ジャーナリストの苦悩

フィリピン、米カリフォルニア在住後、
現在は日本で活動するジャーナリストが
日々の生活をつづる。2006年8月開始

「英語がしゃべれる」

2003-11-14 23:43:25 | ジャーナリスト
海外とのかかわりを持つと本当に良く聞くのが「英語しゃべれるの?」という言葉だ。私も、留学経験もなく、社会人になっていきなり海外へ飛び出したから、日本に住む知人から「お前、英語しゃべれるの?」と良く聞かれる。

私は自身の体験から、この「英語がしゃべれる」という言葉に全く意味がないことを一貫して唱えてきた。なぜなら、中学程度の英語を解さない人は別として、われわれ日本人はみな、英語がしゃべれるからだ。

それは、海外で外国人と、ありったけの知識をふりしぼって英語で会話してみると分かる。難しいことはさておき、外国人と意志の疎通を図ることはわれわれの受けてきた義務教育で十分にできる。

「英語が話せない」と思っている人の多くは、外国人と話した経験がない。また、海外でも、自分が英語を話せないと思い込んでいることで、外国人との接触を極力持たずに生きている人もたくさんいる。大都市には大きな日系コミュニティーがあるため、日本語だけで生活することもできなくはない。

こんな日本人を作ってしまった原因は、間違いなく日本の英語教育にある。カッコに前置詞を入れさせるなど重箱の隅をつつくような試験問題は、すっかり英語に対して間違えることにビビッてしまう人間を作り出してしまった。

日本人が特殊なことは、世界各国からの移民が集まっている米国にいるとよく分かる。英語を母国語としない人たちと会話すると、彼らの文法がめちゃくちゃであり、にもかかわらずそれがコミュニケーションを取る上での大きな障害にならないことを実感する。彼らは、決して英語に対する度胸が据わっているわけではない。母国でろくな英語教育を受けていないだけで、彼らにとって、日本の英語教育すらありがたいものなのは何とも皮肉な話である。

日本人にとって、まず英語に対する恐怖心、下手な英語を話す羞恥心を取り払うことが英語を話す第一段階である。あとは、ひたすら会話の量を増やしていくことだ。

とは言っても、語彙が限られている上に相手の言っていることが分からなければ会話は長続きしない。英語を「それなりに」話すためには、話す能力とは別に聞く能力が必要になってくる。

英語には、日本語にない「R」や「TH」の発音があるため、慣れるまでネイティブのしゃべる英語はとても聞き取り難い。「ネイティブの」と書いたのは、例えば同じ日本人がしゃべる英語が日本人にとても聞きやすいのは、日本人はよほどネイティブに近いレベルになるまで「R」と「L」を区別なく使っていて、「TH」は「ズ」または「ス」としか発音できないからだ。中国人も同様。

「R」と「TH」については、私もあいかわらず苦しんでいる。端的な例を挙げれば「light」と「right」の区別がはっきりとできない。車で「Turn right.」(右にまがって)と言ったはずが、「Turn (on the) light.」(ライトをつけて)と聞かれても仕方がない。「third」という単語には「R」と「TH」がミックスされているのでできるだけ使いたくないのだが、どうしても必要な時は「TH」で舌を噛み、「R」でベロ巻いて「たあーーどぅ」とネイティブに教えられた通りに仕方なく発音している。

「Thursday」も嫌いな単語だ。この単語も、「TH」を「サ」としか発音できない宿命からよく「Saturday」と聞き間違えられる。何度も言うのは嫌なので、聞き返されたときは「The day after Wednesday」(水曜日の次の日!)と「R」も「TH」も使わず逃げる。

そんなことに苦労しながら、少しずつ慣れてくると外国人と話をすることが楽しくなってくるものだ。知らない国の知らない話を聞くことこそ、外国人と話す醍醐味だ。そんな中で、覚えておくと良いフレーズをいくつか紹介しよう。これだけを叩き込んでおくだけで、相手の言っていることを理解することができる。

What do you mean? (どういう意味?)

How do you spell it? (どういうスペルなの?)

