幸せのちゅちゅ

汗が人生を変える! 全てはよろこび

面白いね。

つい最近まで

ご飯食べても

少し動いても

汗びっしょりになったのだけれども、

汗はどこに行った?

って感じの気候になっている。

久しぶりに畑に行ったら、

先週まいたダイコンの種が全て発芽していた。

なんかね、すべてがダイコンの種って感じなのかな。

不思議だよね

畑にまいて地面にふれていると発芽するけど

種の袋に入ったままじゃあ

発芽しない

静かで動かない

でも、

命はそこにある

畑にまけば

絶対に発芽するかっていうと

100%ということはなく

一粒の種が発芽しなかったとしても

その分をカバーできるだけの種があるし

そもそも

100%っていうことってないよね

発芽にしても

すでにこの段階で草丈や子葉の大きさはばらつきがあるし

なんか

命の連続性をすごく感じてしまうなあ。

発芽したのが成功で

しなかったのが失敗って

イメージしがちだけど

そもそも発芽しても命だし

発芽しなくても地面の中では命は動いているはずだし

どちらであっても

命のパワーを感じるし

生命の営みの力強さ

というか

前に前にとひたすらに動いている

もう宿命めいたもの

うん、

止めることができないもの

これが命なのではないか。

そして、

その始まりは、

うーーーん

鶏と卵がどっちが先かって

感じだな。

その始まりは

生命誕生というか宇宙誕生の瞬間にさかのぼるのだろう。

その命がずっとずっとずっと

あ、

こうやって書くと

辛抱したり我慢したり耐えていたりという感じに聞こえてしまうなあ

何億年だか途方もない長い年月

命はそこにあるんだね

さっきも書いたけど

発芽したから成功とかじゃなくて

もうそこに命としてずっとある状態が続いているんだろうね。

静かに

焦らず

ただひたすら

そのままで

いる

って考えると

なんか

すごく美しく壮大な感じだ。

そして、

ダイコンの種で言えば

袋が開封された瞬間

ずっと静かにそのままであり続けた命が

次の環境に適応しようとし始めるのか

いわゆる静から動への変換だね。

そして

あんなに小さな一粒が

もうすでに

その何十倍もの大きさに変わっている。

そして

ダイコンとして収穫される

でも、

ちゃあんと

次の命への引継ぎをしているんだね。

新しい種となって、またダイコンとしての命を受け継いでいくもの

人に食べられて

人の体の中でエネルギーや体の一部として命を受け継いでいくもの

発芽しなかった種も

土の中で

微生物の体の中に入って土自体になって命を受け継いでいるものもいる。

こうやって見ると

種をまいた瞬間に命はどんどんと動き始め

どこに行ってもその場その場にあった働きをする

というかどこにいっても命は命として前に前にと動いている。


繰り返すけど

本当に

美しくたくましく壮大だなあ。


人間も同じなのだろうね。

命をもったものとして

地球上にいるのだから

ダイコンの種と同じはず。

どこにいても

何をしていても

命が動いている

ちゃあんと

そして

色々な手段で

次の世の中に命を引き渡していくのだろうね。


だけどね、

人間は

やはり

特別なんだろうね。

だって、

こうした

命の営みを見て

美しい、たくましい、壮大だって感じることができる


言葉と思考を持っている


ダイコンだったら

ダイコンになるっていう命が続いている

人も生命的に見れば

同じだよね。

人は人としてこれからも年世代も命を前へ前へと送り続ける。

循環し続けている


でも、

これに加えて

思った物

感じたものを

生み出すことができるよね。


だから

本当に

願ったことを実現する力を持っているのだろうね。

強烈に持ち続けて

努力を必死で続けて

っていうスタイルでも

種みたいに

ニュートラルな状態で願いを持っても

実現できるのだろうね。


だけど

いずれにしても

今の自分に

今の体に

今の考え方に

今の行動に

今の家に

今の家族に

今の環境に

感謝することが大前提なのだろうね。



やっと

タイトルにもどってきたよ


だから

汗だよ、汗。


昨日までの所でも

書いてきたけど

うっとおしくて

不潔なイメージをもたれてしまっているけど

暑さから体を守ろうとしていたり

皮膚を清潔にしようとしてくれたり

新陳代謝の働きをしてくれたり

緊張しているよとか心の状態を教えてくれたり

こんなにも一生懸命に働いてくれている汗さん。

本当に感謝だよね。

ありがとう、汗さん。


大体が

汗出てきたら

拭けばいいんだし

服がぬれたら

洗濯やクリーニングすればいいんだし

しばらく止まらないようなら

うちわ、扇風機、エアコン、風にあたる、首冷やすなどなど

行動すればいいんだし


大体が  また使っているよ

服が濡れても替える服は持っているし

洗濯したり

クリーニングにも出せるし

うちわにしろ、エアコンにしろあるんだし、

動いた結果なら、身体が動かせるということだし

食べて汗ダラダラになったら、食べ物を食べられる余裕があるということだし

風に吹かれればそれ自体が最高に心地よいし

冷や汗なんかの場合には、自分の状態を顧みれるし


こういうのみんな幸せなことじゃありませんか

喜ぶべきことですね。


だから

決めました

汗が出てきたら

こう言う!

まあ

叫べる時には叫ぶ

やったあ!

自分は生きている


汗が出てきて

喜べれば

人生のかなりの時間で

よろこびを感じることができる!


やったあ!

汗さん、ありがとう!

自分は生きている!

幸せ幸せ。






うん、久しぶりに

スッキリと

汗シリーズは

完結となる見込みです。


もしかしたら

完結

などという言葉自体が初めてかもしれない。


まあ

でも、

どうせ

今まででも喜んでいる時には

喜んでいて

幸せを感じていたはずなので


今までそうじゃなかったような場面でも

よろこびを感じられるようになると

やっぱし

何かが変わっていきそうな気がしませんか?


うん、うん、

楽しみである。

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