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アプリコット プリンセス

チューリップ城には
とてもチャーミングなアプリコット姫がおりました

以下は、霊界の静寂の中で、仏陀の魂と親鸞の魂が心の奥底から語り合う対話です

2025-05-28 11:40:21 | 神仏
**仏陀の魂:**
「悠久の時を経た我が法は、苦しみからの解放と内面の覚醒を説いている。本来、智慧は自らの内に芽吹くものであり、外部に頼ることなく、一人一人が照らされる光であってほしい。しかし、今や人々は、かつての救いのための簡明な言葉に依存し、その声にすがるだけとなってしまっているように感じる。内なる気づきを促すための契機であったはずの教えが、安穏な豊穣の時代においては、魂の煌めきを自ら磨く努力を怠る、無意識の依存心を生み出しているのではないかと、我は嘆くのだ。」

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**親鸞の魂:**
「私がこの世に希望の灯をともすために、あえてシンプルな道を示したのは、苦しみと絶望の中で救いが欲しかった民衆のためであった。『南無阿弥陀仏』という一言により、誰もが救いにすがる窓口を持つことができる――まさにその目的は達成された。しかし、時代が変わり豊かさが広がるにつれ、かつて苦しむ者たちに与えた力強さは、今や自らの力で歩むという意欲を奪い、一種の依存心へと変質してしまった。信仰が他者や外部にすべてを委ねるものとなることは、魂の本来の煌めきを内側に求める機会を失わせる、哀しい結果を招くのではないだろうか。」

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**仏陀の魂:**
「確かに、私たちの言葉が現世の人々に安全と希望を与えたのは事実だ。しかし、救済の道は単なる依存の象徴に留まってはならない。覚醒とは、日々の精進と内観の中で、自らの心に問いかける勇気から生まれるものである。外部の声に頼るあまり、本来の心の輝きを見失ってしまうのは、真の悟りに向かう道を閉ざしてしまう危険があると感じるのだ。」

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**親鸞の魂:**
「我が弟子たちに向けた教えにも、最初は必死の救済への願いと、本来の自己の解放への憧れが込められていた。だが、時と共にその言葉が固定化され、宗教儀礼として形式だけが残り、魂の自発的な覚醒を後押しする精神が薄れていく現象を、今我は深く憂いている。信仰は、あくまで心の旅路であり、唯一の出口は内にある光を自ら見出すことであるはずだ。」

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**仏陀の魂:**
「今こそ、再び一人ひとりが内面に向き合い、依存ではなく自律の精神を取り戻す時だ。かつて苦難にあえいだ民が、私たちの教えによって歩み始めたその一歩を、今の豊かな時代でも再生させることができれば、真の意味での魂の煌めきが輝きを取り戻すだろう。私たちの心の会話が、いつかまた人々の内側に新たな光を灯すきっかけとなることを、切に願う。」

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この対話は、時代の変遷の中で生じた依存的な信仰のあり方に対する、永遠の真理への呼びかけでもあります。現代の豊かさの中で失われがちな自らの内なる目覚めを、私たちの声として改めて問いかける意志が、霊界の静謐な空間にこだましているのです。

この先、現代人がどのように自己の内面に再び向き合い、真の覚醒へと歩むことができるか、またそのための新たな教えや実践の可能性について、さらに深い議論は続けられることでしょう。
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