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6- 平安人の心 「末摘花:容姿は鼻が高く大きくその先は紅くて幻滅したが・・」

山本淳子氏著作「平安人(へいあんびと)の心で「源氏物語」を読む」から抜粋再編集

  18歳の光源氏は、前年喪った夕顔を惜しみ続けていた。夕顔のような可愛い女が、またいないものか。そこへ乳母子の大輔命婦(たいふのみょうぶ)から、常陸宮の箱入り娘が、父亡き後、琴を友に寂しく暮らしていると聞く。光源氏は命婦の手引きで常陸宮邸を訪れた。その様子に悪友の頭中将も影響され、共に文をおくるなど、二人は恋のさや当てを展開する。しかし当の姫からは何の反応もないまま、光源氏は晩春には瘧病(わらわやみ)を患い、次いで心に物思いも加わって、季節が過ぎた。
  秋になり、光源氏は久しぶりに常陸宮邸を訪れ、勢いで初めての契りを交わした。だがどうも合点がいかない。夕方ようやくおくった後朝の文への返歌もちぐはぐで、幼い若紫の世話も重なり、ますます姫から心が離れた。が、顔を見れば想いが盛り返すこともあろうかと、冬の日、姫の邸を訪れる。ところが翌朝、雪明りで初めて見た彼女の容姿はすさまじく、象のように長く先の赤い鼻が目を引くばかりだった。幻滅しながらも、「自分以外に彼女を世話する男はいまい」と思い直す光源氏。鼻の赤さから紅花の異名「末摘花」と呼び、「何の因果で出会ったものか」と若紫と手習いの歌を詠むのだった。
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  「きぬぎぬ」とは「衣衣」のことだ。愛の一夜を共に過ごした男と女の、めいめいの衣をいう。褥にいる間、衣は二人の体を覆っている。だが愛の時間が終われば、二人はまたそれぞれに衣をまとう。だから「きぬぎぬ」は、逢瀬の翌朝、二人きりの時間の終わる時をも指すことになった。
  「しののめのほがらほがらと明けぬれば おのが衣衣なるぞ悲しき(東の空が晴れやかに明けてゆくと、もうそれぞれの衣を着る時間だ、悲しいこと)」という和歌がある(「古今和歌集」恋三 詠み人知らず)。「ほがら」は現代語では明朗な性格をいうが、古語では晴れ渡った空の明るさをいう。この歌の作者は、おそらく男だろう。いまだ恋の名残りを残した心は別れの悲しみに曇るのに、空はどんどん明るさを増す。あまり明るくなっては、女のもとを去るのに人目についてはずかしい。つれない空に泣きたいような気持なのだ。

  この「きぬぎぬ」の時間に相手におくる恋文が「後朝の文」。現代のカップルの、デート終了後に交わすメールとよく似ている。後朝の文が早く来るのは恋心の強さの証拠。男たちは女と別れて家路につくや否や、その道中からもう和歌を考え始める。恋とは結構忙しいものでもあるのだ。

  「源氏物語」と同時代の「和泉式部日記」は、歌人和泉式部と敦道(あつみち)親王の恋の経緯を描く作品だ。二人の交わした和歌をふんだんに織り交ぜながら、大人同士の恋を綴る。二人にはそれぞれ夫と妻がいる。加えて和泉式部は、親王の死んだ兄ともかつて所謂不倫関係にあった「恋多き女」である。敦道親王はもとより高い身分に加え、次期皇太子とも噂される政治的局面にあって、それでも、見事な歌才を持つ彼女に強く惹かれてしまう。
  親王は和泉式部より少し年下で、恋に鳴れていない。それでも彼女のこれまで体験した恋とこの恋とを、天秤にかけてほしくない。少なくとも自分にとっては、どんな恋より激しい恋なのだ。これに和泉式部が返したのが次の歌だ。

― 世の常のことともさらに思ほえず 初めてものを思ふ朝は (どこにでもあるものだなんて、絶対に思えませんわ。こんな気持ちは今までなかったこと。初めてここまで恋に悩む、今朝なのです) ―

  恋多き女に正面から挑む男、「これこそ初めての恋」と受けて立つ女。危うい恋と知りつつ踏み出す。真剣勝負の後朝の贈答だ。

  このように、後朝の文は男と女がそれぞれの「燃え度」を伝え合うものだった。だから後朝の文が遅ければ、それは「愛情が浅い」という信号だった。光源氏は末摘花との逢瀬の翌日、夕刻まで後朝の文をおくらない。おまけにその歌も「夕霧の」で始まる。「夕」では「後朝」の文にならないではないか。読者にはそう突っ込んでほしい。
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