
サクヤは毎日ドームに遊びに来ていた。
もともとキジローやエクルーがイドラに来る前から、温室ドームに入り浸りで執事ロボット達とも仲良しだった。スオミやメドゥーラの診療を手伝ったり、温室を保育所代わりに預けられているイドリアンのちび達の面倒を見たり。ロボットやスオミに習って、ドームのコンピューターを使いこなしていた。
そしてキジローの孫になったのだから、正式にドームの女主人のようなものだ。それにドームにはエクルーがいる。
毎朝、起きて朝ご飯を食べるとボニーと一緒にドームに”出勤”して、庭の手入れや保育所で元気に忙しく走りまわっていた。
ところがキジローの葬儀から10日ほどたった朝、サクヤは少し遅い時間に来ると、エクルーの横に立ったがどこかうわの空だった。顔色が青白い。
「サクヤ?」
「ママがおかしいの。私の声が聞こえないみたい」
エクルーはサクヤと一緒に、ボニーのイグルーのようなカプセルハウスにかけつけた。ボニーは目を開けたまま、無表情に天井を見つめてベッドに横たわっていた。
「体温は正常だな。意識だけ飛んでる。サクヤ。スオミの診察所わかる? 電話してすぐ来てもらって」
「うん」サクヤが慌ててかけて行った。
「ボニー? ボニー? 聞こえる?」
手をにぎって呼びかけた。
指の力が全然ない。
エクルーは深くキスをして、少しエネルギーを分けた。昔、サクヤにそうしていたように。感応力の強い人間は、生身の身体が弱ると意識が別の時空を彷徨い出す。サクヤが夢うつつで身体が冷たくなっている時、よくこうしてエネルギーを分けたものだ。ふうっと目を開けて微笑んだサクヤは、どこに出かけたいたのか教えてくれたものだった。
小さな頃の俺に会いに、トウカエデの森を逍遥したり、時には”もうない星”まで飛んでいたりしたらしい。もちろんその頃の俺はサクヤのことなんか知らなかった。ただ、懐かしい夢のような、自分を守ってくれる天使のような幻として、その白い姿を見るとうれしかった。
ボニーはどこを彷徨っているんだ?
ボニーは俺のの方をぼんやり見て、
「アズア……?」と聞いた。
「ボニー、しっかりして。俺を見て」
「ああ、もうあなたに会えないと思ってた。アズア……あのコのために、今までがんばったけど……もうあなたの所に行ってもいいでしょう?」
アズアはサクヤの父親だ。ボニーは”アズアはもう泉に還った”というけれど、俺もサクヤさえも彼の墓を見たことない。
「ダメだよ、ボニー。サクヤが一人になっちまう」
ボニーはうるんだ瞳で微笑んだ。
「サクヤはもう一人じゃないわ。あなた……不思議なのよ。エクルーは……私があんな怖いことしちゃったのに、サクヤを大事にしてくれるの……私、いいのかしら。許されて、安心していいのかしら。アズア……私もう許されていいの?」
「許す。許すよ。というか、ボニーは何も悪くないよ。俺はこの星に来る前から、ずっとボニーの夢を見てたんだ。ボニーにあこがれてた。シャトルでやっと君に会えた時、うれしかったくらいだ」
俺が必死で呼びかけると、やっとボニーの目が焦点を結んで俺を見た。
「そうね……あなたは微笑んでいた。両手を広げて……私を迎えてくれた。あなたは最初から私を許してくれてた」
ボニーはエクルーの手をきゅっとにぎった。
「エクルー、ありがとう。サクヤを……」
「サクヤのことは心配しなくていい。だからしっかりして。すぐスオミがくるから」
エクルーはまたエネルギーを分けた。
スオミがサクヤとかけこんで来た時、ボニーはおだやかに微笑んでいた。
サクヤの方に手を伸ばそうとしたが腕が上がらなかった。
サクヤはそばにひざをついて、ボニーの手を取った。ボニーの口が開いたので、サクヤは耳を寄せた。
「サクヤ。エクルーと……」
「うん。ママ。仲良くする」
「ごめんね……もうパパのところに行ってもいい?」
「うん、ママ、大好きよ。パパにも大好きって伝えて」
「私も……いつも……愛してる。幸せに……」
声が途切れたと思うと、身体から力が抜けたのがわかった。
エクルーの腕の中でボニーは逝った。大きなエクルーがボニーの腕の中で逝ったように。
ボニーはキジローの隣りに埋葬した。
アルが小さな仔グマが首をかしげているような形の白い石を見つけてきた。キジローの黒いクマ石と並んで置くと、本当に親子のようだ。キジローとボニー。”石”のせいで人生の歯車が狂った、不思議な巡り合わせの親子だった。
そして今、小さなエクルーと小さなサクヤが残った。
不思議な巡り合わせの伯父と姪。
サクヤはドームに来て、デッキのハンモックで寝るようになった。
落ち着いてはいたが、よくぼんやりしていて以前のような輝きがなかった。
何とか笑って欲しくて、エクルーは提案してみた。
「サクヤ。俺と一緒にウイグル・ステーションに行かないか。きれいな所なんだ。サクヤにみせたいな。滝があって、動物もたくさんいる。俺の先生がそこで研究所を開いたんだ。1年くらいそこで勉強して、難しい試験を受けなきゃいけない。サクヤが一緒にいてくれれば、俺がんばれると思うんだ」
「私に一緒に行って欲しいの?」
「サクヤが一緒じゃなかったら行かない」
「何だかキョーハクされてるみたい」
「一人じゃ行かない」
エクルーはくり返した。
サクヤはうつむいた。
「ママのそばを離れたくない」
「ママはお墓の中なんかにいないよ。ボニーは今、ここにいるんだ」
サクヤの胸をとんと叩いた。
「だからサクヤがどこに行っても、ボニーと一緒にいられる。サクヤが笑えば、ボニーも笑う。サクヤが美しい風景を見れば、ボニーにも見せてやれる」
サクヤはまだぼんやりした顔で、聞いた。
「エクルーの先生って誰?」
「メイリンだよ。ここにも何度か来たろう? ボニーとも友達だった。お葬式にも来てた」
「……行かない。」
「え?」
「私、ウイグルには行かない。留守番してる。」
エクルーはアルに相談してみた。
「ドクター申請に、あと2~3本ペーパーがあるとラクだろうと言われたんだ。ここでも書けるけど、ウイグルに行けばサクヤも気分が変わっていいと思ったんだけどな」
アルはくつくつと笑った。
「お前……それはヤキモチだよ」
「へ?」
「メイリンはお前をかわいがってるし、美人で秀才だ。お前も甘えてけっこうベタベタしてたじゃないか。サクヤにしたら面白くないんだろう」
メイリンは物理の天才で、昔、自分のプロジェクトでエクルーと一緒に働いたことがあった。キジローとサクヤがいちゃついているオプシディアンの家にいづらくて、エクルーはメイリンの研究所があるコロニーによく家出したものだった。
「だってメイリンはダンナも子供もいるんだよ?」
「そんなこと関係あるもんか。小さくてもちゃんと女なんだなあ」
アルはまた笑った。
エクルーはドームで毎日サクヤの勉強を見ていた。サクヤの学力はほとんどハイスクールのレベルになっていた。この早熟さは感応力者の血をひいているからだろうか。ボニーは、強力な巫女だったというキジローの祖母とそっくりらしい。それとも”石”の影響なんだろうか。
周囲にアルやスオミのような特異な例がごろごろいるお陰で、サクヤは幸い、自分を異常だとは思っていないようだ。
