神社やお寺
教会に行っても
そこに神さまがいると
私には感じない。
祝詞やお経
聖書を読んでも
そこに神さまの声が
私には聞こえない。
神道、仏教、キリスト教
それぞれの集まりに参加しても
人間の都合で作られた儀式を
繰り返しているだけのように
私には思える。
神さまの存在を理解することは
私にとって難しい。
ただ
深い森の中にいるとき
風に揺れる木の葉を見ていると
言葉で表現するには難しいけれど
心がとても穏やかな気分になる。
山の中を歩いていると
言葉で表現するには難しいけれど
底抜けに
優しくも厳しくもある存在を感じる。
その優しさに
甘え過ぎずに
その厳しさに
適度な緊張感を維持し続ける。
それが
私の外側に感じる
神さまといわれる存在の
イメージかもしれない。
お山の神さまとは
山で遊ばせてもらっていることへの
感謝と
無事に下山することを約束する。
対話するのは
それだけ。
そして
美しい山の姿を
いつも見せてくれる。