③ シャクシャインの丘
静内のビジネスホテルで朝を迎えたあと、静内川河口近くにあるシャクシャインの丘に立ち寄った。
シャクシャインは江戸時代初期、松前藩から自分たちの権益を守るために
(正当に!)戦ったアイヌの英雄である。
“丘”はその砦があったところだという。
行ってみると一帯は現在、史跡公園になっていて一角にはシャクシャインの
大きい立派な像が立っていた。
丘の西北端に立つ展望台からは眼下に静内川や静内の町が見下ろせ、
右手寄りには太平洋が茫々と広がっていた。
公園内には記念館とともにアイヌ民族資料館があった。
規模はそれほど大きくないが展示は充実していた。
その中でイタオマチップ(板綴船)が私の注意を引いた。
アイヌの船といえば丸木船という印象が強かったのだが、その船は板を組み合わせた大型の船で
外洋に乗り出して漁や交易に使っていたのである。
資料館には漁労具や生活用具も展示されていたが、アイヌにとって魚は重要な食べ物だったという。
ちなみに鮭はカムイチェプ、つまり神の魚と呼ばれていたが、それと同時にシェペシペ、
本当の食べ物=主食とも呼ばれていて、アイヌの食の多くが鮭に支えられていたという。
それを裏付けるように鮭漁の道具や鮭の食べ方(料理)が驚くほど多彩だということも知った。
さらにアイヌの人たちは、鮭が上る川筋などに小さな集落・コタンをつくって生活したが、
河口に住んでいるからといってそこでむやみに鮭を捕ることなく、
上流のアイヌまた熊やシマフクロウともこの大自然の恵みを分け合うようにしていたということだ。
鮭はアイヌ民族にとって、このように命をつなぐ重要なものだったのだが、明治政府は明治6年から
次々に道内での鮭のアイヌ伝統漁法を禁止した。
さらにこのあと鹿の伝統猟法も禁止したことによりアイヌ民族は食の多くを絶たれたという歴史がある。
アイヌの食に関連してこの資料館で興味ひかれるものがあった。
庭にアイヌ野草園があって、アイヌの人たちが伝統的に食べたり、生活に活用していた多くの植物が
植えられていてそれぞれ解説がつけられていた。
男たちが冬場を中心にして漁労や狩猟をして食を確保したのに対して、
女たちは春先から秋まで山野で山菜をとった。
オオウバユリからデンプンをとり円盤状に乾燥して保存食をつくったことはよく知られている。
行者ニンニク、フキ、ミツバ、草ソテツ、ニリンソウ、ハンゴンソウ、モミジガサ等々
その一部を知るだけで、アイヌにとって山野は彼らの豊かな野菜畑だったことを認識できた。
現代の我々からすると、それらが無農薬・有機栽培だったことも特筆されて良いように思う。