メーテーンでオープンしたたこ焼き金太郎は、台湾のようにはいかず厳しい状態だったと思います。
歩いて買い出しに行き、チェンマイ行きのきっかけとなった紹介者の奥さんを従業員に、たった一人で頑張ってたはずです。
帰る場所のない川上にとって、やるしかなかったのでしょう。
言葉もわからず、毎日奮闘してるであろう川上を心から応援してました。金銭的に苦しいと言われれば出来る範囲で送金もしました。
たこ焼き屋の周辺には日本企業の工場があり、そこの社員と知り合ったのもその頃だと思います。
ホテル住まいの川上は、そんなある日、店舗のオーナーと住居の事で揉めました。
ホテル住まいはもったいないという事で、紹介された住居がコンクリートむき出しの刑務所のような所だったのです。
さすがの川上も限界だったと思います。
金がないばっかりに、バカにされて悔しくて涙が出る!と何度も連絡がありました。
日本や台湾では、他人を騙してでもタワーマンションに住み贅沢三昧だった川上です。本当に屈辱だったのでしょう。
ただ何度も言いますが、たとえ限界だったとしても帰る場所のない川上は、やるしか道がなかったのです。
小銭ですが、その頃はよく送金しました。
今思い返せば金太郎の移転も考えて、金が必要だったのか!と思います。
第9章に続く
苦しくて生活ができないという事で送金した明細とその時の川上の気持ちです。