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あをまる日記

つれづれエッセイ日記ですv

「恋人バトン」とやらを。

2006-12-04 00:38:07 | その他のエッセイ
本日は仕事もその他の予定も無く「さてじゃあブログでも更新すっか」
と思ったものの中々まとまらず、、(無駄に長いんだよ私の文は;)

巡回ブログで見かけた「恋人バトン」とやらをやってみました。
(どーでもいい内容でも放置よりゃマシかもって事で、、バトンと言ってもどっかから回って来たとかじゃなくて勝手にやってるだけなんですが、、)



==========================

1.今付き合ってる恋人はいますか?


実はまぁ、、一応ね(笑)



2.その恋人と付き合ってどれくらい経ちますか?


ちゃんと数えてないけど、、2年にはなるかな。



3.この恋人と付き合ったキッカケは?


自分が選んだ訳ではなく、、実は母が連れて来ました。
「アンタはどうせ見た目にはこだわらないだろうから丁度いいでしょ?」
という電話での微妙な事前説明と共に、、。



4.この恋人以外に過去にどれくらい恋人いました?

よく思い出せないなぁ、、新しい相手と付き合い始めると前の相手の事は忘れてしまうみたいで、、少なくとも2人はいたな。(3人かも?)
、、うち一人の事は今思い巡らせてうっすらその存在を思い出せた;
多分ソイツが初めてだった、、筈だ;




5.一番長く続いた恋人とはどれくらいですか?それはいつ頃?


この相手が好きだから、嫌いだから、といった基準で付き合う期間を決める事はないので皆多分同じ位だと思う。



6.逆に一番短かった恋人とはどれくらい?


上の回答通りです。
要するに「別れて別の相手と付き合いなおす」っつーのが面倒臭いから;
ああもう限界が来たな、と分かるまではつい付き合ってしまいます。




7.恋人を色に例えるなら何色ですか?

ラブホの外壁のようなどぎついピンク!(怒)



8.恋人との思い出があればどうぞ!

うーん、、明け方の4時(だったっけ?)に電話の着信入れるなよぅ~;


9.浮気願望はある?

願望、、というか正直早急に別れたい!!!
元々どうしても外見が好みでなかったのもあるけど(下の年代の女の子とかには結構「可愛いじゃないですかー」なんて言われる事もあったんだけど、私は元々渋い系、カッコイイ系、大人系が好みだったのでやっぱりなーと)

一番切実な理由は、、年齢のせいか「もたない」んですよ、それがもう驚く程!
最近「えっ?もう?」とは思いつつあったんですが今日は流石に、、

自分が外見にこだわる方だとは全く思ってなかったんですが、、今の相手のおかげでどーっしても今度は好みのビジュアルの相手とお付き合いしたいです、、

実は先日大変好みの人に出会ってしまいまして、、
今までの自分ならあまり惹かれなかたタイプだな、とは思ったんですが、、

色々問題があってその方と付き合えるかどうかはまだわからないんですが、、


10.今の恋人に一言!!

もうこの先長くは多分付き合えないけど、、乗り換えるまでにトラブルがありませ
んように、、


11.まわす人

いくつかトラバは打ってみようかなと思うけど、、
まぁ「丁度ネタも無いしヒマだし」とでも思ったらやって見て下さい。
別に全然強制とかじゃないので気が向いたら、、




=====================




ああ、ちなみにここで言う恋人というのは

『 携 帯 電 話 』

の事です、いかにも交際中の恋人のように答える」のが決まりだそうです。

母に買い替えを頼んだら「この人気の無い色のなら無料ですよ」と言われたとかで
「ラブリーピンク」というすんごいケバいショッキングピンクの奴にされました;
黒かシルバーにするつもりだったので実物見てビックリ;;
大量に売れ残った為にこの色だけ無料になったそうですが、、そりゃそーだ;

トラブルといえば、、夜9時頃に友人の携帯に入れた着信が何故か明け方の着信として表示されて相手をビビらせた事がありましたね。

もうとっくに買い換えても良い位の期間を使ったんですがそのせいか充電が長持ちしません;
「あれ?もう減ってる?早いなー、、」とは思っていたんですが(前は使わなければ一週間位は楽に持った)夕べ充電して今日の午前に一回着信が入った(出て話してはいない、不在着信があっただけ)途端に充電が切れかけた時は流石にもう限界か?と思った。

さて、先日電気店で見かけたあの女性専用デザイン、、上品なコンパクトのようなあの機種は、、メーカーが違うからなぁ、、あれには乗り換えられないかなー、、




青春

2006-05-07 01:22:59 | その他のエッセイ
先日、天気の良い日にドライブに出かけた時ふいに見覚えのある景色が目に入った。

そこはやや郊外で住宅と商店が混在するどちらかといえば静かな町、まぁ緑豊かな田舎でもなければ繁華街でもない、所謂パッとしない景色だった。

しかしその町並みを通り抜けながら胸の奥に眩いような眩暈のような感情が巻き起こった。
そこは専門学校を卒業したすぐ後、ほんの二年にも満たない期間働いた会社があった町だ、通い始めたのが二十歳の頃で会社が無くなったのは二十一の終わり頃だった筈だ。

その町へ行くバスに乗らなくなってから十数年経っているがそれ程は変わっていない、幾つか大きな建物が増えていたり何度か昼食に入った不味いラーメン屋や愛想の悪い洋食屋が廃墟になっていたりはしているようだけれど。

、、当時通っていたあのデタラメな会社ではちっとも良い事なんて無かった。
身体を壊し心を病んだ(当時のあの症状を以前「神経症発作」などと適当に表現した記憶があるが今なら鬱病だのパニック障害だの強迫神経症だのもっとそれらしい名称を探してこれるんだろう;)
確かに若かったが今と変わらず、、というよりエネルギーが余ってる分それこそ今以上に鬱々と自分自身に、自分の人生に暗い不満と恐怖感のような物を抱えて暮らしていた。

月4万程度の月給で毎日夜中まで(時には徹夜で)働かされ持参した弁当を食べるのも憚られる日々、深夜に徒歩十五分歩いてコンビニへ行き、温めたおにぎりを早足で歩きながらはふはふと食べた真っ暗な住宅街(仕事場の変人チーフは忙しい時は食事を取るのも良い顔をしなかったし外出するとキッチリ時計を睨んで何分で戻ってくるかチェックをする人だった)
、、、ロクな思い出がない。



やがて車は会社事務所の入っていたアパートを通り過ぎ少し開けた大通りにさしかかった。
郊外にしてはやや大きな書店があった、ここにも見覚えがある、仕事場からはかなり歩く場所だったからそう何度もは来れなかったけれど。
私がここに来るのはいつも夜だった、陽の差さない座敷牢で長時間机に向かっていて狂いそうになった時夜道を歩いてここまで気晴らしに来た、夜の町に書店の明かりが白く輝いていた。

そしてふいに記憶の底から浮かび上がってくる音楽、そうだ、この店で流れていた歌だ。


『何故二人だけ別々の夜を終わらせなきゃいけないの?あとどれ位夜を数えたら光る朝に出逢えるの?』


、、確かこんな歌詞だった、どこかで聞いたような声の女性ヴォーカルだが歌い手もタイトルも知らない。
どんよりとした行き場のない不安と悲しみを抱えて夜の闇の中を歩いていた頃、ぱしんとそんな心情にヒットして記憶に残っていたのだろう。
少し不思議な詩だ「一緒の夜が終わる」事でなく「別々の夜が終わる」事を悲しんでいる?
それぞれ自由に生きていた二人が例えば結婚などで世間や大人の型に押し込まれて輝きをなくす事を嘆いてでもいるのだろうか?



