☆本記事は、Youtubeチャンネル『本の林 honnohayashi』に投稿された動画を紹介するものです。
ご興味を持たれた方は是非、動画の方もチェックしてみて下さいね!
●本日のコトノハ●
並はずれた人間なら誰でも、使命をにない
その遂行を天職としているのだ。
彼はそれを遂行してしまうと、もはやその姿のままで、
この地上にいる必要はない…〈中略〉…
ほかの人たちにもなすべき仕事を残しておくためなのだよ。
『ゲーテとの対話(下)』エッカーマン著/山下肇訳(1969)岩波書店より
使命感を意識したことはありますか?
自分がやらなければいけない。それを達成するのは自分以外の何者でもない。
自分にしかできないことだと、そんなふうに思って行動したことはありますか?
思いつく限りで、私にはそんな経験はありません。
とすると私は、ゲーテの言うところの「並はずれた人間」ではないのでしょう。
40歳を過ぎた今、私は自分が凡人であることが分かっていますし、そのことに心からの安堵を覚えます。
「並はずれた人間」でなんかいたくないと思います。
なぜなら、そういった種類の人たちが困難な人生を送るだろうなと思うからです。
使命感を持つということは、自分以外のものと責任ある関係を維持することだと思います。
自分とは無関係の事物について、最後までお付き合いするということです。
そんなの私には無理です。自分一人の面倒を見るだけで精一杯なのですから。
所詮私はその程度の器の人間なのです。
今はそう思って気楽に日々を過ごすことができて幸せです。
20代の頃や、今より若い時には「自分がやらなければいけない」と思って行動することが多かったですし、その結果、うまく行かなかったり、失態をやらかして落ち込むこともありました。
当然です。そもそも、そんな優れた能力など持ち合わせていないのだから。
自分を過信していたとも言えますが、何より周囲から使命感を押し付けられることが多かったように思います。
「若いんだから」とか「今しかできないよ」とか「社会に出たら当然だ」という言葉に突き離されるように、自分の身の丈に合わないことを強いられていたように感じます。
それらの言葉にきちんと「No!」と言えるようになったのは、やはり40歳を過ぎてからですし、周囲の人たちも私の「No!」を無視しなくなったと感じます。
私の気持ちや事情を無視して、好き勝手なことを言ってくる人も、この年齢になると少なってきたように思えます。(まったくいなくなったわけではありませんが)
周囲の言葉に振り回されなくなる年齢、それが「不惑」なのかもしれません。
ヒトコトリのコトノハ vol.11
=====
▼本の林の管理人ハヤシさんがお送りしています。
☆ツイッター https://twitter.com/honnohayashi
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●本日のコトノハ●
並はずれた人間なら誰でも、使命をにない
その遂行を天職としているのだ。
彼はそれを遂行してしまうと、もはやその姿のままで、
この地上にいる必要はない…〈中略〉…
ほかの人たちにもなすべき仕事を残しておくためなのだよ。
『ゲーテとの対話(下)』エッカーマン著/山下肇訳(1969)岩波書店より
使命感を意識したことはありますか?
自分がやらなければいけない。それを達成するのは自分以外の何者でもない。
自分にしかできないことだと、そんなふうに思って行動したことはありますか?
思いつく限りで、私にはそんな経験はありません。
とすると私は、ゲーテの言うところの「並はずれた人間」ではないのでしょう。
40歳を過ぎた今、私は自分が凡人であることが分かっていますし、そのことに心からの安堵を覚えます。
「並はずれた人間」でなんかいたくないと思います。
なぜなら、そういった種類の人たちが困難な人生を送るだろうなと思うからです。
使命感を持つということは、自分以外のものと責任ある関係を維持することだと思います。
自分とは無関係の事物について、最後までお付き合いするということです。
そんなの私には無理です。自分一人の面倒を見るだけで精一杯なのですから。
所詮私はその程度の器の人間なのです。
今はそう思って気楽に日々を過ごすことができて幸せです。
20代の頃や、今より若い時には「自分がやらなければいけない」と思って行動することが多かったですし、その結果、うまく行かなかったり、失態をやらかして落ち込むこともありました。
当然です。そもそも、そんな優れた能力など持ち合わせていないのだから。
自分を過信していたとも言えますが、何より周囲から使命感を押し付けられることが多かったように思います。
「若いんだから」とか「今しかできないよ」とか「社会に出たら当然だ」という言葉に突き離されるように、自分の身の丈に合わないことを強いられていたように感じます。
それらの言葉にきちんと「No!」と言えるようになったのは、やはり40歳を過ぎてからですし、周囲の人たちも私の「No!」を無視しなくなったと感じます。
私の気持ちや事情を無視して、好き勝手なことを言ってくる人も、この年齢になると少なってきたように思えます。(まったくいなくなったわけではありませんが)
周囲の言葉に振り回されなくなる年齢、それが「不惑」なのかもしれません。
ヒトコトリのコトノハ vol.11
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