「サクヤは大人になったら、何になりたいの?」
「……考えたことないわ」
「じゃあ、どの科目が好き?」
「別に。どれも同じ。ただの勉強だもの。気がまぎれるから好きなの」
エクルーはちょっと途方にくれた。
どうしたら以前のいきいきした笑顔を取り戻せるだろう。
サクヤは今でも週に1回、メドゥーラの天幕を訪れて、薬草の見分け方や天気の読み方を習っていた。
その日はスオミも天幕に来ていた。3人で甘いお茶を飲んでいると、メドゥーラが切り出した。
「3日すると、いい天気が5日ばかり続く。嵐は来ない。その時、東の青谷へ行こう。サクヤ、お前もおいで。薬草を探す実習だ。荷物持ちに坊やも連れて行こう。3日ばかし、あっちでがんばって、草を集めるよ」
「ごめんなさい。本当は私の研究のサンプリングなのよ」とスオミが言った。
「スオミってお医者さんでしょ。何の研究してるの?」
「民族薬物学といって、いろんな星の原住民の民間治療を調べて、薬草の有効成分を調べたり新薬開発の可能性を探ったりするの。私の場合は、イドリアンの治療に役立てたくて、メドゥーラに弟子入りしたんだけど、けっこうこの分野は研究費がもらえるのよ。製薬会社とかからね。そのお金で診察所を運営してるわけ」
「ふうん。すごいね」
「特にイドラは薬草の宝庫だから。ずっと環境が激変してきたから、植物の種類が多くて、しかも厳しい生き残り戦略のために毒をもつものが多い。毒は使い方で薬になるわ。イドラ特産の薬草をうまく使えば、必要な外貨を手に入れる手段になる。外地の人間に足元を見られずに、独立を守れるのよ」
サクヤは、スオミをじっと見つめた。
「すごいね。スオミには夢があるのね。エクルーに聞かれたの。大人になったら何になりたい?って。私、わからない。私は何をしたいのかしら。何ができるのかしら」
「まあ、あわてて決めることないさ。まだ8つなんだから」とメドゥーラが言った。
普通だったら将来の心配などせずに、親に甘えていていい年だ。
「そうよ。私だって、医学とか薬学とかに興味持ったのはハイスクールからだもの。私の場合はサクヤにあこがれて医者になろうって決めたのよ?」
「そうなの?」
「正確には、お父さんに愛されてるサクヤにあこがれて、なんだけど。本当にうらやましいくらい仲のいい夫婦だったの。サクヤは私がこの星に来る前、ずっとイドリアンを診療していたのよ」
小さなサクヤはうつむいた。
「私……パパの顔、よく思い出せないの。パパのお墓がどこかも知らないの。ママは絶対、教えてくれなかった。ママはパパが嫌いだったのかしら」
「そんなことないわ」
スオミが勢い込んで否定した。
「私がアズアを治療したのよ? ボニーはずっとつきそって、それは大切にお世話してたわ。まるで双子のようにいつも寄り添っていたわよ?」
「じゃあ、どうしてママのお墓が、グラン・パの隣りなの? どうしてパパと一緒に眠らないの? どうして私にパパのこと話してくれなかったの?」
サクヤは立ち上がって叫んだ後、そのまま身体をふるわせて泣き出した。
スオミはサクヤをぎゅうっと抱きしめた。
メドゥーラは静かに言った。
「青谷に行こう。あそこに行けばわかる。アズアが死ぬまでボニーはあそこに住んでた。サクヤ、お前は青谷で生まれたんだから」
「サクヤ、青谷の様子、おぼえてる?」
谷に向かうヨットの中でエクルーが聞いた。
「あんまり。3才で今のハウスに来たもの。緑が深くて、ママがよく花冠や花を編んだ首飾りを作ってくれた。紫色のきれいなトンボがいる池があったわ」
青谷は変わり果てていた。谷がえぐれて巨大なクレーターができていた。
森も池も消えている。
「どうして……?」サクヤはショックを受けて、ふらついた。
「3年前、月のかけらがここに落ちた。1キロくらいのヤツだ。石自体は燃えつきたが、衝波と熱風が襲って、森も野も焼けた」
メドゥーラがクレーターの底を注意深くみながらゆっくり歩いて、コツっと枝を鳴らした。
「サクヤ、これをごらん。この赤いコケ、知ってるかい?」
「初めてみるわ。これ何? あ、この実生も知らない」
「このコケはファイヤー・モスと呼ばれている。こっちの幼木はバンクシアの仲間だ。どっちも高熱にさらされて、焼け跡の多量の灰分を糧に育つ。火に瀑されない限り、100年でも芽吹かずに土に埋まっている種類だ。この穴の底にはそういうチャンスを待って、眠ってた植物ばかり生えている。燃えた森やブッシュには気の毒だが、変化は悪いことばかりじゃない」
少し離れた所できょろきょろしていたスオミが声を上げた。
「あった! メドゥーラ、これよね?」
「そうそう、ファイヤー・セージだ。やっぱりあったね。サクヤもこれを探しておくれ。貴重な肝臓の薬だ」
不毛な被災地がにわかに宝の山に見えてきた。3人で丹念に探して、7種類の焼け跡にしか生えない薬草を集めた。
エクルーは、今ひとつ草が見分けられないので、テントの設営と、薬草を手早く乾燥させるためのやぐら組みを任された。
「風がなきゃ天日干しが一番なんだがね。仕方ない。いぶさないように、おき火で乾いた空気だけ作っとくれ」
3人は穴の中心からゆるやかな斜面を上って、さらに草を探した。縁にゆくほど被害が少なく回復が進んでいる。階段的にいろんな環境ができていて、信じられないほど豊富な植物が見つかった。
サクヤはまるで指先に意志が宿ったように感じた。細やかに草の葉先を分けながら、かくれた薬草を摘んでいった。集中して探しながらも、頭はポカッと別のことを考えていた。
エクルーがちょうどいい加減におき火の火力を調節して、才一陣の植物をやぐらにかけている所にスオミの切迫したテレパシーが届いた。
(サクヤはそっちに戻ってる?)
(いや、来てない。いないの?)
(見当たらないの。斜面は丈の高いセージが繁っていて目が届かない。それにあのコの思念波がつかまらないの)
(どういうこと。まさか事故でもあって、気を失ってるんじゃ……)
(ちがうと思う。何か考えに没頭して、シールドでもはったように、こちらの呼びかけを遮断してるんだわ)
(すぐ、行く)
エクルーはテレポートをくり返しながら、クレーターの斜面でサクヤの名前を呼び続けた。すぐメドゥーラの叱責が飛んだ。
(おやめ! その出力で広範囲の思念をつかもうとしたら、すぐ精神が焼き切れるよ!)
(でもどうすれば……思念が残ってない。ブランクな状態でさまよってるんだ)
(そんな子に呼びかけたって答えやしない。落ち着くんだ。いいかい。あのコはやぶに分け入る装備はしてない。トレイル上、しかも植物の群落のあるみちに沿って移動したはず。クレーターの稜線にいたから道を探すんだ)
エクルーは20mほど上空に飛んだ。
(あった。シルバーセージのブッシュの間にトレイルがある。岩山のヘッジへ上がってる)
(その道沿いの足元の草むらに手をふれてごらん。植物があのコを覚えてるかもしれない)
トレイルに下り立って、地面に四つんばいになって、あちこちの草に触れてみた。
(誰か? 誰かサクヤを見なかったか? あのコに触れなかった?)
