「風と木の詩」というタイトルの「風」と「木」は言わずもがな「ジルベールとセルジュ」であり「詩(うた)」は物語冒頭で語られる通り、風がこずえを鳴らすざわめき。
双方が奔放な風にはなり得ず。双方が大地に根を下ろすこずえにもなり得ないからこそ、激しくぶつかり合って奏でた戦いの音。
互いが風でも互いが梢でも音は奏でない。
異質だからこそ惹かれ合い、同じ強さや誇り高さを持つ故に、理解し合えないまま「共鳴」の音を奏でる。
恋とは時にそういう残酷なものだ、という意味を含んでいるのだと思う。
オーギュがジルの実父だと知らされた直後、駆け落ちを決意したセルジュの「このままでは君の将来は滅茶苦茶にされてしまう」「自分の事なんだからちゃんと考えろ」
と、ここに至ってさえ自身の最愛の人に「将来」なんて概念が存在しない事すら理解していない台詞の噛み合わなさは、やたら不吉で。
「セルジュに君は守れない」というジュール(=ジルに対して作中最も正しい判断を下せる人物)の予言を聞くまでもなく、この駆け落ちの先にはすれ違いと破綻が待っていると分かる。
「自我のある者は裏切る」という信念のもとに教育され、愛に依存し、愛する者の命が尽きたら迷わず自分も死ぬ。生きるのはその為だけであるジル。
オーギュにとって「社会性」「自我」なんて生意気な物は穢れであり、裏切りの芽でしかない。だからジルは自分の人生で何を成しどう生きるか、なんて主体性は一切持っていない。
対してセルジュの愛は、オーギュとは違う「人間として至極真っ当な愛」である。
自分のものにしたい、という欲望や独占欲だけでなく、相手の幸福と明るい将来を願い、自分がいなくても強く幸福に生きられるようになって欲しい、自分よりも彼を幸福に出来る相手ならば、時に涙をのんで託す決心も出来る。
それは最初に真っ当な親がむけるべきだった愛。けれどそれは「ジルにとって何が幸福か」を理解していない、という事でもある不幸。
それでも作中で、ジルの「運命の人」と設定されているのは間違いなくセルジュ。
だからセルジュがジルの前に現れた時からオーギュは警戒をし始めるし、二人が並ぶと似合う、絵になると評されるシーンが学院でもパリでも数多く登場する。
寄り添う二人を「綺麗」と称えるセバスチャン。
リリアスというモブ美少年の容姿は「ジルベールの美貌には到底叶わない」とされるのに対し、セルジュは上級生たちに「魅力の双璧」「論じる価値あり」と言われる。
パリの酒場の女性客も「褐色のピアニストと美形のギャルソンが寄り添う瞬間」に眼福し(腐女子か?)
ボナールも凍えた冬の底で身を寄せ合う二人を「絵になっている、きれいな二人」と評する。
ジルを育て、美少年を見慣れてるオーギュすら、腕の傷を見せる為に片肌脱いだセルジュの姿に思わずハッと息を呑む。
その後ジルが見ている事を一瞬遅れて思い出し「わざと甘やかす」演技を再開するも、息を呑んだ瞬間のそれは素の感嘆であり欲情だったと思われる。
(マルセイユでのセルジュへの暴行しながらの残酷な笑みは、憎しみを伴った懲罰行為である反面、ずっとモヤモヤ抱えていた嗜虐的な欲望を果たした男のそれにも見える)
セルジュの魅力はオーギュの策略に煽られてセルジュを憎んでいる真っ最中のジルも認めている。
上級生達にリンチされた後、裸で倒れているセルジュをジルが見下ろすシーンでは、月光に照らされた裸身にキラキラとエフェクトが描かれ(その姿はジルの眼にも眩しい程だ、という意味の表現)オーギュが彼を美しいと評した場面がよぎる。
発作的にジルも衣服を脱ぎ捨て、鏡の前でセルジュと自分を見比べた後、セルジュの裸身に憎しみを込めて鞭を振るう。「自分の目にも美しいと思う」「彼ならば恋敵にもなり得る」という危機感を感じたからだろう。
かつてはそんな風にジルの嫉妬と憎しみを煽ったセルジュの美しさは、マルセイユでの夏休みが明けてからは、別の意味でジルを揺さぶるようになる。