「わかさ」という壮年向けの健康雑誌があるがそれを初めて見かけたのはあの書店だった、その表紙を見たとき物凄い嫌悪感を感じたのを憶えている。
まだ十代でいたかった、自分の人生を18歳までしか想定していなかった私は19になった時酷いショックを受けた、自分の人生は想定した先まで続いていてやがて大人になりおばさんになり、年老いて行くのだと改めて知って傷つき、毎日どんどん無駄に過ぎて行く時間が恐ろしかった、まだつややかな若さを持っていて、でもそれがじわじわと失われて行く事も知っていて、、
若い盛りだからこそ怖かった、今よりもずっと。

今スーパーの書籍コーナーでかの雑誌を見かけても恐怖も嫌悪も感じない。
今の私はあの頃の私とは確かに違っているようだ、、、それを成長と呼ぶのかどうかはしらないが。


別段美しかった時期でもなく希望に満ちていた訳でもない、ただ今より年齢がずっと若かったというだけの時期だ、でもぎゅっと切なくなる程眩く懐かしい気がする。

ついまた榎本ナリコの「センチメントの季節」から引用してしまうが(、、いや;だから別に好きでも何でもないんだってば;単行本も買った事ないし;)
十代の頃とても太っていて引っ込み思案だったヒロインが高校時代を振り返って
「あの頃の私は『少女』なんかじゃなかった、醜かったし、恋をして、好きな人と震えながらキスをしたり、そんな事一度も無かった」
みたいな事を言うシーンがあるんだけど、、「少女期」というものはこのように美しく輝かしくあるべきだったのだ、と悔やんでいたんだな、でも確かその後に続く台詞は

「でもあの頃の私が『少女』だった」 と。

過ぎ去って変わって無くして、そこでようやくそう思う、そういうものなのかもしれない。


いつになったら自分の人生が子供の頃夢見たように輝く日が来るのだろう、自分だけが何故どんよりした絶望感の中を一人ぼっちでウロウロしているのだろう、自分には『青春』なんて無かった、、、、、、

そんな風に思っていた季節が『青春』だった、と。

「かわいそう」なアナタ 

2006-01-26 22:57:45 | その他のエッセイ
数年前ある婦人雑誌の読者投稿で見た記事。

『私は小学生の娘を持つ兼業主婦です、娘が幼稚園の頃から働いていましたが今のマンションに引っ越して来てからというもの近所の専業主婦達が毎朝娘に向かって
「可哀想ね」「お母さんがお仕事なんかしていると寂しいでしょ?」「お母さんに一緒に居て欲しいわよねえ?」と声をかけるようになりました、それまでは「そういうもの」と認識していたらしく特に不満を言う事も無かった娘がやがて廊下で私にしがみ付き「お仕事に行かないで!おうちに居てぇ!!」と泣き叫ぶようになりました。
それを見てご近所さんは嬉しそうに笑っています。
それから私は毎日娘に「他所は他所、ウチはウチ、よそのお母さんが何と言おうとあなたは可哀想な訳ではないのだ」と言い聞かせ、今やっと理解し始めてくれている所です。』



近所の奥様方は自身の価値基準にそぐわぬ選択をしている家庭の子供に「不幸」のレッテルを貼ろうとしたらしい。
どっかで読んだ専門家の話によると「かわいそう」と子供に言い続ける行為は精神的虐待に当たるんだとか?


話は変わるが昔「クイズ悪魔のささやき」という番組があったかと思う。
えーと、確か和田アキ子が司会やってて一般視聴者が「ビンボー」な身の上話を披露し、会場にいる一般人のうち一定人数の同情を買えればその人数に応じた金が貰える、っつー内容だったような?(確か貰う為にはあとクイズに正解しなきゃならんかったんだっけ?)

後味が悪くならない範囲で他人の不幸を楽しむっつー趣旨の番組だったらしく基本的にはそう重い話はあまり無く(「貧乏」でなく片仮名で「ビンボー」と表記されていたし)
「アパートの壁が薄くておちおちオ○ニーも出来ないので引っ越す金が欲しい」やら
「我が家には風呂が無くベランダのタライで沐浴してるので風呂を作りたい」やら
「旦那と子供が残したおかずが勿体無くて食べてたら太ったのでダイエットする資金が欲しい」やら、そんなレベルの話が多かった。

が、お笑い系で統一されていたという訳でも無く一週に一人位は所謂「いい話」「深刻な話」も入れていたようで、その中で一組特に印象に残ってるゲスト(挑戦者)がいた。

感動したからじゃない、寧ろその逆で奇妙な違和感とでも言うのか;


それは赤ん坊を抱いた若い夫婦だった。
背の高い旦那さんは顔の彫りが深く肌が浅黒くどうやら外国人のようだった。
そして細身で、しゃれっ気はないがまぁ美人という感じの若奥さんが身の上話を始める、それも一言一言ゆっくりと言葉を切り、涙を溜め、カメラを睨むようにして。

この二人は奥さんがボランティアか何か(青年海外協力隊か何かだろう、うろ憶え;)で派遣された国(所謂発展途上国)で知り合ったそうだ、で、ボランティアの女性と現地の青年は程なく恋に落ち彼は彼女の為に祖国に別れを告げて日本に来たそうな
「私の為に全てを捨ててきた夫に里帰りさせてあげる費用が欲しい」との事。
ハンカチで目元を押さえ、時々越えを詰まらせながら怖い顔で(失礼;)切々と訴えなさる。
司会者がそれぞれ相手と出会った時の印象を尋ねると
奥さんは「この人の子供なら生んでもいいと思いました、、!」と鼻をすすり
旦那さんは「結婚したいと思いました」とどこか戸惑ったような顔で(主観だけどね;)言った。

