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あをまる日記

つれづれエッセイ日記ですv

ミクシィから転載

2020-12-14 00:11:22 | その他のエッセイ
2019年のマイミク限定日記が残っていたので転載します。

内容は単なる職場の愚痴で、前後編のような内容だった筈なんですが、多分内容も内容なので(かつての仕事仲間の悪口三昧;)
前篇は自分で消したらしく、後篇部分のみが残っていました。

前篇内容を補足します。
2015年頃から2017年秋頃まで、私は職場の困ったさん(仮名A子さん)に悩まされていました。

当時、A子さんとB子さんという同期入社の若い女性二人がいて、うち一人のA子さんが有り得ない程社内で不正行為をしまくり、私を含む社員の収入を半減させつつ本人のみ低い人の10倍近い儲けを得る、という信じ難い事態を起こしていました。

無論必死で止め、注意したもののA子さん本人はサイコパスの類かと思う程平然としており、早朝5時に会社に来て割の良い仕事を全て書類ケースに詰め込んでニコニコ笑いながら昼間から自宅に帰ったり、大変な仕事を全員でやってる時には「やりたい仕事無いから帰る^^今日はカフェ行こーっと」とやらかす人。

もうどうにも止められず社長に対策を頼んでも頼んでも、A子さんの被害を受ける立場に無い社長は
「ぎゃんぎゃん耳障りな騒ぎを起こして俺に迷惑を掛ける奴(つまりは私)が問題児。騒ぎを起こしているのはこの女」
という認識をやめず(彼女の不正の証拠は社長の手元に山ほどあるにもかかわらず#)彼女を甘やかし、私に対して非常に侮辱的な対応をするのみでした;

この間私は帯状疱疹などに悩まされ、正直A子さんよりも社長への苛立ちに苦しみました。
(後に社長がA子さんの異常性を認めるに至った後も私への謝罪や反省などは一切見られず、今も私の中には社長への決定的な不信感という巨大爆弾が鎮座しております)

私をけむたがった社長が私の留守中に「あをまる吊るし上げ会議」をやろうとした所、A子さんの不正が他の社員にもとっくに周知されていた事を知り
(そこで他の社員にきつく抗議されたらしい)
渋々渋々渋々、4tトラックより重そうな腰を上げ、漸くA子さんの勤務内容を完全管理するに至りました。
そして管理体制が始まって3日目。
管理業務を心底面倒がっていた社長が飽きるのを待つまでもなく、ぱたりとA子さんは会社に来なくなり、そのまま姿を消しました。


突然ストレス源が姿を消し、とりあえずはめでたしめでたしと思っていた所、今度は空気同然だった筈のB子さんが問題を起こし始め…

という流れで、以下はそこからのお話の転載です。↓

=====================================


一昨年、散々会社の仕事を荒し回って荒稼ぎし続けた伝説のサイコモンスターA子さんが、突然の長期無断欠勤を経て姿を消した事でとりあえず平和になると思われた職場は、今度は彼女と同期のB子さんによって再び荒れ始めてました。


A子さんが余りにもサイコパス宇宙人だった為目立たなかったものの、もともとB子さんの仕事ぶりも社内では評判が悪かった。

まず、入社二年目頃から始まった謎の超重役出勤。

何故か毎日午後四時過ぎに出勤して来る。
余りに堂々としているので、収入の低い仕事だし、社長の許可を取ってバイトの掛け持ちでもしてるのかな?
などと思いつつ、当時はあまり会話する機会も無かったので構わずにいたが、ある日、社長と雑談ついでに「B子さんは何故夕方に来てるんですか?」と聞いてみたら社長はむすっとした顔で「知らない!」と怒るのみ。

後に本人にも聞くと「朝起きられないんです」という返答。
要するにただの遅刻だった。(彼女のアパートは会社から徒歩10分なのだが)

それから数ヵ月後、とうとう外も真っ暗な夕方6時に「おはようございます」と普通に出社して来た時にようやく社長がキレたものの、B子さんの返答は
「生活サイクルは急には変えられないから、徐々に早くするように努力します」だった。

しかしそれから何年経っても遅刻は直らず、社長は度々キレたが、慢性的な人手不足と、仕事では実力があった為、社長もクビにする決断は出来なかったらしい。
(しかもよくよく聞けば本当に夕方まで寝てるわけではなく、趣味にハマってつい毎日夕方まで家に居てしまうのだとかで)


B子さんの仕事ぶりもそこそこタチが悪かった部分はあれど(夕方出勤で日付が変わった後も一人で会社に居て、人の居ない時間帯に割の良い仕事を大量にやる他、納品日まで頑張れば自力で終わる仕事でも内容が重たいと半分近く他人に押し付けて自分は別の楽な仕事をやり始める等々)
とはいえ他人の仕事を奪い尽くし人の首を絞めまくるA子さんの悪質さに比べれば、遅刻で絞まるのはあくまで「本人の首」だし、多少は周囲の目を気にし、複数の仕事を隠すような事まではしなかったB子さんは遥かにマトモではあったので、私はそこまで気にせずにいた。

しかし軽蔑されながらも実質ほぼスルー(というか存在無視?)されていたA子さんと違い、B子さんは社長をはじめ頻繁に色んな人にきつく怒られ、時に怒鳴られる程嫌われていた。


その辺は彼女自身のキャラクターが原因だったのだと思う。

B子さんは言葉遣いが非常にマズかった。
頼みごとや仕事の割り振りなどの会話の受け答えが常に無愛想かつ失礼で、社長や先輩に自分の仕事の手伝いや尻ぬぐいを頼む際すら、お願いします、済みませんといった言葉を使わない。

「これやって欲しいんですけどー」「こっちはあなたがやればいいじゃないですかー」等々まるで日常のやり取りの全てが「喧嘩を売っている」ような印象。


社長曰く「メールの内容や文体も、俺の常識では考えられないようなものが来る(どんな内容だったのかは不明)」
など、遅刻癖以外にも色々やらかしてたらしい。


それでもある程度近しく接していると、壊滅的に不器用なだけで当人に悪気は無いらしいのは分かるのと、20代後半という実年齢に対し10歳~12歳位の児童にしか見えない外見と声も相まって(ホルモンバランス的なものだろうか?)
「子供のようなものだ」と、どこかで諦めてもいた。


しかし問題児A子さんが居なくなった直後から、何故か一気にB子さんもモンスター化して、職場は再び修羅場となった。


A子さんの退職によって他の社員の仕事内容と収入は一気に回復し、特にA子さんと同期入社だったB子さんの変化は大きく(今まで当たり前だったものが当たり前じゃなくなったという)
「いきなり収入が倍になった。これからはもう少し良いものを食べて貯金もしたい」
などとも言っていて、めでたしめでたし、の筈だった。

なのにB子さんは、収入が倍増して以来おかしくなった。

今まではA子さんの不正に対しても彼女だけは無関心でマイペースだったのだが、彼女が居なくなって以来、何故か先輩である私の仕事を監視しては「それ私より楽な仕事ですよね?」「私より儲かってませんか?」等々喧嘩腰で言いがかりをつけて来て、度々仕事にならなくなった。

(何故私に絡むのかは謎だったが、唯一の同性でもあり、彼女の主な会話相手だったからか?)