黄色いアルニカの一群が、サクヤの思いを宿していた。
”私これからどうしよう。どこに行けばいいの?エクルーはやさしいけれど、パパじゃない。仕事の邪魔をしたくない。エクルーが誰か好きな人ができたら、私のことはきっと邪魔になる。一人で生きて行きたい。パパがいれば……”
トレイルをたどって3回テレポートした。先々で、サルビアやリコリスが思いつめたサクヤの悩みに同情してなぐさめようとしていた。
「私なんていなくなった方がいいの?」
冷たい空気がおでこにあたって、サクヤは足元のマートルの茂みから目を上げた。日が沈みかけて、手元が暗くなっている。空気が冷たい。夢中で没頭しているうちに、こんな所まで来てしまった。
クレーターが見えない。ここはどこだろう。
「パパ! 助けて! ママが死んじゃったの。私は1人なの。どこに行けばいいかわからない。もう私、おうちがないの」
サクヤの叫び声を頼りに、エクルーがマートルの茂みの向こうに現れた。
顔色が真っ青だった。ツカツカと近寄ると、サクヤのほおを思いっ切り打った。
サクヤは吹っ飛んで、しりもちをついた。
「バカッ、どうして勝手に一人で行くんだ。ここはパンサーもクズリも出る。夜は氷点下10℃だ。それで、どうしてパパを呼んでるんだ。君を探してるスオミもメドゥーラのことも、俺のことも思い出しもしな
かったっていうのか?」
そのままエクルーはくずれるようにひざをついて、しりもちをついている
サクヤの方に手をのばした。サクヤはビクッとして後ずさろうとしたが、エクルーはかまわず腕を引き寄せて抱きしめた。
「良かった…! つかまえた。こんな事で、こんな所で見失って、二度と会えなかったらどうしようかと思った…!」
エクルーがふるえているので、サクヤはびっくりした。
「俺のこれからの人生、全部サクヤにやるって言ったじゃないか邪魔したくないとか、行くとこがないとか言わないでくれ。勝手に悩んで消えないでくれ。俺をおいて……行ってしまわないでくれ」
そう言いながら、エクルーの腕の力がぬけていき、バランスを失って地面に倒れた。身体が冷たい。息が細い。
”スオミ!!”サクヤは叫んだ。
”エクルーを助けて!私を見つけてくれたの。でも倒れてしまった。身体が冷たい。死んじゃったらどうしよう!!”
(聞こえた。やっと見つけたわ)
スオミが答えた。
(落ち着いて。周りを良く見て。何か目印になるような地形はない?)
”3つ…とんがった岩のピークが見える。”
(三つ子の巨人ね。太陽はピークのどっち側?)
”とんがりの向こうに沈んだ”
(わかった。そこにいて。エクルーの首を支えて息ができるようにしてて。わかる?)
”わかる。気道の確保ね”
(それでこそメドゥーラの弟子ね。待ってて)
スオミがエクルーとサクヤをテントに運んだ。メドゥーラはまずサクヤの肩から下げた布袋にあきれた。
「まったく、すごい収穫じゃないか。尾根2つ越えたって? 10人分の仕事だよ」
火にかけておいたポケットから、不思議な香りの薬湯を吸い口にそそいだ。
「ほれ、これを坊やに飲ましてやりな。まったく無茶するよ」
スオミが吸い口をサクヤに渡した。
「私が頭を支えてるから、少しずつ飲ませて、気管に入れないように、ちょっとずつ」
「ただくたびれただけだ。一晩寝れば元気になるさ」
サクヤはエクルーの横にすわって、青ざめた寝顔をじっと見ていた。
父の顔を知らない。母は死んだ。自分は1人ぼっちだと心細かった。
でもエクルーも同じだと、今日まで気づかなかった。大きなサクヤもキジローもエクルーを残して死んでしまった。
「私も5才で父を亡くしたの。母の顔は覚えてない。病気で亡くなったんですって」とスオミが言った。
「でも今は、アルもフレイヤもいるし、メドゥーラは私を孫のようにかわいがってくれるし、かわいい弟もできたし」とエクルーの髪をなでた。
「サクヤ、家族は減ることもあるけど、同じくらい増えるのよ」
そしてスオミがにこっと笑った。
「サクヤ、エクルーのお嫁さんになってあげるんじゃなかったの?そしたらエクルーは家族でしょ。そうすると、私もアルもフレイヤももれなくついてくるわよ。どう?さびしいどころじゃないんじゃない?」
翌朝もまぶしいくらいの上天気だった。
「どう? 調子もどった?」
スオミはバター茶を渡しながら、エクルーに聞いた。
「多分……まだちょっと目の奥がチカチカしてる。それに何か右手が痛い……」
お茶を飲んでるサクヤの左ほおがまだ少し赤くはれていた。
「ゴメン……俺……今まで女のコに手を上げたことなかったのに」
「ううん。だって私のことたくさん心配してくれて、だから怒ったんでしょう」
サクヤが言った。
「パパってこんな感じかなって、うれしかったの」
エクルーは複雑な心境だった。パパか……将来、花嫁のパパということになるんじゃないんだろうか。
メドゥーラが岩山を見ながら言った。
「3日分の仕事が、サクヤのお陰で1日で終わっちまったからね。どうだい、今日はピクニックといくかな。昨日のサクヤのコレクションは大したもんだよ。どこで見つけたか案内しておくれ」
パリパリしたうすいパンをたくさん焼いておべんとうを作った。
「よくこんなとこまで歩いたもんだ」とメドゥーラはあきれた。そういう自分も78才と思えない健脚である。
”3つ子の巨人”が見えるところで、石を積んで炉をつくり、お茶を入れて昼食にした。パン2枚ひとり1コずつ干したペヨの実と大きな甘い赤瓜のデザートがついた。
「さて、じゃあ、アズアの墓参りに行くか」とメドゥーラが言ったので、サクヤは驚いた。
「パパの? パパのお墓がここにあるの?」
「お墓と呼ぶかどうかはともかく、あんたのお父さんはこの先にいる」
メドゥーラは”3つ子の巨人”を指した。
「あの真ん中の山の中腹に”泉”がある。サクヤ、お前は泉を見たことがなかったね」
「ええ。ママは絶対に私を泉に近づけなかった」
「それはアズアが泉で眠ってるからだ。泉に、お父さんに会いに行くかい?」
「行きたい…! パパに会いたい…!」
「反対だ!」エクルーが叫んだ。「危険すぎる!」
「ふむ。まあ大丈夫じゃないかね。この子のお父さんが待ってるわけだし。この子が1人で泉に入るわけでなし。どうせ坊やも一緒に行くだろう?」
メドゥーラはにやっとした。
「ガールフレンドのお父さんにあいさつに行くんだ。せいぜいしゃきっとすることだ」
洞の中は昔の変わらず明るかった。
澄んだ青い光が泉の水面からこぼれている。
「何が光っているの」サクヤが聞いた。
「螢石という、大きな生き物の化石だ」
「化石がどうして光るの?」
「表面がオパールという宝石になって光っているってのもあるだろうが、化石になってもその生き物のパ
ワーが残っているからだ、と考えるのが正解だろうな」
「ミヅチという大きな美しいやさしい生き物なのよ」
とスオミがいった。
「私はパパが亡くなった後、7人のミヅチに大切に育ててもらったの。彼らは亡くなったけど、今もこの泉の螢石を通じて私達を守ってくれているのよ」
「私も一緒に行った方がいいんじゃない?」
「いや、スオミは念のために泉の側で待機しててくれない。俺、前にも水面がどっちかわからなくて、エライ目にあったから。上から呼んでくれる?」
「わかった」
「息をとめて水に潜るの?」とサクヤが聞いた。
「それは大丈夫。おまじないをするから。メドゥーラ、どっちに向かって泳げばいいの?」
「となりの泉へとつながる水路がある。水量が大きいから気を付けて。50mぐらい流れにのって下るよ、底に大きな穴がある。沈んで行けば、イヤでもひきこんでくれる。地底湖につながる穴だ。そこにアズアがいる」
「私達、ヨットで先に移動して、南の泉で待っているわ。気を付けてね」
スオミはサクヤのおでこにキスをして、きゅっと抱きしめた。
「アズアによろしくね。」
泉のふちで青い光をみつめながら、サクヤは立ちつくしていた。
「水がずいぶん冷たいわ」
「フィールド作って行くから、ぬれないし、冷たくない」
「息は?」
「おまじないするよ。いい?」
エクルーはサクヤの背中に手を回してキスをした。サクヤは目をぱちくりした。
「今のがおまじない? これで息ができるの?」
「念のために、もう1回やっとく?」
「いいわ。信じることにする」
2人は手をつないで足からすうっと青い水の中に入った。
見えない膜が身体を包んだように水にふれず、身体が自然に水中に浮いた。
「本当だ冷たくない」
「だろう?流れが早いから手を放さないで」
「……もしかしてフィールドの範囲をも少し大きくすれば、おまじないが要らなかったんじゃない?」