セルジュは成長期を迎え、序盤のクリクリ目の可愛い作画から、ややシャープなイケメン作画に代わり、同学年で一番背が高く、浅黒い肌が一層凛々しさを際立たせていると同級生から羨まれるようになる。
物語序盤はジルが誘惑者としてセルジュをかき乱していたが、夏休み以降はジルの心がセルジュに傾いた事で一転、今度はセルジュが誘惑者となっているのが面白い。
(傾いた、というよりも夏の事件がオーギュとの絆にヒビを入れた事で呪縛が解け、既にセルジュに向かって動き始めていた心の歯車が加速した、という印象。セルジュを同室に受け入れた瞬間から二人の関係性はゆっくりと始まっていた)
ただジルと違ってセルジュの誘惑は無自覚なところが罪深い。
目の前で無防備に着替えるセルジュの姿に悶々とし、何の悪気も無く触れられては跳ね上がる。
かつては面白半分に誘惑し、精神不安定な時は抱いてくれと懇願もした相手なのに、一度友人として認め、尊重し、真剣に惹かれているからこそ、それも出来ない。
この時点でもう心は移っており、オーギュは既に思慕の対象ではなく、幼少期から続いた強烈な依存、逃げたいのに逃げられない呪縛でしかなくなっている。
それでもまだ「アンジェリンとの婚約発表」で揺さぶった直後、セルジュがまだ踏み出せずにいるうちに自ら引き取りにくれば、完全な支配は終わり、解けかけた洗脳と巨大なわだかまりを抱えたままであっても、結局ジルが「考える事」を放棄した可能性もまだあったろうが、とことん「優位な立場から操る事」にこだわった果てに手遅れになる。
駆け引きの為に無関心を装いながら、実際はロスマリネを通じて常に見張られ、陰で人を動かし、自分が望むそれとは違う形で絶対的に執着されている事。
実父である事も隠し、ペットとして育てあげられた事。
身を挺しても自分を守ろうとし、暴行され骨を折られ皮膚を焼かれても自分の身を案じる真っ直ぐな恋人(セルジュ)との時間を、物陰から権力づくで壊そうとする汚い大人。
手の内が全て割れ、手遅れになってから漸く学院にお出ましして、愛されたい帰りたいと望んだ時には散々勿体ぶっておきながら、もう触れられたくない相手に成り下がってからは意に反したセックスを強制されても、ジュールの言う通り「もう全てが遅い」
帰る場所を失いながら生きて来た故に「ホームシック」という感覚が無く、入学早々自分の家のように学院に馴染むセルジュと、オーギュの側に帰る事だけを望み、そこに居場所を作る気が無いから孤独なジル。
物語序盤、最初にジルの誇り高さに惹かれたセルジュが望んだのは「信頼し合う友人になる事」だった。
恐らくはオーギュの干渉がなければ、セルジュは自分の力で真っ直ぐそこに向かっていったと思われる。
そしてオーギュへの思慕は強固なものであろうと「信頼できる友人を持つ」という事が徐々にジルを孤独でなくし、そのまま放っておけば凄くゆっくりとしたペースでそこに居場所を作り、オーギュしかいなかった世界がは広がったろう。
愛を知らなかった白紙の幼子を大人の知恵で支配したオーギュとは違い、正面からぶつかり、嘘の無い形でジルに侵食したセルジュに知られて困る秘密は無い。
心を晒し、真っ直ぐに向き合う、という事の出来ないオーギュはある意味初めから負けている(だからこそ憎いし否定したい)
ジルが同室を受け入れ、オーギュの仕打ちから自傷行為無しで立ち直らせたセルジュをけん制する為に予定外の面会に現れ、ジルの前でわざとセルジュだけをべたべたと甘やかして嫉妬を煽り、ジルが自覚もしない程僅かに築かれ始めていた友情を壊し、上級生をけしかけてセルジュをリンチさせ、学院に居づらくさせたタイミングでパリの音大に推薦し、渡りに船とセルジュが乗ったら二人は完全に引き離せる。
引き離した後はアンジェリンとの話は断り、後は時々親切ごかしにパリに立ち寄り、ジルへの手紙に
