秋が深まって最後のアルニカの収穫がすむ頃、サクヤとフレイヤがアズアの泉で話していると、珍しくエクルーがやってきた。
「これはこれは、娘をたぶらかしてくれるはずの頼みの若者のおでましだ。口の割に、なかなか実行に移してくれないが」
「何のこと」
サクヤはきょとんとしている。
エクルーはアズアともサクヤとも目を合わさず、泉のほとりにしゃがんだ。
「だからさ、代替案を持って来たんだ」
「代替案?」
「アズア。サクヤの耳に穴を開けさせてもいいだろ?」
そう言いながら、ポケットから小箱を出した。
「サクヤ、明日、スオミの診察所にこれ持ってって、耳につけてもらいな。1日早い誕生日プレゼント」
箱の中には、小粒のブルー・オパールのピアスが光っていた。
「小さすぎた? あまり大きいと重いかと思って。スオミに、ポストはペンドリウム合金だからアレルギー大丈夫だっていうんだよ?」
サクヤはすぐに言葉が出てこなかった。ただ目をまるく大きくして黙ってエクルーをじいっと見上げている。
「つけるのは、お父さんがいいって言ってからね」
今度はサクヤはじいっとアズアを見つける。
「わかった、わかった。これで反対したら、娘のボーイフレンドに嫉妬する分からず屋のオヤジみたいじゃないか。いいよ。スオミに見せて、相談しておいで。フレイヤ、サクヤを青谷の東斜面に連れてってやってくれないか。スオミが薬草の採取に来ていたから」
「いいよ。いこ!」
2人の少女は消えた。
「あの石がお守りになるのか?」とアズアが聞いた。
「せめてものね」とエクルーが答える。
「君は十分に努力してくれてると思えないなあ。サクヤが追ってこないよう暗示をかけてるだろう」
エクルーはそっぽを向いた。
「保護者に虎視たんたんと見張られてて、手を出せるもんか。毎晩無言のプレッシャーにさらされて、こっちの神経が保たない。寝不足だし」
「そんなに繊細な神経の持ち主だったかね」
「ああ、もう。言うよ。何度か手を出そうとがんばってみた。でもかわいそうでできなかった」
「これはこれは、娘をたぶらかしてくれるはずの頼みの若者のおでましだ。口の割に、なかなか実行に移してくれないが」
「何のこと」
サクヤはきょとんとしている。
エクルーはアズアともサクヤとも目を合わさず、泉のほとりにしゃがんだ。
「だからさ、代替案を持って来たんだ」
「代替案?」
「アズア。サクヤの耳に穴を開けさせてもいいだろ?」
そう言いながら、ポケットから小箱を出した。
「サクヤ、明日、スオミの診察所にこれ持ってって、耳につけてもらいな。1日早い誕生日プレゼント」
箱の中には、小粒のブルー・オパールのピアスが光っていた。
「小さすぎた? あまり大きいと重いかと思って。スオミに、ポストはペンドリウム合金だからアレルギー大丈夫だっていうんだよ?」
サクヤはすぐに言葉が出てこなかった。ただ目をまるく大きくして黙ってエクルーをじいっと見上げている。
「つけるのは、お父さんがいいって言ってからね」
今度はサクヤはじいっとアズアを見つける。
「わかった、わかった。これで反対したら、娘のボーイフレンドに嫉妬する分からず屋のオヤジみたいじゃないか。いいよ。スオミに見せて、相談しておいで。フレイヤ、サクヤを青谷の東斜面に連れてってやってくれないか。スオミが薬草の採取に来ていたから」
「いいよ。いこ!」
2人の少女は消えた。
「あの石がお守りになるのか?」とアズアが聞いた。
「せめてものね」とエクルーが答える。
「君は十分に努力してくれてると思えないなあ。サクヤが追ってこないよう暗示をかけてるだろう」
エクルーはそっぽを向いた。
「保護者に虎視たんたんと見張られてて、手を出せるもんか。毎晩無言のプレッシャーにさらされて、こっちの神経が保たない。寝不足だし」
「そんなに繊細な神経の持ち主だったかね」
「ああ、もう。言うよ。何度か手を出そうとがんばってみた。でもかわいそうでできなかった」
「かわいそう?」
エクルーは地面にどかっとあぐらをかいて、両手でうなだれた頭をかかえた。
「俺の故郷の星でね。第2周期ー14才になると巫女は夜、塔につながれるんだ。両手両足しばって、目隠し、さるぐつわされて。一晩中口も効けない状態で身体を投げ出さなきゃいけない。やがて”神サマ役”の男がつれてこられる。坐女は”神の降臨”を受け入れるしかない。顔をみたこともない、声を聞いたこともない”神”だ。2、3日、毎晩”神のお渡り”があって、うまく破瓜されるとその男は、本当の神になるために首を落とされる。巫女の方は、それから毎月、新たな神に踏みにじられる。人間らしい心なんか残らない。そんな神から授かった子供なっか愛せるはずない。俺は何度か塔に忍びこんで、つながれてる巫女をかっさらったけど、結局、早晩またつながれることになる。彼女たちは他に男を受け入れる方法を知らない。死んだフリして身体を投げ出すことしか。細い身体をガタガタ震わせながら」
アズアはしばらく黙って、エクルーの後ろ姿を見ていた。
「聞いていいかい?」
「何?」
「”大きなサクヤ”もそういう目にあったのか?」
エクルーはぱっとふり返って、大声を出そうとした。しかし思い直してため息をついた。
「サクヤは2周期が来る前に、地球に逃げた。第一、公にはサクヤは死んだことになってたから、そういう非道い扱いを受けなくてすんだ」
「君の星の非人道的な習慣と、うちの娘が関係あるとは思わないが、要するに君は処女を破瓜することにトラウマがあるわけだな」
エクルーはまたうなだれた。
「血も涙もない分析ありがとう」
「処女喪失にトラウマはつきものだからな。2人で協力して克服してくれたまえ」
エクルーはがばっと立ち上がった。
「あんたに言われたくないよ。他人事みたいに淡々と……。自分の娘のことだろう?」
「だから心配しているつもりなんだが」
あくまで冷静で挑発に乗らないアズアの態度にエクルーはため息をついた。
「まあ、いいか。もう一度、あんたとケンカする気力は今はないよ。トラウマを抱えた身で、できるだけやってみる」
「ひとつ指摘してやろう。さるぐつわされた巫女にはキスできないが、サクヤにはキスできる。大きな違いだ。すごく有利なはずだぞ。後は君の努力次第だ。健闘を祈る」
「だからそういう言い方が……」と言いかけて、エクルーはため息をついた。
「フレイヤは心が広いよな。こんな冷血漢と話してて、癇癪起こさないのか?」
アズアは片方の眉を上げた。
「君はフレイヤと話したことないのか?」
「いや……そうだった。あの子はあんた以上にぶっ飛んだ娘だったもんな」
その時ちょうどフレイヤがスオミとサクヤを連れて泉に戻って来た。
「スオミが穴開けてくれるって。ありがとう。大事にする」
サクヤはエクルーに抱きついた。
「あら珍しい。エクルーが赤くなってる。本当にサクヤには弱いのね」とスオミが指摘した。
「アズア、またエクルーをいじめてたんでしょ」とフレイヤがアズアの鼻をつまむ。
「あなたがここで昼寝してる間中、エクルーはパパ役をがんばってるんですからね。大事にしなきゃバチが当たるわよ?」
「フレイヤ、応援ありがとう。もっと言ってやってくれ。俺、今、ちょっと泣きそうになってたから」
「そうなの?」サクヤがじいっとエクルーを見上げる。
「じゃあ、父さんのイジワルなんか忘れて私にこのピアスの話をして。みんないびつにゆがんだ形なのね。オパールはこういう形で産出するの?」
「いや、母岩の中で一部が変成して青く光るんだ。これは研磨してこの形にしたんだ」
「待って。当てていい?」
「いいよ」
「フルオールとアルビ」
エクルーはにっこり笑ってサクヤのおでこにキスをした。
「正解。薬指がペトリ。イドラを守る3つの月だ」
「ありがとう。エクルーってプレゼントの達人ね」
「はずしたことないだろ?」
「え。うん。そうね。うん、そう」
サクヤが目をそらしてきょろきょろしている。
エクルーは真顔で聞いた。
「何? 何かハズレがあった? ちゃんと言ってよ」
