松江市雑賀町にある古民家です。(雑賀町の中心部に位置します。)
この建物の中はどうなっているのでしょうか?!
日常に根付いた茶の湯の文化のある松江。
その起源は、江戸時代後期の大名茶人として知られている松平不昧公の影響が大きいと言われています。
松平不昧公とは?
松江の人はお茶をよく飲みますね。
時には抹茶をたてて甘いお菓子をいただきます。
この建物の中には隠れ茶室なるものがあるそうです。
(今朝、ニュースでやっていましたけど、よくここは通ります。)
外からみると壁にしかみえないけれど・・・
庶民には贅沢だということらしいのですが
粋な考えの持ち主だったのですね。
このこげ茶の壁がひときわ目をひきます。
徳永英明 -ハナミズキ-
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この建物の中はどうなっているのでしょうか?!
日常に根付いた茶の湯の文化のある松江。
その起源は、江戸時代後期の大名茶人として知られている松平不昧公の影響が大きいと言われています。
松平不昧公とは?
宝暦元年(1751)江戸生まれ。明和四年(1767)17歳で松江藩の藩主となり、出羽守治郷(はるさと)と称しました。18歳で茶道に入門し、19歳で禅の道に入ります。「不昧」という号はこのときに授かります。不昧公が松江藩主になった頃、藩の財政は困窮を極めていました。倹約につとめ、財政の立て直しに力を入れました。
一方、文化人として名高かった不昧公は、その類い稀な美的センスで多くの功績を残しました。その中でもとりわけ茶人としての才能は一流であり、石州流を学んだ後に自ら「不昧流」茶道を大成します。さらには、蒐集家としても有名だった不昧公は、多くの茶道具や古今の名器の収集を行い、その収集品は「雲州蔵帖」と呼ばれ、一品一品に自らのランク付けをし、その研究成果を著作として残しています。
一方、文化人として名高かった不昧公は、その類い稀な美的センスで多くの功績を残しました。その中でもとりわけ茶人としての才能は一流であり、石州流を学んだ後に自ら「不昧流」茶道を大成します。さらには、蒐集家としても有名だった不昧公は、多くの茶道具や古今の名器の収集を行い、その収集品は「雲州蔵帖」と呼ばれ、一品一品に自らのランク付けをし、その研究成果を著作として残しています。
松江の人はお茶をよく飲みますね。
時には抹茶をたてて甘いお菓子をいただきます。
この建物の中には隠れ茶室なるものがあるそうです。
(今朝、ニュースでやっていましたけど、よくここは通ります。)
外からみると壁にしかみえないけれど・・・
庶民には贅沢だということらしいのですが
粋な考えの持ち主だったのですね。
このこげ茶の壁がひときわ目をひきます。
徳永英明 -ハナミズキ-
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ライヴは毎回関西で2回は見に行ってます
10年以上も前からのファンです
生徳永は歌のうまさにウットリしながら
後ろの席で聴いてます
以前は席の前を狙っていましたが 今はファンクラブも止めて
席は何処でもよくなりました(笑)
久し振りに聴いてかなり元気が出てきたぞ(*^^*)
徳永様の この 歌は 宇品は すきですね~
ポチ!
私は基本的に低い声の男子が好きですが
徳永様は別格です。
まだ寒いですが春はそこまできていますね。
松江は和菓子がおいしい所だと私は思いますよ。
生ものは日持ちしないのでぜひこちらで食べて帰
って下さいね。