「以前おまえと同室だったセルジュはパリで頑張っていたよ。お前も見習いなさい」
とか書いて、自分には会いに来ないのにセルジュには会っている事をほのめかす、という嫉妬用の当て馬にでも使って終了。
…辺りがオーギュの計画だったと思われる。
が、ジルに嫉妬と憎しみをぶつけられてもセルジュの心は折れず、リンチは予想より少々過激化して腕を負傷、リサイタルは失敗。
そして学院に居づらかろうともセルジュは「差し出されたチャンスに飛びついて逃げる」という選択をしない強い少年であり、ジルにどれ程嫌われ、憎まれていようとも自分の情熱は彼に向いていると認め「大切なのは情熱だ」と即答で辞退。
そう、少しも迷わない即答の辞退である。ジルと人生のチャンスを天秤に掛けて「少し考えさせて下さい」とすら言わない。
人間の利己的な部分に付け込んで人を思い通りにして来たオーギュがここで「彼は手ごわい」と感じる。
(そして、セルジュがそういう人間でなければオーギュには勝てず、ジルの運命の人にはなり得なかったろう)
そして、オーギュがマルセイユに引き上げる際の最後の置き土産。
やっと会えたのに飢えと嫉妬に苦しめられ、上級生の間で体を滅茶苦茶にされながらやっと耐えているジル(無論オーギュは全て把握してるだろう)がボロキレのようになって眠っている間に、セルジュにだけ別れを告げて学院を去る。
関係を一層壊す為のこの置き土産爆弾もまた、セルジュの変わらぬ優しさと情熱によって逆に作用し、引き裂くどころか、ここから急速に二人は仲良くなってしまう。
こうしてオーギュ得意の「陰からの画策」はことごとくセルジュの「正面突破」によって逆効果になってゆく。
そして夏休み。彼らをただこのまま二人で置いておけば、遠く離れているオーギュの居場所にセルジュが徐々に侵食しただろう。
ジルは何年も学院で孤独だったからこそ「飢えさせる」事は呪縛の強化につながり、風邪で気管支をやられれば苦しみながら「止めてオーギュ、苦しい」とここに居ない相手に縋る、その心細さもまた強い思慕に繋がるが(こういうトコ、本当にグロテスクな親だと思うよ;)
その手を握って咳を止めてくれる、どんなに突き放しても自分を心配してくれる。
そんな存在が傍にあったら、突き放し飢えさせ続けるのはもう逆効果、放置プレイは今後セルジュの有利にしか働かない。(遠距離恋愛中の恋人が甲斐甲斐しく尽くしてくれる身近な異性に奪われた、なんてよくある事だし)
となればもう、連れ戻すしかない。
(この咳を止めるシーンは、セルジュが今後、ジルの中のオーギュの居場所を侵食してゆく事を象徴している場面だと思う)
「このまま長く続けば、やがて離れがたい絆で結びついたかもしれない、二人だけの夏休み」は強制終了し、二人はマルセイユへ向かう。
二人を引き離すだけならジルだけを連れ戻せば良いものを、オーギュはわざわざセルジュも招待し、彼に自分との関係を見せつけ宣戦布告する。
「君には渡さない」
「他の誰にも代わりは出来ない。私はこの世でただ一人の彼の相手」
と、煽る煽る。
渡さないも何もこの時点でのセルジュはオーギュから奪う気も、友人以上の関係を望む気も無かったのに。
オーギュはその言い草とは裏腹に、彼こそが過去編のラストで自ら予言し、寄宿学校にて、共に青春を過ごす大勢の少年達の中からよもや現れはしないかと警戒し続けた「私から奪い取る者」
親を含む大勢の大人たちから見捨てられていたからこそ手に入れ、支配者となった自分から救い出す「運命の王子」と見做して対峙している。
だからセルジュにはマルセイユに呼びつけた上で「敗北を認め」「自らジルを見捨て」「自分から退場」させたかった。
かつて「御気の毒なオーギュスト坊ちゃま」に同情しながらも、保身の為に助けなかった老執事。