「バレたか。でもたまには、こういう役得もらっていいだろう?」
サクヤはちょっと赤くなってにらんだ。
「パパに言いつけてやるから」
「いいよ? パパに何て言うつもり?」
「エクルーがおまじないだと言って私に……」
サクヤはますます赤くなった。エクルーはニヤニヤした。
2人は泉の底まで下りて見た。あいかわらず澄んだ。青い光に満ちているが、以前エクルーが潜って石を取って来た時と、全然ちがう。パワーの強さというより、質がちがう。もう螢石は嘆いていなかった。
石の子供のために泣いていなかった。ホタルはやっと安心したのだ。
今はただ、やさくしイドラの生命全体を慈しみ、見守っている。
「ボニーも、アズアも、スオミも、キジローも、みんなこの石のために運命が変わった。つらいこともあ
ったけど、この石のために出会えたんだ。俺は、君に会えて良かった」
手をつないで、青い光を浴びながら、2人は目を合わせて微笑んだ。
水面近くまで浮上して、泡立つ地下水路の流れにのった。
「表面は荒れているから、底をゆっくり行くよ。入り口を見落とさないように」
「あ、あれじゃない?あの青く光っている……」
泉の底以上に強い青い光が前方の水底からもれている。
「思ったより、入り口が小さそうだ。頭、ぶつけないように。潜るよ、1、2…3」
穴に入った途端、激しい水流から解放されて、2人はふわあっと地底湖の底に向かってゆっくり落ちていた。
「エクルー……夜空だわ」
地底湖はかなり広い、いびつな球状の空間だった。真っ暗なはずなのに、青い光で満たされている。丸く水をたたえた空間の壁がすべて、無数の小さな青い光で散りばめられているのだ。
「これ……螢石?」
壁に顔を寄せたエクルーは気がついた。石がひし型に近い八面体研まされている。
「フロロイドに埋め込まれていた螢石だ。じゃあ、これは全部フロロイドから取り出された石なのか?」
水の浮力と、上下左右の青い星空のせいで、2人は方向感覚を失って、不思議な浮遊感を味わった。
(ミナト達は、無事、ペトリに逃げられたフロロイドの石だけじゃなく、アカデミーのステーションに保存されていたすべての石をここに運んでくれた。実験段階で死んだ子の石もすべて。その子たちは解部されて処分された。だから、この空間が唯一の幕標だ)
底から静かな声がした。
「パパ……?」
(私は動けないんだ。下りてきてくれないか?)
地底湖の底に、アズアの白い身体があった。無数の石の光に照らされて、白い髪や肌が青白く光っている。
(私はボニーより少しばかり、石の支配を強く受けてしまったらしい。それで、他の石の子供や、ホタルの嘆きや、ペトリの絶望の影響をかぶってしまって……ボニーや君の側にいられなくなった。それでここで墓守りをしながら、イドラを見守ることにしたんだ)
アズアは目を閉じたまま、ただ静かに微笑んでいるようにみえる。
(サラ………今はサクヤか。大きくなった。やさしい子になったね。そばで守ってやれなくてすまなかった。でも君に石の力の影響が及ぶのが怖かった。君を泉に来させないように、私のことを話さないように、というのは私がボニーに残した遺言だった……守護天使が見つかるまで。さびしい思いをさせてしまったね。君には、ペトリの呪縛から自由になって、のびのびと強く生きていって欲しい。私の勝手な望みだが……かなえてくれるかい?)
サクヤは地底湖の底で、アズアの横にひざをついた。そっと手をのばして、アズアのほおに触れた。
「のびのびと強く生きるってどうすればいいの?」
(それは君自身が見つけなきゃいけない。私は教えてあげられない。でもヒントならあげられる。)
「なあに?」
(君の好きなものは何?思い描いただけで心が明るく、温かくなるものは何?それが道しるべの光だ。その光を見失わないように、一歩ずつ歩いて行くんだ)
「心が明るくなるもの……温かくなるもの……」
サクヤは思いを巡らせた。ホットミルク? カヤの仔山羊? パスクの白い花の群れ?……手にぬくもりを感じて見上げるとかたわらでエクルーがじっと自分を見つめていた。
サクヤはにこっと笑って、「ゆっくり考える。パパ、宿題にしてね」
エクルーもアズアの手に軽く触れた。
「キリコの石も……ここにあるのかな?」
(ある。あれだ)
石のひとつがキラリと強く光った。
「みんな、ここにいるんだね」
(そうだ。そして107の泉の石と一緒に、この星を見守っている。私はいつまで、意識を保てるかわからないが……ここなら安らかにいられる。ここでこの星も、サクヤのことも見守っている)
一瞬、水が動いて髪がゆらめいたので、アズアが笑ったように見えた。
(ボニーはずい分、君を信頼していたようだ。エクルー。娘を頼んでいいか)
「ええ。俺の方こそ……サクヤがいないと、つぶれちゃうんだけど……きっとしっかり守ります」
また、強い水流にのって、2人はとなりの泉にふわっと出た。水面でスオミとメドゥーラが待っていた。スオミがまたサクヤをぎゅっと抱いて、「パパに会えた?」と聞いた。
「うん。笑ってた」とサクヤが答えた。
「良かったわね。アズアも安心したと思うわ」
スオミはそのまましばらく、サクヤを抱きしめていたが、急に吹き出して笑い出した。
「ごめん……泉が中継してくれたから、つい聞こえちゃったの…”おまじない”って…。父さんもよくそういう手を使ったわよね。”泳げない”とか言って、大きいサクヤと手をつないだりしてた。へんなところが似たわねえ」
青谷から戻って3日した頃、サクヤが
「エクルー、私、ウイグルに行ってもいいわ」と言った。
「気が変わったの?」
「うん。スオミがウイグルの映像を見せてくれたの。きれいな珍しい花がたくさん咲いてるんだって。メイリンのご主人が植物にくわしいから、遊牧しながら教えてくれるんですって。いい学校にもメイリンが推薦してくださるって言うのよ?」
「サクヤ……モニターでメイリンのダンナ、見ただろ?」
「うん」
「ハンサムだろ?」
「うん」サクヤがちょっと赤くなった。
「……まあいいや。一緒に行く気になってくれただけで」
エクルーはため息をついた。
「あ……あの、エクルーもかなりハンサムな方だと思うわよ?」とサクヤがあわてて言った。
「それは、どうもありがとう」エクルーは笑っていなかった。
「ただ、何というかきれいというか、女の子みたいだから……」
これがトドメをさした。
「寝る」エクルーはくるっときびすを返して、船に向かった。
「来週にはウイグル行きたいから、荷作りしとけよ」
「あの……お休み」
後ろ姿に呼びかけた。エクルーは答えず、ただ右手を軽く挙げた。
もともとキジローやエクルーがイドラに来る前から、温室ドームに入り浸りで執事ロボット達とも仲良しだった。スオミやメドゥーラの診療を手伝ったり、温室を保育所代わりに預けられているイドリアンのちび達の面倒を見たり。ロボットやスオミに習って、ドームのコンピューターを使いこなしていた。
そしてキジローの孫になったのだから、正式にドームの女主人のようなものだ。それにドームにはエクルーがいる。
毎朝、起きて朝ご飯を食べるとボニーと一緒にドームに”出勤”して、庭の手入れや保育所で元気に忙しく走りまわっていた。
ところがキジローの葬儀から10日ほどたった朝、サクヤは少し遅い時間に来ると、エクルーの横に立ったがどこかうわの空だった。顔色が青白い。
「サクヤ?」
「ママがおかしいの。私の声が聞こえないみたい」
エクルーはサクヤと一緒に、ボニーのイグルーのようなカプセルハウスにかけつけた。ボニーは目を開けたまま、無表情に天井を見つめてベッドに横たわっていた。
「体温は正常だな。意識だけ飛んでる。サクヤ。スオミの診察所わかる? 電話してすぐ来てもらって」
「うん」サクヤが慌ててかけて行った。
「ボニー? ボニー? 聞こえる?」
手をにぎって呼びかけた。
指の力が全然ない。
エクルーは深くキスをして、少しエネルギーを分けた。昔、サクヤにそうしていたように。感応力の強い人間は、生身の身体が弱ると意識が別の時空を彷徨い出す。サクヤが夢うつつで身体が冷たくなっている時、よくこうしてエネルギーを分けたものだ。ふうっと目を開けて微笑んだサクヤは、どこに出かけたいたのか教えてくれたものだった。
小さな頃の俺に会いに、トウカエデの森を逍遥したり、時には”もうない星”まで飛んでいたりしたらしい。もちろんその頃の俺はサクヤのことなんか知らなかった。ただ、懐かしい夢のような、自分を守ってくれる天使のような幻として、その白い姿を見るとうれしかった。
ボニーはどこを彷徨っているんだ?
