Der König Hat Eselsohren

ゴーギャン展@名古屋ボストン美術館



7月からは東京でやるというのに、なぜわざわざ名古屋まで行くのか。
それは4月いっぱい名古屋行きはダブルマイルキャンペーン中だから(笑)
ま、東京と名古屋では、出品作品がちょっと違うらしい、ということもありますが。

その上、遠方から行くに当たっては、開館時間が10時というのもありがたい。
7時50分の始発の飛行機でも、9時50分には金山に着いている。
開館待ちの行列の長さも、まぁ、想定の範囲内。
ただ、敢えてそうしているのか、あるいはタイミング悪く団体客に紛れてしまったのかわからないが、「先に上の階へどうぞ」と全く別の展示に誘導されたのはかなり腹立たしい。
だって、混雑緩和が目的だったとしても、そこまでするほどの大混雑じゃないし。
こっちはゴーギャンを見るために、わざわざ福岡から日帰りできてるんだ、っつーの!!(←向こうは知る由もない)

というくらい、土日でも開館時間までに行けば、押し合いへし合いするほどの混雑ではありません。
でも、すぐ隣の人たちの会話が気になる程度ではある。
ちょうど「ノアノア」用の版画のところで、学生ぐらいのカップルに挟まれる格好になってしまったら、左手のカップルの男の子が「これはステートが違うんだよ」と彼女に説明している一方で、右手の方の男の子は「ここ暗くない?俺明るい方がいいよ」なんぞと比較的大きい声で言ってるんで、(バカかコイツは)とつぶやいてしまったf(^ー^;
私だったら、おそらくこの場で愛想を尽かすだろう。
でも彼女の方も別に反論するでもなく、あきれている風でもなく、たぶん同レベルの…よく言えばお似合い(笑)

まぁ、それはともかく、出品数自体はそれほど多くなく、ボストンから持ってきたものと、国内で借りてきたものとで、初期から晩年まで比較的平均的にカバーしているので、全体のバランスはとてもいい。


そしてなによりも!!
今回の目玉である「我々はどこから来たか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」。
これはもう、予想を遙かに超えてました。
背景はもっと暗いのだろうと勝手に想像していたのだが、遠景はまるで、夜明け近くのような、日没後間もない頃のような。
しかも草原の向こうに家が点在していたり、山がそびえていたり、と結構具体的な風景が描かれているのは、意外と言えば意外。単に今までよく見てなかっただけなんだけどf(^ー^;
というのも、やはりどうしても描かれている人物たちに注意が向いてしまうからなぁ。
この絵が何を表しているのか、諸説はありつつ定説はない、というところだけれど、やはり、中心で果物をとろうとしている少女を中心に、人間の一生が描かれているというのは納得だ。
しかも、動物的な、プリミティブな面は画面の手前の方に、精神的・思想的な面を表すものはやや奥の方に置かれている。
でもそこまでしかわからないな。
それに人物に当たっている光が、一体どこからさしているのかもよくわからない。
画面左手の、この絵を見ている側の後方、しかもかなり上の方から人物を照らしているようにしか見えないのだけれど、それだと背景の薄暗さとは矛盾する。
謎だ~。
でも色彩も、人物そのものも美しく、物凄くインパクトのある作品であることは間違いない。
ゴーギャンは、タヒチで感じたものを、すべてこの絵の中に込めたんだろうなあ、としか思えない。

そして、この絵の展示の仕方もかなりいい。
絵のすぐそばで見るには、通常よりもやや高い位置に展示されている。
それでも近くで細かく見るには十分な近さ。
そして、それよりも手前に階段がしつらえてあって、そこから見れば、近くで見ている人に邪魔されることなく、絵全体を見ることが出来る。
人の流れ自体も、台の方と絵のそばとに分かれるし。
もちろん、とてつもない大混雑だったら、きっと大変なことになると思うが…(笑)

全部をじっくり見ても1時間程度しか掛からないけれど、わざわざ行くだけの価値はあったと思う。
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