B子さんが騒ぐ度、彼女の元々の仕事ぶりに苛立っていた男性社員達に「お前が言うな―――ッ!」と総突っ込みされては

「だってこれっぽちじゃ給料が足りないんです!私は!生活がかかってるんですよ!」
と泣き喚く、という異様な光景が繰り返された;

ちなみに毎回社長不在時にやらかすんだが、何度「生活かかってるのはあなただけじゃなく全員同じ」「給与の不満は社長に言え、私に言ってどうする」と言ってもきかない。

…第一毎日夕方に来てたら自分好みの仕事なんかそうそう残ってないのが普通だろうにと思うが、それでも彼女は頑なに超重役出勤をやめない。

あれだけ出勤時間が違うのが不公平だ不公平だと大騒ぎしながらも、最も簡単な解決方法である「遅刻をやめる」という選択肢だけはないらしく、生活サイクルを改善しろと注意される度に無言で睨みつけてくる。

もうウンザリしたので、とりあえず届いた仕事の内容を難易度ごとにA・B・Cにランク分けし、ある程度平等に分配する「遅刻者救済制度」をとってみた。
(甘やかしすぎだと周囲に言われたが、毎回喚き散らされる身にもなって下さいとしか…;)

しかし、彼女自身は自分が有利に取れる時は他人に一切配慮せず仕事を取りまくるので、この制度で救済されてるのはB子さんのみ。
あまり独り占めが酷い時は一応注意してみるも
「順番に取っていいルールですよね!そういうルールじゃないですか!ルールじゃないですか!そういう決まりじゃないですかああああああ!」
と金切り声で泣き喚いて手がつけられないので諦めた。

その「ルール通りに」仕事を取っていた周囲に「自分に譲れ配慮しろ」と迫ってルール改正させたのは誰なんだと言っても
「だって私は生活がかかってるんですよおおお!!」で会話にならない。
「他人にも都合がある」という事が理解出来ないようで、とにかく何を話していても延々と自分の都合に話を戻す;


A子さんが辞める前までは、変わった子ではあっても基本無口で大人しいイメージだったので、突如第二のモンスターと化した彼女に呆れるばかりだった。



そしてとうとう「遅刻者救済制度」でも不満が収まらなかったB子さんから、新たな要求が来た。

「難しい仕事は時間に余裕のある人が担当するのが正しい。楽な仕事は出勤が遅い私の為に残しておくべきですよね?」


…………おう、とうとうそう来たか;遅刻者のみが楽をする制度にしろと。
それは「B子救済措置」を通り越して「遅刻魔B子のみを優遇措置」ですよね?(苦笑)

身勝手な要求にあきれ果てたが、彼女はそれを「当然やるべき処置」と信じ切っているようで、20年も先輩の私に向かい「子供に道理を言って聞かせる」ような口調で話す。
そして要求が通らないと分かると、またぎゃんぎゃん甲高い声で喚くので、こっちは全く仕事にならない;

見かねた後輩の男子が「おいふざけんなボケェ!」と割って入ってくれたのでその場は一旦収まったものの、自分より後輩の男性にタメ口で怒られるに至った時の彼女の反応は、とても印象的だった。

普段大人しい後輩君に怒られて、まず呆然とフリーズ。
その後、自分の正義が周囲に全く通用していない現実に気付いたか「あれ?あれっ?」と混乱した表情。

その後、呆然とあらぬ方向を見た後
「前から思ってたんですが、自分は他人と一緒に働くのに向いてないのかも…」
と、力無く呟いた。



う~ん(汗)

結局彼女のこういう所を「憎めない」と思ってしまうのも事実なのだ。

というのも、私は過去に何人かこの手のトラブルメーカーに関わった事はあるのだが、彼等、彼女らはいずれも、何度周囲にハブられようとも、職場を転々としようとも「自分に原因や落ち度がある」とは微塵も考えない人ばかりだった。

常に自分は正しく、全て周囲の人間が悪いのであり、悪い奴らにいつも遭遇してしまう自分は運が悪いのだ、という考え。
(もしくはあまりにも正しく清らかな自分は、汚れた世間にうとまれ、いつも妬まれるのだ、みたいな)

つまりは心に「自分を疑う」機能がついていない。


けれどB子さんはそうじゃない。
「自分の何が間違ってるのかはどうしても分からない、理解出来ない」ながらも漠然と「自分が生きにくい原因は自分にあるらしい」という認識までは辿り着けている。


友人は一人もいないと言っていて、自宅通勤が可能にも関わらず経済的に無理をしてまで家を出たのもどうやら家族との折り合いの悪さからのようで「家に帰って一人になると、自分の駄目な所が頭の中にわっと降って来て落ち込む」などとも言っていた。

また、こういう悩みを馬鹿正直に話す所も過去のトラブルメーカー達と違う所だ。
他のトラブルメーカー達は実態はどうあれ「自分は友達が多く、周囲に尊敬されている」と話すタイプが多かったが(そして後々自慢話とは間逆の実態が漏れて来る;)
B子さんにはその手の「見栄を張る」習慣は無かった。

そしてA子さんが消えて約一年半。B子さんもまた消えるように居なくなった。



A子B子騒動終了後の社長の見解。
「二人とも発達障害があったのではないか」

う~んまぁ…A子さんの異様さは言わずもがな。

そしてB子さんの
「どんなに怒られようと、仕事で不利益が出ようと一度ずれた生活習慣を直せない」
「感覚的に上下関係が理解出来ず、上司との会話すら常に非礼」
「他人にも都合があると何度説明しても自分の要求のみに話を戻し堂々巡りにする」
あのキャラクターにもまた、そういう気配を感じてはいた。


しかし2人共、少なくとも入社当初は「変わった人達」の片鱗こそ見えていたものの、そこまでおかしくはなかった。

雇い主である社長が、社員の声も目の前のトラブルも一種異様なまでの無関心を貫きとことん放置した結果、状況を悪化させまだ卒業ほやほやの新社会人であった二人を、数年がかりでモンスターに育てあげてしまったように思う。


(B子対応は比較的ちゃんとやってたけど、あれは自分も迷惑してたからだろうし、A子対応の酷さと無責任さはこの先も絶対に忘れん#)

「今後はこんな事が起きないようにする」と言ってるけど、今までもそう言っておいて出来たためしが無いし、過去の反省ゼロじゃ今後も同じでしょう。


一見明るく人当たりも良いが、倫理観が完全に壊れているA子さん。
決して悪い人ではないが、トラブルになりやすいB子さん。

彼女らは今どうしているのかな。





行列の出来る法律相談所

2011-07-18 18:36:32 | その他のエッセイ
ホントは他のネタを記事にするつもりだったものの、いつもココ更新するのをぐずぐず後回しにしてしまう;
書きかけで放り出した記事がまた山程出て来たんで(またか;)
比較的短くて書き上げ易かった奴をばアップしときます。




日テレの人気番組「行列の出来る法律相談所」


島田伸介の司会の上手さで、たまたま見たりすれば面白いのだが、相談内容のVTR→司会による長々したレギュラー&ゲスト弄りの雑談→さて判定はCMの後で!
っつー、相談内容を見てから結果表示まで、一旦全く話が逸れるあの番組構成にちっとストレスが溜まる事もあり好んで見てはいない。
(とりあえず全バラエティー番組は山場でCMが入って待たせる事が一切無い「探偵ナイトスクープ」とかを見習って欲しいかなーと;)

しかしあの弁護士4人がそれぞれの見解を述べての「何パーセント」表示は初めて見た時、凄く斬新に感じた記憶がある。

「生活笑百科」みたいに白黒ハッキリしている内容取り上げて、最後に法の専門家が解説する番組なら多かれど、そーいや裁判とか調停なんてのはどっちに転ぶか分からない、慰謝料も取れるケースも取れないケースもある訳だしね。
絶対に100にも0にもならないパーセンテージ表示に凄く納得したっつーか。


んで、かなり昔の話だったかと思うが、ちょっと印象に残った相談。

===========================
相談者は離婚した妻に娘の親権を渡した中年男性。
娘が二十歳になるまでは面会出来ない為、その日を楽しみにしつつ毎年娘のバースデーにはプレゼントを贈っていた。

そして待ちに待った再会の日、娘の態度は酷く冷たかった。

その理由は、別れた妻が「お父さんは酒乱男で浮気者。自分たちを捨てて出て行った」(うろ憶え)というマイナス情報を娘に吹き込んで育てたからだと判明。
女手一つで子供を育てるのに別れた父親を恋しがられても面倒なので、分かりやすくダメ親父と教えて置いた、って事だったらしい。
で、自分の送ったバースデープレゼントは、父でなく、自分からのものとして渡していた、と。