彼はその事を気に病み、ヨヨヨと泣きながらも「ジルベールを私の支配から救い出し、自分の孫として育てるというなら止めないぞ」と言われれば、結局「いや、私は使用人に過ぎないので…」と逃げを打ち、大きなリスクを冒してまではどちらにも関わらなかった。
(「今度こそ過ちは繰り返さない、救えなかったオーギュ坊ちゃまの償いの為にもジルベール坊ちゃまを救う」と言う返答をするなら、それもまたオーギュの救いになり得たんだろうけど、そうしない事も分かってるんだよね。この老人は罪悪感を抱いているようでいて、例え時が遡り、オーギュスト少年が引き取られた日に戻れたとしてもやはり保身の為に同じ選択をする人間)
自称親友どのも同じ。オーギュの教育がまずいと知りながら、自分の利益を優先して幼いジルを見捨てて行った。
自分がジルの「世界そのもの」になれたのは「どんな思惑が元であろうと、自分が初めてちゃんと関わった人間だから」だと理解している。
だからセルジュには彼らと同じように、自分の人生を優先させ、ジルを見捨てて立ち去るべきだと考えた。
大人の知恵で支配した自分と違い、真っ直ぐ向き合い、戦い、同じ青春の時を過ごし、そして自分の利益よりもジルを選び、迷わず手を取れる人間。
そんな者は居てはいけない。お前も自分を守る為に見捨てて去れ、お前は王子じゃない。そんな者は居ないのだと自ら証明し、私とジルベールの人生から消えろ、と。
「正統なる王子様」を怖れ、慌てて引き離したという屈辱、敗北感を払拭する為に。
双方が奔放な風にはなり得ず。双方が大地に根を下ろすこずえにもなり得ないからこそ、激しくぶつかり合って奏でた戦いの音。
互いが風でも互いが梢でも音は奏でない。
異質だからこそ惹かれ合い、同じ強さや誇り高さを持つ故に、理解し合えないまま「共鳴」の音を奏でる。
恋とは時にそういう残酷なものだ、という意味を含んでいるのだと思う。
オーギュがジルの実父だと知らされた直後、駆け落ちを決意したセルジュの「このままでは君の将来は滅茶苦茶にされてしまう」「自分の事なんだからちゃんと考えろ」
と、ここに至ってさえ自身の最愛の人に「将来」なんて概念が存在しない事すら理解していない台詞の噛み合わなさは、やたら不吉で。
「セルジュに君は守れない」というジュール(=ジルに対して作中最も正しい判断を下せる人物)の予言を聞くまでもなく、この駆け落ちの先にはすれ違いと破綻が待っていると分かる。
「自我のある者は裏切る」という信念のもとに教育され、愛に依存し、愛する者の命が尽きたら迷わず自分も死ぬ。生きるのはその為だけであるジル。
オーギュにとって「社会性」「自我」なんて生意気な物は穢れであり、裏切りの芽でしかない。だからジルは自分の人生で何を成しどう生きるか、なんて主体性は一切持っていない。
対してセルジュの愛は、オーギュとは違う「人間として至極真っ当な愛」である。
自分のものにしたい、という欲望や独占欲だけでなく、相手の幸福と明るい将来を願い、自分がいなくても強く幸福に生きられるようになって欲しい、自分よりも彼を幸福に出来る相手ならば、時に涙をのんで託す決心も出来る。
それは最初に真っ当な親がむけるべきだった愛。けれどそれは「ジルにとって何が幸福か」を理解していない、という事でもある不幸。
それでも作中で、ジルの「運命の人」と設定されているのは間違いなくセルジュ。
だからセルジュがジルの前に現れた時からオーギュは警戒をし始めるし、二人が並ぶと似合う、絵になると評されるシーンが学院でもパリでも数多く登場する。
寄り添う二人を「綺麗」と称えるセバスチャン。
リリアスというモブ美少年の容姿は「ジルベールの美貌には到底叶わない」とされるのに対し、セルジュは上級生たちに「魅力の双璧」「論じる価値あり」と言われる。
パリの酒場の女性客も「褐色のピアニストと美形のギャルソンが寄り添う瞬間」に眼福し(腐女子か?)