この番組ではそれぞれの出場者に対して最後に占い師(男)がアドバイスして締めくくっていたのだけれど、確かこの「感動」仕立てのハナシに似合わず彼のコメントは

「こちらの奥さんは必要以上に不幸に酔う、というかひたり易い性格です、それが大変ご主人にとっての負担になっています。」

みたいな身も蓋も無い物だった(苦笑)
いやもぉバッサリ;しかし正直「よく言った!」と思った。

この奥さんの睨みすえるような涙目の恨み節につい気圧されそうになるが内容的に「テレビで見る不幸話」としてはちょっとパンチが足りてない気もする。
(そこそこの「いい話」としてならわかるが;例えばこの奥さんがもっとポジティブなキャラクターで番組が新婚さんいらっしゃいとかだったら「不幸話」ではなく「のろけ話」として普通に成立しそうだ)

滅多な事で里帰り出来ない事は確かに寂しいだろうとは思うがこんな調子で「可哀想に可哀想に」「貴方は不幸なのだ」といわれ続けるのもたまったもんじゃないだろうなとも;

、、だって幸せになる為にした選択なのに「不幸」の形が生まれてしまっている;
(笑って話せば「幸せ」の一部であったかもしれないのに嫁の不幸酔いに巻き込まれて「可哀想な人、不幸な人」のレッテルを貼られているみたいでさ;)

夫は私の為に祖国を捨てた犠牲者、、というのは奥さんの中だけの物語で実際の所は
「どちらかを選ぶなら日本の方が豊かな暮らしが出来そうだしなー」
的な事情もあったんだろうし、、(海外からボランティアが派遣される国なんだから豊かではない筈)

この御夫婦の張り詰めた雰囲気はいずれぶっ壊れそうな危うさを感じた。



















セクハラ、なるもの。

2006-01-20 18:12:32 | その他のエッセイ
先日たまたま立ち読みした雑誌で片山さつきと中村うさぎが対談していた。

時間もそう無かったのでぱらぱら読みだったがどうも話題の中心(或いはとっかかり?)は自分達が被ってきたセクハラ、性差別についてらしい。

どちらも勝気そうで華のあるタイプの女性だけにキャリアを積む中でアレコレといらん勘繰りをされる事が多かったようだ。
自分の仕事が正当に評価されないっつーのも日常茶飯事だったとかで;
(パンツ脱いで仕事を取って来い、或いは脱いで取って来たんだろう、等々;)
そーゆーのが「あー私もありましたねぇ(笑)」とかナチュラルに出てきてる会話はちょっと怖いモノがあるかも;

片山さつきは選挙期間中やたら容姿とファッションの事をマスコミが話題にしてたし(でも着てたのはユニクロだったらしい、選挙には一応行ったけどあまり関心自体は無かったのでこの辺りの話題自体に詳しくないのでした;)


セクハラや性差別は、、私自身は左程辛い思いをして来た方ではない。

自分の資格やキャリアで優秀な殿方と張り合うような場所で生きては来なかったし「職場」に限定するならば性差別のきつい世界にそう長く居た事もない。
(痴漢等の性的被害に関してなら山のように嫌な思い出はあるが、、それでもこれは多分日本の女性の大半が遭ってるレベルなんじゃないかとも思う;つくづく嫌な世の中ぢゃ;)

現在の職場は仕事柄か所謂「人付き合いの苦手なヲタク」タイプの男性が多い、ヲタクにも当然いろんな人がいるが(女に対して異常に差別的な奴や明らかにイカレた奴とかも;)私が関わった範囲では大半は(くれぐれも全員では決して無い、が。)自身のファッションセンスやコミュニケーション能力へのコンプレックスを反映してか女性に対しては褒め言葉以外は外見の事は話題にしないタイプが多かった気がする。

だから余計によく憶えているのかもしれないが、、
22歳の頃、三ヶ月ほど飲み屋兼レストランの厨房でバイトしていた事があった。

三ヶ月間だったのはそこで限界が来て逃亡したからである;
元々人付き合いの苦手な人見知り体質の私にとって理不尽な理由で凄まじい怒声を張り上げるチーフコックや(つーか寧ろ喚き怒鳴る為に必死で在りもしない仕事のミスを探すおっさんてどーよ;)容貌も声も野村サッチーそっくりの海千山千熟女達の中での三ヶ月は大変な日々でございました;
値段が高い割にいい加減なメニューのおかげか(作っててなんだがこんなモン食いたくないと思うような手順で作ってたしな;)ホール(客席)はいつもガラガラで、なのにチェーン店だから従業員は何人とかマニュアルがあるらしく人数はやたら無駄にいるのに全く仕事が無い;無いにも関わらずぼんやりしている人が居ればここぞとばかりに怒鳴りつけられる、働けと喚かれても鍋も流しも使ってないからピカピカだし客が居ないから作る物も無いし(だったらシフトいじって人数減らせよ;)
、、仕方が無いので雑巾でさして汚れてもいない流しや床を磨きまくり、その雑巾を念入りに念入りに石鹸で洗い、真っ白になった雑巾がまた汚れるまでその辺を拭きまくりまた雑巾を念入りに洗う、、と、こんな事を時間中繰り返して何とか凌いでいた;

そんな方法でなるべく店長やチーフの監視を避けていたがそれでも店長サンなどは用も無いのに狭い厨房をうろつき回り(邪魔だっつーに、ホールにいろよ;)
盛ってある飯や味噌汁を見ては
「青丸!おい青丸!ダメだよこんなんじゃ~青丸?」と騒ぐ;
とにかく若くて大人しいムスメさんを呼び捨てで怒鳴る快感にハマってしまわれたらしく意味も無くデカい声で人の名前を連呼なさる;
しかしその丼はチーフが用意したものだしどこといって駄目出しをするポイントも無い、だからイチャモンを付けようにも理由が見当たらないので丼を手に持ちながらモゴモゴと
無いミスを探している。
気弱で大人しそうだ、と入る早々目を付けられた私もアレだがこんなのが普通にウロついてる仕事場でマトモなもんが出来る訳がない;


、、、っと、話が脱線したかも;


ここの男性陣、同世代の女性の年齢を「おばちゃん」と呼び50歳以上の女性は決して名前で呼ばず「お婆ちゃん」と呼んだ。
(やはり相手が嫌がってるのを見越して「お婆ちゃん」を無駄に連呼するのだった;)
当時22歳だった私は年齢をからかわれるような事は無かったが私の人生においてこんなにも自分の「容姿」が堂々と周囲の話題になり続けた環境はこの三ヶ月以外知らない;

店長が用もないのに私が一人になるのを見計らって厨房に入って来ては毎日決められた行事か何かのように私の全身をニヤニヤと眺め回し
「青丸は毎日頑張って働いてるから痩せたんじゃない?」と、直接身体に触れこそしないものの両手で身体のラインをなぞるような動作をしながら「少し引き締まった?」「痩せてきた?」と言いに来る;

言っちゃ何だが彼の大狸の焼き物のようにせり出した腹で狭い厨房を走り回る姿は男性社員の話題になってもいたし「お前が言うか;」的なウンザリ感はいつもあった。

「はあ、そうですか?どうも、、」とだけ返答していたがそうするとちっ!と舌打ちしては「どうも、じゃないでしょ、全く可愛くないねぇ!!」と吐き捨てられるのもしょっちゅうだった(どうしろと?)

