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独立系FPを目指す私の成功ノート

生誕100周年記念「土門拳」の世界を奏で、写真を読む

2009年10月16日 | 講演


こんばんは、aromaCFPR)です

今年はあちこちで「生誕100周年」という文句を見かける。
書店ではピーター・ドラッガーのコーナーができていたり、映画館では「斜陽」や「ヴィヨンの妻」が公開される。
不思議なことだが、夏目漱石、正岡子規、幸田露伴などが生まれた1867年と同様に、1909年も太宰治、松本清張、中島敦など文学界にとって「当たり年」だったようだ。
そして、
日本を代表する写真家・土門拳もまた1909(明治42)年生まれである

[
人名辞典より]
日本を代表する写真家。リアリズム写真で知られ、「報道写真の鬼」などとも称される。
1909
年山形県酒田市に生まれ、1916年家族で東京に出る。写真館で働いたのち、1935年「アサヒカメラ」に初入選、名取洋之助主宰の日本工房に入った。対外宣伝用雑誌「NIPPON」などで撮影を担当。1938年には写真が「ライフ」誌に掲載されるなどして活躍するが、翌年、著作権をめぐる争いから名取と反目してフリー写真家となる。1943年第1回アルス写真文化省受賞。
2次大戦後の1950年、木村伊兵衛とともにカメラ雑誌の月例写真審査員となり、リアリズム写真を提唱して戦後の写真家に多大な影響を与えた。
写真集は「ヒロシマ」「古寺巡礼」「筑豊のこどもたち」「風貌」など。

103日、酒田市民会館希望ホールで、オカリナ奏者・宗次郎さんノンフィクション作家・柳田邦男さんを迎えた演奏会と講演会が開催された。
もちろん土門拳にゆかりのある二人である。


オカリナ奏者の第一人者として人気の高い宗次郎さんは、土門を巡る8人のアーチストとしてNHKの番組に出演したとき、室生寺釈迦如来像写真をバックに「慈悲」という曲を演奏したそうだ。言葉で表現するのも難しい慈悲の心をオカリナで現す。土門と宗次郎さんの世界にすっかり引き込まれてしまった
他にも数曲、原爆が投下される前にはきっとこんな空だったのではないかと、土門の戦後のヒロシマを撮った写真と共に澄んだ青空をイメージさせる曲や、もののけ姫の舞台である屋久島のコダマを連想させる曲オカリナという楽器は「ふるさと」など懐かい情景を自然と思い起こさせてくれる不思議な楽器である。
浮世離れした、まるで仙人のような空気をまとった宗次郎さんが奏でる土門の世界に、会場はすっかり魅了され、神秘的な雰囲気に包まれた。
 
ノンフィクション作家の柳田邦男さんは「土門拳の写真を読む~こども・筑豊・仏像~」と題して講演した。土門が手がけた作品は大きく分けてこの3つに分類される。
NHK記者として、事件、災害の報道に携わった後、フリーのジャーナリストとして現代人の命の危機をテーマに、病気、公害、事故、医療、戦争などの問題に鋭く切り込んできた柳田さんは、土門の作品から「世の中を見る目」を教わったそうだ。
それは以前取り上げた「「死の医学」への序章」からも読み取ることができる。

柳田さんには人生の選択に大きな影響を与えた2作の写真集があるという。

1作目は、昭和27年8月6日に出版されたアサヒグラグの「ヒロシマ」
戦後7年で初めて世に出回ったヒロシマの悲劇だった。なぜならそれまではGHQの検閲でその事実が隠されており、広島に行った人しか知らない現実だったからだ。そしてそれは高1の柳田青年には大変なショックだった。

2作目は昭和35年1月に出版された「筑豊のこどもたち」
NHKに就職が決まった大学4年の冬、この貧しい炭坑街の写真集に出会い、「記者として見なければいけない現実とは何か」を教えられた。誰からも気軽に手にとってもらえるようにと100円で販売された写真集は、土門の意図もあってと思うが、ザラ紙に印刷され、写真集とは言えないような装丁だったそうだ。
表紙の少女はるみえちゃん。この年で人生の悲しみや残酷さを知ってしまったというインパクトがぞくぞくと伝わってくる。柳田青年はまたしても、この少女が見てしまったものをジャーナリストとして見ていこうと心に誓うのである。

逆境に追いやられた子供の表情の影に時代があり、人生がある。
写真は人間の感性に訴える強い力を持っている。写真を見て何を感じるか、何を読み取るか
昔から読書もしてきたが、人生で最も影響を受けたドキュメンタリーの写真に出会ったことは非常に大きかったと振り返る。また、NHKに就職して最初の赴任地が広島であったことから、自分はこのような現実を一生かけて直視していかなければならないと更なる決意を抱いたそうだ。

土門の作品は決定的な瞬間を捉えた写真ばかりである。今のようにデジカメで連写できる時代ではない。大きなカメラを担いで撮影準備にも相当な時間がかかる中での一瞬である
そういえば以前、何かで聞いたことがある。カメラマンはその一瞬に、たまたま偶然に出会うわけではない。「偶然というのはカメラマンを選んでやってくるのだ」と。土門はカメラの技術はもちろんのこと、偶然を引き寄せる力も持ち合わせていたのではないだろうか・・・

柳田さんは、筑豊炭田や広島の被爆者を写した土門作品を紹介しながら、現代社
会の問題についても語った。戦後復興期の子どもが屈託なく遊ぶ写真もまた土門の得意とするところである。

これらのスライドをうつしながら、「現代の子供たち
はストレスに囲まれている。母親とのスキンシップ(アタッチメント=まるごと受け入れて可愛がること)の欠如がゆがんだ成長につながっている」と指摘した。

土門はまた、優れた仏像の写真を残している。
実は私は作品を見るまで、仏像を撮ることの意味がよくわからなかった。動いているものの一瞬を捉えるのは難しいだろう。しかし、仏像はそこにあり続ける静物である。それを写真に収めるのは記録以外の目的、つまり芸術として実物を肉眼で見る以上の表現が求められるはずだ。そんなことが写真にできるのだろうか・・・

しかしそこが土門拳が土門拳たる所以なのである。まず写真は全て自然光を利用している。そのため被写体がイキイキしている。写真から仏像の線の美しさ、グラデーションといった微細なディテールに気づかされる。
仏像から何を感じ取るか。それは心の永続性であり、普遍性である
何百年という歴史の中で、その仏像を見て感動した人、救われた人があり、そのような歳月の記憶が傷や染みによって表現される。寸目の体一つも重要な文化的な遺産である。そして、柳田さんが辻邦生さんの小説「廻廊にて」の、タピスリーに感動するクライマックスを引用し、緻密な時間を旅していると表現されたとき、私は星野道夫さんの魂を思ったのだった。

即物的な目ではなく魂の目で語りかけることで物事の真髄を見る。書かないことによって物事の本質に迫る。抽象的であるがゆえにこちらが考えさせられる。
単にうつせみとして何年も生きて終わるのではなく、年月を経るごとに深みを増し、その生き様が全うした姿として次の世代や残された家族の中で生きていく。
それが今という時間をどう生きていくかという問いかけに繋がるのではないか・・・

最後に柳田さんは、土門の写真から、人間にとって意味のある生き方とは何かを発見してほしいと語りかけた。

  
もし酒田に行かれることがありましたら、是非土門拳記念館に足を運んでみてください。また山形美術館では「土門拳の昭和」を1210日~22131日まで開催するようです。


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