ボニーは俺のの方をぼんやり見て、
「アズア……?」と聞いた。
「ボニー、しっかりして。俺を見て」
「ああ、もうあなたに会えないと思ってた。アズア……あのコのために、今までがんばったけど……もうあなたの所に行ってもいいでしょう?」
アズアはサクヤの父親だ。ボニーは”アズアはもう泉に還った”というけれど、俺もサクヤさえも彼の墓を見たことない。
「ダメだよ、ボニー。サクヤが一人になっちまう」
ボニーはうるんだ瞳で微笑んだ。
「サクヤはもう一人じゃないわ。あなた……不思議なのよ。エクルーは……私があんな怖いことしちゃったのに、サクヤを大事にしてくれるの……私、いいのかしら。許されて、安心していいのかしら。アズア……私もう許されていいの?」
「許す。許すよ。というか、ボニーは何も悪くないよ。俺はこの星に来る前から、ずっとボニーの夢を見てたんだ。ボニーにあこがれてた。シャトルでやっと君に会えた時、うれしかったくらいだ」
俺が必死で呼びかけると、やっとボニーの目が焦点を結んで俺を見た。
「そうね……あなたは微笑んでいた。両手を広げて……私を迎えてくれた。あなたは最初から私を許してくれてた」
ボニーはエクルーの手をきゅっとにぎった。
「エクルー、ありがとう。サクヤを……」
「サクヤのことは心配しなくていい。だからしっかりして。すぐスオミがくるから」
エクルーはまたエネルギーを分けた。
スオミがサクヤとかけこんで来た時、ボニーはおだやかに微笑んでいた。
サクヤの方に手を伸ばそうとしたが腕が上がらなかった。
サクヤはそばにひざをついて、ボニーの手を取った。ボニーの口が開いたので、サクヤは耳を寄せた。
「サクヤ。エクルーと……」
「うん。ママ。仲良くする」
「ごめんね……もうパパのところに行ってもいい?」
「うん、ママ、大好きよ。パパにも大好きって伝えて」
「私も……いつも……愛してる。幸せに……」
声が途切れたと思うと、身体から力が抜けたのがわかった。
エクルーの腕の中でボニーは逝った。大きなエクルーがボニーの腕の中で逝ったように。
ボニーはキジローの隣りに埋葬した。
アルが小さな仔グマが首をかしげているような形の白い石を見つけてきた。キジローの黒いクマ石と並んで置くと、本当に親子のようだ。キジローとボニー。”石”のせいで人生の歯車が狂った、不思議な巡り合わせの親子だった。
そして今、小さなエクルーと小さなサクヤが残った。
不思議な巡り合わせの伯父と姪。
サクヤはドームに来て、デッキのハンモックで寝るようになった。
落ち着いてはいたが、よくぼんやりしていて以前のような輝きがなかった。
何とか笑って欲しくて、エクルーは提案してみた。
「サクヤ。俺と一緒にウイグル・ステーションに行かないか。きれいな所なんだ。サクヤにみせたいな。滝があって、動物もたくさんいる。俺の先生がそこで研究所を開いたんだ。1年くらいそこで勉強して、難しい試験を受けなきゃいけない。サクヤが一緒にいてくれれば、俺がんばれると思うんだ」
「私に一緒に行って欲しいの?」
「サクヤが一緒じゃなかったら行かない」
「何だかキョーハクされてるみたい」
「一人じゃ行かない」
エクルーはくり返した。
サクヤはうつむいた。
「ママのそばを離れたくない」
「ママはお墓の中なんかにいないよ。ボニーは今、ここにいるんだ」
サクヤの胸をとんと叩いた。
「だからサクヤがどこに行っても、ボニーと一緒にいられる。サクヤが笑えば、ボニーも笑う。サクヤが美しい風景を見れば、ボニーにも見せてやれる」
サクヤはまだぼんやりした顔で、聞いた。
「エクルーの先生って誰?」
「メイリンだよ。ここにも何度か来たろう? ボニーとも友達だった。お葬式にも来てた」
「……行かない。」
「え?」
「私、ウイグルには行かない。留守番してる。」
エクルーはアルに相談してみた。
「ドクター申請に、あと2~3本ペーパーがあるとラクだろうと言われたんだ。ここでも書けるけど、ウイグルに行けばサクヤも気分が変わっていいと思ったんだけどな」
アルはくつくつと笑った。
「お前……それはヤキモチだよ」
「へ?」
「メイリンはお前をかわいがってるし、美人で秀才だ。お前も甘えてけっこうベタベタしてたじゃないか。サクヤにしたら面白くないんだろう」
メイリンは物理の天才で、昔、自分のプロジェクトでエクルーと一緒に働いたことがあった。キジローとサクヤがいちゃついているオプシディアンの家にいづらくて、エクルーはメイリンの研究所があるコロニーによく家出したものだった。
「だってメイリンはダンナも子供もいるんだよ?」
「そんなこと関係あるもんか。小さくてもちゃんと女なんだなあ」
アルはまた笑った。
エクルーはドームで毎日サクヤの勉強を見ていた。サクヤの学力はほとんどハイスクールのレベルになっていた。この早熟さは感応力者の血をひいているからだろうか。ボニーは、強力な巫女だったというキジローの祖母とそっくりらしい。それとも”石”の影響なんだろうか。
周囲にアルやスオミのような特異な例がごろごろいるお陰で、サクヤは幸い、自分を異常だとは思っていないようだ。
「サクヤは大人になったら、何になりたいの?」
「……考えたことないわ」
「じゃあ、どの科目が好き?」
「別に。どれも同じ。ただの勉強だもの。気がまぎれるから好きなの」
エクルーはちょっと途方にくれた。
どうしたら以前のいきいきした笑顔を取り戻せるだろう。
サクヤは今でも週に1回、メドゥーラの天幕を訪れて、薬草の見分け方や天気の読み方を習っていた。
その日はスオミも天幕に来ていた。3人で甘いお茶を飲んでいると、メドゥーラが切り出した。
「3日すると、いい天気が5日ばかり続く。嵐は来ない。その時、東の青谷へ行こう。サクヤ、お前もおいで。薬草を探す実習だ。荷物持ちに坊やも連れて行こう。3日ばかし、あっちでがんばって、草を集めるよ」
「ごめんなさい。本当は私の研究のサンプリングなのよ」とスオミが言った。
「スオミってお医者さんでしょ。何の研究してるの?」