男性が自分の外見を省みるでもなくごく当たり前のように女性の容姿や年齢をからかえる環境は今も世の中にごろごろしているんだろうと思う。
(そりゃまぁ私は元々いじめられっ子だったからたまには外見をからかわれた経験も無いではないがこれ程当たり前のように話題にされたのは珍しかったな本当に;)

私が三ヶ月持たなかったこの所謂「セクハラ」のまかり通る世界で戦っている人達に敬意を表したい;



まぁしかしやっぱりあの店は極端に悪い環境だったのかもなーとも。
印象に残ってる出来事を一つ。
私が調理台を拭いていた時に怒鳴り癖のあるチーフコックのオッサンが何故か仁王立ちで私の手元を睨んでいて嫌だなあと思った(何かまた怒りたいんだな、と;)
水浸しの台を一枚のふきんで拭いていれば当然布が濡れて拭けなくなる、ならば
どうするか?→当然「絞る」しかない。
嫌な予感がしつつふきんを絞るために持ち上げた所で予想通りの凄まじい怒鳴り声が;
「まだ濡れてるねっかやぁ!!!」
、、、、、、、、(怒)ここは当然「絞らないと使えません」とでも説明する所なんだろうね;(そもそも「怒鳴る」必要は別に無い筈だけど?)
しかし無駄なのも解ってる;それが当然の「説明」だったとしても返って来るのは「口答えすんなや!」という更にデカイ声だと、だから「わかりました」とだけ答えた、、つもりが怒りが表面につい出て語尾の上がったキツイ言い回しになってしもた;
大人しい筈の私の態度を見たその瞬間オヤジはキレましたよ、見事に。
「何だその言い方はぁ!」と、手に持ってた調理用具(包丁では無かったけど、流石に)
を振り上げた、さすがにビビった私が「キャァ!」と乙女らしい悲鳴をつい上げた所で我に返ってたけど、、、
アルバイトの女性にあっさりと手を上げようとしたあの姿を見て思った事。
「、、こいつ絶対女房殴ってる、、!」
(この人は皆独身だと思っていて、妻子持ちと聞いた時全員が驚いていた;)

しかし限界が来て「辞めたい」と告げた時のこの人の言葉は
「お前トロいから皆に苛められてるんだろ?今度意地悪されたら俺に言え、俺が守ってやるからな」
だった;自分のキャラクターに自覚無しってのも怖い物があるなぁ、、



お花の思い出

2005-09-29 21:52:35 | その他のエッセイ
今回はメルヘンに(?)お花のお話です


「桜」

日本人にはもうダントツに人気のお花ですね。
私の自宅近所にも桜の木がわんさかありまして、、でも普段はそんな事忘れてて満開の時期になってやっと
「ああ、、これもこれも桜だったのか」と気付く感じです。

満開の桜の美しさはもうひたすら異様で、夜にぼーっと光っているような姿も晴天の昼間に見るのも好きです。
枯れるのを待たずにあっという間に吹雪になって散る儚さも好き^^いやこれは好きというより何やら切ないんですが;
私にとって「お花見」というのはこのあっという間に終わる春の祭りを乗り越える儀式みたいなものです。
近所にいくらでも咲いているし出勤の通り道にも咲いているけど私的にはどうしても「桜」を愛でる為に時間を空けて
出掛けなければならないみたいです、そーすれば何とか散った後の残念さを乗り切れるというか;

ある漫画で読んだ台詞に
「私は脆い物を美しいとは思わない、真に美しいものはこの上なく純粋で比類なく強い」
というようなのがありまして実にカッコイイなぁvと思った訳ですが(強く勇敢な美少女を地上で最も強い物質、至高のダイアモンドに例えた表現なのですが)私はどうも逆みたいで脆く儚いもの程美しいと感じるようです;


「命短し」時が来れば色あせる女の子の美しさも色恋沙汰の儚さも風流です^^宝石も勿論好きですが不動の物には物語が生まれにくいというか、、、移り変わる故の哀しさにこそ「物語」があるもんでしょうから。

今まで実際見た金剛石の実物というと何しろ高価な物だけに石そのものはそう大きくなく「ああ、透明だからきっとダイヤだ」
で終わってしまいそれが「美しい」物なのかどうかどうかまで今ひとつ頭が行かないせいかもしれません。
ものすごく大きいのを見たらまた違うのかも。

でも桜が最も好きな花になったのは大人になってからで、子供の頃も近所で満開の木に登って遊んだ憶えもあるのに特に美しいと思った記憶はなかったりします;子供の体内時計はゆっくりだから数日で散る花を「儚い」とも「あっという間」だとも思わなかったのかもしれないし子供の目線は頭の上よりも地面に近いから見上げる花よりも地に咲く花の印象の方が強かったのかもしれません。(そういえば今は地面の花に目が行かなくなったような?)

桜は大人向けの花なのかも。




「菜の花」



こちらは桜とは反対にほんの幼い頃すごく特別な花だった記憶があるものの今はこれといった感情の無い花です。

幼稚園児の頃近所の御家族と一緒にお花見(無論桜のです)に行った帰りだったと思いますが、道すがら母か或いは近所の

おば様だかが「ほ~ら青丸ちゃん菜の花よ~」と金網の向こうを指し示しました、そちらを見ると一面の眩しいばかりの黄金色の風景が、、、、懐かしいような嬉しいようなびっくりしたような気持ちでした、お花見で見た筈の桜の記憶は全く無いのにこの「ナノハナ」なる花の記憶だけは鮮明に残っていたりします。

今井美樹の「瞳がほほえむから」って歌で「♪一面に咲いた菜の花の色、ほら、拍手のように揺れてる~」って部分を聞くといつもあのお花見帰りの風景を思い出します。

その後小学校に入り、理科の教科書に「アブラナ」というあの「ナノハナ」に似た花がバラバラに解剖された図解が載っているのを見て何か酷く落ち込みました;(「アブラナ」という名前もどことなく汚い気がしたし)
似てるだけで違う花なんだと無理矢理結論付けたものの実際はどーなんでしょうか?

