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●本日のコトノハ●
自分自身が何者であるのか、何者になっていくのか、
それが職業をつらぬいて、職業よりも大切なのであった。
一個の人間として世界の中に、世界に対して生きる
それがとうとい価値であった。
19世紀以降のヨーロッパのことばで言えば「自己実現」と呼ぶことのできる価値である。
『ブレンナー峠を越えて』小塩節(1982)音楽之友社より
現代社会で重視されるのは、その人の人柄よりもその人がどんな仕事をしているかということだと思います。
生活を維持するためには、経済力が必要です。そのために、大半の人は仕事を求め、働こうと努力します。
時には私生活を犠牲にしてまで仕事の予定を優先しさえするのです。
そして、世間ではそのことについて疑問に思う人は少ないのではないでしょうか。
生きるためには仕事が必要ですが、仕事のために生きる必要があるというのは少し違うような気がします。
30代の頃、私は「自己実現」という言葉に憧れていました。
大学を卒業するまで、私はずっと親が望んだ人生を生きていました。それでいて、卒業後の私の人生について両親は全く関心を持っていませんでした。
ただ、子どもを音楽大学に通わせるということのみを目的に子育てをしていて、その後のことには我関せず、子どもが自分でどうにかするでしょ、という態度でした。
音楽大学を卒業すれば、誰でも音楽家になることができて、収入を得ることができると単純に考えていたのかもしれません。
現実はそうではありません。だとしても、親にとって子どもの人生は所詮他人事なのです。
子どもがどんな人生を送ろうと、自分たちが生活に困っていなければどうでもよいという態度でした。
そして、私は確実な将来性もない、先がまったく見えない人生を、自分が選んだわけではない真っ暗な道を、手探りで右も左も分からずに歩くことになりました。
進んでいるかも分からない、迷っているとしても、どこがどう間違っているかも分からない道中です。
そんな中、周りの人を見ると、彼らは安定した職業に就き、経済的に安定し、家庭を築き、着実に前進し続けているという印象を受けたのです。
まさに「自己実現」をしていると感じました。
彼らの姿は私の目に羨ましく映りました。同時に、自分の人生の手綱を親に握られ続けている自分にはとうてい成し得ないことだと諦めるしかありませんでした。
親から解放された人生を送りたいというのが、40年生きてきた私の願いですが、例え、親がいなくなったとしても私が生きてきた人生の道筋が変わることはありませんし、それを否定することは、自分自身を否定することにもなります。
結局、「自己実現」とは程遠い人生を、これまでもこれからも歩き続けるほかはないのでしょう。
それが「私」なのです。
ヒトコトリのコトノハ vol.12
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▼本の林の管理人ハヤシさんがお送りしています。
☆ツイッター https://twitter.com/honnohayashi
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それが職業をつらぬいて、職業よりも大切なのであった。
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『ブレンナー峠を越えて』小塩節(1982)音楽之友社より
現代社会で重視されるのは、その人の人柄よりもその人がどんな仕事をしているかということだと思います。
生活を維持するためには、経済力が必要です。そのために、大半の人は仕事を求め、働こうと努力します。
時には私生活を犠牲にしてまで仕事の予定を優先しさえするのです。
そして、世間ではそのことについて疑問に思う人は少ないのではないでしょうか。
生きるためには仕事が必要ですが、仕事のために生きる必要があるというのは少し違うような気がします。
30代の頃、私は「自己実現」という言葉に憧れていました。
大学を卒業するまで、私はずっと親が望んだ人生を生きていました。それでいて、卒業後の私の人生について両親は全く関心を持っていませんでした。
ただ、子どもを音楽大学に通わせるということのみを目的に子育てをしていて、その後のことには我関せず、子どもが自分でどうにかするでしょ、という態度でした。
音楽大学を卒業すれば、誰でも音楽家になることができて、収入を得ることができると単純に考えていたのかもしれません。
現実はそうではありません。だとしても、親にとって子どもの人生は所詮他人事なのです。
子どもがどんな人生を送ろうと、自分たちが生活に困っていなければどうでもよいという態度でした。
そして、私は確実な将来性もない、先がまったく見えない人生を、自分が選んだわけではない真っ暗な道を、手探りで右も左も分からずに歩くことになりました。
進んでいるかも分からない、迷っているとしても、どこがどう間違っているかも分からない道中です。
そんな中、周りの人を見ると、彼らは安定した職業に就き、経済的に安定し、家庭を築き、着実に前進し続けているという印象を受けたのです。
まさに「自己実現」をしていると感じました。
彼らの姿は私の目に羨ましく映りました。同時に、自分の人生の手綱を親に握られ続けている自分にはとうてい成し得ないことだと諦めるしかありませんでした。
親から解放された人生を送りたいというのが、40年生きてきた私の願いですが、例え、親がいなくなったとしても私が生きてきた人生の道筋が変わることはありませんし、それを否定することは、自分自身を否定することにもなります。
結局、「自己実現」とは程遠い人生を、これまでもこれからも歩き続けるほかはないのでしょう。
それが「私」なのです。
ヒトコトリのコトノハ vol.12
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