「ううん、ううん。本当にみんなうれしかったもの」
「何だよ。言ってくれないとわからないじゃないか」
サクヤは目をきときと泳がせた。
「だって、あの…・・・私はエクルーにもらうとセージの小枝1本でもすごくうれしくなっちゃうのよ。でもそんな事言うと、せっかくステキなドレスとか本とかシャワーみたいにプレゼントしてくれてるのに、エクルーががっかりするでしょう? あの…・・・やっぱりがっかりした? ごめんなさい」
エクルーは何も言わずに目を大きく見開いた。しばらく何かに耐えているような顔をしていたと思うと、サクヤの手をとって2人でパッと消えた。
「あらら」スオミが言った。
「ほっとこう。どうせ親の前では言えないような、デレデレしたセリフを吐くつもりなんだろう」
「アズア。口惜しいなら泉から出てきて、自分もサクヤを甘やかしたらいいじゃない。八つ当たりでエクルーをいじめるなんてフェアーじゃないわ」とフレイヤが指摘した。
アズアは長いまっすぐな黒髪をそれはきれいなしぐさで肩に書き上げた。
「いいのかい? 今、泉から出ると君と20近く年が離れることになる。もう少し、ここで時間をかせぐつもりなんだが」
フレイヤは珍しく言葉につまった。
「あ…う…」とつぶやきながらアズアとスオミの顔を交互に見て真っ赤になった末に消えてしまった。
スオミはため息をついた。
「あんまり子供をからかわないで」
「けっこう本気なんだ。私を気味悪がらずに受け入れてくれるのはあの子ぐらいだろう?」
「そうは思わない。あなたきれいだもの。でも、フレイヤはまだ幼いわ。本気になったら…あなたの方が傷つくことになるかも」
アズアはきれいな笑顔をみせた。
「心配してくれてありがとう。その辺は年の功で何とかするよ」
「自分よりきれいな義理の息子をもつなんて複雑な気分」
「何言ってる。スオミはきれいじゃないか」
「ご親切にどうも」
「本気で言ってるんだ。スオミの美しさは生命力と希望に衰打ちされている。君がボニーのそばにいてくれなかったら私はこんなところでのほほんと休んでいられなかった。でもあのまま地上にいたら、ほかのフロロイドのように発狂して死んでたろうな、サクヤの目の前で」
「泉で眠ることをすすめたのは私よ。責任はとるわ。あなたの力は将来、必ず必要になる。子供達のために、もうしばらくがんばって」
ぱしゃんと水音を立てて、アズアはスオミに背を向けた。泉に向かってうなだれている。
「私のこのろくでもない力が役に立つ事態なんて、あんまり考えたくないね」
「もう。相変わらず考え方が後ろ向きね。この頃アルやフレイヤとよく話してるから、少しは元気になったかと思ったのに。じゃあね、ミヅチの代理をやってると思いなさいよ。ペトリと一緒に散ったミヅチの代わりにイドラを守ってるんだ、と思いなさいよ。そしたらいじけてられないでしょ?」
「生き残ったものには責任がある…か。メドゥーラによく言われたよ」
「生き残った人は、たくさん失ったけど、たくさんもらってもいるのよ。もらったものを返さなきゃ」
「その強さ、うらやましいよ」
「そうでなきゃ、生きてこれなかったもの」
スオミは事も無げに言った。
「あなたも強くなって。フレイヤやサクヤやサユリや…・・・たくさんの子供達のために。別に宇宙を救う英雄になってくれなくていいわ。自分の知ってる子供たちのゴッドファザーでいてくれたら。そうしたらもっと自分を信じられるようになるわよ」
「そうかな」
スオミがくっくっくっと笑い出した。
「どうして私、ぼやいてばかりいる情けない男の人をけとばせないのかしら。キジローといい。アルといい。あなたももし私を義母さんと夜ぶ気なら覚悟しといた方がいいわよ。のんびりアンニュイに浸らせておいてなんかあげませんからね」
「楽しみにしてる。私はもう底に戻る。今のうちに思う存分イジイジさせてもらうよ。フレイヤは”長男”の巨人のてっぺんにいる。じゃ、お休み」
「お休み」
エクルーとサクヤはアズアの泉からひとつ南の泉に現れた。サルナシをとりによく通ったので、サクヤも景色を覚えている。採って来たサルナシはみんなお酒に漬けている。春祭りの頃、ちょうど飲み頃だろう。
ふわりと着地すると、エクルーはサクヤの手を放して泉のほとりにあぐらをかいた。うなだれて、サクヤから目をそむけている。肩が震えているので、サクヤは何も言わずに自分もエクルーの後ろに腰を下ろした。
エクルーの背中に自分の背中をくっつけて、空を仰いだ。
晩秋の午後遅い日の光が岩山を銀色に輝かせている。冷たい空気が、甘く感じられる。
サクヤはこれからクリスマスまでの季節が大好きだった。1年で1番昼が短い、寒さがこたえる時期だけど、1番可能性に満ちている。
エクルーはなかなか話せるようにならなかった。言葉が出てこない。”エクルーにもらったら、セージの小枝1本でもうれしい”という言葉が呼び水になって、どうしようもなくサクヤの言葉や表情がよみがえってきた。思い出に圧倒されて、話すことも、立ち上がることもできない。
オプシディアンに行ったばかりの頃、やっと起き上がれるようになったサクヤにパープルセージの小枝をつんで持って帰ったことがあった。10㎝もない枝なのに、胸が痛むような笑顔を見せたのだ。
でも、その後、サクヤが自分のものになってくれないのが口惜しくて何度もいじめて泣かせてしまった。でも”俺が怖いか”と聞くと、”怖くない。エクルーが怖いわけない。あなたが私にしてくれることは、どんなことでもうれしい。”と言い張った。俺に押さえつけられて、真っ白い顔で目を見張りながら”あなたを怖くない”と。
どうしてその言葉を信じることができなかったんだろう。
どうして自分を信じることができなかったんだろう。
自分がサクヤを思う気持ちも、サクヤが自分を思ってくれる気持ちも信じられなかった。俺が招いた事態なのに、俺は、俺とキジローの間で苦しむサクヤを何度となく責めてしまった、そしてその後はますます自分が嫌いになって持て余した。
サクヤの前で、俺はずっと最低の男だった。なのにサクヤは1度も俺を責めなかった。いつでも受け入れてくれていた。どうしてだろう。
オプシディアンを引き払ってイドラに移る時、サクヤのたいして多くない蔵書の間からセージの小枝がはらりと落ちた。変色して、もう香りもないのに。その小枝を見つけた時、俺はサクヤが散って初めて泣いた。
エクルーがはぁーっとため息を吐いたので、サクヤもほっと息をついた。背中を離して向きを直ると、ちょっと斜め後ろからエクルーの顔を見上げた。
「大きなサクヤのことなの?」
「うん。……いや、いろいろだ。いろいろ思い出して何だか……ちょっと胸がいっぱいになっちゃって」
サクヤは手をエクルーの腕にかけた。
「ムリに話さないでもいいわ。あのね、今日1番うれしかったこと何かわかる?もちろん、プレゼントのピアスもうれしかったんだけど…今までもね、時々、エクルーってぷいっと消えちゃうことあったでしょ。今日は1人で行っちゃわないで、私もつれて来てくれたのが、すごくうれしかった。余裕で私をからかったり、やさしい事を言ってくれたり、そんな所ばっかり見せてくれなくていいの。ぐるぐる悩んでるとことか、泣いているとことか、怒った顔も見せて。私もう子供じゃない。エクルーはパパの代わりなんかじゃない。丸ごとあなたを受け入れられるようになる。丸ごとエクルーが好き。置いてかないでくれて、ありがとう」
エクルーはふり返って、サクヤの顔をしばらく見つめていた。そしてまたふいと目をそむけてうなだれた。
向こうを向いたまま、エクルーがぽつっと言った。
「同じこと言うんだな」
「同じって、大きなサクヤと?」
「うん」
サクヤはしばらく考えていた。
「それは……うん。きっと私と大きなサクヤが同じ気持ちだからよ」
「同じ?」
「2人ともエクルーが大好きだから。だから同じ言葉が出てくるのよ」
エクルーはまたサクヤの方をふり返った。黙ってじっとサクヤを見つめている。
サクヤはぴょんと立って、エクルーの腕を取ると引っ張って立たせた。
