど、その内容はたまご好きにはもう辛抱たまらないものばかりで、知らない人が見ればドン引きしてしまうものばかりだ。

ちなみに今月号の特集は、キン肉マンでおなじみの、ゆでたまご氏の独占インタビューだ。他にもたまごっちの仕掛人が語る業界の裏事情など、購買意欲をそそる内容が目白押しだ。買った人だけのお楽しみである袋とじには、たまご内部のナイーブなところが名称つきで図解されている。

たまご好きの人には辛抱たまらない雑誌「たまごクラブ」 たまごに興味がある人なら一度は読んでみることをお勧めしたい。


次に、ひよこクラブの説明に移らせてもらうけども、これはもう皆さんおわかりのように、ひよこ好きの、ひよこ好きによる、ひよこ好きのためのひよこ専門誌だ。

オーソドックスなところで、ひよこの買い方、そして飼い方の説明や、ひよこのシツケの仕方、意思の疎通の仕方など目からウロコの情報が満載だ。

さらには、ひよこクラブでありながらも、ニワトリになった時のその後の飼育方法まで解説してあるといった懐の深いまるでアネゴ肌のような雑誌で、ニワトリが産んだたまごについてだけは、文中に「たまごクラブ P578 参照」となっており、兄弟誌の宣伝も忘れないといったしたたかなスタンスを貫いている。

ひよこクラブの目玉はやはりひよこのなんともいえぬ愛くるしい写真で、あまりにも愛くるしいその様はマニアにとってはお宝モノであり、マニアじゃない人から見ればマニアの姿そのものが愛苦しい。

そんなひよこクラブの先月号の特典は、マニア騒然のひよこの生鳴き声入りCDで、これはマニアの間ですでにプレミアモノになっている。大手の書店ではもはや売り切れ状態だ。

こんなひよこクラブ6月号だけど、もう手に入れるのは難しいかもしれない。マニアの方はどうか諦めずに頑張って探してみて下さい。ちなみにどんなものでも手に入れることが出来るはずの天下のアマゾン様でさえも在庫切れだそうだから、この人気ぶりがよくわかると思います。


ひよこクラブ2006年06月号(在庫切れ)



ちなみにこれ、表紙が可愛らしい赤ちゃんになってますけど、少しでもページをめくると ひよこ一色ですから。もうめくるページめくるページすべてひよこオンリーですからね。売り切れていて中をお見せできないのだけが残念です。




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