ボナールも凍えた冬の底で身を寄せ合う二人を「絵になっている、きれいな二人」と評する。
ジルを育て、美少年を見慣れてるオーギュすら、腕の傷を見せる為に片肌脱いだセルジュの姿に思わずハッと息を呑む。
その後ジルが見ている事を一瞬遅れて思い出し「わざと甘やかす」演技を再開するも、息を呑んだ瞬間のそれは素の感嘆であり欲情だったと思われる。
(マルセイユでのセルジュへの暴行しながらの残酷な笑みは、憎しみを伴った懲罰行為である反面、ずっとモヤモヤ抱えていた嗜虐的な欲望を果たした男のそれにも見える)
セルジュの魅力はオーギュの策略に煽られてセルジュを憎んでいる真っ最中のジルも認めている。
上級生達にリンチされた後、裸で倒れているセルジュをジルが見下ろすシーンでは、月光に照らされた裸身にキラキラとエフェクトが描かれ(その姿はジルの眼にも眩しい程だ、という意味の表現)オーギュが彼を美しいと評した場面がよぎる。
発作的にジルも衣服を脱ぎ捨て、鏡の前でセルジュと自分を見比べた後、セルジュの裸身に憎しみを込めて鞭を振るう。「自分の目にも美しいと思う」「彼ならば恋敵にもなり得る」という危機感を感じたからだろう。
かつてはそんな風にジルの嫉妬と憎しみを煽ったセルジュの美しさは、マルセイユでの夏休みが明けてからは、別の意味でジルを揺さぶるようになる。
セルジュは成長期を迎え、序盤のクリクリ目の可愛い作画から、ややシャープなイケメン作画に代わり、同学年で一番背が高く、浅黒い肌が一層凛々しさを際立たせていると同級生から羨まれるようになる。
物語序盤はジルが誘惑者としてセルジュをかき乱していたが、夏休み以降はジルの心がセルジュに傾いた事で一転、今度はセルジュが誘惑者となっているのが面白い。
(傾いた、というよりも夏の事件がオーギュとの絆にヒビを入れた事で呪縛が解け、既にセルジュに向かって動き始めていた心の歯車が加速した、という印象。セルジュを同室に受け入れた瞬間から二人の関係性はゆっくりと始まっていた)
ただジルと違ってセルジュの誘惑は無自覚なところが罪深い。
目の前で無防備に着替えるセルジュの姿に悶々とし、何の悪気も無く触れられては跳ね上がる。
かつては面白半分に誘惑し、精神不安定な時は抱いてくれと懇願もした相手なのに、一度友人として認め、尊重し、真剣に惹かれているからこそ、それも出来ない。
この時点でもう心は移っており、オーギュは既に思慕の対象ではなく、幼少期から続いた強烈な依存、逃げたいのに逃げられない呪縛でしかなくなっている。
それでもまだ「アンジェリンとの婚約発表」で揺さぶった直後、セルジュがまだ踏み出せずにいるうちに自ら引き取りにくれば、完全な支配は終わり、解けかけた洗脳と巨大なわだかまりを抱えたままであっても、結局ジルが「考える事」を放棄した可能性もまだあったろうが、とことん「優位な立場から操る事」にこだわった果てに手遅れになる。
駆け引きの為に無関心を装いながら、実際はロスマリネを通じて常に見張られ、陰で人を動かし、自分が望むそれとは違う形で絶対的に執着されている事。
実父である事も隠し、ペットとして育てあげられた事。
身を挺しても自分を守ろうとし、暴行され骨を折られ皮膚を焼かれても自分の身を案じる真っ直ぐな恋人(セルジュ)との時間を、物陰から権力づくで壊そうとする汚い大人。
手の内が全て割れ、手遅れになってから漸く学院にお出ましして、愛されたい帰りたいと望んだ時には散々勿体ぶっておきながら、もう触れられたくない相手に成り下がってからは意に反したセックスを強制されても、ジュールの言う通り「もう全てが遅い」