「寒くなってきちゃった。帰ろうよ。夕ご飯、私が作ったげる。エクルーはぼおっとしてていいから。ね、おうちに帰ろ」
「うん。うちに帰ろう」
エクルーがサクヤの手を握った。
サクヤが料理している間、エクルーが1回も台所に入って来なかったのは初めてだった。いつもは何度となく下ごしらえを手伝おうとしたり、味見しようとしたりして追い出されるのが常なのだ。エクルーはドームのデッキに吊したタープに寝っ転がって本当にぼうっとしていた。仕度ができた、とサクヤの呼ぶ声にも、2,3度めでやっと意味のある返事をして、のそのそとデッキを下りて来た。食事中にひとことも口をきかないのも初めてなら、サクヤの作った料理をほめなかったのも初めてだった。
でもサクヤは、いつもだったらひとりでぷいっと出て行って消えてしまっていた時のエクルー今の目の前に見ているのだとわかっていた。今まで、きっとずいぶんムリしてたんだわ。私を引き受けた時、エクルーはまだ17だったのに。今やっとパパの振りをするのをやめて素の自分を見せてくれているのだ。
サクヤは、エクルーがフォークをくわえたまま動きを止めて考え込むと、それとなく励まして食事を続けさせ、コップをひっくり返すと、大丈夫片づけるからと静かに言って、何とか全部食べ終わらせた。何だかグレンとこのちびさん達の子守をしてるみたい。
食後のお茶のカップを目の前に置くと、エクルーはカップを持つかわりに、サクヤの手をぎゅっと握った。
「もう寝よう。俺眠い」
「でも食器を片づけなくちゃ」
「明日でいい。もう寝よう」
これはいよいよ尋常じゃない。食べ終わった食器が15分以上食卓に残っていたことなどない。10人分のフルコースの皿でも、エクルーは口笛を吹きながらあっという間に片づけてしまうのだ。
「俺もう眠い」
だだをこねるようにエクルーがくり返す。3才児のようだ。
几帳面なサクヤは汚れた皿を片づけてしまいたかったが、甘えるエクルーを見ていたい、という欲求の方が勝った。
「わかった。もう寝ましょう」
サクヤが立ち上がってもエクルーは歩き出さずじっとしている。仕方なく、サクヤは手をひいてサンルームに向かった。
「ほら、エクルーのベッドよ。早く入って」
「サクヤと一緒がいい」
これにはいよいよ驚いた。いつもベッドに忍び込むのはサクヤの方なのだ。
「私の部屋がいいの?」
「一緒ならどこでもいい」
「じゃ、ここに入って。私もここで一緒に寝るから。パジャマは?」
「このままでいい」
まったくもって異常事態だった。
「わかった。でもちょっと手を放して。明かり消さなきゃ……」
エクルーが指をぱちんと鳴らすとライトが全部消えた。それでも月明かりがあるので真っ暗ではない。
「もう寝よう」
サクヤは覚悟を決めた。
「わかった。もう寝ましょう」
そう言ってエクルーと並んでベッドに入った。
頭が枕につくかつかないうちに、エクルーは寝息を立て始めた。寝顔が月明かりにほの白く浮かんで見える。
きれいな寝顔。つくづくとサクヤは見入った。
こんなにじっくりエクルーが寝ているところを見るのは初めてかも。いつも私が寝つくまで本を読んでいるし、朝は私より早く起きてジョギングしてシャワーを浴びる。
今夜は驚くことばかりだ。エクルーがまるで小さい男の子みたいに見えた。ううん、きっとエクルーの中に本当に小さな男の子がいたんだわ。今まで出てこられなかったのね。エクルーは7歳で記憶を取り戻したと言ってた。それ以来、大人として病身のサクヤの心配をし、アルやスオミとイドラの心配をし、キジローを見送り、大きなサクヤの世話をしてきた。エクルーは17年分の少年の孤独をうちに抱えて来たにちがいない。時々、それがあふれそうになると、ぷいっと消えて泣きわめく小さな男の子をなだめて来たんだわ。そうしてずっと閉じこめられていた男の子が、ようやくここで安心して眠っている。私の隣で、私の手を握って。何てかわいいんだろう。
サクヤはチビ達を寝かしつける時に歌うイドリアンの子守り歌を小さな声で歌い始めた。
考えたら私もずっと、自分の中の小さな女の子を閉じ込めて来たんだわ。エクルーがすごく大人に見えて、自分も早く大人にならなきゃ、とあせってしまった。
大人にならなきゃ、エクルーにふさわしいパートナーになれない。
大人にならなきゃ、エクルーの負担になってしまう。
負担になれば、捨てられてしまうかもしれない。
いつも切迫する気持ちがあった。エクルーは、いつも今の私が1番かわいい。どんな私でも、たとえ名前がサクヤでなくても私が大好きだ、とくり返し言ってくれていたのに。
自分が感じている切迫感をそのままエクルーに押しつけて、追い込んでしまっていたのかもしてない。
結局私たちって、ただの背伸びした男の子と女の子だったんだわ。
2人の迷い子はやっとおうちを見つけて帰ってきた。やっと安心して、ぐっすり眠れる。
2人で手をつないで。
すぐ横にエクルーの顔がある。私をじっと見つめている。
「おはよう」
「誕生日おめでとう」
「そっか、すっかり忘れてたわ」
昨夜はエクルーの変貌ぶりに感動して、オパールのプレゼントもふっとんでしまった。スカートのポケットを探ると、ちゃんと小箱があった。よかった。
一晩明けたら、何となくエクルーが元通りに戻っていそうな気がしていたが、どうやら昨夜のままらしい。黙って私の手を握ってじっと目をのぞき込んでくる。
「起きたなら、シャワーを浴びて来たら?」
「後でいい」
「じゃ、朝ご飯にする? フレンチトースト作ってあげる」
「後でいい」
少しこわくなって来た。エクルーは今まで、私を不安にさせないようにずっと軽口を叩いてたんだわ。
でも今はただまっすぐに私を見つめて、迫ってくる。少し身体を浮かせて、間近から私の耳にささやいた。
「怖かったり、痛かったりしたら言って」
そしてキス。エクルーと何度もキスしたことがあったけど、こんなキスは初めてだった。
身体中が震える。
エクルーのくちびるが、私の首や耳やのどをなぞる。
エクルーの手が私の背中を腰を足をなぞる。
今までと全然違う。これまでは私の変化を注意深く見ながら、気が遠くなるぐらいのんびり抱きしめてくれたのに。今日のエクルーは全然余裕がない。
まるでただの男の人みたい。
「息忘れてるよ。深呼吸して」
100メートル全力疾走したように息が荒い、自分が涙を流しているのに気がついた。
「ゆっくり息を吸って。怖い? やめる?」
「ううん。やめないで」
エクルーはやめないでくれた。私はきつく目をつぶっていたので、エクルーが私のどこをどう触れて、どんな風に抱き合っているのかわからなかった。ただ無我夢中でエクルーにしがみついたいた。
「サクヤ、目を開けて。生きてる?」
身体中がバラバラになった気がしたのに、ちゃんと元のままでちゃんと生きてた。エクルーも私も汗びっしょりだった。
「ごめん。あんまりやさしくできなかった」
私は言葉が出てこなくて、ただ一生懸命首を横に振った。
「大丈夫?」
今度は首をタテに振る。
「話し方、忘れたんじゃない?」
エクルーが笑っておでこにキスしてくれた。
「今度はゆっくり飛ぼう。サクヤが息の仕方、忘れないように」
今度のキスは甘かった。身体中の細胞がビリビリと緊張して痛いほどだったのに、ひとつキスを受ける度に柔らかくゆるんで融けてゆく。
どんなに融けても大丈夫。エクルーが手を握ってくれている。エクルーもすぐ隣りで浮かんでいる。2人で青空に浮かんで、雲の間を飛んでいる。
涙が止まらなかった。うれしくて、やっと安心できて。
私、エクルーの横にいていいんだわ。
もう大丈夫。2人で生きていける。
サクヤがシャワーを浴びて朝食を食べ終わっても、エクルーは起きて来なかった。サンルームに戻って、エクルーをつついた。
「シャワー浴びなさい。汗臭いわよ」
「サクヤが一緒に浴びるなら」
「何言ってるの。そんなことできるわけ……」
「どうして?」
エクルーは本気で不思議そうだ。
「私はもう、ちゃんと浴びたの。とにかく起きて。お昼になっちゃうわ」
