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11.イギリス「外国人が担ったイギリスの産業」

2021-05-24 13:53:20 | 伝統国家イギリス
 「外国人が担ったイギリスの産業」 一部引用編集簡略版

  中世以後のイギリスの経済発展は、外国人の力に負うことが大きかった。オランダ人やワロン人(ベルギー南部の人々)、フランドル人(ベルギー西部からオランダ南部、フランス北部の人々)などをはじめとする多くの外国人が、大陸からイギリスに住むことによって進んだ技術を伝えた。十四世紀から十五世紀にかけて、金貸しから徴税まで金にまつわる仕事といえば、すべて大陸からきた外国人が扱っていた。
  しかし、イギリスはこのころから外国人の力を借りることによって、原料の輸出国から製品の輸出国にかわった。なかでも原料としての羊毛から羊毛製品が輸出に占める比率が急激に高まった。一六一〇年代には、ロンドンだけに限っても、一万人以上もの外国人熟練工が働いていたことが記録されている。

  イギリスはローマ法王と袂を分かってから、カトリックが支配していた大陸に対して宗教的な別天地となっていた。十七世紀にはフランスから圧迫を避けた新教のユグノー(投稿者補足;宗教改革の思想家ジャン・カルヴァンの伝統を継ぐフランスのプロテスタント教会の別称。語源は明らかでない)が十万人近く、イギリスへ逃れてきた。これらの外国人労働者や起業家たちは、イギリスの羊毛、木綿、絹、ガラスをはじめとする産業を大きく発展させた。イギリスは時計をつくることができなかったが、ユグノーがロンドンをヨーロッパにおける時計づくりの中心地の一つにした。

  イギリスは着実に富を増していった。世界に先駆けて産業革命を成し遂げることができたのも、こうやって力を蓄えていったからだった。イギリスの経済史を読むと、一六八〇年には農業がイギリスの富の半分を生み出していたが、百年後の一七八〇年には農業の比率が三分の一にまで減ったと推定されている。

参考:加瀬英明著「イギリス 衰亡しない伝統国家」
 加瀬英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長

10.イギリス 「貪欲な習得心」

2021-05-23 17:40:25 | 伝統国家イギリス
 「貪欲な習得心」 一部引用編集簡略版

  イギリスが発展した大きな理由の一つに、歴史を通じて外国の文化を貪欲に取り入れて、消化してきたことがある。まずイギリス人自体が、混血を繰り返してきた雑種民族である。歴史が記録される以前を省いて、イギリスがその後アジアやアフリカを統治したときのように、初めにローマ人が支配するためにやってきた。ローマ人はイギリス人が第二次世界大戦後にインドやマレーシア、ウガンダやケニアから去っていったように、五世紀に大陸へ引き揚げた。

  ローマ人はイギリスに、ロンドンと道路網とビールをもたらしたといわれる。ローマ人はビールよりはワインを好んで飲んだが、イギリスに点在するパブの先駆けである「タベルナ」(ラテン語で「食堂」)を、町や幹線道路に一定した間隔ごとにつくった。英語の「ターバン」(居酒屋)の語源となっている。イギリスのパブのサインー看板は世界の店の看板のなかでもっとも個性的で、それぞれが独自でイギリスを訪れる者の目を楽しませてくれるが、ローマ人が教えていったものである。

  その後、五世紀にアングロ・サクソン人が、八世紀にデーン人が、十一世紀にはノルマン人が征服者として渡ってきたが、ローマ人と違って定住するためにやってきた。イギリスは古代の日本と同じように、人種と異文化の坩堝(るつぼ)なのだ(ここの日本に関する項は根拠不明。最近のDNA分析では大陸や半島の影響は極小です)。イギリス人は外来文化の消化能力が高い。長いあいだ、「絶東の島」であった日本と似ている。

  イギリスはノルマン人がやってきた後も、長いあいだ、大陸と比べて技術が遅れていたから、ヨーロッパ大陸から多くの外国人専門家を招いて、先進技術を習得することにつとめた。ヘンリー八世は后の首をすげかえるのにも忙しかったが、イギリス海軍の基礎を築くに当たって、多くのイタリア人の造船工を招いた。ヘンリー八世の治世にはドイツの鉱業専門家や、整地、水路の整備のためにオランダから専門家を雇い入れた。日本が明治の近代化に当たって、西洋から学芸や技術や、制度を習得するために、多くの”お雇い外国人(投稿者注:ものすごい高額の給料を払った)”を招いたのに似ている。

参考:加瀬英明著「イギリス 衰亡しない伝統国家」
 加瀬英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長

9.イギリス 「自分たちこそが最高」

2021-05-21 19:04:16 | 伝統国家イギリス
 「自分たちこそが最高」 一部引用編集簡略版

  イギリス人が大陸へ向ける目は、日本人の場合と似ている。イギリス人も日本人も顔には表さないが、大陸の人々に対して優越感と違和感を合わせて抱いている。表面では礼儀正しいが、胸の奥底で外国人に対して不信感を抱いている。やはり島国の人々なのだ。

  イギリス人が大陸の人々へ抱いているイメージについて書かれた本によると、イギリス人はフランス料理や、ワインや、フランスの気候を好んでいるものの、フランス人といったら不潔で、不誠実で、性的に放縦(気ままなこと)であると思っている。フランス人は驕慢で、秩序を重んじない。
  スペイン人は気候が羨ましいが、スペイン人は怠けものだ。ドイツ人は誇大妄想で、命令に盲従するし、いじめっ子で、料理の才能がない。ドイツ人は社交が下手で、ユーモアがない。フランス人もドイツ人も理屈っぽく、過激だ。もっともこの場合は、世界中からイギリス人が料理下手だといわれていることや、イギリスの王家がドイツ出身(Hannover 家 ハノーファー:英語読みハノーバー)であることを、都合よく忘れている。
  アメリカ人とオーストラリア人は不作法である。カナダ人は退屈だ。イギリス人にとって日本人や中国人となると、あまりにも遠いところに住んでいるから、不可解だ。