帰る場所を失いながら生きて来た故に「ホームシック」という感覚が無く、入学早々自分の家のように学院に馴染むセルジュと、オーギュの側に帰る事だけを望み、そこに居場所を作る気が無いから孤独なジル。
物語序盤、最初にジルの誇り高さに惹かれたセルジュが望んだのは「信頼し合う友人になる事」だった。
恐らくはオーギュの干渉がなければ、セルジュは自分の力で真っ直ぐそこに向かっていったと思われる。
そしてオーギュへの思慕は強固なものであろうと「信頼できる友人を持つ」という事が徐々にジルを孤独でなくし、そのまま放っておけば凄くゆっくりとしたペースでそこに居場所を作り、オーギュしかいなかった世界がは広がったろう。
愛を知らなかった白紙の幼子を大人の知恵で支配したオーギュとは違い、正面からぶつかり、嘘の無い形でジルに侵食したセルジュに知られて困る秘密は無い。
心を晒し、真っ直ぐに向き合う、という事の出来ないオーギュはある意味初めから負けている(だからこそ憎いし否定したい)
ジルが同室を受け入れ、オーギュの仕打ちから自傷行為無しで立ち直らせたセルジュをけん制する為に予定外の面会に現れ、ジルの前でわざとセルジュだけをべたべたと甘やかして嫉妬を煽り、ジルが自覚もしない程僅かに築かれ始めていた友情を壊し、上級生をけしかけてセルジュをリンチさせ、学院に居づらくさせたタイミングでパリの音大に推薦し、渡りに船とセルジュが乗ったら二人は完全に引き離せる。
引き離した後はアンジェリンとの話は断り、後は時々親切ごかしにパリに立ち寄り、ジルへの手紙に
「以前おまえと同室だったセルジュはパリで頑張っていたよ。お前も見習いなさい」
とか書いて、自分には会いに来ないのにセルジュには会っている事をほのめかす、という嫉妬用の当て馬にでも使って終了。
…辺りがオーギュの計画だったと思われる。
が、ジルに嫉妬と憎しみをぶつけられてもセルジュの心は折れず、リンチは予想より少々過激化して腕を負傷、リサイタルは失敗。
そして学院に居づらかろうともセルジュは「差し出されたチャンスに飛びついて逃げる」という選択をしない強い少年であり、ジルにどれ程嫌われ、憎まれていようとも自分の情熱は彼に向いていると認め「大切なのは情熱だ」と即答で辞退。
そう、少しも迷わない即答の辞退である。ジルと人生のチャンスを天秤に掛けて「少し考えさせて下さい」とすら言わない。
人間の利己的な部分に付け込んで人を思い通りにして来たオーギュがここで「彼は手ごわい」と感じる。
(そして、セルジュがそういう人間でなければオーギュには勝てず、ジルの運命の人にはなり得なかったろう)
そして、オーギュがマルセイユに引き上げる際の最後の置き土産。
やっと会えたのに飢えと嫉妬に苦しめられ、上級生の間で体を滅茶苦茶にされながらやっと耐えているジル(無論オーギュは全て把握してるだろう)がボロキレのようになって眠っている間に、セルジュにだけ別れを告げて学院を去る。
関係を一層壊す為のこの置き土産爆弾もまた、セルジュの変わらぬ優しさと情熱によって逆に作用し、引き裂くどころか、ここから急速に二人は仲良くなってしまう。
こうしてオーギュ得意の「陰からの画策」はことごとくセルジュの「正面突破」によって逆効果になってゆく。
そして夏休み。彼らをただこのまま二人で置いておけば、遠く離れているオーギュの居場所にセルジュが徐々に侵食しただろう。