私はエクルーの腕を引っぱってバスルームに連れて行った。信じられない。あのきれい好きなエクルーが。
バスルームに押し込んで扉を閉めようとしたのに結局エクルーに引っ張りこまれて、着替えしたばっかりの服を水浸しにされた。
エクルーはけらけら笑いながらお湯の下にサクヤを捕まえている。まるで別人のようだ。
「もう、信じられない」
サクヤが怒った声を出したが、エクルーは頓着せずに手際よくぐしょぬれの服を脱ぎ捨てた。
きれいな首。きれいな肩。きれいな胸。きれいな笑顔。思わず見とれている間に、ぬれた服のまま抱きしめられてキスされた。もう何を怒っていたか忘れてしまった。
サクヤはため息をついた。
「どっちが大人かわからないわね」
「そんなの関係ないよ。どっちが女の子かさえ覚えてればそれでいい」
かなり抵抗したのに、結局、服を脱がされてしまった。
まだベッドの中だってどうしていいかわからないのに、シャワーでなんかどう立っていればいいのかもわからない。
ぐったりしてタオルでふいてもらいながら、サクヤはまだ目が回っていた。
「何だか赤ちゃんに戻ったみたい」
「いいんじゃない。赤ん坊が2人じゃれ合ってると思えば」
「こんなきれいな赤ちゃんっているかしら」
エクルーが髪をふく手を止めて、サクヤの顔をのぞき込んだ。
「ごめん、言うの忘れてた。サクヤ、すごくきれいだ。こんなきれいな子が俺の腕の中にいるなんて信じられない」
「ありがと。エクルーの方がずっときれいだと思うけど」
「きれい? 俺が? 前にもそんな事言ってたっけ」
「そうだっけ」
「オパールの効果だろう?」
「関係ないわ。毎日、あなたを見る度そう思うもの。神様、なかなか腕がいいわねって」
エクルーはけらけら笑ってベッドに寝っ転がった。
「それって、同じかな。俺いつも思うんだ。神様、サクヤに会わせてくれてありがとうって」
サクヤは胸をつかれた。子供のような無邪気な言葉。
「ずるい。こんな時にこんな事言うなんて」
サクヤは泣きそうになった。
「ずるくない。もういっぺんサクヤにキスするためならどんな手でも使う」
エクルーは腕を引き寄せて、またサクヤにキスをした。
サンルームのコンソールがポーンと音を立てた。
「ボイス・メッセージが2通来ていますが、こちらで再生しますか」
「うん。再生して」エクルーが鷹揚に答える。
サクヤは裸でベッドでグオルグの声を聞くだけで、そわそわしてしまうのに。
「1件めです。――サイモンです。ルカです。サクヤ誕生日おめでとう」
いつもながら見事なユニゾンだ。
「プレゼントを届けに寄っていいかな。2時頃温室に行くよ。じゃね」
「2件めです。――スオミです。サクヤ、何時頃来る? よければ夕方いらっしゃいよ。夕食食べて行って。フレイヤがサクヤにケーキ作ってあげるって聞かないの。3回練習して、私達が犠牲になったから、今夜はまともなものができると思う。連絡ちょうだい」
サクヤは途方にくれた。
「どうしよう」
「行きたくないの?」
「だって……どんな顔してサイモンやアルに会っていいかわからないわ」
「自分で思うほど変わってないもんだよ」
「だって、鋭い人ばっかりじゃない」
「どうせ、ずっと2人だけで隠れてるわけにいかない。堂々としてればいいんだ」
「とにかくシャワー浴びてくる。正気をとり戻さなくっちゃ」
「今は正気じゃないんだ」
ケタケタ笑ってるエクルーを置いて、サクヤはシャワールームに行った。
2時きっかりにひげの双子が来た。
「お誕生日おめでとう。ロイヤルブルーのドレスが似合ってるよ。エクルーのお見立てかな。あれ、エクルーは?」
「昨日遅かったからまだごろごろしてるみたい。どうぞ、入って」
温室のソファーセットに落ち着くと、ゲオルグがコーヒーとチーズクッキーを持って入った来た。
「レィディのお手製です。甘くないのでルカ様でも召し上がっていただけるかと。サイモン様には、チョコレートのアイスボックス・クッキーもご用意しますが」
「様はやめてよ。でもチョコも持って来てくれ」
「わかりました。もしかしてお2人とも昼食まだですか。サンドイッチかパンケーキをお持ちしましょか?」
「サンドイッチ!」
「パンケーキ!」
「承知しました。しばらくお待ち下さい」
サクヤがくすくす笑った。
「昨日からエクルーがキッチンに入らないものだから、ゲオルグがはりきってるのよ」
「キッチンに入らない?」
「エクルーが?」
「何があったんだ?」
「昨日からエクルーは私のパパ代りをストライキしているの」
「へえ」
「そりゃ、パパじゃ押し倒せないもんな」
サクヤがぽんっと真っ赤になった。つられて双子も照れてしまった。
「あ、そうだ。プレゼント。誕生日おめでとう」
「おめでとう」
「ありがとう。何かしら」
「ピアノの楽符。やさしい曲だよ。ピアノが喜ぶと思う」
「僕のはオプシディアンのワイルド・フラワーのフィールドガイド。行ったことないって言ってたろう。けっこう花の種類が多いし、珍しいものが見られる」
「ありがとう。うれしい」
サクヤが手をのばしたので、ワンピースの袖から手首がのぞいた。
「サクヤ、その手首どうしたの!」
右手首が青くなっている。エクルーがずっとつかんでいたところだ。
「ちょっとひねったみたい」「すぐ冷やした方がいい。跡が残るよ」
温室にはだしてペタペタ入って来たエクルーが言った。
「セバスチャンに言って、湿布してもらいな」
「うん。サイモン、ルカ、ゆっくりしてってね」 エクルーはお腹をポリポリかきながら、欠伸している。
「アズアに言いつけたければ、言っていいよ?」
「俺たちが言いつけなくても、どうせあのオヤジはお見通しだ」
「オヤジって、アズアは君らより若いだろう」
「子持ちならオヤジだよ」
「しかし、ゲイかと見紛う身ぎれいな美青年の成れの果てがこれか」
「今までかなり猫かぶってただろう」
エクルーがまた欠伸した。「そりゃあね。ローティーンの女の子を預かってるんだから、あんまりムサ苦しくするわけにもね」「でも今日はストライキ中なわけだ」
「たまにはいいだろ」
「あ、なんでムサ苦しいかわかった。ヒゲだ!」
「ホントだ、無精ヒゲ生えてるエクルーなんか初めてみた」
「ヒゲですって?」
戻って来たサクヤが叫んだ。
「触らせて。わ、本当。じょりじょりしてる。カッコいいわ。ね、伸ばしてみて。グラン・パみたいになるかも」
「意外と好評だぞ。良かったな、お若いの」
ひげの双子が大らかに笑った。
セバスチャンが幅2インチのレース飾りを見つけてきて、ルカが器用に袖周りにぬいつけてくれた。
「これでディナーの間中、手元を気にせずにすむ」
「ありがとう」
「しかし僕らまで行っていいのかな」
「フレイヤは喜んでるわ。はちみつ色の双子のテディ・ベアがお気に入りですもの」
「手ぶらが気になるなら、うちで適当に作っていけば。冷凍のソースが3,4種類あるし、パスタも、イモも肉もいろいろある」
エクルーはカウンターでのんびりコーヒーを飲んでいる。
「そして君はまだストライキ中なんだな。」
「俺が手料理を持ってくと、スオミにプレーッシャーかけちまう。いくら姉さんは料理上手だと言っても聞かない。それにせっかくゲオルグがはりきってるからな」
「楽師もストライキかい?」
「いや楽師なら誰にもプレッシャーかけないから」
「じゃギター持って来いよ。アルはバリトンなんだろ。男声四部合唱でHappy Birthdayをやろう」
「君らはあんだけリィンにしごかれててまだ歌い足りないのか?」
「イドリアンの歌がなかなかままならないから、ストレス解消だよ」
双子が忠告した。
「エクルーはヒゲはそのままでいいから、もう少し楽師らしいかっこうに着替えて来いよ。そのままじゃ…」
「何だい?」エクルーが挑戦的に聞いた。
「バレバレだよ。フレイヤにもわかるんじゃないか? パパはストライキしててもいいが、サクヤの面目は保ってやらないと」
今度はエクルーも素直にきいた。
「そうかもね。シャワー浴びてくる」