あれから「一面の菜の花」を見る機会も無かったし今は当時のような思い入れも無いですが(苦笑)桜の事を書いていて思い出しました。


魚類と父娘

2005-09-04 17:24:47 | その他のエッセイ
実はこの文章、かなーり昔書きかけて放置していた物です
タイトルに(その1)とあったので何か大層な長文に挑もうとしてたのは確かなんですが
日記も放置気味なので結論まで書いてない序文だけですがそのまま載せてみました
さて私は何を書こうとしたたのやら?

****

結構前の事だが「日本一短い○○への手紙」というシリーズ本が流行った事があった
公募で募った父や母や友人や夫や妻への手紙をそれぞれまとめたもので大抵はほのぼのした内容(中には複雑な家庭の事情を窺わせる物もあるが)で書店で見かけてよく立ち読みした憶えがある

その流行に反発した人達もいたらしくブラックパロディのような「日本一醜い親への手紙」という本も見かけた(あと「もう家には帰らない!」とかそんなタイトルのも見たような記憶が)
こちらも一般公募らしく感謝や愛でなく恨み、決別などをテーマにした子から親へのメッセージを集めたものだった

年配の投稿者も多く「虐待」というのは決して最近涌いて出て来たような問題では無いのだなと思った

いや別にそれを分析したり社会問題について語ろうとかは全く思わない
つか、私ごとき出来る訳がない

私が世間知らずの未熟者という事も勿論あるが語れる筈もない一番の理由は所詮「加害者が実の親である」という基本設定(←不謹慎なヲタク表現で申し訳ない;)一つで想像力にオブラートがかかってしまい皮膚感覚が鈍ってしまう為だ

正直、少年犯罪で子供を失い一分の償いもしてもらえない遺族の悲痛な手記なんてとてもキツくて読めない、本屋で平積みになってても避けて通る(こんなキツい物が売れてるのが不思議に思える、金を出して購入し自分の生活空間にわざわざ置く人の気が知れない;)

しかし犯人が実母、といった話になると途端にリアリティが薄れるのか手に取るのに先程のような強い抵抗を感じない

この本に対するコメントを別の本でたまたま目にした事があった

「取り返しのつかない何て愚かな本を出したのでしょう、投稿した人達はもう決して家族で歩み寄る事は出来ないのでしょうね」

清らかで冷たい感想
仮に理屈で溝を埋めて頭で納得する事が出来たにせよ皮膚感覚のズレは決して埋まらないのだろうと思った
(私の感覚は恐らくこのコメントした女性のそれに近いのだろうと思われる)

想像力がシャットアウトされるってのは怖い事なのだ。


不可解のオトナ達

2005-09-04 17:21:01 | その他のエッセイ
ウチのご近所さんにTさんという御老女がいる
うちの母は大層その人が苦手らしい
近所だからよくすれ違ったりするのだがお互い挨拶もしない、私ともしない(してみてもまず返事は返って来ないし)
近所というかアパートの同じ階に30年近く前からいる人である

私はこの人のフルネームも含め何も知らない、いや別に興味も無いが。

しかし子供時代から今までにこの人に纏わる幾つか思い出があるのでちょっと書いて見ようかと思う(最近日記サボってるし、この際ネタは何でもいーやみたいな;)

最初の記憶は薄ぼんやりした幼少期の事

このアパートに引っ越してきて間もない五歳頃の事だと思う。
まだ今より大分お若かった(当たり前か;)Tさんにアパートの廊下で呼び止められて玩具を貰った(確か風船だかそんな物)
Tさんは私に「私があげた事は絶対に言っては駄目だよ」と言った、幼い私は「うん」と答えた。
、、しかしそれで済む筈も無かった;

母は買い与えた憶えのない玩具を持っている娘に「誰に貰ったのか」と詰め寄った、私はTさんとの約束通り、言ってはいけないと言われたと話したが母は信じず
「何故そんな嘘をつくの!ちゃんと誰だったのか言いなさい!!」
と、物凄い剣幕で詰め寄ってくる;

その様子は五歳の私には不可解だった。
玩具をくれたおばちゃんはそれを私の親に知られたいと思っていない、礼を言われる気は無いのだ、しかし母は「何が何でもお礼を言う」為に自分を怒鳴っている、それはとても「親切への感謝」には見えない、寧ろ何やら追い詰められてさえいるように見える。
結局Tさんの名前を吐かされ、母と二人で礼に行く事になったがTさんはきつい口調で「私は知らない、何もあげてない」と言い続け、何度も私を睨んだ。
母は戸惑いつつTさんの前でも「一体本当は誰だったのよ!」と私を叱り続けた
私は両方にとっても嘘つきになってしまったらしかった

当時母は20代、遠くから引っ越して来たばかりの若いお母さんにとっては「非常識な奥さん」になるのは神経すり減らす一大事だったのかもしれない。
還暦近い今でこそ母も鷹揚さが見えて来たが、、(段々腹が据わって来るのも年をとる事の利点の一つかもしれない)

世間では「ご近所のルール」とか「常識」とか呼ぶ物なのだろうが30過ぎた今ですらとてもこの手の感覚を上手く把握出来ない、困ったものである。


Tさんには少し不思議な癖がある。

最初は母が私に教えたのだが廊下で人の足音や話し声がするとすぐに玄関を開けて出てくるのだという。

話だけ聞くと別におかしくはないが
その廊下は私達も含め少なくとも8世帯が共用している(少なくとも、と言うのは日常的に必ず使う8世帯の他にも多少遠回りをして部屋に戻る人や来客や清掃業者などを合わせればかなりの人数が通っている)
なのに廊下で母が少しでも友人と立ち話をしていると出てきてこちらを見ているというのだった。
一年中玄関で聞き耳でも立てているのかしら、と母は言う。

さして気にも留めず忘れていたがある仕事帰りの夜、鍵を開けて家に入ろうと部屋の前で鞄を探っていると(鍵は財布にいれていたので)がちゃり、とTさん宅の扉が開いた、思わずそちらを見ると暗い廊下にいつもの仏頂面の老女が無言で立っていた;そして数秒後、また無言で引っ込んだ。

その後も何度かそんな事があった、廊下を歩いているだけでは出て来ないがすぐ扉を開けずに立ち止まったり荷物を下ろしたりちょっと会話したりと「通行」以外の行動にすぐ反応するらしかった。

今もつい玄関先で「天気わるそうだよ?傘持った?」なんて会話をする時に「Tさん、やっぱり聞いているのかな?」などと思ってしまう;

そういえば、と思い出すのは小学校時代の事
、、これが最も印象に残っている事で、今思えばTさんの印象を決定付ける出来事だった(風船をくれた時の事は、寧ろ母の方が怖かったし、礼を言われるのも面倒臭い、みたいな気持ちはどことなく分かる物だった)

