小澤さんの人間力について、思いつくことなどを……。
人は偉大な人を評して『カリスマ』性がある、といいます。
天真爛漫、単刀直入、子供のような純真さ。
人懐っこくていざ仕事に向き合うと、無我夢中。
スーパーマンのような集中力。
小澤さんは、まさにカリスマを絵に書いたような人物です。
なにより小澤さんは、出会ったすべての人を、瞬く間に魅了してしまうのです。
カリスマとはどのように『育っていく』ものなのでしょうか?
それとも生まれながらの宿命なのでしょうか?
(クラシック界のカリスマ、帝王カラヤンとは、師匠と弟子の間柄です)
小澤さんは、中国に生まれていますが、その話しぶりや、カラダの仕草など、まるっきりの『江戸っ子』なのが面白いところです。
ちょっとせっかちで、だれとでも、分け隔てなく、
『アンタと俺』『オレとアンタ』の関係で、物を言います。
写真はピアニストのルドルフ・ゼルキン氏とディスカッションしている小澤征爾。
このとき大事なのは、小澤さんは
『ステータス』を前提に付き合わない、ということなのです。
ピアノ界の巨匠と呼ばれるルドルフ・ゼルキンさんとでも、臆することなく、音楽の解釈などでお互いの本音をぶつけます。公演直後には、
『セイジとなら、こんなに楽しく音楽ができるんだ‼️』
と、ゼルキンさんが本当に無邪気なまでに興奮しているのがわかります。
小澤征爾ならきっと、
『アンタもオレも』『ひとりの人間』
として付き合ってくれる感じがするのです。
(下の写真は、指揮者教室でのひとこま)
(オレは指揮者のモンスターかい?)
決して、オレは雲の上の人物で、エライんだぞ‼️ なんていう『野暮なこと』を言わない人なのです。
そう、江戸っ子が一番嫌うのが野暮なんですよね。
また、けっこうそそっかしいのも小澤さんの魅力です。アメリカ、ボストンの自宅に帰ったとき、うっかり自宅の警報装置をOFFにしなかったばかりに、警察がすっ飛んで来た、なんていうことも度々あったとか。
人間的に可愛げがあって、それでいて、音楽への集中力は凄まじく、誰もが認める世界のマエストロのひとり。
そんな小澤さんをテレビで見ながら、僕はやがて社会人になりました。
すると、社会人として仕事に接しながら、知恵熱が出てきました😁
『仕事と自分』の関係について、悩むようになってきたのです。
そのとき、『ああ、小澤さんをお手本にしよう!』
とだいそれたことを考えました。
ドキュメンタリー映画『OZAWA』は、まさにその時期の僕にピッタリの教材に思えたのです。
☆☆
生涯に渡って『学ぶ』とは何か?
☆☆
(以下の写真は小澤征爾さんが、アメリカ、タングルウッドで学生たちに指揮法を教えているところです)
自分の仕事にどんな姿勢で取り組んでいけばいいのか?
この優れたドキュメンタリー作品は、多くのことにヒントを与えてくれました。
そして、生きるエネルギーがちょっとミスファイアを起こしているなぁ〜、なんて感じるときには、還暦過ぎたいまでも、
『OZAWA先生、また、ご厄介になりま〜す‼️』
なんて、見返したりしているのです。