人影を見るようになった。
お店の奥、道端の物陰など、暗がりに影が見える。
最初は気のせいだと強がることもできたが、頻度が上がるにつれ、それもできなくなっていった。
夜はもちろんたが、夕暮れに差し掛かると暗がりを見ないようにするため、挙動不審になっている。
一週間もすると、日中ですら暗いところを見ると怯えるようになり、さすがにママに問い詰められた。
「どうしたの、アカリ? なにか変よ?」
「…うん……」
少し躊躇ってしまったのは、自分自身でも恐怖心の正体がハッキリしないからだ。人影は怖いけれど、見える以外になにもない。
それに、人影だと思うだけで、実は正体がわからないのだ。
「その、人影が見えるの…」
それでも話したのは、アカリがそれだけママを信頼していた証拠だし、甘えてしまいたかった。
一言発すると、途端に堰を切ったように話し始め、それほど時間をかけずに状況を話しきってしまった。
「泣かない泣かない」
ポンポンと背中を優しく叩くママの温かさに、アカリは涙が止まらなかった。
「んー、よくわからないんだけどさ。何もされないなら、それはアカリを見守ってると思えば怖くなくならない?」
「…み、見守ってる……?」
「そう、怖いことが起きないように見てくれてると思えば、気にならなくなるかと思ってさ」
「………す、すごい、ママ…そんなふうに考えたことなかった…」
「あたしはそういう不思議なのわからないし、気持ちを切り替えるぐらいしか思い付かないだけだよ」
「ううん、ありがとう! わたし、そうしてみる」
「元気がでたなら嬉しいよ」
涙を拭うアカリの頭をくしゃくしゃに撫でる。
「顔、洗ってきな」
「うん」
まだ、怖くなくなったわけではないけれど、少しだけ元気が出てきた。
スタッフルームに戻り、鏡の前に座る。
電気代節約のために、いちいちちゃんと消していたのを、アカリが怖がることに気付いて消さないでいてくれる。
涙を拭き、くしゃくしゃにされた髪を整える。
メイク直しやヘアメイクに集中しているうちに落ち着いてきた。
落ち着くと、少し気恥ずかしくなってきた。
涙の跡をカバーし終えたとき。
鏡に、暗がりが映り込んだ。部屋の隅にあるカラーボックスの物陰だ。
メイクに集中していたときには気付かなかったのに、気を緩めた瞬間に視界に入ってきたのだ。
「……あ……」
カラーボックスの影など、ほんの小さな暗がりなのに、アカリにはそこに誰かがいるとハッキリわかる。
誰かがいる。立っている。アカリを見ている。
身動きがとれない、怖い、怖いけれど、怖くないのかもしれない。アカリはその正体を確かめようと、恐怖心を押し殺して人影を見る。
不意に、
_お前の望みは_
言葉が頭に入り込む。
まるでアカリの心の中を探るように、望みという言葉がぐるぐるとまわっていく。
_望みを叶えたいか_
叶えたい。
頭が止めるより早く、心が答えてしまっていた。何かマズイ気がする。悪いことが起きるのではないかと身構えた。
だが、『ククッ』という笑い声のような声を残して、影は消えてしまった。
アカリは首を傾げながら、店に戻ると、客が3人入ってきたところだった。
慌てて笑顔をつくり、仕事をする。
それから、続けて客が来て、店は賑やかさを増すとともに忙しくなり、アカリはその出来事を忘れてしまった。
ゆっくり、ゆっくりと、影は濃くなっているというのに。アカリは何も気付いていなかった。
〘続く〙