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 3 なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか 「 1ハ ルーズベルト(FDR)による敵対政策の始まり 」

3 なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか 「 1ハ ルーズベルト(FDR)による敵対政策の始まり 」

 第1章
 ルーズベルト(FDR)が敷いた開戦へのレール 一部引用編集簡略版
本章は以下の内容を投稿予定です。
1イ まえがき
1ロ アメリカの決意、日本の一人芝居
1ハ ルーズベルト(FDR)による敵対政策の始まり
1ニ なぜルーズベルト(FDR)は、中国に肩入れしたか
1ホ 中国空軍機による九州来襲
1ヘ 日本の外交暗号をすべて解読していたアメリカ
1 ト 中国軍に偽装した日本本土空襲計画
1チ 日本を戦争におびき寄せた本当の理由
1リ ルーズベルト(FDR)を喜ばせた三国同盟の締結
1ヌ 着々と進む日本追い詰め政策
1ル 開戦五か月前に日本攻撃を承認した文書
1ヲ 「日本という赤子をあやす」
1ヨ 直前まで対米戦争を想定していなかった日本
1タ 日米首脳会談に望みをかけた近衛首相

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1ハ ルーズベルト(FDR)による敵対政策の始まり

  ルーズベルト(FDR)政権が、日本に敵対する政策を最初に打ち出したのは、1936(昭和11)年のことだった。

  日本が真珠湾を攻撃する五年前に当たったが、この時点で日本は、アメリカに対していささかの害も及ぼしていなかった。
  ルーズベルト(FDR)大統領は日本に対して根深い悪意を抱いていたから、中国の蒋介石政権を通して、日本を踏み潰すことをはかった。

  蒋介石政権に対する援助は、ルーズベルト(FDR)大統領の意を受けて、大統領直属のロクリン・カリー補佐官が指揮した。
  この年7月20日に、蒋介石政権の航空委員会は、アメリカ陸軍航空隊から退役する寸前だったクレア・シェンノート大尉を、中国空軍の軍事顧問として高給で雇った。

  蒋介石は「共匪(きょうひ:匪は悪いこと)」と呼んでいた中国共産党軍を掃討するために、近代的な空軍を養成することを欲していた。蒋介石はイタリアとソ連から空軍機を購入し、多くの教官を受け入れていた。なかでも、ナチス・ドイツは大型の陸軍顧問団を送って国民党軍を訓練し、大量の兵器を売っていた。

  翌年7月に盧溝橋事件が起こり、日華事変が始まると、アメリカは中立国であったために、政府として交戦国を直接援けることはできなかった。そのため、ルーズベルト(FDR)は親友だったトミー・コルコランに、民間の「中国援助事務所」を設立させて、蒋介石政権が日本と戦うために必要とする巨額の資金を提供した。同時にシェンノートは蒋介石政権に大佐として迎えられ、中華民国空軍航空参謀長として任命された。

  シェンノートはアメリカに戻ると、蒋介石政権に、戦闘機とアメリカ陸軍航空隊のパイロットを「義勇兵」として提供する案を、ルーズベルト(FDR)に提出した。ルーズベルト(FDR)大統領によって、この提案はただちに承認され、計画を実現することを命じる極秘の大統領令が発せられた。

  アメリカの航空兵が中国軍人として、アメリカが供給する戦闘機に中国空軍の「青天白日」のマークをつけて、日本軍と戦うことになった。
  シェンノートは部下と手分けして、全米の陸海軍、海兵隊、沿岸警備隊の航空基地を訪れ、「義勇兵」として中国に渡って戦うことを志願するように、呼びかけた。

  アメリカの「義勇兵」は、いったん軍籍を離れて中国軍人として戦うものの、中国における雇用期間が終わった後に、アメリカ陸海軍に復帰することが保証された。したがって、「義勇兵」とはいうものの、現役軍人と変わらなかった。これは、国際法の重大な違反だった。

  シェンノートの飛行機は「アメリカ義勇隊(アメリカン・ボランティア・グループ)」と呼ばれたが、機種に猛虎をあしらったマークを塗っていたことから、ほどなく「フライング・タイガーズ」として、知られるようになった。

参考:加瀬英明著「なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか」
 加藤英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長
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