エクルーのヒゲを見て、なんとアルが涙ぐんでエクルーを抱きしめた。
「何だよ。気持ち悪いな」
「やっと実感したんだよ。良かったな。これでちゃんとオジさんになれるぞ。ループから抜け出したな。次は腹を出せ。ハゲでもいいぞ」
「それだけはごめんだ」
「おまえはスケベだけら、絶対ハゲる」
エクルーが悲鳴を上げた。
「姉さん! やめさせてくれ! アルが呪いをかけるんだ!」
お祭り騒ぎは夜半まで続いた。ルカとサイモン謹製マカロニ・チーズ・ポテト・チキン・グラタンは好評だったし、フレイヤのこけももクッキーはおいしかった。エクルーは最初から最後までギターを弾いていた。スオミにオパールをつけてもらって、サクヤは拍手で迎えられた。
フレイヤが「私もピアス開ける!」と叫んで、「15になったらね」とたしなめられた。
誰も春祭りのことも、すい星のことも、ずっと伏せっているイリスのことも口にしなかった。今夜だけは忘れて歌い騒ごう。歌えばとりあえずホタルが喜ぶ。ホタルが喜べば泉の機嫌も良くなるし、イドラも歌い出す。これから冬至をはさんでクリスマスまで、1番夜の長い季節。1番死に近い季節。不安に負けて、死神につかまるわけにいかない。歌って踊って死神をけちらせ。冬の旅人をけちらせ。春を復活させるのだ。
アルが4粒の小さなスミレ色のひすいをエクルーに預けた。
「うちの奥さんと娘のピアスの材料だ。もうこの鉱脈も来年以降近付けるかわからないからな。あわてないから加工してやってくれ」
「小粒だけどかなりのグレードだよ」
「スオミにプロポーズする時がんばっていい石を贈り過ぎた。釣り合うものを見つけるのに苦労したよ」
エクルーはじっと石を見つめながら、ボソっと言った。
「兄さん。変なこと考えてるんじゃないだろうな?」
「何が?」
「俺、イヤだぜ。これをアルのかたみだとか言って2人に渡すの」
アルはにっと笑った。
「人を勝手に殺すな」
エクルーは地面にどかっとあぐらをかいて、両手でうなだれた頭をかかえた。
「俺の故郷の星でね。第2周期ー14才になると巫女は夜、塔につながれるんだ。両手両足しばって、目隠し、さるぐつわされて。一晩中口も効けない状態で身体を投げ出さなきゃいけない。やがて”神サマ役”の男がつれてこられる。坐女は”神の降臨”を受け入れるしかない。顔をみたこともない、声を聞いたこともない”神”だ。2、3日、毎晩”神のお渡り”があって、うまく破瓜されるとその男は、本当の神になるために首を落とされる。巫女の方は、それから毎月、新たな神に踏みにじられる。人間らしい心なんか残らない。そんな神から授かった子供なっか愛せるはずない。俺は何度か塔に忍びこんで、つながれてる巫女をかっさらったけど、結局、早晩またつながれることになる。彼女たちは他に男を受け入れる方法を知らない。死んだフリして身体を投げ出すことしか。細い身体をガタガタ震わせながら」
アズアはしばらく黙って、エクルーの後ろ姿を見ていた。
「聞いていいかい?」
「何?」
「”大きなサクヤ”もそういう目にあったのか?」
エクルーはぱっとふり返って、大声を出そうとした。しかし思い直してため息をついた。
「サクヤは2周期が来る前に、地球に逃げた。第一、公にはサクヤは死んだことになってたから、そういう非道い扱いを受けなくてすんだ」
「君の星の非人道的な習慣と、うちの娘が関係あるとは思わないが、要するに君は処女を破瓜することにトラウマがあるわけだな」
エクルーはまたうなだれた。
「血も涙もない分析ありがとう」
「処女喪失にトラウマはつきものだからな。2人で協力して克服してくれたまえ」
エクルーはがばっと立ち上がった。
「あんたに言われたくないよ。他人事みたいに淡々と……。自分の娘のことだろう?」
「だから心配しているつもりなんだが」
あくまで冷静で挑発に乗らないアズアの態度にエクルーはため息をついた。
「まあ、いいか。もう一度、あんたとケンカする気力は今はないよ。トラウマを抱えた身で、できるだけやってみる」
「ひとつ指摘してやろう。さるぐつわされた巫女にはキスできないが、サクヤにはキスできる。大きな違いだ。すごく有利なはずだぞ。後は君の努力次第だ。健闘を祈る」
「だからそういう言い方が……」と言いかけて、エクルーはため息をついた。
「フレイヤは心が広いよな。こんな冷血漢と話してて、癇癪起こさないのか?」
アズアは片方の眉を上げた。
「君はフレイヤと話したことないのか?」
「いや……そうだった。あの子はあんた以上にぶっ飛んだ娘だったもんな」
その時ちょうどフレイヤがスオミとサクヤを連れて泉に戻って来た。
「スオミが穴開けてくれるって。ありがとう。大事にする」
サクヤはエクルーに抱きついた。
「あら珍しい。エクルーが赤くなってる。本当にサクヤには弱いのね」とスオミが指摘した。
「アズア、またエクルーをいじめてたんでしょ」とフレイヤがアズアの鼻をつまむ。
「あなたがここで昼寝してる間中、エクルーはパパ役をがんばってるんですからね。大事にしなきゃバチが当たるわよ?」
「フレイヤ、応援ありがとう。もっと言ってやってくれ。俺、今、ちょっと泣きそうになってたから」
「そうなの?」サクヤがじいっとエクルーを見上げる。
「じゃあ、父さんのイジワルなんか忘れて私にこのピアスの話をして。みんないびつにゆがんだ形なのね。オパールはこういう形で産出するの?」
「いや、母岩の中で一部が変成して青く光るんだ。これは研磨してこの形にしたんだ」
「待って。当てていい?」
「いいよ」
「フルオールとアルビ」
エクルーはにっこり笑ってサクヤのおでこにキスをした。
「正解。薬指がペトリ。イドラを守る3つの月だ」
「ありがとう。エクルーってプレゼントの達人ね」
「はずしたことないだろ?」
「え。うん。そうね。うん、そう」
サクヤが目をそらしてきょろきょろしている。
エクルーは真顔で聞いた。
「何? 何かハズレがあった? ちゃんと言ってよ」
「ううん、ううん。本当にみんなうれしかったもの」
「何だよ。言ってくれないとわからないじゃないか」
サクヤは目をきときと泳がせた。
「だって、あの…・・・私はエクルーにもらうとセージの小枝1本でもすごくうれしくなっちゃうのよ。でもそんな事言うと、せっかくステキなドレスとか本とかシャワーみたいにプレゼントしてくれてるのに、エクルーががっかりするでしょう? あの…・・・やっぱりがっかりした? ごめんなさい」
エクルーは何も言わずに目を大きく見開いた。しばらく何かに耐えているような顔をしていたと思うと、サクヤの手をとって2人でパッと消えた。
「あらら」スオミが言った。
「ほっとこう。どうせ親の前では言えないような、デレデレしたセリフを吐くつもりなんだろう」
「アズア。口惜しいなら泉から出てきて、自分もサクヤを甘やかしたらいいじゃない。八つ当たりでエクルーをいじめるなんてフェアーじゃないわ」とフレイヤが指摘した。
アズアは長いまっすぐな黒髪をそれはきれいなしぐさで肩に書き上げた。
「いいのかい? 今、泉から出ると君と20近く年が離れることになる。もう少し、ここで時間をかせぐつもりなんだが」
フレイヤは珍しく言葉につまった。
「あ…う…」とつぶやきながらアズアとスオミの顔を交互に見て真っ赤になった末に消えてしまった。
スオミはため息をついた。
「あんまり子供をからかわないで」
「けっこう本気なんだ。私を気味悪がらずに受け入れてくれるのはあの子ぐらいだろう?」
「そうは思わない。あなたきれいだもの。でも、フレイヤはまだ幼いわ。本気になったら…あなたの方が傷つくことになるかも」
アズアはきれいな笑顔をみせた。
「心配してくれてありがとう。その辺は年の功で何とかするよ」
「自分よりきれいな義理の息子をもつなんて複雑な気分」
「何言ってる。スオミはきれいじゃないか」
「ご親切にどうも」
「本気で言ってるんだ。スオミの美しさは生命力と希望に衰打ちされている。君がボニーのそばにいてくれなかったら私はこんなところでのほほんと休んでいられなかった。でもあのまま地上にいたら、ほかのフロロイドのように発狂して死んでたろうな、サクヤの目の前で」