我が家が廊下のお掃除当番だったので、家のお手伝いという事で小学校に入ったばかりの弟と二人でアパートで共用している大きなモップを抱え廊下を磨いた。

やがて掃除が終わり「よし、片付けよう」と声を掛け合い、モップを引きずりながら掃除用具置き場へ向かって行き丁度Tさん宅の前に来た時、待ち構えていたようにドアが開いた。
Tさんは「何をしているの!磨かないで引きずるなんて!」
と声を張り上げた、どうやら掃除に手を抜いていると言いたいようだった。



私達は口を揃えて誤解だ、今までちゃんと磨いていて終わった所だと言ったもののTさんは全く聞き入れず
「いいえッお黙んなさい!私はちゃんと見てました!」
と私達を叱った(いや、実際「大人に叱られた」という印象は無くやはり「言いがかりを付けられた」としか感じなかったな;)
、、今までドア閉めてたのにどっから見てたんだよ;大体見てたんなら分かるだろうに

そして我が家の方を指差し
「あれがあんた達が悪い事をした証拠です、お宅の前だけ廊下が白く見えるでしょう、埃が溜まって白いのよ!」
と言った。
確かにTさん宅の前に立てば白く見えるがあれはどう見ても手前の窓からの太陽光の反射である;屈むか数歩歩けば更に向こう側が白く光って見え、逆に我が家の前に立てばTさん宅の前の廊下が同じように白く見える。

、、言いがかりだとしか思えない;

そしてTさんはお隣2件のインターホンを次々と鳴らして奥さん達を呼び出し「この子達がモップを引きずって掃除してたのよ!」と話し出した。
少しコロコロした感じの片方の奥さんは50歳位の気の弱そうな人で
「まぁ、、」と相槌を打ちつつも随分戸惑っていたようだった。
(この人は引っ越して来たばかりの人らしくその後またじきに居なくなったらしい)
そりゃ面識もない近所のガキの掃除の仕方がどうので一大事のように呼ばれても戸惑うだろうとは思うが。

おばさん三人の井戸端会議が始まると話題の中心である筈の私達は完全に忘れられたので掃除用具を片付ける為にその場を立ち去ったが誰も何も言わなかった。
(そしてうちの母に苦情らしきものも全く来なかった)

立ち去りながら成る程、と合点してもいた、Tさんの目的は「話題の種」だ、あれがあの人の友達作りというかコミニュケーションの輪を広げる為の活動というかそういう不器用というか少し何か間違ってなくもないがそれなりにひたむきな。
しかし結局成功している様子は見られず今も彼女はいつも一人に見える、しかし「ざまみろ」的な気持ちは沸かない、むしろ何故か寂しく思える;コミニュケーションのヘタクソさに共感しちゃってるのかもな;(苦笑)

ちなみにこのモップ事件の後、誤解されちゃ叶わんと姉弟で母に無実を訴えた処
「あああの婆でしょ、放っときなさい」というしれっとした答えが帰って来た、引っ越してから5年の間に母も可愛げを無くしてたようだった




アダムの原罪

2005-09-04 16:46:28 | その他のエッセイ
、、、変なタイトル;;
いや、「イブの原罪」をヒネっただけで、、

前回の日記に書いた「宮崎ヒロインを嫌う女性達」から思い出したので。
(前にも書いたよーな気がするが)その女性の言葉
「ナウシカの胸は大きい、大きい胸はもう清らかでない証なのにナウシカは聖なるまま自由に舞飛べる者として描かれている」
、、そこが偽善とか矛盾とかに感じられるらしい。

この部分だけだと何だかトンチンカンだが「性に無自覚という設定ながら全身で異性に媚びるダイナマイトぼでーのロリキャラ」に対する感情あたりと共通してるんだろうか?

私は豊かな胸が不自由や汚れの象徴というような感覚はピンと来ない、ぴったりサイズのスポーツブラでも買って来て好きなように飛べばいいのに、と;

ここで何度も取り上げている「センチメントの季節」にしろ吉田秋生の「櫻の園」にしろ世の「少女」なるものは随分な苦しみを経て自身の成熟を受け入れて行くものらしい。

「センチメント」に私自身は共感出来ないが多分ある女性達にはとてもリアルなんだろうと思う、この漫画に出てくる少女の感性や言動は高校時代の親友Y子ソックリだったし。
彼女も性的には随分と奔放に見えるのに心はやたらと潔癖で自分を「汚れた存在」と呼んで憚らず、たまにクラスメートを遠くから指差して「あの子多分処女じゃないよ」と軽蔑して見せた(その様子は某巨大掲示板の処女まにやの男性陣にソックリだった;)
私は純潔、ヴァージニティという概念はその精神にあると思ってるので
「女である事への社会の(というか主に殿方の目線)態度」
に時に失望することは出来ても
「女である事そのもの」
に傷付くことが出来ない私より遥かに彼女の方が純潔だったのだろう。

、、、でもな、彼女等は美しく成熟しただけで誰を暴力で組み伏せた訳でも貶めた訳でも無い、性別故に自分を罪人扱いするような物言いは何やら切ないな;
(う~む;ひょっとして私、何か欠けてますか?)

ちょっと話は変わるが以前女神転生シリーズのトレカを集めていて気付いた(女転シリーズのモンスターは世界の神話、民話の神や悪魔が使われている、トイレの花子さんとか都市伝説キャラも、確かにそれも立派な民話、伝説だもんな)

「女性に性欲を齎す悪い魔女」だのが結構いるんだな;ほほう、女の性欲は忌まわしい物なのか。



統一教会は確か「アダムとイブが楽園を追われたのはイブが蛇と不倫したから」世界の為に神が定めた正しい連れ合いと結ばれろっつー教義の元に合同結婚を薦めてるんだったっけ、確か(あ、という事は統一教会ってキリスト教だったのか)事色恋や姦淫やらに関しては皆女が悪いみたいな言い方は腹立つなぁ;

幼女連続殺人事件が世の中を騒がせていた頃、あるライター(仮にA氏と)の文章が心に引っ掛かった、確か

 『被害少女達の写真を見てまず強く感じたのは「何故あの女の子達はこんなに可愛いんだろう」という事なんですよね』

という言葉で始まる記事からは幼女を餌食にした男への共感が感じられた;
いや、別にそれだけで苛立ったりはしない、自分の内にある衝動や原罪を自覚し公表まで出来るなら大した勇気だと思う、だがその後は;

何故幼い子供でありながらあんなにも魅力的なのか疑問だ、という内容が続き、終いには「親の育て方がどーの、、」となっていた

、、どうも彼は「可愛く育てた親の責任」か何かを追及したいらしい

あと、少し前にあった大学生による集団婦女暴行事件に寄せたどっかの偉いおっさん(仮にB氏と)の文章

『女性を集団で襲うなど大変よろしくないが最近の若い女性のように足の爪にまで色を塗っている姿を見ると女性にも責任はないとは思えない』

うー;この方はペディキュアを塗るのは集団暴行されても仕方が無いよーな行いだと仰りたいのでしょうか?