ジルは何年も学院で孤独だったからこそ「飢えさせる」事は呪縛の強化につながり、風邪で気管支をやられれば苦しみながら「止めてオーギュ、苦しい」とここに居ない相手に縋る、その心細さもまた強い思慕に繋がるが(こういうトコ、本当にグロテスクな親だと思うよ;)
その手を握って咳を止めてくれる、どんなに突き放しても自分を心配してくれる。
そんな存在が傍にあったら、突き放し飢えさせ続けるのはもう逆効果、放置プレイは今後セルジュの有利にしか働かない。(遠距離恋愛中の恋人が甲斐甲斐しく尽くしてくれる身近な異性に奪われた、なんてよくある事だし)
となればもう、連れ戻すしかない。
(この咳を止めるシーンは、セルジュが今後、ジルの中のオーギュの居場所を侵食してゆく事を象徴している場面だと思う)
「このまま長く続けば、やがて離れがたい絆で結びついたかもしれない、二人だけの夏休み」は強制終了し、二人はマルセイユへ向かう。
二人を引き離すだけならジルだけを連れ戻せば良いものを、オーギュはわざわざセルジュも招待し、彼に自分との関係を見せつけ宣戦布告する。
「君には渡さない」
「他の誰にも代わりは出来ない。私はこの世でただ一人の彼の相手」
と、煽る煽る。
渡さないも何もこの時点でのセルジュはオーギュから奪う気も、友人以上の関係を望む気も無かったのに。
オーギュはその言い草とは裏腹に、彼こそが過去編のラストで自ら予言し、寄宿学校にて、共に青春を過ごす大勢の少年達の中からよもや現れはしないかと警戒し続けた「私から奪い取る者」
親を含む大勢の大人たちから見捨てられていたからこそ手に入れ、支配者となった自分から救い出す「運命の王子」と見做して対峙している。
だからセルジュにはマルセイユに呼びつけた上で「敗北を認め」「自らジルを見捨て」「自分から退場」させたかった。
かつて「御気の毒なオーギュスト坊ちゃま」に同情しながらも、保身の為に助けなかった老執事。
彼はその事を気に病み、ヨヨヨと泣きながらも「ジルベールを私の支配から救い出し、自分の孫として育てるというなら止めないぞ」と言われれば、結局「いや、私は使用人に過ぎないので…」と逃げを打ち、大きなリスクを冒してまではどちらにも関わらなかった。
(「今度こそ過ちは繰り返さない、救えなかったオーギュ坊ちゃまの償いの為にもジルベール坊ちゃまを救う」と言う返答をするなら、それもまたオーギュの救いになり得たんだろうけど、そうしない事も分かってるんだよね。この老人は罪悪感を抱いているようでいて、例え時が遡り、オーギュスト少年が引き取られた日に戻れたとしてもやはり保身の為に同じ選択をする人間)
自称親友どのも同じ。オーギュの教育がまずいと知りながら、自分の利益を優先して幼いジルを見捨てて行った。
自分がジルの「世界そのもの」になれたのは「どんな思惑が元であろうと、自分が初めてちゃんと関わった人間だから」だと理解している。
だからセルジュには彼らと同じように、自分の人生を優先させ、ジルを見捨てて立ち去るべきだと考えた。
大人の知恵で支配した自分と違い、真っ直ぐ向き合い、戦い、同じ青春の時を過ごし、そして自分の利益よりもジルを選び、迷わず手を取れる人間。
そんな者は居てはいけない。お前も自分を守る為に見捨てて去れ、お前は王子じゃない。そんな者は居ないのだと自ら証明し、私とジルベールの人生から消えろ、と。
「正統なる王子様」を怖れ、慌てて引き離したという屈辱、敗北感を払拭する為に。