「泉で眠ることをすすめたのは私よ。責任はとるわ。あなたの力は将来、必ず必要になる。子供達のために、もうしばらくがんばって」
ぱしゃんと水音を立てて、アズアはスオミに背を向けた。泉に向かってうなだれている。
「私のこのろくでもない力が役に立つ事態なんて、あんまり考えたくないね」
「もう。相変わらず考え方が後ろ向きね。この頃アルやフレイヤとよく話してるから、少しは元気になったかと思ったのに。じゃあね、ミヅチの代理をやってると思いなさいよ。ペトリと一緒に散ったミヅチの代わりにイドラを守ってるんだ、と思いなさいよ。そしたらいじけてられないでしょ?」
「生き残ったものには責任がある…か。メドゥーラによく言われたよ」
「生き残った人は、たくさん失ったけど、たくさんもらってもいるのよ。もらったものを返さなきゃ」
「その強さ、うらやましいよ」
「そうでなきゃ、生きてこれなかったもの」
スオミは事も無げに言った。
「あなたも強くなって。フレイヤやサクヤやサユリや…・・・たくさんの子供達のために。別に宇宙を救う英雄になってくれなくていいわ。自分の知ってる子供たちのゴッドファザーでいてくれたら。そうしたらもっと自分を信じられるようになるわよ」
「そうかな」
スオミがくっくっくっと笑い出した。
「どうして私、ぼやいてばかりいる情けない男の人をけとばせないのかしら。キジローといい。アルといい。あなたももし私を義母さんと夜ぶ気なら覚悟しといた方がいいわよ。のんびりアンニュイに浸らせておいてなんかあげませんからね」
「楽しみにしてる。私はもう底に戻る。今のうちに思う存分イジイジさせてもらうよ。フレイヤは”長男”の巨人のてっぺんにいる。じゃ、お休み」
「お休み」
エクルーとサクヤはアズアの泉からひとつ南の泉に現れた。サルナシをとりによく通ったので、サクヤも景色を覚えている。採って来たサルナシはみんなお酒に漬けている。春祭りの頃、ちょうど飲み頃だろう。
ふわりと着地すると、エクルーはサクヤの手を放して泉のほとりにあぐらをかいた。うなだれて、サクヤから目をそむけている。肩が震えているので、サクヤは何も言わずに自分もエクルーの後ろに腰を下ろした。
エクルーの背中に自分の背中をくっつけて、空を仰いだ。
晩秋の午後遅い日の光が岩山を銀色に輝かせている。冷たい空気が、甘く感じられる。
サクヤはこれからクリスマスまでの季節が大好きだった。1年で1番昼が短い、寒さがこたえる時期だけど、1番可能性に満ちている。
エクルーはなかなか話せるようにならなかった。言葉が出てこない。”エクルーにもらったら、セージの小枝1本でもうれしい”という言葉が呼び水になって、どうしようもなくサクヤの言葉や表情がよみがえってきた。思い出に圧倒されて、話すことも、立ち上がることもできない。
オプシディアンに行ったばかりの頃、やっと起き上がれるようになったサクヤにパープルセージの小枝をつんで持って帰ったことがあった。10㎝もない枝なのに、胸が痛むような笑顔を見せたのだ。
でも、その後、サクヤが自分のものになってくれないのが口惜しくて何度もいじめて泣かせてしまった。でも”俺が怖いか”と聞くと、”怖くない。エクルーが怖いわけない。あなたが私にしてくれることは、どんなことでもうれしい。”と言い張った。俺に押さえつけられて、真っ白い顔で目を見張りながら”あなたを怖くない”と。
どうしてその言葉を信じることができなかったんだろう。
どうして自分を信じることができなかったんだろう。
自分がサクヤを思う気持ちも、サクヤが自分を思ってくれる気持ちも信じられなかった。俺が招いた事態なのに、俺は、俺とキジローの間で苦しむサクヤを何度となく責めてしまった、そしてその後はますます自分が嫌いになって持て余した。
サクヤの前で、俺はずっと最低の男だった。なのにサクヤは1度も俺を責めなかった。いつでも受け入れてくれていた。どうしてだろう。
オプシディアンを引き払ってイドラに移る時、サクヤのたいして多くない蔵書の間からセージの小枝がはらりと落ちた。変色して、もう香りもないのに。その小枝を見つけた時、俺はサクヤが散って初めて泣いた。
エクルーがはぁーっとため息を吐いたので、サクヤもほっと息をついた。背中を離して向きを直ると、ちょっと斜め後ろからエクルーの顔を見上げた。
「大きなサクヤのことなの?」
「うん。……いや、いろいろだ。いろいろ思い出して何だか……ちょっと胸がいっぱいになっちゃって」
サクヤは手をエクルーの腕にかけた。
「ムリに話さないでもいいわ。あのね、今日1番うれしかったこと何かわかる?もちろん、プレゼントのピアスもうれしかったんだけど…今までもね、時々、エクルーってぷいっと消えちゃうことあったでしょ。今日は1人で行っちゃわないで、私もつれて来てくれたのが、すごくうれしかった。余裕で私をからかったり、やさしい事を言ってくれたり、そんな所ばっかり見せてくれなくていいの。ぐるぐる悩んでるとことか、泣いているとことか、怒った顔も見せて。私もう子供じゃない。エクルーはパパの代わりなんかじゃない。丸ごとあなたを受け入れられるようになる。丸ごとエクルーが好き。置いてかないでくれて、ありがとう」
エクルーはふり返って、サクヤの顔をしばらく見つめていた。そしてまたふいと目をそむけてうなだれた。
向こうを向いたまま、エクルーがぽつっと言った。
「同じこと言うんだな」
「同じって、大きなサクヤと?」
「うん」
サクヤはしばらく考えていた。
「それは……うん。きっと私と大きなサクヤが同じ気持ちだからよ」
「同じ?」
「2人ともエクルーが大好きだから。だから同じ言葉が出てくるのよ」
エクルーはまたサクヤの方をふり返った。黙ってじっとサクヤを見つめている。
サクヤはぴょんと立って、エクルーの腕を取ると引っ張って立たせた。
「寒くなってきちゃった。帰ろうよ。夕ご飯、私が作ったげる。エクルーはぼおっとしてていいから。ね、おうちに帰ろ」
「うん。うちに帰ろう」
エクルーがサクヤの手を握った。
サクヤが料理している間、エクルーが1回も台所に入って来なかったのは初めてだった。いつもは何度となく下ごしらえを手伝おうとしたり、味見しようとしたりして追い出されるのが常なのだ。エクルーはドームのデッキに吊したタープに寝っ転がって本当にぼうっとしていた。仕度ができた、とサクヤの呼ぶ声にも、2,3度めでやっと意味のある返事をして、のそのそとデッキを下りて来た。食事中にひとことも口をきかないのも初めてなら、サクヤの作った料理をほめなかったのも初めてだった。
でもサクヤは、いつもだったらひとりでぷいっと出て行って消えてしまっていた時のエクルー今の目の前に見ているのだとわかっていた。今まで、きっとずいぶんムリしてたんだわ。私を引き受けた時、エクルーはまだ17だったのに。今やっとパパの振りをするのをやめて素の自分を見せてくれているのだ。
サクヤは、エクルーがフォークをくわえたまま動きを止めて考え込むと、それとなく励まして食事を続けさせ、コップをひっくり返すと、大丈夫片づけるからと静かに言って、何とか全部食べ終わらせた。何だかグレンとこのちびさん達の子守をしてるみたい。
食後のお茶のカップを目の前に置くと、エクルーはカップを持つかわりに、サクヤの手をぎゅっと握った。
「もう寝よう。俺眠い」
「でも食器を片づけなくちゃ」
「明日でいい。もう寝よう」
これはいよいよ尋常じゃない。食べ終わった食器が15分以上食卓に残っていたことなどない。10人分のフルコースの皿でも、エクルーは口笛を吹きながらあっという間に片づけてしまうのだ。
「俺もう眠い」
だだをこねるようにエクルーがくり返す。3才児のようだ。
几帳面なサクヤは汚れた皿を片づけてしまいたかったが、甘えるエクルーを見ていたい、という欲求の方が勝った。
「わかった。もう寝ましょう」
