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あをまる日記

つれづれエッセイ日記ですv

海の天使 (その4) 天使の城の魔王

2015-08-25 10:48:16 | 風と木の詩
オーギュとセルジュ。ジルベールが愛した対照的な二人は人生の出発点から間逆である。

オーギュは恐らくは生みの親に捨てられたのであろう孤児。大富豪の養子として引き取られるも、実は異常性癖を持つ跡取り息子の玩具として買われただけだった。
その義兄も散々自分を弄んだかと思えば妻に心が移ればあっさりと捨て。密かに恋心を抱いた女性も実は自分を嫌っていてあっさりと裏切った。

そうして生まれた不義の赤子(ジルベール)の両親は、発狂して自分の子を投げ捨てる女(アンヌマリー)と、どうでもいいと背を向けた男(オーギュ)

その子供に偶然再会してみれば、大人達に遠巻きにされ、躾すら受けていなかった。
誰のものでも無い見捨てられた子供なら、自分を崇拝する忠実な猟犬に出来ると思いつき教育を始める。という、どこにも絆や真実の見えない始まり。



一方身分違いながらも運命的な恋に落ち、命懸けの駆け落ちで結ばれ、一生涯互いを敬い愛し抜いた夫婦間から生まれたセルジュ。
生まれた経緯が数ページの回想で終わるジルベール編と対照的に、セルジュの重要なルーツである「父親の青春と恋」は過去編の多くを占めている。
(セルジュが誕生してから学院に行くまでの成長過程はジルに比べてかなりあっさりした印象だったので、セルジュ編ってジル編よりページ数少なかったっけ?と思ったけど同じだった。そりゃそうだ、こちらは父親の人生が学生時代からみっちり描かれてるんだもん)

愛とは互いを信じ敬い合う事だったセルジュに対し、オーギュは「支配関係を維持しない限り人は裏切るもの」という価値観を持った。


幼いジルから母親代わりだった毛布を取りあげ、代わりに自分が同じ部屋で暮らし、同じベッドで眠り、時に虐待に近い接し方をしつつも本気で接する唯一の大人(他者)としてジルの世界に踏み込み、自分を保護者と認識させた。
義兄がしたような、相手に嫌悪や怖れ、内心の反感を抱かせたままの支配でなく「精神の底からの絶対的な支配」を行う為。

表面的には、実験動物を眺める観察者のスタンスながら、そこまでして誰かを自分のものにしたいと思うのは真実愛されたい、絆が欲しいという激しい「渇望」から来るものに他ならない。
(しかし、野生児っつってもよだれベタベタでやかましいガキだったりしたら放置して消えたんだろうな。生まれつきの優雅で美しく、既にトイレトレーニングだの夜泣きだのの時期が終わってた上、メイドだの執事だのの揃った何不自由ない環境で、飯の世話ひとつせずに自分になつくように仕向けただけで育てた育てたうざいなぁという気持ちも無くはない)

ボナールが登場した辺りではまだ「冷たい観察者」ポジションを保ち、攫われた後も「見つからなきゃ諦める」とあっさりしているが「売ってくれ」と持ちかけられた時には動揺を見せている。既に愛情は芽生えているが、あえてそれに目を向けまいとしているような印象。

そして、パリでボナールから挑発を受け、ジルを決闘で取り戻すと決めた時「ジルベールは一生誰にも渡さない」という意志を漸く固める。
その姿を見届けたボナールは「奴は本気で自分の気持ちを認め向き合った。今度こそジルは大事にされる」と安堵し、愛する者の幸福を祈り見送る。

人攫いの児童強姦魔ながら、本気で愛し認めた者に対しては「幸福そうな笑顔が見たい」「喜ばせたい」というごく真っ当な感情しか持たないボナールにとって「本気で愛する」とは「大切に慈しみ二人で幸福に過ごす事」以外の何物でもなかったが、実際にオーギュが取った行動は間逆で、ジルのその後にあったのは、牢獄のような長い学院生活と、遠隔操作による壮絶な精神的虐待。

「支配」という繋がりには当然優位性が必要。愛し執着するという事は自分もまたその分だけ支配される事でもある。
裏切られる結末ばかりを怖れて真っ当に向き合わない臆病さは、常に愛の対象とマウントの取り合いになり、まるで勝負し続けるような関係を生む。
ジルベールに心を支配されていたからこそ優位に立つ事、敗北しない事に拘り続けたのかもしれない。

