三島由紀夫の作品に「命売ります」というのがあります。昭和43年頃(1968年)の「週刊プレイボーイ」という雑誌で発表された作品で、私が持っているのは1998年に文庫本になったものです。
―― 引用 ――
解説 三島由紀夫の全能と無能
投稿者が難読字解説や難しい部分を略すなど少し編集しました。
自殺に失敗した主人公の青年羽仁男が、どうせ一度はないものと思った命、いっそ誰かに買ってもらおうと「命売ります」の新聞広告を出す。さっそく買い手がついた。秘密組織のボスの囲い者になったグラマー美人の女房を殺してくれという注文である。応じて彼女に接近し、二人で極楽気分を味わっているところへ、ボス登場。てっきりおだぶつかと思うと、ふしぎにお目こぼしにあずかって、代わりに翌朝グラマー美人の死体が隅田川に浮かんだ。
次の注文主は図書館の女秘書というオールドミス。飲めば自殺したくなる麻薬のレシピを書いた稀覯本(きこうぼん めずらしい本)を秘密組織に売り込む手伝いをして欲しいという。現場に行くと、薬を飲んで実験台になれと命じられる。おいきた、とばかり手を出しかかったところでオールドミスがいきなりピストル自殺してしまう。どうやらオールドミスは羽仁男を一方的に愛してしまい、身代わりに自殺をしてくれたらしい。
ここまでは快調の出足である。主人公はマリン・ブルーに染めあげた空を遊弋(ゆうよく 艦船が水上をあちこち動き回って敵に備えること)する天馬もさながら、得意満面の飛翔感を満喫している。
重力の法則が支配している地上にしばりつける「自分の意志」とやら、つまりは人間の重荷である自我をあっさり放棄してしまえば、この世に束縛するものは何もなくなる。突然あたりは無重力空間と化し、彼は熱気球のように無限の虚空を標流しはじめる。あの「何ものか」に命をあずけたとき、逆説的にも無際限の自由の感情が生まれたのである。命は鴻毛(こうもう きわめて軽いことのたとえ)のように軽く、私は無だ。だから私は、無のように自由だ。全能だ。
―― 引用おわり ――
この先面倒な解説が続きますので、とりあえずここで終わります。(根性なし)
文庫本の解説者は、独文学者の種村季弘(たねむら すえひろ)という方で2004年に既に亡くなっています。解説は、「命売ります」という作品に込めた三島由紀夫の主張と人間性を、難しくかつ平易に(矛盾してる?)まとめてありますので簡単にご紹介したいと思います。