サクヤが立ち上がってもエクルーは歩き出さずじっとしている。仕方なく、サクヤは手をひいてサンルームに向かった。
「ほら、エクルーのベッドよ。早く入って」
「サクヤと一緒がいい」
これにはいよいよ驚いた。いつもベッドに忍び込むのはサクヤの方なのだ。
「私の部屋がいいの?」
「一緒ならどこでもいい」
「じゃ、ここに入って。私もここで一緒に寝るから。パジャマは?」
「このままでいい」
まったくもって異常事態だった。
「わかった。でもちょっと手を放して。明かり消さなきゃ……」
エクルーが指をぱちんと鳴らすとライトが全部消えた。それでも月明かりがあるので真っ暗ではない。
「もう寝よう」
サクヤは覚悟を決めた。
「わかった。もう寝ましょう」
そう言ってエクルーと並んでベッドに入った。
頭が枕につくかつかないうちに、エクルーは寝息を立て始めた。寝顔が月明かりにほの白く浮かんで見える。
きれいな寝顔。つくづくとサクヤは見入った。
こんなにじっくりエクルーが寝ているところを見るのは初めてかも。いつも私が寝つくまで本を読んでいるし、朝は私より早く起きてジョギングしてシャワーを浴びる。
今夜は驚くことばかりだ。エクルーがまるで小さい男の子みたいに見えた。ううん、きっとエクルーの中に本当に小さな男の子がいたんだわ。今まで出てこられなかったのね。エクルーは7歳で記憶を取り戻したと言ってた。それ以来、大人として病身のサクヤの心配をし、アルやスオミとイドラの心配をし、キジローを見送り、大きなサクヤの世話をしてきた。エクルーは17年分の少年の孤独をうちに抱えて来たにちがいない。時々、それがあふれそうになると、ぷいっと消えて泣きわめく小さな男の子をなだめて来たんだわ。そうしてずっと閉じこめられていた男の子が、ようやくここで安心して眠っている。私の隣で、私の手を握って。何てかわいいんだろう。
サクヤはチビ達を寝かしつける時に歌うイドリアンの子守り歌を小さな声で歌い始めた。
考えたら私もずっと、自分の中の小さな女の子を閉じ込めて来たんだわ。エクルーがすごく大人に見えて、自分も早く大人にならなきゃ、とあせってしまった。
大人にならなきゃ、エクルーにふさわしいパートナーになれない。
大人にならなきゃ、エクルーの負担になってしまう。
負担になれば、捨てられてしまうかもしれない。
いつも切迫する気持ちがあった。エクルーは、いつも今の私が1番かわいい。どんな私でも、たとえ名前がサクヤでなくても私が大好きだ、とくり返し言ってくれていたのに。
自分が感じている切迫感をそのままエクルーに押しつけて、追い込んでしまっていたのかもしてない。
結局私たちって、ただの背伸びした男の子と女の子だったんだわ。
2人の迷い子はやっとおうちを見つけて帰ってきた。やっと安心して、ぐっすり眠れる。
2人で手をつないで。
すぐ横にエクルーの顔がある。私をじっと見つめている。
「おはよう」
「誕生日おめでとう」
「そっか、すっかり忘れてたわ」
昨夜はエクルーの変貌ぶりに感動して、オパールのプレゼントもふっとんでしまった。スカートのポケットを探ると、ちゃんと小箱があった。よかった。
一晩明けたら、何となくエクルーが元通りに戻っていそうな気がしていたが、どうやら昨夜のままらしい。黙って私の手を握ってじっと目をのぞき込んでくる。
「起きたなら、シャワーを浴びて来たら?」
「後でいい」
「じゃ、朝ご飯にする? フレンチトースト作ってあげる」
「後でいい」
少しこわくなって来た。エクルーは今まで、私を不安にさせないようにずっと軽口を叩いてたんだわ。
でも今はただまっすぐに私を見つめて、迫ってくる。少し身体を浮かせて、間近から私の耳にささやいた。
「怖かったり、痛かったりしたら言って」
そしてキス。エクルーと何度もキスしたことがあったけど、こんなキスは初めてだった。
身体中が震える。
エクルーのくちびるが、私の首や耳やのどをなぞる。
エクルーの手が私の背中を腰を足をなぞる。
今までと全然違う。これまでは私の変化を注意深く見ながら、気が遠くなるぐらいのんびり抱きしめてくれたのに。今日のエクルーは全然余裕がない。
まるでただの男の人みたい。
「息忘れてるよ。深呼吸して」
100メートル全力疾走したように息が荒い、自分が涙を流しているのに気がついた。
「ゆっくり息を吸って。怖い? やめる?」
「ううん。やめないで」
エクルーはやめないでくれた。私はきつく目をつぶっていたので、エクルーが私のどこをどう触れて、どんな風に抱き合っているのかわからなかった。ただ無我夢中でエクルーにしがみついたいた。
「サクヤ、目を開けて。生きてる?」
身体中がバラバラになった気がしたのに、ちゃんと元のままでちゃんと生きてた。エクルーも私も汗びっしょりだった。
「ごめん。あんまりやさしくできなかった」
私は言葉が出てこなくて、ただ一生懸命首を横に振った。
「大丈夫?」
今度は首をタテに振る。
「話し方、忘れたんじゃない?」
エクルーが笑っておでこにキスしてくれた。
「今度はゆっくり飛ぼう。サクヤが息の仕方、忘れないように」
今度のキスは甘かった。身体中の細胞がビリビリと緊張して痛いほどだったのに、ひとつキスを受ける度に柔らかくゆるんで融けてゆく。
どんなに融けても大丈夫。エクルーが手を握ってくれている。エクルーもすぐ隣りで浮かんでいる。2人で青空に浮かんで、雲の間を飛んでいる。
涙が止まらなかった。うれしくて、やっと安心できて。
私、エクルーの横にいていいんだわ。
もう大丈夫。2人で生きていける。
サクヤがシャワーを浴びて朝食を食べ終わっても、エクルーは起きて来なかった。サンルームに戻って、エクルーをつついた。
「シャワー浴びなさい。汗臭いわよ」
「サクヤが一緒に浴びるなら」
「何言ってるの。そんなことできるわけ……」
「どうして?」
エクルーは本気で不思議そうだ。
「私はもう、ちゃんと浴びたの。とにかく起きて。お昼になっちゃうわ」
私はエクルーの腕を引っぱってバスルームに連れて行った。信じられない。あのきれい好きなエクルーが。
バスルームに押し込んで扉を閉めようとしたのに結局エクルーに引っ張りこまれて、着替えしたばっかりの服を水浸しにされた。
エクルーはけらけら笑いながらお湯の下にサクヤを捕まえている。まるで別人のようだ。
「もう、信じられない」
サクヤが怒った声を出したが、エクルーは頓着せずに手際よくぐしょぬれの服を脱ぎ捨てた。
きれいな首。きれいな肩。きれいな胸。きれいな笑顔。思わず見とれている間に、ぬれた服のまま抱きしめられてキスされた。もう何を怒っていたか忘れてしまった。
サクヤはため息をついた。
「どっちが大人かわからないわね」
「そんなの関係ないよ。どっちが女の子かさえ覚えてればそれでいい」
かなり抵抗したのに、結局、服を脱がされてしまった。
まだベッドの中だってどうしていいかわからないのに、シャワーでなんかどう立っていればいいのかもわからない。
ぐったりしてタオルでふいてもらいながら、サクヤはまだ目が回っていた。
「何だか赤ちゃんに戻ったみたい」
「いいんじゃない。赤ん坊が2人じゃれ合ってると思えば」
「こんなきれいな赤ちゃんっているかしら」
エクルーが髪をふく手を止めて、サクヤの顔をのぞき込んだ。
「ごめん、言うの忘れてた。サクヤ、すごくきれいだ。こんなきれいな子が俺の腕の中にいるなんて信じられない」
「ありがと。エクルーの方がずっときれいだと思うけど」
「きれい? 俺が? 前にもそんな事言ってたっけ」
「そうだっけ」
「オパールの効果だろう?」
「関係ないわ。毎日、あなたを見る度そう思うもの。神様、なかなか腕がいいわねって」
エクルーはけらけら笑ってベッドに寝っ転がった。
「それって、同じかな。俺いつも思うんだ。神様、サクヤに会わせてくれてありがとうって」
サクヤは胸をつかれた。子供のような無邪気な言葉。
「ずるい。こんな時にこんな事言うなんて」
サクヤは泣きそうになった。