「民族薬物学といって、いろんな星の原住民の民間治療を調べて、薬草の有効成分を調べたり新薬開発の可能性を探ったりするの。私の場合は、イドリアンの治療に役立てたくて、メドゥーラに弟子入りしたんだけど、けっこうこの分野は研究費がもらえるのよ。製薬会社とかからね。そのお金で診察所を運営してるわけ」
「ふうん。すごいね」
「特にイドラは薬草の宝庫だから。ずっと環境が激変してきたから、植物の種類が多くて、しかも厳しい生き残り戦略のために毒をもつものが多い。毒は使い方で薬になるわ。イドラ特産の薬草をうまく使えば、必要な外貨を手に入れる手段になる。外地の人間に足元を見られずに、独立を守れるのよ」
サクヤは、スオミをじっと見つめた。
「すごいね。スオミには夢があるのね。エクルーに聞かれたの。大人になったら何になりたい?って。私、わからない。私は何をしたいのかしら。何ができるのかしら」
「まあ、あわてて決めることないさ。まだ8つなんだから」とメドゥーラが言った。
普通だったら将来の心配などせずに、親に甘えていていい年だ。
「そうよ。私だって、医学とか薬学とかに興味持ったのはハイスクールからだもの。私の場合はサクヤにあこがれて医者になろうって決めたのよ?」
「そうなの?」
「正確には、お父さんに愛されてるサクヤにあこがれて、なんだけど。本当にうらやましいくらい仲のいい夫婦だったの。サクヤは私がこの星に来る前、ずっとイドリアンを診療していたのよ」
小さなサクヤはうつむいた。
「私……パパの顔、よく思い出せないの。パパのお墓がどこかも知らないの。ママは絶対、教えてくれなかった。ママはパパが嫌いだったのかしら」
「そんなことないわ」
スオミが勢い込んで否定した。
「私がアズアを治療したのよ? ボニーはずっとつきそって、それは大切にお世話してたわ。まるで双子のようにいつも寄り添っていたわよ?」
「じゃあ、どうしてママのお墓が、グラン・パの隣りなの? どうしてパパと一緒に眠らないの? どうして私にパパのこと話してくれなかったの?」
サクヤは立ち上がって叫んだ後、そのまま身体をふるわせて泣き出した。
スオミはサクヤをぎゅうっと抱きしめた。
メドゥーラは静かに言った。
「青谷に行こう。あそこに行けばわかる。アズアが死ぬまでボニーはあそこに住んでた。サクヤ、お前は青谷で生まれたんだから」
「サクヤ、青谷の様子、おぼえてる?」
谷に向かうヨットの中でエクルーが聞いた。
「あんまり。3才で今のハウスに来たもの。緑が深くて、ママがよく花冠や花を編んだ首飾りを作ってくれた。紫色のきれいなトンボがいる池があったわ」
青谷は変わり果てていた。谷がえぐれて巨大なクレーターができていた。
森も池も消えている。
「どうして……?」サクヤはショックを受けて、ふらついた。
「3年前、月のかけらがここに落ちた。1キロくらいのヤツだ。石自体は燃えつきたが、衝波と熱風が襲って、森も野も焼けた」
メドゥーラがクレーターの底を注意深くみながらゆっくり歩いて、コツっと枝を鳴らした。
「サクヤ、これをごらん。この赤いコケ、知ってるかい?」
「初めてみるわ。これ何? あ、この実生も知らない」
「このコケはファイヤー・モスと呼ばれている。こっちの幼木はバンクシアの仲間だ。どっちも高熱にさらされて、焼け跡の多量の灰分を糧に育つ。火に瀑されない限り、100年でも芽吹かずに土に埋まっている種類だ。この穴の底にはそういうチャンスを待って、眠ってた植物ばかり生えている。燃えた森やブッシュには気の毒だが、変化は悪いことばかりじゃない」
少し離れた所できょろきょろしていたスオミが声を上げた。
「あった! メドゥーラ、これよね?」
「そうそう、ファイヤー・セージだ。やっぱりあったね。サクヤもこれを探しておくれ。貴重な肝臓の薬だ」
不毛な被災地がにわかに宝の山に見えてきた。3人で丹念に探して、7種類の焼け跡にしか生えない薬草を集めた。
エクルーは、今ひとつ草が見分けられないので、テントの設営と、薬草を手早く乾燥させるためのやぐら組みを任された。
「風がなきゃ天日干しが一番なんだがね。仕方ない。いぶさないように、おき火で乾いた空気だけ作っとくれ」
3人は穴の中心からゆるやかな斜面を上って、さらに草を探した。縁にゆくほど被害が少なく回復が進んでいる。階段的にいろんな環境ができていて、信じられないほど豊富な植物が見つかった。
サクヤはまるで指先に意志が宿ったように感じた。細やかに草の葉先を分けながら、かくれた薬草を摘んでいった。集中して探しながらも、頭はポカッと別のことを考えていた。
エクルーがちょうどいい加減におき火の火力を調節して、才一陣の植物をやぐらにかけている所にスオミの切迫したテレパシーが届いた。
(サクヤはそっちに戻ってる?)
(いや、来てない。いないの?)
(見当たらないの。斜面は丈の高いセージが繁っていて目が届かない。それにあのコの思念波がつかまらないの)
(どういうこと。まさか事故でもあって、気を失ってるんじゃ……)
(ちがうと思う。何か考えに没頭して、シールドでもはったように、こちらの呼びかけを遮断してるんだわ)
(すぐ、行く)
エクルーはテレポートをくり返しながら、クレーターの斜面でサクヤの名前を呼び続けた。すぐメドゥーラの叱責が飛んだ。
(おやめ! その出力で広範囲の思念をつかもうとしたら、すぐ精神が焼き切れるよ!)
(でもどうすれば……思念が残ってない。ブランクな状態でさまよってるんだ)
(そんな子に呼びかけたって答えやしない。落ち着くんだ。いいかい。あのコはやぶに分け入る装備はしてない。トレイル上、しかも植物の群落のあるみちに沿って移動したはず。クレーターの稜線にいたから道を探すんだ)
エクルーは20mほど上空に飛んだ。
(あった。シルバーセージのブッシュの間にトレイルがある。岩山のヘッジへ上がってる)
(その道沿いの足元の草むらに手をふれてごらん。植物があのコを覚えてるかもしれない)
トレイルに下り立って、地面に四つんばいになって、あちこちの草に触れてみた。
(誰か? 誰かサクヤを見なかったか? あのコに触れなかった?)