そしてこのお二方の他に今一人
確か婦女暴行かました高校生が「コミックを読んでムラムラしてつい女性を襲った」と証言したとかで青少年の健全育成の為にポルノコミックやエロゲーを規制しよう、と世間が騒いでいた頃
マニア向けのゲーム雑誌に載っていたあるライターさん(これをC氏と)の文
とにかく悪党っぽい文体で

『俺は女を輪姦したくても一緒にヤッてくれる友達がいねぇから諦めている、それでも欲求不満でムラムラしてそのへんのババァでも襲ってやろうかと思う時にエロ漫画やエロゲーで代わりに抜いちまえばその辺の女を襲ってやろうって衝動を少なくとも一日は先延ばし出来る』
『女を強姦する奴は自分がやりたくて犯っただけだ、でも捕まって理由を聞かれれば「俺は善良な男なんです、でもあんな漫画やゲームがあったばっかりに我慢出来なくなっちまって」って言い訳したくなるだろうがよ、普通』



この人はゲーム誌のライターさんで、要するに「ゲームや漫画見て人を襲うような奴は始めからバカなんだ、俺が愛するゲームのせいにするな」と言いたい訳で(彼が庇護したいのはゲーム、それは分かる、うん)
この人の文章によると彼自身はいわゆる「熟女専門」で彼曰く
「こんな賞味期限の切れかかったババァの腐りかけた生肉みてぇな○○○でしか勃たない自分は変態だと思う、ロリコンの方が余程マトモだと思うね」等々、、
文章自体はあまり女性から見て気分の良い部類のモノではない;

しかしA氏、B氏の文章より読んでいてずっと引っ掛かりを感じない。
まぁこのC氏は「性犯罪は犯罪者本人に責任でゲームが悪いんじゃない、むしろ抑制にさえなるんだぜ!」と言ってる訳だから当然
「エロゲーの画面に出てくる女に責任はない」=「現実の女のせいでもない」
につながるに決まってるんだろうけど
自分の「ムラムラすると女の一人も襲いたくなる」という部分を「悪党」的な立ち位置に定義して品性の低いキャラとして文を書いてるんだな。

少なくともこの人は自分のそういう欲望を自身の「原罪」として引き受けてるように見えた。

でもA氏は
善良な自分が犯人に共感したのは被害者のせい、幼女が魅力的なのが問題、しかし大人の女なら文句も付けられるが(女子高生でも女子中学生でも、あるいは小学校高学年くらいでも服装だの生活態度だのから落ち度を見つけ出したんじゃないかとさえ思える;)幼女の責任を口にするのはさすがに(善良な筈の自分の立場が)ヤバい、で、自分や犯人がソソられる程に可愛く育てた親の不注意、と;

C氏に比べてA氏、B氏がどこまでも気持ち悪く思えるのは
C氏が「悪党」として喋っている事を「善良な常識人」のつもりで語ってる所なんだな。

どこまでも自分を罪の無いものとしたがればしたがる程彼等が薄汚い罪人に見える気がする。

(、、、ああまた話がそれた感じだ;済みませぬ;)




上海にて

2005-09-04 16:36:35 | その他のエッセイ
『夏過ぎて 少女の扮装して老えば 恋もおぞまし とく逃げたまえ』
(「センチメントの季節」より)

もう一年近く前の話だが母とツアー旅行で上海&紹興へ行った
県民共済が主催する短期日程旅行だけに人数も十人程度、女性が殆どで皆50代後半位のようだった
この人数だとお互いをよく観察したり詮索し易いのか地元の人も来ないようなしょぼい博物館や記念館や酒の工場などで皆そこここにかたまっては噂話をしていた

私たち母娘も少しばかり話題になっていたようだった
いい年の娘と母親という組み合わせも珍しかったんだろう、そしてウチの母は垢抜けていて華がある、地元の中国人女性カメラマン(若く素晴らしい美人なのだが写真を客に売ったお金だけが収入だとかで結構大変生活らしい、それだけ国が豊かでないのだろう)やツアー仲間に何度も「姉妹ですか?」と訊かれたり(私は不本意;)「もっとお洒落に気を使いなさいよ!若い癖にお母さんの方がハイカラじゃないの!」とあけすけに言われたりもした
単なる「似てない親子」と判明するまでは色々と勘繰られてたらしい

もう一組噂の種になっていた夫婦がいた
ひときわ目を引く彼等こそがこのツアー客を楽しませていた「噂の種」である

旦那は坊様か書生さんのような少し浮世離れした印象の男性で奥方はどう見てもかなり旦那より年上、正直最初私は親子だと思っていた、お婆ちゃん、と言える年齢のようだが(私は70歳前後と見た、旦那様は40代位か?)髪は茶髪のワンレングスでものすごく可憐な声(色っぽい吐息のような口調)と艶っぽい動作をする人だった

50代で年相応の雰囲気と内面を持つ中年女性達は実年齢とちぐはぐなぶりっ子の老年女性の皺だらけの容貌を幾度も話題にした、確かに彼女は異様だった、怪物と呼びたい程に

夫婦で姓が違うらしい事などからツアー客の中でどんどん彼等の背景が創作されていった、その想像通りなのかどうかは知る由もないが

エレベーターなどのちょっと狭い場所へ入ればきゅっと目を閉じ背の高い旦那の背中に映画のヒロインよろしくしがみ付くワンレングスの奇妙な老女、同性の目には妖怪だ しかし男から見たらどうだろう?