  夏目漱石は明治三十三年に文部省の留学生としてロンドンに遊学したが、帰国後に著した「虞美人草」のなかで、主人公に「とくに英吉利人は気に食わない。一から十まで英語が模範であるといわんばかりの顔をして、なんでも蚊(かん)でも我流で押し通そうとするんですからね」と語らせている。漱石は日露戦争の前夜にイギリスに滞在したが、今日でもイギリス人は芯では、あのころからかわっていない。

  といっても、イギリスで会うイギリス人は外国人に対してじつに親切だ。イギリスを訪れるたびに、パブや地方の宿のラウンジや、ダイニングルームーー食堂で、偶然、隣り合わせたことから知り合ったり、通りがかりの人に道をたずねたりしたあとで、さわやかな気持ちをしばしば味あうものである。いまでは全世界から失われようとしている親切という宗教が、多分に残っているのだ。イギリス人は躾がよいのだろう。

参考:加瀬英明著「イギリス 衰亡しない伝統国家」
 加瀬英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長

8.イギリス 「イギリスの朝食は世界一」

2021-05-20 09:28:54 | 伝統国家イギリス
 「イギリスの朝食は世界一」 一部引用編集簡略版

  イギリス料理はまずいという定評があるが、そんなことはない。イギリスの朝食といったら世界一だ。朝食があまりにも充実していておいしいので、日に三回、朝食を摂りたくなる。
  一流ホテルに泊まると、朝昼夜のメニューのなかで朝食の献立が食欲をもっともそそられる。スモークサーモン、ハドック(北大西洋のたら)、キッパー(にしん)といった魚から、グリルド・ハム、ステーキ、ラム(子羊)のキドニー(腎臓)や、レバー(肝臓)などの肉、卵料理、マッシュルームをはじめとする温野菜料理といったように、盛りだくさんだ。さまざまな種類のホットケーキが載っている。

  フランスをはじめとして、ヨーロッパ大陸のパンと苦いコーヒーだけという朝食は、英語圏で「コンティネンタル・ブレクファスト」(大陸の朝食)と呼ばれているが、安楽な眠りを中断して、ベッドから起きあがる褒美にはとうていならない。朝食はイギリスの厨房がもっとも輝くときだ。
  歴代の首相の中には、在任中に官邸や、自宅で優雅なブレクファスト・パーティを催したが、ワインも供されて、昼頃に終わった。
  イギリス料理もそう悪いものではない。素材の味を生かしているから、日本料理に似ている。きゅうりのサンドイッチといったら、サンドイッチを生んだ国だけあって、天下一品だ。フランス料理は大陸の代表的な料理だが、イギリスは島国だから新鮮な魚介類が豊富に手に入るのに対して、大陸では素材が痛んでいるのを隠して、ごまかさなければならないので、ソースが発達した。
  朝食こそは、イギリスを訪れる楽しみの一つである。

参考:加瀬英明著「イギリス 衰亡しない伝統国家」
 加瀬英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長

7.イギリス 「実利的で融通性に富む気質」

2021-05-19 10:11:28 | 伝統国家イギリス
 「実利的で融通性に富む気質」 一部引用編集簡略版

  ヨーロッパ大陸では、とくにドイツ人が学位に対する憧れが強い。ドイツの企業幹部はほとんど全員が、博士号を示す「ドクトル」の肩書をもっている。アメリカでもMA(修士号)や、PhD(博士号)が重んじられている。
  イギリス人は融通性が高いから、高邁な学問や空論に近いように思われる理論よりも、そうすることによって、すぐにどのような効果や利益が得られるのかというほうに関心がある。実利的なのだ。これはイギリス人が海の民であるからだ。船乗りにとっては紙の上の学問よりも、風向きをどう読むべきかとか、帆の張り方や縄目の結び方のほうが、実用的ではるかに重要だ。食卓のマナーも、ヨーロッパ大陸ではスープを飲むときに皿を自分のほうに傾けるが、イギリスでは濡らさないように逆へ傾ける。
  こういうところも、イギリス人は日本人とよく似ている。日本の発展はこのような実利的な精神が支えたのだろう。中国人と韓国人はヨーロッパ大陸の諸国民と同じように、学位に対するこだわりが強い。台湾では博士号をもっていないと閣僚になれないし、韓国人は学位を祖先のように崇める。日本人も海の民なのだ。韓国は三方を海に囲まれているのにもかかわらず、海に疎かった。海に面して住む漁民は蔑まれたので、科挙試験を受ける資格を認められなかったし、今日でも圧倒的多数が、「錨(いかり)」を韓国語でなんというかたずねると、すぐに答えられない。

  「ガリバー旅行記」によれば、人間の世界で会食の席に召し使いを立たせておくのは、監視する者がいなければ、みんなが独り占めしようとして、つかみ合いの大喧嘩が始まるからである。でも安い一杯飲み屋にウェイターはいない。この違いの原因は、人は教育が高く財産を積むほど、獰猛になるからにちがいない。「ガリバー旅行記」は一七二六年に出版されたが、あのころからイギリスはあまりかわっていないのだろう。

参考:加瀬英明著「イギリス 衰亡しない伝統国家」
 加瀬英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長