実際の離婚理由は「性格の不一致」であり、実際は浮気や酒乱などではない。
元妻の嘘で娘との仲を悪くされてしまった。

んで、締め括りはお決まりの台詞。
「訴えてやる!!!」
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このケースで元妻から賠償金は取れるか?という内容。
確か番組内では「取れる確率は低い」という結論だったと思う。
誤解が解ければ、関係はこれから修復出来る可能性も十分にあるから賠償請求出来る損害とは言いにくい、と。

この視聴者からの相談内容、って奴がどの程度フィクションが入ってるのかは分からないが、個人的に何か色々引っかかった。

↓以下、ゲスパー部分多し。(「ゲスパー」は読んで字の如く「エスパーのような推測」と「下衆の勘繰り」が合わさった意味合いの2chスラング)


離婚経験者さんのブログやらを一時読み齧った程度の知識ではあるが、まず、

離婚時に子供の親権を元配偶者に渡しても、養育費の支払い等の義務を放棄しなければ、通常は定期的に面会(月に一回とかね)する権利は無くならない、らしい。

つまり浮気や暴力等、相談者に子供との面会が法的に認められない程の問題があったのでなければ、相談者自身が「養育費の支払い義務を放棄する代わりに、成人するまでの面会権も放棄した」って事じゃないのかな、と。

第一毎月の養育費を負担していたのなら
「俺は毎年プレゼントを贈っていたのに!」っつー訴えは不自然だよなぁ、と。
養育費を払ってたのに、の方が自然。年一回のプレゼントなんかと比べ物にならない程の金が掛る筈だし、プレゼントプレゼントと騒ぎはしないだろうと。

もしそうなら「養育費」という面倒な親の義務は捨てて、年に一回贈り物で自分を父親として慕っていて欲しい、って発想が自己満っつーか、虫が良いっつーか…美味しいトコ取りっつーか。

と。
相談者寄りに作られる再現VTRを見てさえ、そんな事を感じた訳で。
離婚理由は単純に「性格の不一致」で処理されはしたものの、この親父、婚姻中も色々問題はあったんじゃないのかなー、などと。

や、そんだけです;

越後線

2011-06-10 00:45:46 | その他のエッセイ
四月の下旬、一人で越後線に乗った。
目的は十年程前に電車の窓から見た桜をもう一度見る為、だった。

この電車に一人で乗るのは三回目だったと思う。


最初は、確か十代の頃、私はまだ高校生だった筈だ。
ある休日、明確な目的も無く乗り込んだ。
そんな事をした理由はまぁ…寂しかった事と夢見がちだった事、という所か。

目標目的も、友人も無く、閉塞感に包まれた日々の中、電車に乗り込んで見知らぬ街へ行けば何かに出会えるかもしれない、なんて実に馬鹿馬鹿しい思いつきだったと思う。

当時は何しろ、年中こんな事を考えていたのだし;逃避願望の塊だったのだろう。↓
http://blog.goo.ne.jp/aomaru05/e/0113e85c3ebb77c8c86ad9beb9bbf739
(イジメ三昧の学校に登校する為のバスが、学校前に来ても誰も人任せなのか降車ボタンを押さない。自分も押さない、心底登校したくなかったから。このまま同じ制服の自分達を乗せたまま学校を通り過ぎてしまえば、たどり着いた先で何か素敵な事があるかもしれない、とか当時は妄想ばかりしていたっつーお話)

「人間年取ると、どうしても時々元気が無くなって鬱っぽくなるもの」
なぞと良く言われるし、実際たまに実感するが、若いが故に、行き場の無いエネルギーが有り余る辛さ、というものもあるとも思う。

情緒面がやや不安定で過敏な方だと未だに良く言われはするが、十代、二十代の頃の自分は現在より更に一層危うく、鬱々としていた気がする。
行くあても無く越後線に乗り込んだその日の天気は良好で、車内は混んでいた。
元々行動範囲は狭く、一人で知らぬ場所を出歩く習慣も無かった為、鬱々した気分に若干の不安感が加味されて、いつもより寧ろ更に暗い気分でいたのも憶えている。

何処で降りるかは決めていなかった。

途中「新潟大学前」という駅に着いた時、窓から見える緑の多い景色に少しだけ心が動いた。

どうしようか、ここで降りてみようか、と迷ってるうちに扉は閉まってしまった。

無目的に乗った電車の中で、自分の住む街を離れれば離れる程、いい加減落ち着かなくなり、「巻町」という聞き覚えのある駅名を見た時、逃げ出すように電車を降りてしまっていた。

降りたはいいが目的も無く、駅前から迂闊に離れて迷子になるのも怖く、とりあえず目に着いたあまりキレイでない食堂に入ると、混みあうカウンター席の隅っこでラーメンだったかカレーだったか、或いは何か丼物だったか、そういう食堂にありがちなモノを一人俯いたまま食べてまた駅に戻り、知る人も居ない街から逃げ出すように電車に乗って帰って来た。

たったそれだけの、何やら一層自分の孤独感頼りなさを確認しただけの旅とも言えぬ旅だった。



二度目に乗ったのは、多分…二十代後半頃だったろうか。
桜が満開の春で、友人との待ち合わせ場所に向かう為だった。
多分花見か何かに出掛ける為だったと思う。

そしてその日、電車の窓から二度、忘れられぬ程美しい風景を見た。

電車が川の上の鉄橋を通る時に見た、晴天の空のもと眩しく煌めく川面と上から見下ろす満開の、川岸の桜。
息を呑んでいる数秒の間に電車は川の上を通り過ぎた。

頭の中にはこの曲が流れた。↓

「雨が三日続くと」(OVA「THE八犬伝」EDテーマ)
http://lyric.kget.jp/lyric/ut/tt/(歌詞)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7932724(動画)

そしてもう一つ、その日の目的地の幾つか前の駅に電車が止まった時、更に奇跡のような風景を見た。
駅名は思い出せないが、学校のグラウンドか何かだったのだろうか、上から見下ろす満開の、桜の海。
(こうして書くと、桜ってのは上から見下ろすとまた違う感動があるんだなーと)
他の乗客の目にもそれは壮観だったようで、老若男女問わず感嘆し、車内がどよめいていた。

やや暗い車内から見た澄み渡る晴天と桜の木。明るい風景が鮮明に記憶に焼き付き、いつかの春、またこの電車に乗って満開の桜を見よう、と思うに至った。



三度目は今年、四十歳の春。
(しっかし…;40代んなってもう半年経つのに未だに字面で見ると冷や汗が出る;ああ私そんな年なんだ、って)
性懲りもなく、一人また越後線にのりこんだ。
目的は十年以上前に見たあの桜を撮る事、だった。

理想としては
「まず川辺の桜を上からばっちり美しく撮る」そして「名前の思い出せないあの桜の駅で、電車の中から一枚」そして「そこで降りたら散歩しながら撮り、今月のベストショットをGET」んでその近辺に静かな喫茶店でもあれば恩の字、初めての街でティータイムを済ませたら御帰還、と、こんな風に行けばまぁ良し、という所。

……しかし、実際は中々理想通りになぞゆかないもの;

その日は若干満開の時期を過ぎ、やや葉桜になりかけた頃で、雨の気配までは無かったが空は白い雲に覆われた天気だった。
それでも一応デジカメを構える中電車は動き出した。
そしてまずは川を渡る鉄橋へ。

……アレ?河川の桜ってこんなに本数少なかったっけ?