Say that again. (もう一回言って。「セイ・ザット・アゲイン」でなく、「セイザラゲン」とかっこ良く言う)

Can you speak more slowly, please? (もうちょっとゆっくりしゃべってちょうだい。)

どうだろう。何となくいける気がしてこないだろうか。

さらに言いたいことが出てくると、今度は中2ぐらいで習った「関係代名詞」を使いこなすことが課題になってくる。この辺のレベルが、一般に「日常会話が難なく話せるレベル」になるのだろうか(別に関係代名詞を使わなくても日常会話ぐらいできるが、スマートに話すという意味で紹介する)。例えば、こんな風に使う。

I’m looking for a friend who can drink some alcohol with me.
(一緒に酒を飲んでくれる友達を探してるんだけど。)

The sushi which is on the table is mine.
(テーブルにある寿司は俺のだよ。)

英語の環境に出て3年の私はこんな程度である。何はともあれ話すこと、聞くこと。そして、大切なのはずっと続けることだ。英語については、これからもいろいろと書き込んでいきたいと思う。


浅田光博公式ホームページより

いつできるこのホームページ(2)

2003-11-13 23:20:44 | ジャーナリスト
ホームページを作り始めたのはこの程、大きな取材が終わりその原稿が書き上がったからだ。カリフォルニア在住の働く日本人を取り上げ一冊の本にまとめる企画で、「カリフォルニアで働く」というタイトルでアジアの書籍を中心に出版している「めこん」という出版社から発刊される。

詳しくは、別のページであらためて紹介しようと思うが、この取材を通じて私が最も顕著に感じたのは、「働く場所は、何も日本に限定されたものではない」ということだ。海外で働くことが、何ら特別なことでないことをインタビューに答えてくれた21人の日本人が教えてくれる。

4月から取材をはじめ、ルーティンワークに加え週1本のペースで原稿を書いていった。書き上げるまでの数カ月間は、本1冊まるごと書くことが初体験の私にはとてもしんどかったが、それでも何とか楽しみながら書けたのは、純粋にインタビューした人たちが面白い人だったからだ。

著書の「まえがき」にも書いたが、この本をぜひ「この人たちはアメリカで成功したが日本でも成功しただろうか」という視点で読んでほしい。そのあたりに、この本のポイントというか主旨が読み取れると思う。

結論を言えば、日本でダメでも海外で成功する可能性はいくらでもある。その手のマニュアルを読むと「海外は甘くない。日本で実現できない夢を海外で果たそうなんていう考えは通用しない」などと書いてある。しかし、私の考えは逆だ。例えば、本著には性同一性障害を持つ男性が登場するが、彼が活躍する場が日本でどれだけあるというのか。米国では、マイノリティー(少数派)の人権が常に守られている。いや、これは言い過ぎ。守ろうとする動きが日本と比較にならないほど強い。

例が極端過ぎると言わないでほしい。個人が抱える事情は千差万別である。中には、消極的な理由で海外に出て行くことも大いにあっていいと私は思う。

「何だか読みたくなってきた」という人は、来年1月ごろ書店に出回ると思うので楽しみにしておいてください。海外で働くことを考えていない人も、ちょっと読んでみてください。

浅田光博公式ホームページより

いつできるこのホームページ(1)

2003-11-12 23:12:14 | ジャーナリスト
はじめまして、浅田光博です。

先日よりホームページを開設しました。本来なら、中身がある程度完成してから公開するのでしょうが、自分の作ったホームページを自分で見るのが待ち切れなくて公開をはじめてしまいました(笑)。

おそらく現在、関係者以外がこのホームページに辿りつくことはあり得ないと思います。けれども、何かの弾みでこのホームページを開いてしまった幸運な人のために、少しぐらいはくつろいでもらおうとこの「取材日記」だけ見切りでスタートします。今日現在のレイアウトはめちゃくちゃ、内容も飯田君や大森君の頭ぐらい、場合によってはシリコンバレーの桝本さんぐらい薄いかもしれない(分からんて)。

ホームページ作りはしんどいっすよ。かつての僕の同僚が知ったら、こんなものを作っていることに腰を抜かす奴もいるだろうね。そのぐらい、僕にとって労力のいる作業です。プロに頼めばいいじゃないかって? いくらぐらいするんだろう。そんな金があったら、日本食レストランでうまいもん食ってるよ(現在、私は米国在住)。

というわけで、この取材日記では日々の取材活動の報告をします。と言っても、毎日取材をしているわけではないので、それ以外のことでお知らせする価値のあることは何でも書きます(多分、その方が多い)。今後の書き込みにご期待ください。


浅田光博公式ホームページより