今もあの人を思い出すと妙に切なくなるのは女が老いる事の残酷さを思うからだろうか?それとも自分より40も年上であろう人がそれでも自分より遥かに「女」である事の苛立ちなんだろうか


霊能カウンセラー

2005-09-04 16:34:59 | その他のエッセイ
一昔前のホラーブームの頃にはホラーマンガ雑誌がゴロゴロ売られていた(「パンドラ」とか「ホラーハウス」とか)しかし一過性のようなブームの終焉と共に見事にどの雑誌も消えてしまった;

最近この手のジャンルで見かける雑誌と言えば「ほんとうにあった怖い話」(通称「ほん怖」これは内容が時々ドラマ化されてるみたいだしどこでも結構見かけるから売れてるんだろう)それから「あなたが体験した怖い話」(通称「あな怖」読むと解るが隅から隅まで「ほん怖」の2番煎じ雑誌;作家陣の力なども含めて全体にやはり「ほん怖」の方が読み物としてのレベルは高い、、かな?と)他は、、ホラーMとか今もあるのかな?(犬木加奈子が看板作家の雑誌みたいだけど)
嫁姑問題や近所付き合いをホラー仕立てにした漫画雑誌は最近多いけど超常現象を扱った本は確かに減った。

ほん怖、あな怖両方ともその読者の体験談(つっても漫画の方は大半が作家の創作であろうと思われる節が、、;)や相談に対してアドバイスをする「霊能者」が付いている。

私は唯の怖がりの怖いもの見たがりに過ぎないので霊能も宗教もわかりまへん;
だから以下の文は唯の個人的な好みによる感想っす

「あな怖」の方の霊能者(男性、顔写真付き)はかなりヤダ;
ある読者体験へのアドバイスがもう、、
(*立ち読みによる曖昧な記憶なので相談回答共々細部が違ってても御容赦を;)

=============
(投稿者は十代の女性)
彼女は携帯のメルトモ(男性)と何度かメールのやり取りをしていたが彼氏が出来たので「彼が出来たからもうやめるね、バイバイ」と一方的にやり取りの終りを告げると返信が来た

『ふ ざ け る な  殺 し て や る』

恐ろしくなった彼女はそのアドレスを受信拒否にした、本名や住所などの情報を一切教えていなかったのでそれで終わりになる筈だった。
が、それからその男の生霊と思われるものに苦しめられるようになった。
==============

それに対するその男性霊能者の助言。

「生霊になる程人を恨むからには皆それなりの理由があります、会いもせず一方的に断るような事をしたからいつまでも恨みが残るのです、その男性に貴女から連絡を取ってきちんと会って正体を明かし話し合えば相手の執着も消え問題は解決するでしょう」

、、、、、、、をいをいをいをい;


生霊の扱いやら正しい除霊方法やらは私は知らん、知らんよ
でもどう考えても携帯メールを打ち切られただけで殺すと喚く男はヤバイだろう;まして生霊飛ばしたってのが事実と仮定するならなおの事そんな奴に若いムスメさんが会って身元を明かせば生活に現実的な危険を呼び込みかねない
、、このオッサン何考えてんの?
というのが私の感想

この男性はまず、携帯電話やインターネットという顔を会わせずに始まる形のコミニュケーション、つまり「最近の若いモンがやってる自分の年代にはよく解らない物」はとにかく良くない、ケシカラン、みたいな感覚があり、更にそれを使う十代の女の子に対しても強い偏見を持っているんじゃないかと感じた、その偏見に基づいて回答してるだけというか。

あとストーカー犯罪の危険に対する理解や情報が足りていないと思う。
余計なお世話だろうが他人への助言を商売にするにはちとバランス感覚が足りず世間知らずな印象が強い

そりゃ誰だって当人なりに理由があって行動してる、人を恨むにしろ何にしろ、ただその「理由」が常識的な第三者に理解出来る範囲のものかどうかの差があるのだ

そしてもう片方の雑誌「ほん怖」で心霊相談を受けているのは女性(若いらしい、行ってても30代って所か?)で寺尾玲子(だったっけ?)という霊能者、こちらは写真ナシ、本誌では連載漫画の主人公でもあり掲載されているのはその少女漫画タッチで描かれたキャラ絵のみ。

こちらの人は前向きでバランスの取れた回答で結構好きだったりする、霊能者で無くてもアドバイザーやカウンセラーがやれそうだ。
相談内容は大体
「可愛がってくれた母を些細な仲たがいと意地の張り合いで最後を看取ってやれず心残りだ、母はやはり悲しんでいるか」みたいなもう届かない存在になった相手への取り返せぬ後悔や
「中絶してから不運ばかりが起こる、親戚にお前は一生不幸だと言われた」
「故人の意思で角膜を提供したが故人があの世で盲目になると言われた」
「最近体調が良くないし人間関係が上手く行かないのは誰かの呪いか」
みたいな不安を訴えたものが多いようだ。

ちなみに回答で多いのは「何でも霊のせいにするマイナス思考は止めましょう」だったり。
霊能者にしては結構珍しいタイプなんじゃないかと思う、、というよりメディアに登場する霊能者が逆に何でも霊障にこじつけるタイプが多いからそう見えるだけなのかな?

宗教屋さんにせよ霊能者にせよ商売である以上はいい仕事をしてるかどうか、ってのはあると思う。
合法か非合法かっていう「法律」の問題でなくいい仕事っぷりかそうでないか、みたいな(この事についてはある会社への私怨が積もってるのでまた日を改めて書くっす;)

読んでる限りこの寺尾さんという人は常識人で不条理だと感じるような説教はしない、それが何だか気分良く感じる。
病魔に苦しんで逝った家族は今も無念で彷徨っていないか、大金を寺に収めなければ故人が成仏出来ずに苦しむと言われたetc、、
亡くなって届かぬ存在になった相手への後悔は取り返せないから、切ない。
(この人は行き過ぎた思い込みやマイナス思考を叱ったりそれまでの苦労をねぎらったりした後霊視の結果などを添えてる事が多いようだ、「後は亡くなった御本人の問題なので貴女方は御家族と自分の人生を大切に、という結論が大半)
相談者の悲しみや不安を丁寧に汲んだ良い仕事してるなーと感じた。

良い仕事が出来る「霊能カウンセラー」は世の中に必要なんだと思う。
(あ、勿論「御祓い」とかが霊能者のメインの仕事なんだろうとは思うし別にこういう人達を「霊能力を売りにしたカウンセラー」と定義してる訳じゃないです;私はどちらかというと超常現象とかオカルト系の話は信じる方です;)

話が少し変わります。
以前ちょっと大手新興宗教の冊子を何冊か読んで妙に引っ掛かったのが
「人殺しやレイプや詐欺よりも自分(教祖)を尊敬しないのが悪い」という定義、古今東西色んな人類の犯罪や罪を責めた後「しかしこれらより遥かに悪いのが他の宗教(邪教)を信じる愚か者や神聖な我々を侮辱するマスコミの人間である」と。

、、、当時(今もかな?)新興宗教はよく叩かれてたしアタマに来てたのはわかるんだけど「世界平和」まで題目に掲げる人が何でそう自分が可愛いんだろう?

フツーに考えたら「特定の宗教を信じない」事なんかより人殺しや通り魔の方が悪いに決まっとるやん;

「私を信じようが信じまいがそんなのはかまわん、しかし人として大切な優しさを忘れちゃいけないよ」
、、位の大人らしい懐の広ささえ世界人類の平和まで願っている筈のカリスマ達には見あたらない。

せめてその位は温かければ世の教祖様にせよ霊媒師さんにせよいくらでも尊敬出来るんだけどな。