そんな感想を抱く間に呆気なく電車は鉄橋を通り過ぎた。
満開は若干過ぎてはいたし、空も幾分か暗く、故に川面の光も無い、確かに条件はあの日とは大分違うが、こんなに印象の違うものなのか?
(前に見た日は待ち合わせの為に乗り、この日は一人であてどなく乗った、という心理面での差もあったか、或いは記憶が美化され過ぎたか;)

妙に沈んだ気持ちで座席に戻り、さてどこで降りようか、と改めて考える。
あの桜の海の駅は、この先の何処かにある筈なのだが、そこへ行くのはもう気が進まなくなってしまっていた。
このままその駅に辿り着いて、またがっかりしてしまうなら勿体ないと思う。

そして結局、高校生の頃降りようか迷ったあの「新潟大学前」で降りた。

駅を出た先は特に変わったところもない住宅街で、いかにも郊外の街といった感じで、かつてこの街が車窓から魅力的に映った理由はすぐに判明した。
駅は長い坂道の上にある為、坂下に広がる街並みが展望台からのパノラマのように見えたからだ。

降りてしまえばソコは、特に緑が多い訳でも街並みが洒落ている訳でも整っている訳でも無く、住宅の並ぶ徒歩の身にはやや長い坂道を下りて、少し広い通りに出るも、中華料理屋がポツリと一軒あるのみで、一休み出来そうな喫茶店の類も見当たらない。
もう少し歩くもその先には、ポツりポツリと自宅近所で見慣れたホームセンターの看板が並び、後は大手スーパー、その駐車場、コンビニ、マグドナルド、そして人影まばらなアスファルトの上をひっきりなしに走る車のエンジン音。
仕方なくマックでマックフルーリーを食べ、その後コンビニで発売日のジャンプを立ち読みすると、もう何もすることがなく、駅に戻る事にした。
この街に来て記憶に残ったのは「今週の銀魂が面白かった」という事くらいで、どうやら私は二十数年前から何の進歩も無く、またうっかり無為な外出をしてしまったらしかった。

駅に戻ったはいいが電車の本数は少なく、売店の類も無いのでとりあえず改札をくぐり、ホームで電車を待つ事にした。
もう日差しも暑く、薄化粧で歩き回ったせいか少し顔がひりひりするな、とホームのベンチでコンパクトを取り出した。

『かがみには ばけもののすがたが うつっている!!』(ドラクエ風に)

…四十路の女にとって、陽光の下で開くコンパクトなぞラーの鏡にも等しい自殺アイテムである;老けたなと実感。
私は何をしてるんだろう。改めてそう思えば、また酷く気力が萎える。

十代の私はショーウインドーを不意に覗いた時など、肌色だけは驚く程キレイだといつも感じていた。
大袈裟なナルシズムという風でもなく、ああ、この女の子のホッペは何てキレイなんだろう、などと。
誰に振り返られる事も褒められる事も無かったし、生まれた時から当たり前に持っていたものだから、格別誇らしくは思ってはいなかった。
けれど、ああして鬱ウツと一人過ごす中で、いつか儚く失くすものだとは知っていた。

無駄な疲れを抱えて自分の住む街へ引き返せば、駅で母と落ち合い、約束していた食事に出掛けた。

今現在持っていて、これから失うもの、きっとまだまだあるだろう。
そして十代の頃も、今も持っていなくて、けれどこれから得るものもあるだろうか?



それから一週間後の晴天の日。
買い物の為車を走らせていると、新緑の向こうにキラキラ光る川面が見えた。
ココはとてもキレイな街だ、とふと思う。

残念ながら、ここは今私の暮らす街で、電車で初めて訪れた場所ではなかったけれど。
そういうものかもしれない。

最後の夏休み

2008-09-14 13:26:01 | その他のエッセイ
昔、誰だったかTVタレントが言っていた。
「少年時代の終焉はあの『黄金の夏休み』を失くした時なんだ」と。

「黄金の夏休み」という言葉の意味は分かる、小学校低学年の夏休み、眩しく
輝いていてかけがえが無くて、8月に入った後にはただ終焉に向かう一日一日を
哀しく怖れていた黄金の時間。
夏休み後半の登校日に先生が「夏休みももう残り少ないですが」などと言おうものなら一気に心が沈んだ。

私が幼い時代は無論その分親も若かったから元気だった。
父は買ったばかりのマイカーで毎日海に連れて行ってくれた、真っ暗な夜の海に身体を浸からせていると浮き輪の下の自分の身体はまるで見えなかった。

今思えばそう遠くもない山での昆虫取り、大きな蟻、民宿のゲームセンター、祖父母の居る田舎、地域の小さな祭り、花火、弟と二人で100円ずつ小遣いを貰って50円でオジサンからアイスキャンデーを買って、それを食べながら残り50円で小さな水族館に入った。
(現在はマリンピア日本海っつー入場料4ケタのデカイ水族館になってしまった;まぁ今は今でアレが子供の好きな施設になっているに違いないのだが)
確か2階建てでウミガメが床中に水を撒き散らすような大雑把な造りだったが子供時代の私は大好きだった、2階へ上がると土産物売り場で、でももうお金は無かったからただ憧れながら買えない土産を眺めた。
当時ずっと欲しかったのは「イチゴナツモモ」という可愛らしい苺色の小さな巻貝であれを二つ買って耳飾にする空想をいつもしていた。
買えないからこそ憧れた、輝いて見えた、そういうものなんだろう。

それから1年後だったろうか、2年後だったろうか、水族館の2階のベンチ(コカコーラとか商品名の入った赤いベンチだ)に座って「ビバオール」とかいう苺のアイスを食べ、外のペンギンショーだかイルカショーだかの声を聞きながら退屈していた記憶が残っている。
さして広くない一階の水槽にはあっという間に飽き、土産物屋しかない2階で両親が迎えに来るまでの時間を持て余していたのだろう、夢から覚めたように。
…多分去年より大人になっていたのだ。

少しずつ少しずつ黄金の夏は過ぎて行き、いつか完全に夢から覚める。
時間を忘れて眺めた蟻の巣は何処に行ったんだろう?いや多分何処にも行ってはいない、ただ私の視界から消えただけだ。

そして「完全な夏休みの終わりの瞬間」として記憶に残っている思い出がある。
多分小学校5年か6年の8月下旬、現在も町内でやっている「納涼盆踊り大会」での事だ。

猿でも出来る単純振り付けの「新潟甚句」とやや上級者向けの「佐渡おけさ」を交互に流し、その曲と曲との合間に子供達に苺ジュースを配っていた。
大きな薬缶一杯に作った粉末ジュースは赤く、甘く、小さな湯飲みに入れて配られるそれを町内の子供達は戦争のような勢いで奪い合った。
量も多くは作っていなかったのだろう、運が良くてもひと夏に浅い湯飲みに2杯飲めるかどうかというそれは当時の私には神酒のようなシロモノだった;
(粉末ジュースなんて物も当時既に廃れてた筈で売ってるのを見た事は無い)
「はい終わりました~!」
の一言でガックリと肩を落とした。


そして小学校高学年の夏。
例年のように盆踊りに出た、そして例年通り曲の合間に薬缶と湯飲みが並べられ…
「よしっ…!」と私は去年と同じく戦闘体勢で争奪戦に挑む…筈がその年はやけに
アッサリと、それもなみなみとその液体が注がれた湯飲みを渡された。
「えっ…?」
御神酒を奪い合うという夏休み締め括りの神事(当時の私の感覚;)はあっけなく
こなせ拍子抜けした、皆少しも争っていない。
多分ちょっとガッカリしたのかもしれない;が、気を取り直して例年通りまず湯飲みを目の高さまで持ち上げて祭りの提灯の明かりに照らした、どこでも見た事の無い紅色にキラキラと輝くのを眺め(要は多分大人の目には毒々しい色だったんじゃないかと;)
甘い香りを吸い込んでから飲む、筈だったが…
その液体は赤くなく提灯の明かりの中暗い茶色に沈んでいた。
「……!?」
おかしいな?と思いつつ香りを嗅ぐと苺ジュースのそれでなく、覚えのある匂い。
飲むと苦い……麦茶だった;

驚いて側に居た近所の女の子に「これ麦茶だよ!?」と告げると彼女は
「私麦茶も好きだから」と平然と答えた。

それ以来私は二度とその祭りに行く事は無かった。
奪い合う事も無く渡された麦茶は丁度私の中で何かの区切りを付けたような気がしている、ちょうど何かを失くし何かが終わる年頃に起きた象徴的な出来事だったのだ。