オーギュが義兄ペールに出した条件
「海の天使城を『自分が生きているあいだだけ』貸し与える事」

自分の一生の住まいにする、というだけの意味なら「生きている限り」あたりが妥当な言いまわしだろうがあえて、順当に行けば自分が老いて死んだ後に残される筈の息子、ジルベールの為の住居や財産は必要ない事を強調。
それは自分が死んだ時に迷わず後を追わせるという決意表明。

「一生涯自分だけを信じ愛し、保護者の愛に縋る0歳児の精神のまま、他に自分の世界を広げさせず、成長させず、未来の夢や新たな興味や信頼出来る友人が出来るような社会性は持たせない」と。

そして全身全霊で自分の愛を求める存在で居させるには「満たされない事、孤独である事」も恐らく必須。(ペットの狐を救う為に命を顧みずに猟犬と戦った純粋さは孤独故でもある)

自由な小鳥を飛べない人間が一生涯繋いで置くには、決して逃げられぬ頑丈な鳥籠が必要だ。
常に逃げられぬように見張り、籠の普請をし続けなければならないから、小鳥と慈しみ合ったり楽しく過ごしたりしている余裕など無い訳だ。


自分はかつて赤子だった彼を見捨てて去った実父であり、再会した時も動物実験のように調教する事を思いついただけ。
愛に飢えた幼児の白紙の心を、実に計画的に洗脳し手懐けて手に入れた事は自分が一番良く知っている。
(ただ、冷たくして怯えさせるような序盤のやりかたには個人的にピンと来ない。あれでは「突然現れた怖い大人」として嫌われるだけの気がするし。自分を守ってくれる保護者と認識させるには「温かく接し安心させ信頼させ依存に持ち込む」のが妥当じゃないの?)
そんな形で築かれた関係の中で、いざ自分が本気になったところで、引き返して「真っすぐ向き合い、相手を信じる」なんて道を今更選べる訳も無い。
そんな道を選べるのは、初めから真っすぐ向き合って来た者(セルジュのような)だけなのだ。

だからボナールが提案したような「どこかに引きこもり、お互いだけを大事にして暮らす」という選択はオーギュには出来る筈も無かったんだろう。


3歳のジルを「思い通りに教育しよう」と思いついた時点でのオーギュは「外界の常識から切り離された子供が将来どうなるか」といった事には無頓着だった。
「世間に適応出来ない子になったらどうするつもりか」という老執事の問いへのオーギュの答えは「世間など汚いだけだ」と答えになってない。
要するに「後の事などどうでもいい、知った事じゃない」という事だろう。
見捨てられた子供を洗脳教育の実験体にしただけで、守る者が居なくなった後の人生に対する責任や覚悟など持つ気も無かったのだろう。

そしてボナールとの決闘を経て本気で向き合う事になって取った方法がこれ。
こういう形で「ジルベールの人生全てを引き受け責任をとる」と決めた訳だ。


しかし、人の愛や誠意を信じる縁の無かったオーギュの人生にも「永遠の愛」はちゃんと存在した筈なんだよね。
他ならぬ「自分自身の中」に。

一生涯を支配する、とはつまり、自分もまた相手に一生の愛を捧げると言う事。
ジルベールへの自分の愛に、一生の確信を持っているという事だから。

それでも相手を信じ慈しみ合う道を選ばず、遠隔操作で虐待し続けた魔王は、その結末がどうであったにせよ、相手の幸福を望み、笑顔を見たい」と望んだ真っ当な王子の愛にジルを奪われる罰を受けるべきだったとしか思えない。

相手を信じる勇気から逃げ「狡猾な大人と精神面0歳児の子供」というハンデを散々利用して計画的に精神支配と虐待する事を選んだ奴の思惑通りの人生になるとか胸糞悪いし。

それに、「自分が駆け落ちに協力したのはオーギュが必ずジルを連れ戻すだろうと思っていたから」というパスカルの台詞を見るに、オーギュはジルを「連れ戻せなかった」のではなく「連れ戻さなかった」のは明白で。
(二人への嫌がらせの為には散々使ったマスコミを、ジルの捜索には一切使わなかった)

意図的に外界で生き延びられぬ子供を育て、その生涯の責任を持つと決めたなら、彼を「守る為に」だけでも連れ戻すべきだったろう。

「守る大人の居ない見目好い子供」が世間でどんな目に遭うかを身をもって知りながら、更に最低の処世術すら与えなかったのは自分だ。
ジルの悲壮な死は、責任者が責任を取らなかった結果なのだ。

続編「神の子羊」によれば「セルジュが悪い~セルジュがジルを殺した」と日記でぶーたれてたそうで(こっち未読だけど;)オマエ結局反省せんかったんかい;と。
やっぱりコイツ苦手だなって思う。


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