黄色いアルニカの一群が、サクヤの思いを宿していた。
”私これからどうしよう。どこに行けばいいの?エクルーはやさしいけれど、パパじゃない。仕事の邪魔をしたくない。エクルーが誰か好きな人ができたら、私のことはきっと邪魔になる。一人で生きて行きたい。パパがいれば……”
トレイルをたどって3回テレポートした。先々で、サルビアやリコリスが思いつめたサクヤの悩みに同情してなぐさめようとしていた。
「私なんていなくなった方がいいの?」
冷たい空気がおでこにあたって、サクヤは足元のマートルの茂みから目を上げた。日が沈みかけて、手元が暗くなっている。空気が冷たい。夢中で没頭しているうちに、こんな所まで来てしまった。
クレーターが見えない。ここはどこだろう。
「パパ! 助けて! ママが死んじゃったの。私は1人なの。どこに行けばいいかわからない。もう私、おうちがないの」
サクヤの叫び声を頼りに、エクルーがマートルの茂みの向こうに現れた。
顔色が真っ青だった。ツカツカと近寄ると、サクヤのほおを思いっ切り打った。
サクヤは吹っ飛んで、しりもちをついた。
「バカッ、どうして勝手に一人で行くんだ。ここはパンサーもクズリも出る。夜は氷点下10℃だ。それで、どうしてパパを呼んでるんだ。君を探してるスオミもメドゥーラのことも、俺のことも思い出しもしな
かったっていうのか?」
そのままエクルーはくずれるようにひざをついて、しりもちをついている
サクヤの方に手をのばした。サクヤはビクッとして後ずさろうとしたが、エクルーはかまわず腕を引き寄せて抱きしめた。
「良かった…! つかまえた。こんな事で、こんな所で見失って、二度と会えなかったらどうしようかと思った…!」
エクルーがふるえているので、サクヤはびっくりした。
「俺のこれからの人生、全部サクヤにやるって言ったじゃないか邪魔したくないとか、行くとこがないとか言わないでくれ。勝手に悩んで消えないでくれ。俺をおいて……行ってしまわないでくれ」
そう言いながら、エクルーの腕の力がぬけていき、バランスを失って地面に倒れた。身体が冷たい。息が細い。
”スオミ!!”サクヤは叫んだ。
”エクルーを助けて!私を見つけてくれたの。でも倒れてしまった。身体が冷たい。死んじゃったらどうしよう!!”
(聞こえた。やっと見つけたわ)
スオミが答えた。
(落ち着いて。周りを良く見て。何か目印になるような地形はない?)
”3つ…とんがった岩のピークが見える。”
(三つ子の巨人ね。太陽はピークのどっち側?)
”とんがりの向こうに沈んだ”
(わかった。そこにいて。エクルーの首を支えて息ができるようにしてて。わかる?)
”わかる。気道の確保ね”
(それでこそメドゥーラの弟子ね。待ってて)
スオミがエクルーとサクヤをテントに運んだ。メドゥーラはまずサクヤの肩から下げた布袋にあきれた。
「まったく、すごい収穫じゃないか。尾根2つ越えたって? 10人分の仕事だよ」
火にかけておいたポケットから、不思議な香りの薬湯を吸い口にそそいだ。
「ほれ、これを坊やに飲ましてやりな。まったく無茶するよ」
スオミが吸い口をサクヤに渡した。
「私が頭を支えてるから、少しずつ飲ませて、気管に入れないように、ちょっとずつ」
「ただくたびれただけだ。一晩寝れば元気になるさ」
サクヤはエクルーの横にすわって、青ざめた寝顔をじっと見ていた。
父の顔を知らない。母は死んだ。自分は1人ぼっちだと心細かった。
でもエクルーも同じだと、今日まで気づかなかった。大きなサクヤもキジローもエクルーを残して死んでしまった。
「私も5才で父を亡くしたの。母の顔は覚えてない。病気で亡くなったんですって」とスオミが言った。
「でも今は、アルもフレイヤもいるし、メドゥーラは私を孫のようにかわいがってくれるし、かわいい弟もできたし」とエクルーの髪をなでた。
「サクヤ、家族は減ることもあるけど、同じくらい増えるのよ」
そしてスオミがにこっと笑った。
「サクヤ、エクルーのお嫁さんになってあげるんじゃなかったの?そしたらエクルーは家族でしょ。そうすると、私もアルもフレイヤももれなくついてくるわよ。どう?さびしいどころじゃないんじゃない?」
翌朝もまぶしいくらいの上天気だった。
「どう? 調子もどった?」
スオミはバター茶を渡しながら、エクルーに聞いた。
「多分……まだちょっと目の奥がチカチカしてる。それに何か右手が痛い……」
お茶を飲んでるサクヤの左ほおがまだ少し赤くはれていた。
「ゴメン……俺……今まで女のコに手を上げたことなかったのに」
「ううん。だって私のことたくさん心配してくれて、だから怒ったんでしょう」
サクヤが言った。
「パパってこんな感じかなって、うれしかったの」
エクルーは複雑な心境だった。パパか……将来、花嫁のパパということになるんじゃないんだろうか。
メドゥーラが岩山を見ながら言った。
「3日分の仕事が、サクヤのお陰で1日で終わっちまったからね。どうだい、今日はピクニックといくかな。昨日のサクヤのコレクションは大したもんだよ。どこで見つけたか案内しておくれ」
パリパリしたうすいパンをたくさん焼いておべんとうを作った。
「よくこんなとこまで歩いたもんだ」とメドゥーラはあきれた。そういう自分も78才と思えない健脚である。
”3つ子の巨人”が見えるところで、石を積んで炉をつくり、お茶を入れて昼食にした。パン2枚ひとり1コずつ干したペヨの実と大きな甘い赤瓜のデザートがついた。
「さて、じゃあ、アズアの墓参りに行くか」とメドゥーラが言ったので、サクヤは驚いた。
「パパの? パパのお墓がここにあるの?」
「お墓と呼ぶかどうかはともかく、あんたのお父さんはこの先にいる」
メドゥーラは”3つ子の巨人”を指した。
「あの真ん中の山の中腹に”泉”がある。サクヤ、お前は泉を見たことがなかったね」
「ええ。ママは絶対に私を泉に近づけなかった」
「それはアズアが泉で眠ってるからだ。泉に、お父さんに会いに行くかい?」
「行きたい…! パパに会いたい…!」
「反対だ!」エクルーが叫んだ。「危険すぎる!」
「ふむ。まあ大丈夫じゃないかね。この子のお父さんが待ってるわけだし。この子が1人で泉に入るわけでなし。どうせ坊やも一緒に行くだろう?」
メドゥーラはにやっとした。
「ガールフレンドのお父さんにあいさつに行くんだ。せいぜいしゃきっとすることだ」
洞の中は昔の変わらず明るかった。
澄んだ青い光が泉の水面からこぼれている。
「何が光っているの」サクヤが聞いた。
「螢石という、大きな生き物の化石だ」
「化石がどうして光るの?」
「表面がオパールという宝石になって光っているってのもあるだろうが、化石になってもその生き物のパ
ワーが残っているからだ、と考えるのが正解だろうな」
「ミヅチという大きな美しいやさしい生き物なのよ」
とスオミがいった。
「私はパパが亡くなった後、7人のミヅチに大切に育ててもらったの。彼らは亡くなったけど、今もこの泉の螢石を通じて私達を守ってくれているのよ」
「私も一緒に行った方がいいんじゃない?」
「いや、スオミは念のために泉の側で待機しててくれない。俺、前にも水面がどっちかわからなくて、エライ目にあったから。上から呼んでくれる?」
「わかった」
「息をとめて水に潜るの?」とサクヤが聞いた。
「それは大丈夫。おまじないをするから。メドゥーラ、どっちに向かって泳げばいいの?」
「となりの泉へとつながる水路がある。水量が大きいから気を付けて。50mぐらい流れにのって下るよ、底に大きな穴がある。沈んで行けば、イヤでもひきこんでくれる。地底湖につながる穴だ。そこにアズアがいる」