…ちなみに粉ジュースを廃止させたのは同じ町内の奥さん(私のクラスメイトの男子のお母さん)であるMさんの抗議によるモノだったと後で母に聞いた。
「身体に良くないしジュースなんかそれぞれの家で買えば良い」という意見だったそうな。
後こっちは確定情報じゃないが夏休みに町内でやっていたドッヂボール大会を「ボールが当たって危険だから」と縄跳び大会に変えさせ、子供達が興味を示さなかった為縄跳びになった次の年にスポーツ大会自体廃止になったとかいう噂も。

小学校の卒業文集のそれぞれのページに「母から子へ」というコーナーがあって皆お母さんから一言ずつメッセージを書いてもらっていた、私の母も「これはどこのママンだろう」と思うような理想的な優しいメッセージを書いていた(そーいや母は昔小説家志望だとかゆってたな;)
その中で異彩を放っていたのはMさん、彼女だけは息子へのメッセージでなく担任への物で確か

『先日目の悪い息子の席替えをお願いしましたのに聞き入れて貰えませんでしたね、他の多くの生徒の都合を大切にする先生の方針にはとても感動いたしました』

みたいな皮肉たっぷりの内容で小学生の私ですらドン引きした記憶がある;
(卒業文集に書くな、とか息子に卒業おめでとう位書いてやれよ、みたいな)
私が中学生の頃にはMさんが宗教にハマって町内で勧誘してるらしいと噂に聞いた、学校で見るMさんの息子さんはすっかり様子が変わり体育祭の時に延々とクラスメイトの男子に神様の教えを説いている姿を見かけた。(や、別に悪い事じゃないけど;;)

まーアレだ、直接知り合いでも何でもないけどジュースの一件以来私は多分Mさんが苦手なのだ。



痴漢さんの記憶

2008-05-22 00:27:58 | その他のエッセイ
女に生まれて来ると痴漢にしろセクハラにしろ性犯罪の類に一度も遭遇せずに人生を送るのは簡単でないらしい。

一番最近のは通勤途中、狭い路地に停まっていた車の運転席で露出狂に遭遇したのだったか。

路地の前方に停まっていた車の運転席のハンドルの上にエログラビアを堂々と広げた男性の後頭が目に入り「わざわざ通行人に見えるように広げんでもなぁ?」などと思いつつ横を通り過ぎようとした瞬間その車から爆音がした、多分ギアをPにしたままアクセルを踏み込んだのだろう。
その音に驚いて思わずその車を見ると運転席の男性の右手は…ハイ;自分のブツを握ってますた;
露出狂の類でしょうか;女性が側を通るのを狙って音を立てて注目させていたんでしょーね。

一日中恐怖と嫌悪感は消えず真っ暗な帰り道にまたそこを通るのが怖くてかなーり遠回りして帰った、運転席の男性が何をしているのか気付いた瞬間、咄嗟に走ってその場を離れたが、「目の前で走った」事を理由にあの男性が逆上し自分を探してこの辺りをウロウロしているんじゃないか、などと考えすぎてしまい仕事中も落ち着かなかった(実際そんな事は無かった訳だが;)

異常な行動を取る男性を見た、それだけの出来事で直接危害を加えられたという訳じゃない。
自分一人をねちねちと付け狙われた訳でもない、狙われていたのはそこを通る全ての女性だったのだろう。
それでもあれ程怖くて不快なのだ、長期間ストーキングされたり暴行されたりしたらその出来事の破壊力はどれ程のものだろうと正直想像するのも寒気がする;
(ちなみにこのテの露出狂には過去何度か遭遇している、バスの中やらコンビニやら)


もうすぐ梅雨の時期に入る。
20年以上前、雨の季節にあった出来事をふと思い出したので書いてみる。
14、5歳の頃遭遇した所謂痴漢さんの記憶なのだがこれはちょっとホラーな出来事だったので…

当時私は中学生で、小学校時代は所謂痩せ型だったのに思春期に差し掛かる頃急激に体型が変わり始め(ちなみにその急激な変化は成人してからも続いて順調に現在の体型になって行く訳だが…ううぅ;)
それを気にして夜はお腹にサランラップを巻いて眠り、休日には自転車で市民プールに出掛けて水泳をしていた、その帰り道での事だ。

急激な雨が降ったので通り道にある書店で立ち読みをしながら晴れ間を待つ事にした。
雑誌をめくっていると後から誰かにぎゅうぎゅうと押された、誰かの膝が自分の足に密着している、人の後に立つにしても本来他人にはぶつからないようにするもんじゃないか?と思いながらあんまり邪魔だったので雑誌に目を落としたまま数歩横にズレてその狭い場所から抜け出した。
しかし幾ら横にずれてもまたすぐに密着される、それも「あたっている」というより押し付けられている、流石に不審に思って後を見ると相撲取りのような巨体の高校生がぴったりと私の後ろに立ち、下半身を密着させている。
球体のように膨らんだ体つきのせいで年齢は分かりにくいが着ている全身紺色の制服は近くの工業高校のものだった。
怖くなってその場を離れ、客もまばらな店内を歩き回っているとその男もついて来る、私が立ち止まるとその場で適当な本を取ってめくる素振りをしながら後から密着しようとし、雑誌を開きながら私のうなじを指でひっかいたり息をかけたりしてくる、私が気付いて逃げ回っているのは明らかなのに延々追い掛けまわす;…駄目だ、これではもう店内には居られない、と思い雨の中自転車を漕ぎ出して帰路に着いた。

しかし相変わらず天気は悪い、何度か通り道の店に寄って雨宿りしつつ、という道のりになり、途中中古ゲームソフトの店では攻略本の古本などを立ち読みしつつ長時間過ごし外は真っ暗になってしまった。
もう濡れるのは諦めて自転車を飛ばしつつ大きな橋の上に差し掛かった時、何か違和感を感じた…何だ?

違和感は背後からだった、雨のせいでアスファルトは濡れている、自転車を飛ばせば地面はシャバシャバと微かな音を立てる、でも自分の音だけじゃなくどうやら背後からもう一つ聞こえる。
自分の後をもう一台自転車が走って来ているようだ、それだけの事なら別段不思議な事ではない、でも何故か私は急ブレーキを踏んで振り返った、そしてすぐ後ろに見えたのは…

私の急ブレーキに反応しきれずバランスを崩したのか自転車から転げ落ちそうになっている巨体の男、だった。

目の前で何が起きているのか一瞬分からなかった。
あの書店を出てからもう2時間以上は経っている、寄り道している間に書店で遭遇した痴漢の事をさっきまではもう半分忘れかけていた位だ。
(何故「後ろを誰かが走っているらしい」というだけで違和感を感じたのかは思い出せない、虫の知らせの類なのかそれともただ単に「近い割に追い越す様子も無い自転車の音」が変だと思っただけなのか、相手の尾行が下手だったのが幸いだったのだろう)

その後死に物狂いで自転車を飛ばして自宅に帰りつき振り返ると誰もいなかった、助かった、らしい。
(ちなみに途中に警察署もあったのだが思いっきり素通りしてしまった;咄嗟の判断力なんてそんなモンらしい)

あのまま気付かなかったらどうなっていたのか;自宅を突き止める気だったのか人気の無い場所で襲い掛かるつもりだったのか、何時間も付き纏われていて全く気付かなかった事への自己嫌悪もあって家に入ってからもしばらく呆然としていた。


…以上が「中学生の頃書店で遭遇した痴漢」の記憶である。

こっから先の話はこの記憶と関係があるのか無いのかは不明な話。

それから十五年程経ち、私は30前後の年齢になっていたと思う、多分仕事が早く終わったとかそんな理由でまたこの書店に立ち寄っていた(多分この時に探してた本は…やっぱりダイエット関係だったかと;)
本をぱらぱらめくっていると視界の端に何か違和感のある人物をとらえた。
たまたま視界の隅っこに入っただけで気になる客、何か挙動がおかしい、ウロウロと店内を歩きながら棚の本を見ていない、寧ろ客を物色しているような…上手く言えないが「その人物の動きが不自然」だと感じて何となく顔を上げた。

