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小説⑧エピローグ

2021-03-18 11:26:29 | 日記
あれから、アカリは数日と経たずに元のように、いや、それ以上に明るくなった。

以前同様に仕事をがんばっているが、以前のような無理している様子はない。
表情から陰りが消えたからか、話しかけやすさが増したようにも思える。

あれから、2週間が過ぎた。

その間にトシオは何度か訪れることがあったが、タカミツと一緒ではなかった。
聞けば、別件の最中に無理を言って来てもらったという。

どれほど感謝しても、し尽くせない。

直接お礼を言いたいが、タカミツが訪れるのを待つしかない。自分から出向くことができないというのは、この上なくもどかしいものだった。

せめて、いつ来られてもいいようにと準備だけは万端にしてある。

それからさらに数日後、アカリはママに頼まれて、いつもより早い時間に出勤することになった。

ママは用事があって車で出かけたそうなのだが、事故渋滞に出くわしてしまったという。

アカリは快諾し、明るい時間から店に入っていた。

特にすることがあるわけでもなく、いつもどおりの準備などすぐに終わってしまい、アカリはぼんやりと〘かれ〙のことを思い出していた。

アカリには、ハッキリと聞こえ、見え、感じていたことが、実は幻だったと、分かっていても信じがたい。

確かに、改めて思い出そうとすると、霞がかったようにボヤけてしまい、どんな顔をしていたのか思い出せない。

ただ、穏やかに笑っていた、優しい声だったと思うばかりだ。

そんなふうにぼんやりとしていたとき、カランカランとドアベルが鳴った。まだお店は開店1時間前だ。

「どうも」

「あ、あなたは…!

「タカミツです。あれからどうですか? 落ち着きましたか?」

「よかった…! わたし、タカミツさんにお礼を言いたくて、ずっと待っていたんです 」

「はは、元気そうですね。いや、よかった、気になっていたんです」

笑うタカミツにカウンター席を薦め、飲み物を用意する。

「お酒は遠慮しますよ、行くところがあるもので」

タカミツがやんわりと断るので、オレンジジュースをグラスに注いだ。

「これは、美味しい…!」

タカミツがオレンジジュース好きだと、事前にサーチ済だ。タカミツが来たときのためにと、用意しておいてよかった。

それからしばらくは、アカリの感謝の言葉をタカミツが恐縮しながら受け止める時間が続いた。

「…それはそうと、アカリさん。聞きたいことがあるんじゃないですか?」

タカミツが空になったグラスを名残惜しそうに見つめる目を、一瞬だけアカリに移すと、またグラスを見つめた。

アカリは、新しいグラスにオレンジジュースを注ぐと、空のグラスと取り替えた。

「そうですね…、『かれ』、不思議だったんですけど、最初に会ったときは、すごく強気な態度で、怖いくらいだったんです」

タカミツが小さく頷くのを確認してから、

「でも、わたしのそばにいた『かれ』は、優しくて、そんなふうではなくて。今思うとそこが分らなくて…」

「アカリさんの心に隙間を作りたかったんだろうな」

「隙間、ですか?」

「ああ、取り憑くには隙間が必要だから。」

我が強い人は取り憑きにくいという。
それは、心の中が〘自分のこと〙でいっぱいで、周りに気付かないからだ。

だが、そういう人は心の中身がブロックでできていると仮定すると、少し揺らせば小さな隙間ができることは想像に難くない。

その隙間に入り込めば、今度はブロックに守られて出されにくくなる。

アカリの心に入り込むために、わざと強い言葉を使った……のではない。

アカリの心が揺らされたことで、アカリの不安が大きくなって、生み出された夢だったのだ。

あの時、本当はプレゼントの箱を落としてなどいなかった。犬はいなかったし、男も現実に現れなかった。

落としたらどうしようというアカリの不安が生み出した夢で、そこで起きたことの全てが、アカリの心が生み出したものだった。

実際のアカリは、ポケットに手を入れたまま立ち尽くしていただけ。何も起きていなかった。

「そっか、そうだったんですね…」

心に形はない。ブロックにしてしまったのは自分で、本当は自由なもの、空気のようなもの。

「気になることがあるだろうなと思って来てみたけど、正解だったようだ」

タカミツが口端で笑う。

「それじゃ、そろそろ帰るよ。ママさんにもよろしく伝えておいてくれ」

「え、も、もうですか?」

「こう見えて忙しくてね、ごちそうさま。おいしかったよ」

お金を払おうとするのを断ってから、アカリは何度も頭を下げた。

「人間は、もう大丈夫と思っても、何度もつまずくものだ」

去り際に、アカリを振り返り、そう言った。

「それでも、立ち上がるだけの力は、君の中にある。それを忘れないでいてほしい」

いろいろなものを見てきたのだろう。それでも、タカミツの瞳には光があった。

信じていいのだ。自分は大丈夫なのだと。

アカリは、その背中を見送りながら、そう思った。

〘終〙



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