「私達、ヨットで先に移動して、南の泉で待っているわ。気を付けてね」
スオミはサクヤのおでこにキスをして、きゅっと抱きしめた。
「アズアによろしくね。」
泉のふちで青い光をみつめながら、サクヤは立ちつくしていた。
「水がずいぶん冷たいわ」
「フィールド作って行くから、ぬれないし、冷たくない」
「息は?」
「おまじないするよ。いい?」
エクルーはサクヤの背中に手を回してキスをした。サクヤは目をぱちくりした。
「今のがおまじない? これで息ができるの?」
「念のために、もう1回やっとく?」
「いいわ。信じることにする」
2人は手をつないで足からすうっと青い水の中に入った。
見えない膜が身体を包んだように水にふれず、身体が自然に水中に浮いた。
「本当だ冷たくない」
「だろう?流れが早いから手を放さないで」
「……もしかしてフィールドの範囲をも少し大きくすれば、おまじないが要らなかったんじゃない?」
「バレたか。でもたまには、こういう役得もらっていいだろう?」
サクヤはちょっと赤くなってにらんだ。
「パパに言いつけてやるから」
「いいよ? パパに何て言うつもり?」
「エクルーがおまじないだと言って私に……」
サクヤはますます赤くなった。エクルーはニヤニヤした。
2人は泉の底まで下りて見た。あいかわらず澄んだ。青い光に満ちているが、以前エクルーが潜って石を取って来た時と、全然ちがう。パワーの強さというより、質がちがう。もう螢石は嘆いていなかった。
石の子供のために泣いていなかった。ホタルはやっと安心したのだ。
今はただ、やさくしイドラの生命全体を慈しみ、見守っている。
「ボニーも、アズアも、スオミも、キジローも、みんなこの石のために運命が変わった。つらいこともあ
ったけど、この石のために出会えたんだ。俺は、君に会えて良かった」
手をつないで、青い光を浴びながら、2人は目を合わせて微笑んだ。
水面近くまで浮上して、泡立つ地下水路の流れにのった。
「表面は荒れているから、底をゆっくり行くよ。入り口を見落とさないように」
「あ、あれじゃない?あの青く光っている……」
泉の底以上に強い青い光が前方の水底からもれている。
「思ったより、入り口が小さそうだ。頭、ぶつけないように。潜るよ、1、2…3」
穴に入った途端、激しい水流から解放されて、2人はふわあっと地底湖の底に向かってゆっくり落ちていた。
「エクルー……夜空だわ」
地底湖はかなり広い、いびつな球状の空間だった。真っ暗なはずなのに、青い光で満たされている。丸く水をたたえた空間の壁がすべて、無数の小さな青い光で散りばめられているのだ。
「これ……螢石?」
壁に顔を寄せたエクルーは気がついた。石がひし型に近い八面体研まされている。
「フロロイドに埋め込まれていた螢石だ。じゃあ、これは全部フロロイドから取り出された石なのか?」
水の浮力と、上下左右の青い星空のせいで、2人は方向感覚を失って、不思議な浮遊感を味わった。
(ミナト達は、無事、ペトリに逃げられたフロロイドの石だけじゃなく、アカデミーのステーションに保存されていたすべての石をここに運んでくれた。実験段階で死んだ子の石もすべて。その子たちは解部されて処分された。だから、この空間が唯一の幕標だ)
底から静かな声がした。
「パパ……?」
(私は動けないんだ。下りてきてくれないか?)
地底湖の底に、アズアの白い身体があった。無数の石の光に照らされて、白い髪や肌が青白く光っている。
(私はボニーより少しばかり、石の支配を強く受けてしまったらしい。それで、他の石の子供や、ホタルの嘆きや、ペトリの絶望の影響をかぶってしまって……ボニーや君の側にいられなくなった。それでここで墓守りをしながら、イドラを見守ることにしたんだ)
アズアは目を閉じたまま、ただ静かに微笑んでいるようにみえる。
(サラ………今はサクヤか。大きくなった。やさしい子になったね。そばで守ってやれなくてすまなかった。でも君に石の力の影響が及ぶのが怖かった。君を泉に来させないように、私のことを話さないように、というのは私がボニーに残した遺言だった……守護天使が見つかるまで。さびしい思いをさせてしまったね。君には、ペトリの呪縛から自由になって、のびのびと強く生きていって欲しい。私の勝手な望みだが……かなえてくれるかい?)
サクヤは地底湖の底で、アズアの横にひざをついた。そっと手をのばして、アズアのほおに触れた。
「のびのびと強く生きるってどうすればいいの?」
(それは君自身が見つけなきゃいけない。私は教えてあげられない。でもヒントならあげられる。)
「なあに?」
(君の好きなものは何?思い描いただけで心が明るく、温かくなるものは何?それが道しるべの光だ。その光を見失わないように、一歩ずつ歩いて行くんだ)
「心が明るくなるもの……温かくなるもの……」
サクヤは思いを巡らせた。ホットミルク? カヤの仔山羊? パスクの白い花の群れ?……手にぬくもりを感じて見上げるとかたわらでエクルーがじっと自分を見つめていた。
サクヤはにこっと笑って、「ゆっくり考える。パパ、宿題にしてね」
エクルーもアズアの手に軽く触れた。
「キリコの石も……ここにあるのかな?」
(ある。あれだ)
石のひとつがキラリと強く光った。
「みんな、ここにいるんだね」
(そうだ。そして107の泉の石と一緒に、この星を見守っている。私はいつまで、意識を保てるかわからないが……ここなら安らかにいられる。ここでこの星も、サクヤのことも見守っている)
一瞬、水が動いて髪がゆらめいたので、アズアが笑ったように見えた。
(ボニーはずい分、君を信頼していたようだ。エクルー。娘を頼んでいいか)
「ええ。俺の方こそ……サクヤがいないと、つぶれちゃうんだけど……きっとしっかり守ります」
また、強い水流にのって、2人はとなりの泉にふわっと出た。水面でスオミとメドゥーラが待っていた。スオミがまたサクヤをぎゅっと抱いて、「パパに会えた?」と聞いた。
「うん。笑ってた」とサクヤが答えた。
「良かったわね。アズアも安心したと思うわ」
スオミはそのまましばらく、サクヤを抱きしめていたが、急に吹き出して笑い出した。
「ごめん……泉が中継してくれたから、つい聞こえちゃったの…”おまじない”って…。父さんもよくそういう手を使ったわよね。”泳げない”とか言って、大きいサクヤと手をつないだりしてた。へんなところが似たわねえ」
青谷から戻って3日した頃、サクヤが
「エクルー、私、ウイグルに行ってもいいわ」と言った。
「気が変わったの?」
「うん。スオミがウイグルの映像を見せてくれたの。きれいな珍しい花がたくさん咲いてるんだって。メイリンのご主人が植物にくわしいから、遊牧しながら教えてくれるんですって。いい学校にもメイリンが推薦してくださるって言うのよ?」
「サクヤ……モニターでメイリンのダンナ、見ただろ?」
「うん」
「ハンサムだろ?」
「うん」サクヤがちょっと赤くなった。
「……まあいいや。一緒に行く気になってくれただけで」
エクルーはため息をついた。
「あ……あの、エクルーもかなりハンサムな方だと思うわよ?」とサクヤがあわてて言った。
「それは、どうもありがとう」エクルーは笑っていなかった。
「ただ、何というかきれいというか、女の子みたいだから……」
これがトドメをさした。
「寝る」エクルーはくるっときびすを返して、船に向かった。
「来週にはウイグル行きたいから、荷作りしとけよ」
「あの……お休み」
後ろ姿に呼びかけた。エクルーは答えず、ただ右手を軽く挙げた。
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