そこにいたのは奇妙な程だらしない印象の中年男性だった。
丸々とした巨体でのびきったようなTシャツを着て、禿げ上がった頭のてっぺんから少ない髪がだらりと長く顔に落ちている。
覇気の無い独特のたるんだ顔つきとその風体からぱっと見の印象は「中年男性」だが実際はそれ程の年齢でもないのかもしれない。
その男性は遠くの棚にあった雑誌を広げつつ中身を見る様子も無くこちらへにじり寄って来る所だった。
顔を上げた私と相手は正面から目が合った、相手は一瞬固まると数歩後ずさりし、そのまま去っていった。

今の人はひょっとして痴漢じゃないのか?それにしても本屋ってのはよく出るなぁ…などと思いながら店を出た。
(私は通勤に電車を使う事は無いし乗った所で電車がギュウギュウ詰めの満員という事も滅多に無い、私が痴漢に遭遇した場所は九割方本屋だ)
帰り道、自転車を漕ぎながらそういえば、と15年程前に同じ書店で出くわした痴漢の事を思い出した、同じ店で遭遇しちゃったなぁ…まぁ今日の人が痴漢かどうかは確証は無いけど…と、考えた時にふとある考えがよぎった。

15年前の高校生の顔は覚えていないが印象に残ったあの体格。
先程のあの男性の体格と露骨に不審な挙動。
…印象が似ている、年齢も当時17~8として今なら30代だし…十数年間あの店を狩場にああいう事を続けていたとか…あり得なくはないか?
いや;たまたま同じ店で似た印象の不審者に会った、それだけの事かもしれないが。

オチも何も無い、それだけの思い出である。
今はもうその書店は無い。

2007若僧の夏(後編)

2007-08-16 10:19:22 | その他のエッセイ
明るい居間に挨拶しながら入ると奥さんが迎えてくれた、数年ぶりに会った彼女を見て一瞬固まった。
話には聞いていたが別人のように老け込んでいた;そこには緩慢な動作で動く痩せたお婆さんがいた、あの独特の艶も無かった。
えっ、、?この人今幾つだったっけ?(後で母に確認したら70ちょい位らしい)

何時もの様に旅館用の湯飲みにお茶を注いでくれ、茶うけにと自家製の茄子の漬物を出してくれた。
これから昼食会なのであまり食べる訳にも行かないな、と思いながら母と一緒に一つつまんだ。
「茄子、、しょっぱい?」
奥さんは小さな声で私達に聞いた、しょっぱくはない、むしろさっぱりとした薄味だった、母は
「しょっぱくないわ、美味しい」と笑って答えた、私も「美味しいです」と言った。
彼女は私の湯飲みにお茶を注ぎ足すとまた
「茄子、しょっぱい?」
と、力の無い声で言った、ん?と思ったが母はまた「しょっぱくないわ、お醤油がかかってて丁度良い位よ、美味しい」と何事も無いように答えた。
彼女は分かったのか分からないのかまた数秒後に
「茄子、今朝取ってきて漬けたの、しょっぱい?」と虚ろな声で言う、母はまた「しょっぱくないわ」と答えた。

そういえば以前そんな話を聞いていた、同じ用事で何度も電話を掛けて来たりするようになったとか何とか、それが外見の変化に繋がっていたのかもしれない。

部屋のガラス張りの向こうには山の斜面が見える、強い夏の日差しと濃い山の緑が攻撃的な程強い色で揺れている、山の夏は町よりも自己主張が強いように見える、盆だ!夏だ!と叫んでいる。
力無く痩せた彼女の後ろには今までも、そしてこれからも毎年変わらずに輝くであろう夏の緑が見える、胸の中がずっしりと重くなる、木々が羨ましくも思えた。

毎年の緑が変わらないように見えても斜面を覆う草は人間よりも遥かに早いサイクルで枯れては入れ替わっている筈なのだけれど;

彼女は茶を啜る私をまじまじと見て
「おねえちゃん、本当に綺麗になったね」と弱弱しい声で言った。
この人にこんな事を言われるのは珍しいなと思いつつ「いえいえとんでもない;」
と返す、母は「まぁ、、目が悪くなられたんじゃありませんの?」と余計な事を言いつつ笑った。
彼女は先刻よりも力強い声で
「ううん、綺麗になった」
と、繰り返す、無論悪い気はしない、少し気持ちが浮上する、リップサービスの類ではあろうが100%世辞でもないように思えた。

その後参加した食事会の席は殆ど結婚式の様相だったが明らかに違うのは招待客も新郎新婦も部屋着で来ている所か、Tシャツやサンダルでシャンパングラスを持ち、乾杯している姿は不思議だった、ここの一族は皆どっかちぐはぐなのだ。

皆が中々集まらないので(大人数いるのにどこの家も皆見事に遅刻魔揃いなのだ;法事でも何でもいつも時間通りには始まらない)母の化粧直しに付いていった。

ここのパウダールームのライトは明る過ぎず、やや赤みがかっている、良い感じだ、キャバレーやクラブのライティングに少し似ている、真っ白い蛍光灯などと違い、肌のくすみなどが見えにくくなる色らしい、この所やけに気になるシミだのソバカスだのがみえにくいライティングだった、隣で口紅を引き直す母もキレイに映って見える。
母が自分の持っていた濃いブラウンのアイラインを貸してくれた、引いてみると目元がハッキリする、うん、悪くない、母の友人が取り扱ってる商品だと言うので買う事にする。

先刻伯母さんが言った言葉を思い出した。

『綺麗になったね』

まるで年頃の娘に掛けるような言葉だったなと思う。

私が夏の緑を見て抱いた物悲しさを伯母さんは30幾つ年の違う私を見て感じたのかもしれないと思った。

猛スピードで過ぎて行き無くしてしまう時間の中で母や伯母が貴重だと羨む自分の「若さ」を思った。


そんな2007年の盆。



2007若僧の夏(前編)

2007-08-15 19:57:04 | その他のエッセイ
8月の初めのある日、仕事が暇になったので少し早めに帰宅すると居間で母がテレビを見ていた、夏の特別番組で「70年代、青春のグループサウンズ」
タイガースとかブルーコメッツとか、どれも聞いた事のある曲だな、と思いながら私は横でパソコンを点けた。
いつもは火サスを見ていても時代劇を見ていてもふと様子を見ると座椅子で口を開けて寝ているような母が珍しく夢中で見ている。
見終わるとにこにこしながら
「懐かしいわぁ、セイシュン時代よねぇ、、若い時代ってのは大事よ?アンタも若い季節を無駄に過ごしちゃだめよ?」
と言う。
少し考えてから答える。
「でもさぁ?どうすれば無駄にしなかった事になるんだかそれが判らないんだよ」
「、、そーねぇ、、みーんなそう思いながら生きてるもんよね」

お金を無駄遣いしない、ならわかる、節約してなるべく使わないようにすれば減らなくなる、でも時間はどう過ごしても猛スピードで減ってゆく、無駄遣いせずに取って置く方法は無いのだから。

この所母はどんどん痩せて来た。
明るい所で見ると本当に年を取ったと思う、もう還暦、晩年を迎えているのだ。
私は生まれて36回目の夏、恐らくは晩年「若かったあの時代」として思い出すであろう時間を意識の底では焦りながらも目的も理由も見つからないまま相変わらずぼんやりと生きている。
この所ますます時計の回りが速い、仕事机に向かっていてふと顔を上げれば陽は落ちていて一日はお終いに近づいている、眠りが浅いまま明け方にふと目覚めては「ああもう金曜日か」と寝ボケたアタマで思う。
パソコンの前につい何時間も向かうこの時間も恐らくは無駄の類だろうか。