「ずるくない。もういっぺんサクヤにキスするためならどんな手でも使う」
エクルーは腕を引き寄せて、またサクヤにキスをした。
サンルームのコンソールがポーンと音を立てた。
「ボイス・メッセージが2通来ていますが、こちらで再生しますか」
「うん。再生して」エクルーが鷹揚に答える。
サクヤは裸でベッドでグオルグの声を聞くだけで、そわそわしてしまうのに。
「1件めです。――サイモンです。ルカです。サクヤ誕生日おめでとう」
いつもながら見事なユニゾンだ。
「プレゼントを届けに寄っていいかな。2時頃温室に行くよ。じゃね」
「2件めです。――スオミです。サクヤ、何時頃来る? よければ夕方いらっしゃいよ。夕食食べて行って。フレイヤがサクヤにケーキ作ってあげるって聞かないの。3回練習して、私達が犠牲になったから、今夜はまともなものができると思う。連絡ちょうだい」
サクヤは途方にくれた。
「どうしよう」
「行きたくないの?」
「だって……どんな顔してサイモンやアルに会っていいかわからないわ」
「自分で思うほど変わってないもんだよ」
「だって、鋭い人ばっかりじゃない」
「どうせ、ずっと2人だけで隠れてるわけにいかない。堂々としてればいいんだ」
「とにかくシャワー浴びてくる。正気をとり戻さなくっちゃ」
「今は正気じゃないんだ」
ケタケタ笑ってるエクルーを置いて、サクヤはシャワールームに行った。
2時きっかりにひげの双子が来た。
「お誕生日おめでとう。ロイヤルブルーのドレスが似合ってるよ。エクルーのお見立てかな。あれ、エクルーは?」
「昨日遅かったからまだごろごろしてるみたい。どうぞ、入って」
温室のソファーセットに落ち着くと、ゲオルグがコーヒーとチーズクッキーを持って入った来た。
「レィディのお手製です。甘くないのでルカ様でも召し上がっていただけるかと。サイモン様には、チョコレートのアイスボックス・クッキーもご用意しますが」
「様はやめてよ。でもチョコも持って来てくれ」
「わかりました。もしかしてお2人とも昼食まだですか。サンドイッチかパンケーキをお持ちしましょか?」
「サンドイッチ!」
「パンケーキ!」
「承知しました。しばらくお待ち下さい」
サクヤがくすくす笑った。
「昨日からエクルーがキッチンに入らないものだから、ゲオルグがはりきってるのよ」
「キッチンに入らない?」
「エクルーが?」
「何があったんだ?」
「昨日からエクルーは私のパパ代りをストライキしているの」
「へえ」
「そりゃ、パパじゃ押し倒せないもんな」
サクヤがぽんっと真っ赤になった。つられて双子も照れてしまった。
「あ、そうだ。プレゼント。誕生日おめでとう」
「おめでとう」
「ありがとう。何かしら」
「ピアノの楽符。やさしい曲だよ。ピアノが喜ぶと思う」
「僕のはオプシディアンのワイルド・フラワーのフィールドガイド。行ったことないって言ってたろう。けっこう花の種類が多いし、珍しいものが見られる」
「ありがとう。うれしい」
サクヤが手をのばしたので、ワンピースの袖から手首がのぞいた。
「サクヤ、その手首どうしたの!」
右手首が青くなっている。エクルーがずっとつかんでいたところだ。
「ちょっとひねったみたい」「すぐ冷やした方がいい。跡が残るよ」
温室にはだしてペタペタ入って来たエクルーが言った。
「セバスチャンに言って、湿布してもらいな」
「うん。サイモン、ルカ、ゆっくりしてってね」 エクルーはお腹をポリポリかきながら、欠伸している。
「アズアに言いつけたければ、言っていいよ?」
「俺たちが言いつけなくても、どうせあのオヤジはお見通しだ」
「オヤジって、アズアは君らより若いだろう」
「子持ちならオヤジだよ」
「しかし、ゲイかと見紛う身ぎれいな美青年の成れの果てがこれか」
「今までかなり猫かぶってただろう」
エクルーがまた欠伸した。「そりゃあね。ローティーンの女の子を預かってるんだから、あんまりムサ苦しくするわけにもね」「でも今日はストライキ中なわけだ」
「たまにはいいだろ」
「あ、なんでムサ苦しいかわかった。ヒゲだ!」
「ホントだ、無精ヒゲ生えてるエクルーなんか初めてみた」
「ヒゲですって?」
戻って来たサクヤが叫んだ。
「触らせて。わ、本当。じょりじょりしてる。カッコいいわ。ね、伸ばしてみて。グラン・パみたいになるかも」
「意外と好評だぞ。良かったな、お若いの」
ひげの双子が大らかに笑った。
セバスチャンが幅2インチのレース飾りを見つけてきて、ルカが器用に袖周りにぬいつけてくれた。
「これでディナーの間中、手元を気にせずにすむ」
「ありがとう」
「しかし僕らまで行っていいのかな」
「フレイヤは喜んでるわ。はちみつ色の双子のテディ・ベアがお気に入りですもの」
「手ぶらが気になるなら、うちで適当に作っていけば。冷凍のソースが3,4種類あるし、パスタも、イモも肉もいろいろある」
エクルーはカウンターでのんびりコーヒーを飲んでいる。
「そして君はまだストライキ中なんだな。」
「俺が手料理を持ってくと、スオミにプレーッシャーかけちまう。いくら姉さんは料理上手だと言っても聞かない。それにせっかくゲオルグがはりきってるからな」
「楽師もストライキかい?」
「いや楽師なら誰にもプレッシャーかけないから」
「じゃギター持って来いよ。アルはバリトンなんだろ。男声四部合唱でHappy Birthdayをやろう」
「君らはあんだけリィンにしごかれててまだ歌い足りないのか?」
「イドリアンの歌がなかなかままならないから、ストレス解消だよ」
双子が忠告した。
「エクルーはヒゲはそのままでいいから、もう少し楽師らしいかっこうに着替えて来いよ。そのままじゃ…」
「何だい?」エクルーが挑戦的に聞いた。
「バレバレだよ。フレイヤにもわかるんじゃないか? パパはストライキしててもいいが、サクヤの面目は保ってやらないと」
今度はエクルーも素直にきいた。
「そうかもね。シャワー浴びてくる」
エクルーのヒゲを見て、なんとアルが涙ぐんでエクルーを抱きしめた。
「何だよ。気持ち悪いな」
「やっと実感したんだよ。良かったな。これでちゃんとオジさんになれるぞ。ループから抜け出したな。次は腹を出せ。ハゲでもいいぞ」
「それだけはごめんだ」
「おまえはスケベだけら、絶対ハゲる」
エクルーが悲鳴を上げた。
「姉さん! やめさせてくれ! アルが呪いをかけるんだ!」
お祭り騒ぎは夜半まで続いた。ルカとサイモン謹製マカロニ・チーズ・ポテト・チキン・グラタンは好評だったし、フレイヤのこけももクッキーはおいしかった。エクルーは最初から最後までギターを弾いていた。スオミにオパールをつけてもらって、サクヤは拍手で迎えられた。
フレイヤが「私もピアス開ける!」と叫んで、「15になったらね」とたしなめられた。
誰も春祭りのことも、すい星のことも、ずっと伏せっているイリスのことも口にしなかった。今夜だけは忘れて歌い騒ごう。歌えばとりあえずホタルが喜ぶ。ホタルが喜べば泉の機嫌も良くなるし、イドラも歌い出す。これから冬至をはさんでクリスマスまで、1番夜の長い季節。1番死に近い季節。不安に負けて、死神につかまるわけにいかない。歌って踊って死神をけちらせ。冬の旅人をけちらせ。春を復活させるのだ。
アルが4粒の小さなスミレ色のひすいをエクルーに預けた。
「うちの奥さんと娘のピアスの材料だ。もうこの鉱脈も来年以降近付けるかわからないからな。あわてないから加工してやってくれ」
「小粒だけどかなりのグレードだよ」
「スオミにプロポーズする時がんばっていい石を贈り過ぎた。釣り合うものを見つけるのに苦労したよ」
エクルーはじっと石を見つめながら、ボソっと言った。
「兄さん。変なこと考えてるんじゃないだろうな?」
「何が?」
「俺、イヤだぜ。これをアルのかたみだとか言って2人に渡すの」
アルはにっと笑った。
「人を勝手に殺すな」
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