どうやって生きよう、何の為に生きようとぐるぐるといつまでも右往左往する私の夏。



2007年8月14日
殆ど付き合いも無く顔も思い出せない父方の従姉弟が再婚で貰った嫁さんのお披露目食事会とやらに数年ぶりの墓参りついでに一家で出掛けた。

田舎を訪れたらまず一族の長に当たる伯父の家に顔を出すのが恒例になっている。

伯父は土建会社の社長で大きな家に住んでいる、地下室の勝手口から入り、何年も全く使われていないらしい薄暗い会議室やもう何年も前から病院で寝たきりの祖母が昔使っていた空き部屋の横を突っ切って玄関に上がる、トナカイの首やら私の背より遥かにデカイ中国の壺やら古くて巨大な柱時計やら鳥やコブラの剥製やら日本刀やらどっかから寄贈されたらしいデカイ日本画やらトラの敷き皮やらと「いかにも」な物品がギッシリと並ぶ、私の部屋よりも広そうな玄関だ。

遊戯室や鎧武者が床の間から室内を睨んでいる和室やホームバーなど十数部屋が並ぶこの広い家には今伯父と奥さんしか住んでいないらしく、殆どが生活感の無い空き部屋となっている。

挨拶の為に集まるのは玄関からすぐの広い居間だ。
ガラス張り部分が多いので冬は深い雪の白さが、夏は日差しが通ってきて明るい。
飾り暖炉回りには置時計がギッシリと並んでいる、立場上こういう物が取引先などから集まって来るのだろう、数十個の置時計は一斉に同じ時刻を指している。
家の作りや家具はいかにも豪華なのにホームバーは物置になっていて洗濯籠やガムテープが並び、真鍮の棚にダルマが置いてある、そんな所も「いかにも」だなと思う。
雑然と面白い物が並んでいる光景が私は嫌いではなく、十代の頃は大人同士の長話に退屈してた事もあり、よくウロウロと「探検」したものだった。

ここの奥さんは後妻だ。
ひと目で只者でないと分かる雰囲気の人で所謂「お水」の香りのするタイプの女性だった。
初めて会った時点で既に大年増と言われる年齢だったがどこか雰囲気が艶っぽく、彼女の娘さんやお孫さんも含めてほんの少し苦手意識があった。
いや、苦手という程ではないが皆小洒落ていて、したたかそうで、人種が違い過ぎて接点の持てないタイプに見えた、まだ20代前半の頃、当時6~7歳位だった彼女の孫娘を見た事がある、いかにも将来派手目の美人になりそうな子だった。
子供がいたので声をかけた私にはちらっと億劫そうに一瞥しただけで返事もしなかった;他の小母さん方に構われるのも面倒そうにしていて。

その代わりに彼女が関心を向けたのは当時高校卒業を控えた私の弟だった。

当時の弟は親戚に会う度に「モデルさんみたいね」「役者さんみたいになったわね」と褒められていた。
彼女は弟に纏わり付き「ねぇ~おニンニ、遊ぼv」と、鼻にかかった声を出していた(「おニンニ」は無論「お兄ちゃん」の意味であろう;)
このいかにも子供?な舌足らずな話し方は、、演技、だよな;先刻までと明らかに口調が違うし、と思った;

幼稚園の頃にも小学校の頃にもそういえばクラスにこんな女の子がいたような気がする、そして私はいつもそういうタイプの子とはまるで親しくなれなかったっけ。

しかし弟はといえば子供と動物に興味が0の男、雑誌から目を離さずに退屈そうにしていたのでやがて彼女も諦めて部屋を出て行った。

あれからもう十数年経つ、あれから会う事も無かったが多分彼女の母に似たタイプの女性になっている事だろう。

夏のかほり

2007-06-14 23:16:15 | その他のエッセイ
季節が巡るたびに何故かいつもヘコんで暮らすのが私の習性。
冬が春になっても春が夏になっても夏が秋になっても(秋が冬になるのには何故かさして抵抗がないが;)

単に一年が巡る事で年を取る事への抵抗感なのやら、或いは子供の頃のように季節ごとに変わる地面の花や虫や暑さで溶けるアスファルトや尖った硬いツララやらをしっかりと実感するヒマもなく去って消えてゆく「季節」への勿体無さや寂しさなのかとにかくクヨクヨして過ごす;

特に毎年桜の蕾がふくらんで咲いて散るまでのヘコみようは自分でも異様だと思う程だった。

(花に関しては過去記事「お花の思い出」でもグダグダ言ってますが、、;)
http://blog.goo.ne.jp/aomaru05/e/c77d96f7aa54adf3fcad0e3e5499625b


しかし今年は何故だか桜に対しての哀しみのような感情は薄く、その感情は寧ろ花が散った後の緑、眩い新緑に移っていた、理由は、、よく分からない。

自宅と仕事場の近辺は結構緑が多い、多い事には今年改めて気付いたような気がする、何故だろう?
徒歩出勤になったから、あたりが理由だろうか?

今年の初めに咳喘息を患い
(、、、正確には咳が止まらない風邪を引いて近所の内科に行った所喘息の怖れアリと言われ、ステロイドの大量点滴やホルクリンテープ、さらにはステロイド吸入薬、しまいには発作止めの気管支拡張剤などどんどんと強い喘息の治療をされるも何故か治るどころか薬を吸い込む度に咳き込み、ところかまわず滝のように嘔吐する程咳が悪化しこりゃヤバイと大学病院へ行った所全く喘息の症状は無いので喘息用の薬はすぐに止めるよう言われ、止めてひたすら自宅で寝てたらようやく社会復帰出来たっつーお話です、私が死に掛けたのは薬のせいだったらしい;エライ目に遭った、通勤途中にあって若くて美人の医者だったがもう二度と行かん#)
自転車を漕ぐと咳き込んだり吐いたりするようになったので仕方なく徒歩出勤に切り替え、現在はほぼ(あくまで「ほぼ」;)回復しているものの美容と健康の為に今も歩いている。

毎日歩いていると暑さも寒さも涼しさも実感しやすくなるようだ。

緑が美しいのは五月だと言われている事は知っていたが今までは何となく
緑=夏 のイメージを抱いていた。
桜を初めとする儚い花達に比べて緑は強く、そしてその命はウンザリする程長い物だと何となく思っていた、桜が散った春の頃から目立ち始め、夏中活き続け9月頃まで、紅葉の季節と呼ばれる直前までは「葉っぱ」達は飽きもせずさして変わらぬ緑色でいる物だと。

どうやら違ったらしいと初めて気付いた。
毎年毎年30数年間も見ていた筈なんだけどなー;

桜が散った後の柔らかい陽を透かすエメラルドグリーンの迫力には何度も足を止めた、仕事場の窓から見える沢山の巨大な木の圧倒するように萌え立つエメラルドは満開の桜に負けない程儚く、哀しかった。
成程、確かに緑は五月なんだ。

「秋が来るまで変わらない」筈だったエメラルドは六月にはもう終わっていた;

眩しいエメラルドグリーンは瞬く間に重たそうなビリジアングリーンになり、所々暑い日差しに疲れたように枯れてへたっている、夜でも分かる位だ。

遠目にこそたっぷりと生い茂っているけれど五月の黄緑とはもう無縁、丁度、、新緑が羽衣のような肌とさらさらの髪の十、、三、四才の乙女ならビリジアングリーンはキレイに伸びたファンデーションの下からうっすらと小皺の見えるおねーさんのような感じか。
しかしまぁ、空がグレーに見える梅雨の空気には多分この色で、合う。


しかし六月には疲れ始める緑に気付かずに何故夏=緑の印象を持っていたんだろうと思ったけど、、

先日、暑い日に歩いてて気付いた。
「匂い」だ。

熟れ切った果物が甘い匂いを充満させるように湿った夏の空気が暑さに熟れ切った懐かしいような甘酸っぱいような濃い緑の香りを空気中に充満させるからだ。
「香り」のイメージは強烈なんだな。

花が散った後も美しい、緑が疲れて香っても懐かしい、それならいつか私にも
秋も真冬も美しく感じる日が来るだろうか?











友情ホケン?

2007-06-05 02:19:56 | その他のエッセイ
かなり昔、婦人雑誌の投稿欄で見かけた女友達同士のトラブル話でこんなフレーズが使われていた。
「女の友情って保険みたいな物だから」
割とよく聞く言葉だ。
保険とはいつか「何事かが起こった時」の為に日々掛け金を支払うシステムの事。

その投稿はこんな話だった。

『私の友人はとにかく恋愛関係の愚痴が多い女性で男性とのトラブルがあると毎晩のように電話をかけて来ては長時間泣いてくどく人だった、内心ウンザリしていたがまぁ女の友情ってのは保険みたいな所があるからと我慢して聞いていた。
ある日今度は私が失恋して落ち込む事になり、彼女に電話をした、あれ程色恋沙汰で傷ついていた彼女なら相談に乗ってくれるに違いないと思って。
しかし恋愛中だった彼女の返答は
「ふーん、あっそう、ところで聞いてよ!私のカレったらさぁ、、、」
というもの、それっきり彼女とは縁を切った』


、、このケースだと絶縁する事になった直接の原因は「友人の愚痴っぽい性格」というよりもこの友人関係が「我慢して積んだ掛け金が一円たりとも返って来ないシステムらしい事」を知った事、になるのだろうか??


まぁ、、女同士に限らず、友人関係に限らずWスタンダードは特に人様に嫌われる元なのだろうが;
、、それともそもそも友人との付き合いに苦痛が伴っていた事が大元の原因か;苦痛でなければ「掛け金」っつー認識にはならんだろう;

最近あるブログで読んだ内容でこんなのがあった。

『自分が相手に甘えたい人、多くを許して欲しい人程人間関係において不必要に我慢をしてしまう事がある、その結果相手の要求が理不尽にエスカレートしてしまっても耐えて受け入れて「これだけ受け入れたんだから次は私の事も許容してね」と自分が甘えられる番をじっと待ち続けるが多くの場合自分の番など回っては来ない。永久に許す側、耐える側に居続ける羽目になるだけだ』と;

ん;まぁ、、そうなんだろう。
相手の我慢を理解している人やその手の許容をを対等の権利と思う人ならば相手に対して度を越して払わせたりはしない筈なのだし;

ちょっと違う話しでこっちは2chで拾った話。

『友人に自分の持っているCDを貸して欲しいと頼まれた、友人の自宅はアルバイトに行く通り道にあったのでついでだからと届けてあげた、それからもCDを貸してと言われる度にバイトついでに家に届けていたが、アルバイトの期間も終わった頃にまた貸してくれと電話で言われたので「じゃあ今度会う時にでも持ってくよ」と答えると「はぁ?何で持って来ないのよ!」と友人はキレた、呆れて絶縁した』

、、親切でしていた事が相手にとって「受けられて当然のサービス」になっちゃってたのね;
(10代の頃に似たような経験があったのを思い出したぞ;相手が何かのチケットを欲しいとゆっていてたまたま私が持ってたので譲ると言ったら自転車で30分はかかる場所に持って来いと言われた、面倒だったので電話口ぐずってたら相手激怒;結局持っていったら相手が待ち合わせに大幅に遅刻してヘラヘラ現れたという;持って来いとキレられた時点で絶縁宣言したこの人と私じゃ肝のサイズが段違いだが、、;;;)


何でも快く許してくれる相手にきちんと感謝し続ける事って、、人間にとって案外と難しい事なのかな?
「困ったときはお互い様」だけど自分の中の不快の声も誤魔化したり無理をしたりし過ぎない事もまた大切なのだろう。

(何か何を書こうとしたのやら纏まらなくなっちゃったなや;;)


振り込め詐欺師の逆切れに

2007-02-22 16:29:30 | その他のエッセイ
結構前の話だが定期巡回しているあるニュースサイトに貼られていた動画。
内容はTVの報道番組か何かと思われる振り込め詐欺グループの一人と名乗る男性のインタビュー、例によって顔にはモザイク、音声は変えられていて声は甲高くなっていた。

口調は喧嘩腰の弁解、、というか必死の逆切れ口調で話の内容はひたすら自分の仕事(要するに振り込め詐欺)を正当化するものだった。

「我々が行っているのは規模は違えどライブドア事件などと同じ、言わば経済犯罪に当たる訳ですよね!」
「こういう事件に遭遇する事によって家族にとって話し合いをするきっかけになったりするでしょう!?」

、、、『経済犯罪』ね。
私はライブドア事件にしてもどういう事件なのやらよう分かっていないような人間だからこの台詞の意味は正確には解らない。
でも何故インタビューを受けているコイツが余裕の無い逆切れ口調なのかは解る。

自分で本気で「そう」思っていないから必死の喧嘩腰なんだよな。

少なくとも彼の価値基準では自分のしている犯罪よりもライブドアの「経済犯罪」とやらの方が上でカッコイイ高尚な犯罪でそういう高尚な方の仲間なんだと認めろと、俺を見下してるんだろう、見下すな!と、「自分達振り込め詐欺師を卑劣だと見下しているに違いない一般人」に向けてそう喚きたいらしい。

詐欺師のみみっちいプライドなんか知った事か馬鹿馬鹿しい;

悪人なりに「自分のしている事を自覚し引き受ける」事すら出来ないならそれは単に2重3重に呆れた屑だってだけでしょう??
自分の成している事を卑劣で下等だと見下される事すら不当だと喚きたてる甘ったれだってだけでしょう?

「規模は違えどライブドア事件と同じ」「我々の行為は所謂経済犯罪に該当する」「マネーロンダリング」「普段会話の無い家族のコミュニケーションの手伝い」とぺらぺらと小賢しく並べ立てられる言葉はきっとあれじゃないかな;
詐欺グループに入った時の新人研修みたいなので憶えた言葉か何か?
(出版詐欺とか男性向けカツラ業界とかもそうらしいけど新入社員を小奇麗な言葉で洗脳するらしいし)


ワイドショーやニュース番組や、時には2ch系ニュースサイトなんかでよく見る詐欺師とそれを既に見抜いた側とのやり取りでは詐欺師さんは最後に必ず切れる。

あっそう、そうですか、払わなくて結構です、貴方の会社に取り立てに行きますからどうか楽しみにしていてください。
てめぇ、家にこれから行くぞ、ぶっ殺すぞ、ふざけやがって、バカにしてんのか。


、、何キレてんの?

犯罪をやってる癖に被害者に「バカにされたくない」んだ?
そんな程度のリスクも当たり前だと思ってないんだ?
(そもそも言われる、思われるだけならタダだし逮捕でもされなきゃリスクですらないようなモンじゃないか;)

私が詐欺師だったら「この相手は既に自分が詐欺師だと見抜いている」「コイツから金は取れそうにない」と解ったら後は無駄な労力でしかないので「すみやかに電話を切る」という選択しかしないけどな;
自分の成している事が「犯罪」なら人が軽蔑するのは当たり前だし分かり切っている事だ。


いたいけな老人を騙して財産を奪ったあげく「家族の話し合いのきっかけになった筈」??
「家族の会話」の為に「虎の子の財産を犯罪者に騙し取られる」っつーリスクを当然みたいに言っておいて「世間様に軽蔑される」程度のリスクを不当だと喚き立てるって、、ドコまで自己中なんだか、、;;



外国での少女買春の報道でも似たような男を見た事がある。

同じくモザイク、音声変更でのインタビューを受けていたのは外国で少女(子供)を買っているという日本人男性で甲高い逆切れ口調は先程の詐欺師にソックリ。

「みんな好みがあるでしょう!!年上の女が好き!年下が好き!日本人が好き!白人が好き!それと全く同じなんですよ!ただ子供が好きって言ってるだけなんです!自由でしょう!」

、、はい。
それは勿論自由であるべきだと思います、が、その理屈で護られるのはあくまで
「そういう性嗜好を持つ権利」であって「子供とsexをする権利」じゃありません;
そして貴方が責められているのはそういう嗜好を持っているから、ではなく子供を買っているから、ですので話をずらさないで下さい;



こういう人達ってどうして加害者の癖に被害者意識だけがこんなに肥大化してるのやら見ていて不思議で仕方が無い。